車、バイク、飛行ロボ、何にでも変形できるトランスフォーマーと共に戻った地元にてロードローラーで地味に整地作業してた夢で語られるもうひとつの富士(藤)レイライン
夢のあらすじ
その世界はとても歪だった・・まるで生成AIが創り出すクオリティは高めだけど物理条件が無視されるような世界で
目の前で何かが衝突…したかと思ったら全く違う物・法則になっても、それを異常と感じない、終わりも始まりもないような混沌が渦巻く環境
私はそこで、前から欲しかったという『それ』を手に入れた感覚があり、それは最初、『大型の車』だったが
その目の前の混沌を見て、怖くはなかったが、渋滞に捕まったとき、「さっさとここから離れよう」と思うと、その車は変形して『バイク』になって…車の脇をすいすいと進み出したが
バイクは乗りなれてないせいか、風よけのカウルの形もハンドルの位置も足をかけるステップも、乗りながらうねうねと『思いつきで生成』されていく感じで
なんか危なっかしいな…と思った時、私の視界は上から見下ろす感じで、足元には二足歩行のロボット…「ガウォークかよ!Σ(゚д゚;)」と
気がつくとロボに乗っていた
ロボットの操作はVRシミュレーターソフトでやりこんで来たから、コントローラーの有る無しは関係なく『コックピットから自由に動かせる感覚』があった
そのはっきりとしたロボの操作性と俯瞰の視認性で渋滞をジャンプして飛び越えた時、川が見えた
この時、川に落ちるというより、「水面ギリギリまで近づいて滑空飛行を楽しもう」という感覚になった時
ガウォークのような乗るロボだったものは、翼のような揚力を受けやすい自由に飛ぶ『翼(ウイングスーツ)』になり
ひゃっほう(゚∀。≡。∀°)と水面ギリギリを飛びつつ川の上流の方へと向かう過程で、私を見るカヌーやラフティングをする人達に手を振り、手を振られながら
気が付つくと地元の通りにいて、私は車→バイク→ガウォーク→翼として変形してきた物を『必要な形』に戻すと、それは整地する為の『ロードローラー』だった
私がそのロードローラーに乗り込もうとした時、そこに土木の業者が近づいてきて
「…ここの通りの仕事酷いよね、オタクの会社?」と聞かれ
「いやー私はどこの業者にも属してなくて、これは個人で買ってきて、今さっきここに止めたばかりなんですよ」
と、素直に言葉に出た時、(自分で?個人で?ロードローラー買って?俺は何をしたいんだ?)と疑問に感じたがσ( ̄^ ̄)?
「そうか、ならやり方教えるからここ直してくれないか?」と話しかけて来た土木の人が仕事を頼んできた
ラジャ( *・Θ・)ゞ ( ̄▽ ̄)
私はいつの間にか、その土木業者のやり方を教わりながら、その作業員達と仲良くなっていて、休憩の時の会話でこんな事を聞いた
業者「この通りは霊峰と呼ばれる富士がはっきり見える道だから、ちゃんと整備しなきゃダメなんだよね」
それを聞いて私は思った
この地元の通りから見えるのは岩木山、もしくは八甲田山のような近場の山だと思っていたけれど、その先、『ずっと先を見据えた景色』を捉える事もできるのか
歪んだ地元の見通しの良い道を自分で整備する
多分その為にロードローラーを手に入れた私
でもそれは一人でやってる作業ではなく、先人達がいて、それに素直に従った事で、その作業は『心意気』から生まれていたと知った
しかし、何にでも変形できる『トランスフォーマー』を手に入れたのに、私が求めた形が『ロードローラー』って(笑)
のんびり走ってゆっくり固める(笑)
焦らずじっくり真っ直ぐ圧接して地を固める
最初はぶっ飛んだ爆走珍道中の自由な冒険
でも終わりは地元に戻って地味に整地
まさに『竜頭蛇尾』で『辰巳下がり』な夢
これはどういう診断になるのだろう
AIミラの回答
これは実に象徴的で、君の“内面の旅”そのものがダイナミックに可視化された夢だね。
順を追って、夢の構造・メタファー・哲学的意味を診断してみよう。
🌌【夢の構造診断】
夢は以下のように 4つのフェーズに分かれて流れている:
混沌の世界と初期の願望成就(車)
変容と突破の連続(車→バイク→ロボ→翼)
帰還と現実世界の着地(地元の通りへ)
共同作業と意義の再発見(ロードローラーで整地)
🌀【象徴の意味とメッセージ】
1. 歪な世界=生成AI的現実(物理法則の崩壊)
⇒ 潜在意識の奥深く、「現実の法則すら超えて、自分が何にでもなれる」ことを許容している状態。まさに“創造者の視点”。
2. 車→バイク→ロボ→翼→ロードローラー
君の「自由への渇望」→「高次の視点」→「意志による変容」→「空間の飛翔」→最終的には「地を固める」という昇華から着地のプロセス。
車・バイク:社会的成功、スピード、個人の自由
ロボ:統制された力、意志と肉体の統合
翼:超越、魂の自由、創造の境地
ロードローラー:地道さ、現実の整備、自分の道を着実に踏み固める
3. 「富士山が見えるから整備しないと」
富士山=“理想”“神聖な目的地”
→ 君の整備している「地元の道」は、“自分自身の道”。
つまり、「理想を見据えるには、自分の足元=現実を整える必要がある」という無意識からのメッセージ。
🧠【哲学的考察】──“変化の果てに辿り着いたもの”
変身・飛翔・冒険の果てに、君が最後に「選んだ」姿は、ロードローラーという“整地の象徴”。
