目に見えない光の粒がハミングや声のメロディに連動してカタチや配列を変えるのを見たお話
光の粒が音(声)に反応する!?という発見
前にも何回か取りあげた精神テクノロジーのひとつ、粒子が見える話の応用編です
前回までは見える人、見えない人、または場所による見え方、光のグリッド線の違いなどでしたが、今回はそれを体験済み前提の人向けの情報です
あまりにも綺麗な青空で、そこら中に光の粒が見えてました(写真には映らない美しさ)
コロナ禍やケムトレイルがばらまかれた時と違って、最近は大量に増えてる感じで、相対的に見るなら、完全放置状態の家庭菜園が雑草ぼうぼうが『虫達の楽園』になってるけど
ちゃんとトマトやナスなども大きく育っている(虫が自分達も食うから育ててくれている)
その『高度経済成長の時のビルのような循環のエネルギー』を考えると、そこに集まってくる『ソマチッド・マナ・プラーナ』である事は間違いないだろうなと
もう、他人には見えなくても、『自分に見えてるもの』を『常識で疑う』のはやめました
『認知』を変えて、ならばその見てるプラーナに『自分は干渉を受けているのか?』それとも『影響を与えられるのか?』
それが『実験』したくなって軽く『ハミング』してみたんですよ
そしたら何度か音階を探っていると、『特定の周波数の時』だけ『動きのパターンが変わる』ように見えて
んー?( ‘ω’)って自分の体を震わすような、低周波の響きが出た時になんとなく分かったのが、これは『現象』ではない(`・ω・´)キリッ Σ(゚д゚;)
というのも、んーというのは低音の波動が口を閉じてるから『体内を巡る』訳で『震えるのは自分の体』です。そうすると、その『振動に共振した部位も揺れる』訳ですが、この時『どこが共振』したかなんですよ
例えば目で見てた時に、『眼球が特定の振動パターンで揺れた』場合、『その振動』が来た時だけ、『そう言うブレのような見え方』がおきてもおかしくない
眼球には『水晶体』という光を反射・透過する『レンズ』もあれば『液体』という振動の影響を受けやすい状態でもある。また脳の『分析や認識をする機関』が振動した場合も同様に『誤認識』が起き『て配列が変わったように錯覚』する可能性もある
そこでんー( ‘ω’)の低周波は全体を駆け巡って分かりづらかったので(∩・∀・)∩ラァーンとか
あー(・。・)おー(((o(*゚▽゚*)o)))と色々やってみた結果…
単音だと分からん(´・ω・`) Σ(゚д゚;)
そこで思いついたのが、『心がワクワクする曲のメロディ』を口ずさんで見る方法( ー̀дー́)و
結果は歴然でした
私の心の『落ち着き』や『高揚』に合わせて光の粒の数が増えたり、動いたり(完璧コントロールは出来ないけど※多分ノイズ)
楽しいメロディを歌ってる時
悲しいメロディを歌ってる時
結局はその『瞬間』に『心にシンクロするメロディ』を発している時、光の粒が『オーディエンス』のように集まって合唱して揺れる木霊₍₍ (̨̡ ‾᷄⌂‾᷅)̧̢ ₎₎
それが『木霊する=音の響く』って事なんだろう
そして心に響く木霊するとは『マナ・プラーナ・ソマチッド』が伝わる
頑張れ!!って『エールが力を与える』のは、それはその人の周りの『光の粒が共振』して『木霊』する事で、時間も空間も超えて『心に伝わる』んだろう
空気が『現象』として何処に行っても存在しているように、『潜像』にもまたプラーナ・マナ・ソマチッドが満ちている。その『自然エネルギーが共振』すれば『響きが木霊』する
響くとは『郷の音』と書く
ふるさとは懐かしい・落ち着く・穏やか・安心・居心地がいい(´∀`)そして『産まれのルーツ』
もしも私がマナ・プラーナ・ソマチッドという『役割を持たないエネルギー』ならば、ずっと『穏やかな場所にいたい』と思うだろう。それが『マナ・プラーナ・ソマチッドが集まる人の波動』の特徴なのかもしれないし、そう言う人に起きるのが
虫の知らせやミラーナンバー等のシンクロニシティ
何処にいても『心に描いた願いや祈り』が『波動』として漏れ伝われば、それに『共振した木霊』が遠くへ響かせる
