寝起き閃ワード 理理の時代の理想…二文字音が続く繰り返しはオノマトペの擬音、ワクワク、ドキドキ、ハラハラ、原始的だが躍動的…欲欲考えて夢夢忘れるなという先祖が伝える理理の時代とは…
寝起き閃ワード 理理の時代の理想
( ¯꒳¯ )ᐝ理理?
欲欲考えて夢夢忘れるでないぞ?シリーズ?
昨日の夢は誰かと結婚する夢だった(前とは違う女性だった)
グイグイ引っ張り『旅に連れ回すタイプ』ではなく『家に収まる家内タイプ』で…あまりにも何も無いまま一緒に生活が始まったから『妻』と思っていいのか、『旦那』と思ってくれてるのか(´-`)oO
ま、それはいいとして、その夢から覚めた結果
『理理の時代の理想』?と来たもんだから
『理』を考えてみろって事か
ふむ( ・・ )
一から十までが『全て』として
『一理』はあっても『十里』も『全理』もない…
あれ?理は『一』しかないぞ?
理由は『色々ある』と言うが
由緒は『一つ』しかない…
なら『一理』の『由緒は一つ』だぞ?
つまり『理由は一つ』しかないのに
それを色々と『諸説、諸々』と人が言う…
人諸=『儲』が絡んで『理由が増える』のか
なるほど『理理(一)の対義』にあるのが『諸諸(その他)』か
『理由で動く一の存在』と『儲で動く色物』…
そうか!これも…『意識と観測の世界かΣ(゚д゚;)
理(意識)
理(ことわり・法則)
諸諸の人(色物・思想カラー=儲、信者、NPC(自分の分身達))
思考シミュレーションにおける
創造主は『環境を設定して構築』する
観測者は『条件を満たすか?』を『効果測定』する
この環境がまず『1つの理(ことわり)』
そして条件が『一理あるか?』の観測
『理に適った行動=宿業(観測目的)』を果たす
これが『人の間(諸諸の人)に入る覚悟』でもある
つまり理理の時代とは…『仮想現実』を『気づきや閃』による『意識の向上の為』に『精神テクノロジーとして活かす』という…
『明晰夢でやってる私は和足し』という、『自分自身を自分で導く事』で得られる『達成感と充実感』と『次の夢の旅への魂の経験値の蓄積』
『夢の中』で『精神が成長』する時代
寝た子は『起こすな』
老いては『子に従え』
子供の仕事は『寝る事』
大人はその『穏やかな眠り』を見守り
子が観た『夢の自由の話』を聞いて
それを『叶える為の礎』となり
その『役目を果たす為』の『夢の旅人』となり
夢の中で『大人となった子と再会』する
私が現実では亡くなった祖父や母と『夢で出逢い』、何らかの『役目』を果たし、それを『お互いの経験値として和足して夢から覚める』ように
…その「夢で逢いましょう」が基本の精神
物理の『物』すらいらないという『唯一無二』の理由
なるほど(´・ω・`)
理(ことわり)とは『心(こころ・しん)』か
心でも理→死んでも『ことわり』=無理→『理が無い』
心が変わる→理→諸々の人の儲の色で『心変わり』する
つまり『理理の時代』という、一回遠回りさせた寝起きの閃は『理を心』と捉え直す事で
『心理の時代の理想』になる
『心は一つ』の『時の代』の『一つの想い』
『心想心理』時代
あぁそうか、漢字はこういう『表現』を『想像から創造』して『観測して納悳=心に素直に納めたかった』んだ
だってこれは『心が前』だからね
唯心→唯心を想う理の時代
ま、『夢を現実に活かす時代』だから、現存する言葉を利用するなら『レムリア』
私にとってのレムリアは『宇宙時代』とかそんな『諸々の人の儲の都合のいい失われた古代』ではなく
今も尚、こうして『体感なくして理解なし』の『意識の旅』をしている『夢(rem)現(Real)』
そんな夢を現実に映す『夢日記はmemorial』(笑)
何故か始まった結婚生活の『夢の体感(rem)』が
目覚めには『理理(real)』という『言葉(memo)』になって
だからその『memorial』を伝えた心に吾=悟が素直に悳で向き合ったら
理理→『心理』
『心想心理』→心が前→『唯心』
新妻とのお互いを『強く意識していない波風が無い穏やかな日常(凪)』、空気のように『傍にいるが干渉しない』ままお互いの『一部(家族)』になる感覚