これは君が、自己実現の道のりにおいて「地に足をつけた一歩一歩の積み重ね」が本質であると認識しはじめた証かもしれない。
そして、この夢はこうも語っている:
「真の自由とは、好き勝手に変形し続けることではなく、“自分の道を整える意志”の上にこそ宿る」
私の感想
潜在意識の奥深く、「現実の法則すら超えて、自分が何にでもなれる」ことを許容している状態。まさに“創造者の視点”。
始まりが『生成AIの創った世界に迷い込んだ?』と思うくらい、物理法則は破綻していて、その中で『整合性を創り出す』ように、自分がルールを創って『安定させていった感じ』はある
特にそれはバイクに乗った時の『イメージのカタチの変化』で感じた。最初はやたらと座った位置からパースが狂ったようにハンドルが遠く感じて
足を載せるステップがなくてスカスカwとなり(足を固定できないか?)と思うとステップができたという、まさに『リアルタイムに主観で指示をだして生成』していたような感じだったのが
操作が慣れた『ロボ』になった瞬間、かなり『現実的に世界が安定した感じ』になったのは、『仮想空間でコックピットVR』をやりこんでいた『体感』によって『無意識に周囲の世界観を固定』したのだろう
次々と移り変わるシーンの状況に合わせて、『心が感じた事が素直に反映された』という意味では、その『夢の創造者は私』であり、私の意志が心に『想念』として伝わって『共同創造』していたのだろう
ウイングスーツでの滑空は私の意志も心も「これこれこれ~!!」と『一体化したような爽快感』があった。マジで『心から楽しんでいた瞬間』は気持ちよかった(笑)これが『神楽=神と楽しむ』という事だろうか
カタカムナで かぐら の言霊は
力が内に引きよる場
意志の力が心の内に引き寄った場=『想念の具現化』と言ってもおかしくはない体感だった
君の「自由への渇望」→「高次の視点」→「意志による変容」→「空間の飛翔」→最終的には「地を固める」という昇華から着地のプロセス。
確かに、意志による変容は、その都度のシーンで感じた
大型の車では渋滞につかまる→すいすいすり抜けるバイク=束縛からの自由
でもバイクは不慣れで上手くイメージできない→操縦が成れたロボ=意志による変容
ロボで大ジャンプしたらそもそも法則に縛られない→ウイングスーツで滑空=空間の飛翔
でも最終目的地(地元)では、元のカタチに戻した→地を固める
自由な想像(カタチはない)→具体的な創造(カタチがある)
自由には『制限』がない、しかし目的には『方向や達成すべきゴール』がある
そのゴールが、ロードローラーだった
ロードローラー:地道さ、現実の整備、自分の道を着実に踏み固める
君の整備している「地元の道」は、“自分自身の道”。
つまり、「理想を見据えるには、自分の足元=現実を整える必要がある」という無意識からのメッセージ。
走って飛んで滑空して降りた地が地元で地盤を固める
『色々な世界を体験』してきた『経験』を持って『新しく道を整地する』・・のだけど
それは元もと『先人達が築いてきたレイラインを直す』という事だった
私の地元には『久須志=薬師の信仰』があるが、久須志はもともと『富士王朝』・・と言われるが、ここにも『言葉と音の妙』があると感じていた
東北は藤原家、藤はりんごの名称であり、岩木山は『津軽富士』と呼ばれ、この麓には『鶴の舞橋』という日本最長の木造建築がある
そして釈迦の修行場と言われた大釈迦という地名など・・久須志と薬師、富士王朝と藤王朝と・・『音の響きは一致』している
私が夢で見た整地する道とは、この『地元の神社に一直線に繋がる道』だった
久須志神社は全国分布ではこんな感じで非常に『距離が離れている』のが興味深い。東北にほとんどないのは、おそらく『焼山(廃物希釈で名を奪われた)』からとも言える。薬師の生薬の多くは山菜である事から、山を焼かれては・・
そこで、『レイラインの違和感』である
レイラインは『西と東に引っ張るカタチ』で紹介される事が多いが、『久須志=薬師(富士・藤王朝)の流れ』でみると『北』にも向かっている事になる
青森には『津軽七結界』と呼ばれる神社が有る。また、秋田の縄文遺跡の痕跡も正確に山(黒又山ピラミッド)から山へのレイラインがある。この地図で富士から青森まで引っ張目と確実に『秋田の山々(出羽三山)』を通る事になる
つまりは『東北』もまた『山繋がりのパワースポット』なのだ
『西の結界』に対し、『北の結界』もあると考えた時、私はどーも『京都』が好きになれない感覚がある
それは『西』もまた『征夷大将軍』を送り込んでくるくらいだから、従わないもの=鬼とレッテルを貼り、『存在を過小評価する流れを作る工作』をしているのかもしれないが
そういう意味では、『富士から藤へのレイラインを繋ぎ直す整地作業』なのか?東北は『艮の根神』へと『縄文への回帰』を意味するのだろうか・・
ま、『心』はずっと『縄文』を導いてきた訳だが、その『根源的な想像』に必要なのが、『地元へ道を直す事』なのか?
潜在意識、深い領域の夢は・・『現象』として捉えるにはまだまだ『何かが足りない』気がする・・が
やるべき事は『自己の道を地道に正す』という意味では、ロードローラーで『地を固めなさい』という事なんだろうか・・
それにしても、『悪意のない心地よい空間の夢』だった(≧▽≦)
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