(*」´□`)」おーい、アレ、スタンバイしとけ o(*゚▽゚*)oウイース
シンクロニシティってそう言う仕組みかと(笑)
よく心を穏やかにするという『表現』があるがそれは『表に出る現象=結果』であって、それが結果になる前に『潜像での意志決定』がある
ここが『決着』しなければ、『不安(定)』で穏やかにはなれない。いくら『体』裁を取り繕って誤魔化しても意味の無い事
不安定な心の放つ波動は『規則性』がない
だから木霊のオーディエンスの『ノリ(共振)』が悪い
安定した心は『一定のリズム』を刻み、そして『転調』しても『方向性』が変わらない
これを『LIVE(生きる)』という会場に『オーディエンス(観客)』としている『木霊(マナ・プラーナ・ソマチッド)』として考えると
波動・波長が合えばノリがよく観客も盛り上がる、観客の声が響く
木霊して共振(ユニゾン)して会場のボルテージの圧が増す
神を楽しませる=神楽
そんなメロディを創る=声明
そんなパフォーマンスをする=伎楽
唱え、舞え、好きなように、それを求める木霊が集まる
見えたからリアクションは分かった
見えなくてもいるから感じろ
『感じる』と徐々に『シンクロニシティ』で気づいて『認知』が変わり出す
『認知』が変われば『意識』が変わって『見えないものも見える』ようになる
別に幽霊とかそういう『概念』じゃない(それも認知)
人には『命』がある
命を止めるには『空気』を止めればいい
人には『意識』がある
意識を止めるには『意識』を失わせればいい
それは『現象』に過ぎない
実際は『潜像』では意識は止まらないし、失わない(別の器に移ってる)
空気が命と置き換えるなら、人に命を吹き込む『空気』とは何か?
それが目に見えない『光の粒』ならば、人は『光そのものを動力』としている
その潜像の光の粒に『意識』があるならば、『波長が会う奴』に惜しみなく『力を与える』だろう
『願いや祈り』が『波動』として漏れ出た時
それは求めるエネルギーへと『木霊して響く』
(*」´□`)」おーい、スタンバイしとけ o(*゚▽゚*)oウイース
それがシンクロニシティ
でもたぶんだけど…(*´°∀°`)
現実の『物欲』がそんなにないから、光の粒が『姿を見せてくれている』…とも( ゚ ρ ゚ )ボー Σ(゚Д゚)
実際、私の周りでも、そう言う『光の粒が見える人』って、『魂年齢が成人期以上』の特徴を持ってる
争いを好まない人
絶対に自分から犯罪を犯さない人
自発的な発見や探求に意欲を燃やす人
そう言う、なんかあっても『疑わずに全力で擁護できるような心根の人』ばっかりだった
そう言う人って常に『中立=自然体』だから、善悪に疲れたエネルギー(;´Д`)にとって『イヤシロチで心地良い』のだと思う
言うなれば
真夏に冷房聞いてる街の喫茶店
何時間いても文句を言われない
色んな客層が集まってくるから暇しない
マスターはそんな客に無理強いはしない
例えば『虫が目につく』事もひとつの自然エネルギーの流れの客
カマドウマは避難を呼びかけ
蝶は祖先達が見守ってるよと伝え
蚊は生まれ変わっても役目は同じと気づくきっかけを伝え
それらは一時、『現象』として姿を得て何かを伝えに来た光の粒であり、役割を終えたらまた漂う木霊になる
(´∀`)そんな感じ
だからもしあなたが、光の粒が見える!!と感じたなら、それは『他者と共有は出来ない』ので自分の中へ『納めて得』しましょう=納得して認知を変える
『現象』の前の『潜像』
自分の心と向き合う、それが何よりの精神成長の仕方であり、あなたの周りにはまだ役割を持ってない無限のエネルギー(光の粒・木霊)が存在しているのだから
声明=声を明らかにして共振(ユニゾン)させましょう
観客のノリが合えばボルテージは一気に上がりますから(笑)
でもその前に『バンド(周波数帯)合わせ』ましょうね
自我と真我(心)のチューニングがずれてたら、ひどい不協和音の演奏になってオーディエンスが離れる=囲む縁(円)が無くなるかもしれません(笑)
LEAVE A REPLY