『元々』…そうだった?( ¯꒳¯ )ᐝという感覚
『深層心理』という言葉は…深い層に潜んだ心理ではなく
『深呼吸』と同じように
『探知・探索・探求の探』だった
想いを探す→心理に至る
その『心理(理理)の時代』の『心を想う』
それが心想心理=唯心→『理は一つ』しかない
諸々の人の思想・色物・カラーは『偽物』
『人の為の物の理(環境設定)』
その『仮想の物理の中に入る事』でしか得られない『虎穴に入らずんば虎子を得ず』の『魂の経験値』がある
『三つ子(密後)の魂百まで』は、細胞が『密』になり、『組織』として最初に身につけた『人の物と事』が宿業
逆に言えば大人になったら、その『固定概念=一理の観測』は外れない
だから『初心』に返り、『心を吾』が取り戻して覚えて『覚悟』ができて、その『一理(必要な全て)を探求』し貫き通し『核を自己消滅=アポトーシス』させた先人達が、『夢の旅で出逢う存在達』
『云う鬼=魂』の指導者は、『理想を創造』する『共同創造主』
『現実の皆(環境設定)は諸諸の人儲けの苦しみ』の『虜』(おとこ)だが、『夢の理想の皆』は理理は恩納(おんな)
一人一人が『恩を納める=悳を和足す恩恵』
そう言う意味では『配慮、気配り』の慮る、『虎は千里をかける=母が子を想う気持ち』は
「坊や良い子だネンネしな」と『夢観る眠った子』を起こさず背に『背負った理理の恩納(おんな)』の意志
私はこれを『龍の背』と表現するが…これも『白龍の導き』だったのかもしれない
レムリアという『諸々の人が言う色物の思想が強い言葉』を用いるより、やはり『和の精神の表現』でもっと『繊細で深いを味わい』を求める
『諸々の皆の苦しみ(仮想環境設定)』は『仏(ほっとけば成るようになる)の意志』があるなら
後味を『加味』して噛み締める
加味を宿せば『神=示申』になる
『真言(失われた音)』を『音で世を観る観世音』して『自己解釈して進言(新生を申請)』しなさい
通らばリーチキタ━(゚∀゚)━! Σ(゚д゚;)
『中途半端な役』じゃ上がれない、きっちり『役満=役を満たせ』を決めて来い
…という何故か最後は立ちはだかる『先祖達の麻雀の卓』で『リーチ棒』を出してる私(笑)
書きながら半分、変性意識状態で『涅槃(寝半)』で、夢と現実の『境界線が曖昧』で、『現実で言葉』を紡げば、『夢の景色』が変わる
まるで『理(心=環境設定AI)』と『対話プロンプトで世界創造』してるみたい(笑)
でもそれが物理という『物の理(仮想環境)』とは『無縁』の『心の理という精神世界』は和足しの『名(役目・意志)』はあっても、『体(人の本質・諸々の他意)』はない
そんな『和足志達の理想の時代』は『物理の時の支配の外』にある
『気』づけば『マトリックスを行き来できる』がやっぱりその為には『物への執着』が無い事
ま、一番手っ取り早い解脱のトレーニングは『低解像度の段階のVRゲームを体感』する事
『現実を模倣』して『体感仮想環境』を肉体の体感ではなく、『脳をバグらせるブレインストーミング』で『認知を変える段階』がある
言わゆる『体が拒絶』する『VR酔い』
これは体の酔いの『吐き気』とは違う現実では『不可能な錯覚』
現実の中に『別の現実がある』という『入れ子の構造』は頭がバグるし、現実ではありえない、『体が動いてない』のに『頭だけは360度回ってる』とか
『ありえない体験を繰り返す』と、そのうち『体が無ければ有り得る』という、『意識』は『肉体とは連動してない事』を『素直に受け入れる耐性』がつくと
『金縛り』は『トラッキングカメラ位置がズレてるからキャリブレーション』したり『フリーカメラに切り替えて動かせば…』が『幽体離脱』に感じたり
明晰夢に向かう過程の『ボイド(虚無)』もまた『ワープホールを飛ぶようなVR体験』を『錯覚で認知』してれば似たようなものとして何も怖くは無い
つまり、『人が肉体を失うという過程』で感じる『恐怖のトリガー』をぶっ壊している
で、何故『低解像度のVR』がいいか?それはこれは『現実そっくりだけど現実じゃない』と『外に意識がある事を保てる』から
もし『高解像度』で『現実よりも現実的』と感じたら『依存と移住』が始まって『現実が嫌』になる
『VRchat等は低解像度』なのに、そこに『諸々の人が様々な色物(アバター・思想)で集まってる』から、「そこが居心地がいい…」となると・・
はい!ここで『例え(仮想)の世界』から引き戻します
『心理』の理想(現実の外に夢がある)
『物理』の理想(現実の中に夢がある)
『意識』がどっちを『観測するかの方向性』が全く違う訳で、この『見極め』をつける為に『高解像度という完成品』ではなく、『低解像度』というあえて『荒が目立つ偽物』で、VR酔い=『外に出た』のに気持ち悪い→『夢から覚めた現実』でも同じ感覚
「あれ?って事はこの現実もVR(仮想)?」と『体感(心理)が先』で『物理の理解』は後付け
仮想環境なら『諸々の皆の苦しみ』は『そう言う役目の設定(NPC)』だから、必要無いなら気にしなくていい
VRで『ホラーゲーム』を体験してる人で『怖くなったらゴーグルを脱ぐ』という行動
『現実』でも『それ』なんだよ
『決定的な瞬間』を『意識して観測』しなければ『別世界に意識はシフト』して続く選択を選ぶ(トラウマシーンを記憶しない)
その現実でVRゴーグルを脱ぐという行動が、昔の先人達が言葉に遺したメッセージ
『色眼鏡』を外して物事を捉える
目から『ウロコ(コンタクト)』の改心する
これらは目で見た物事、周りの『諸諸の人の儲けの色物に染まった心(環境)』の『改心』を促す
メガネ→コンタクト→インプラント
今はまだ『ゴーグルだから外せる』がそのうち『外したくても外せなく』なっていく
という『目覚めた時から監視社会の中を望む』のかい?
その『インプラントで見た景色』は、どんなに素晴らしい一期一会の体験であったとしても、『監視者』や『諸諸の色物の儲け話にデータとして流用』されて、一部はそう言う『思い出ジャンキー』や『コレクターの所有物の一部』として『人の人生体験記録』すら『諸諸の人の儲け』になる
『自分で見た夢』が『リアルタイムにコピー保存』され、『どこかの誰かが既に実現している…』というのは
昔の占い師が『人の良い夢の売り買い』をしていたやり方と変わらない諸々の人の『人で儲ける商売がデジタルで復活』するだけ
唯一無二の『心と吾』の『悟の共同創造世界』
その『心理の世界』に『物理を繋げよう』という愚かさは
マトリックスの中で『エージェントスミス』が『モーフィアスを拷問』にかけてこう聞くシーンに現れている
「言え!お前たちの『ザイオン(sion)』はどこにある?どこから侵入している?」
これって『心理』が理解出来ない『物理』その物
『物を理解』しても『心』は理解出来ない
何故なら『心』が『理そのものだ』と解けない
それを『心が理(ことわり)と証明』すると
『物』はただの『投影の影という仮想』を認めてしまう
『真』になりたい『偽(人の為)』、『一理(ザイオン)』から来るものと『諸説諸諸の人(マトリックスの住人)』
…と、『理理』というキーワードを展開したら、とんでもねー世界観の『相似のフラクタル多次元多世界解釈』に広がって行く
『解釈』というのが『圧縮ファイルの展開』だとしたら、今起きてる解釈が『更なる解釈に繋がる』というのは
ファイルを展開したら、また圧縮ファイルがあって、その圧縮ファイルを開いたらまた圧縮ファイルがあって…と
『ミクロな世界にマクロ』があって、その『マクロな世界にミクロ』があって
『ファイル展開』が『宇宙の膨張』なら
その中で『圧縮ファイル』は『空間の凝縮』
つまり『解釈の知恵の閃』は『宇宙のBIGBANGと同じ理論』とも言える
どれだけ『自己解釈』できる『鍵』を持ってるか?
それを『与えてくれるのが夢の旅』とその結末に持ち帰る『memorial=寝起き閃キーワード』という一理
…そうか(´・ω・`)
毎回、『一理(寝起き閃キーワード)を展開』した所から『夢の圧縮ファイルの中身を再解釈』して足りないに気づいて『再構築して起動』してたのか
これね、『夢の記憶が何故消える?何故断片化する?』も仕組みとしてはわかってきたぞ?
『エンコード失敗』なんだ
おそらく『物理メモリ(仮想)を現実』に使いすぎて、『夢の高画質』が『低画質、出力制限で秒数も短く』、現実の負荷を考慮して『都合よくプロンプトを書き直した』結果、生成AIのような『4秒の繋ぎ合わせ動画』みたいに『ワンシーンくらいしか作れない』のだろう
私はファイル保存形式で例えるなら『Fragmented MP4形式を採用』してる感じ
* 特徴: 動画データを小さな断片(フラグメント)に分けて保存する形式です。
* メリット: 通常の MP4 は、録画の最後に「動画全体の情報(メタデータ)」を書き込むため、途中で強制終了するとファイルが壊れて再生できなくなります。しかし、fMP4 は断片ごとに情報を書き込むため、途中で止まってもその直前までのデータが無事で、再生も可能です。
『目覚めた瞬間にmetaデータを失う』から夢は見たけど内容が『何を伝えたいのかわからない状態』になる
だから最初から『断片化のストリーミング』にして途中で見たもの、感じた感覚は『全て再現可能』にしておく
それいいな!と思っても落とし穴がある
「再多重化(変換)」の手間 編集や投稿に使うには、一旦MP4に変換する作業が必要になります
そうそれが、出力された断片化された『夢の圧縮ファイルを展開』して『元に戻してからの再エンコード』…という
私が『訳詞如来(現代言語変換ソフト)』を呼び出し、『現実(仮想環境)のリソース』の多くを費やし、後で読み直せば『意識の観測世界の認知が変わる夢日記を書き終える』まで
心と吾の悟りの共同創造は…『再自己解釈エンコード』が終わり、『自分に読み聞かせ納悳』して、今の心が観て『観念して満足を得る』まで終わらない業の回収
これが『理理の時代の理想』であり、一見『苦行』に見えて『楽しみ』はどこにあるか?
それは皆が持ち寄った『グループワーク』で『覚悟=覚えた悟りを語り伝える物語』として楽しむ事
「どういう心と吾の旅でその物語(夢)は生まれた?」という映画はもう…
『感動と影響』しかなくて
「いや〜映画ってホントいいですよね?」
「さよならさよならさよなら(早く次が観たい)」
みたいな所に『自己解釈した作品』を『和足しに持ち帰る』のが『冥土の土産』
土産はただの『土』だったら『粗品』だが
ちゃんと『名産地の観光土産』として持ち帰る
『物理』という『井の中の蛙』として囚われない『大海の自由な発想』、それが『心理』
物理の反対は何か?とAIに聞いたら、心理的、仮想的と返して来た事で思った
物理と心理の狭間は『物心』
物心つく=『自己を認識』する
『物に心が宿る』のも
『心から物が生まれる』のも
どちらも『物心(意識)』からすれば『仮想』
どちらでもあり、どちらでもない(空=有無)と仮に想う事
『どちらかを選ぶ』という事は
『人に反する想い』だと言うこと
『人の間』にいる内の人(肉)は
『物心ある自己』という『量子的』な存在
『物』か『心』か『観測者』次第で『量子の動き』は『量子テレポーテーション』して役目を変える
それを「~でなければならない!=マスト」というポジショントーク=立場の意見のポジティブ
そんな立場の人が増すと・・体を保つ組織の密度が増えて重くなる訳で
それを『否定はしない』が、それ以外もあると一理のポジティブを説いて離れる
一理が全ての物理の界隈は、それ以外を認めないからネガティブ=存在否定するが・・
それはお互い様で、都合の悪い例外は加味しない物理の傲慢愛想に尽かした
『その立場』をマストとして選ばない立場からみれば、合わない空間がネガティブなだけで
では、その『物(現実)と心(精神)の狭間』は
どちらからもネガティブ=存在否定・拒絶される・観測されないからこそ
どちらも『自由に加味』できる『量子(可能性の創造)の非観測領域』という観点になる
凛々しいね~
凛凛だね~
心が冷えてひきしまって物になるんだね~
物が熱して形が飽和して心になるんだね~
人も化け物になる逢魔が時(通過点)だね~
・・また狭間のレクチャーだったか(笑)






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