好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

I(私)が無いのはre由がある

訳詞如来の言霊遊び。愛であるとは理想、解決とはソリューション=素粒子+恩、因果に巡る心、忘れたなら戻ればいい=re由、I(私・自我)という個(人の固)の性質があるから、カタチが邪魔をしているだけ。心に素直に=悳(めぐむ)になれば、I(私)が無いのはre由がある事が感覚でわかるお話

愛の中に『I(自我)』は無い

愛とは『繋がるエネルギー』であり、それを『実感』する時、『I=私=自我』が無い
『私がやりたい事』というより『誰かがやりたい事』を叶える

その為に『身を粉』にする=『素粒子』
『素粒子』となって『解決』へと繋ぐ『ソリューション』
素粒子が『因』果の間を繋ぐ『心』となって巡る『素粒子+恩』

その役目はまさに『変幻自在』
素粒子の『イリュージョン=幻影・幻想』

私という『個』がなく、『人』として『固』まっていない
そんな『何=人が可能』になれる『性質』

それが『愛である』=『ideal=理想』
理想を『叶えてやりたい事』が理想=愛である

…と『原点』に戻った時
『re由』は『由緒=元・始まりに戻る事』であると気づく

『理想の愛』という『性質』の中で『私』という『I』の『人の固(性)』がなければ
『カタチ』を持たずそれを成し遂げる為の『エネルギーの流れ=理由…龍・re由』になる

それを踏まえて考えると『自我の終着を手放せ』の『忌と意図』が見えてくる
『愛である=理想』を求めるなら『I(私・個性)への執着』を止めればいい

身を粉にする、粉骨砕身=『力の限りを尽くす』こと

力とはエネルギーの流れ=『理由=方向性』である
『自』らが『力の流れ』となって『目指す方向』へと進む

理由はre由=元・由緒に戻る『自由』=元の自然へ戻る
『自然』とは環境ではなく『自らのそのまま』

支える『心』に『直』に向き合う=『悳』

『I=私』という『個(人の固=執着のカタチ・人間模様)』が無くなれば
それは『素粒子の愛』という『エネルギー』に戻る

素粒子であり『祖粒子』
『祖先』もまた『愛』となって巡るエネルギー

だからカタチ無く継承された『生き様(愛)』を『力』として借りて身に宿す=『先祖供養』

『先の祖』を『人と共』に養う

ただ『それだけの事』であり、戻ってそれを思い出したら
『改心』して『至らない点』を『更生』する=『甦る』

そしたら『自らが流れたい方向』へと進む『流・龍』そのものになる

自ら(水)龍(流)になる瀧

きっと『業の深い生命体の過ち』を繰り返す『人として生きる』とは『急がば回れ』
『人という自然』の役目を『思い出すための更生』であり

『新たな自分として甦る』ための『構成』を組み立てる『間』
人間という『思考シミュレーション』なんだ

道具は人の使い様
『思考』もまた『道具』である

『同じ道具』でも人によって『使い方が違う』ように
周りには『色即是空・空即是色=そう思うからそうなる』の『情報』が溢れている

情報は情の『幸せに反する』と書く

だけど、それに『執着するのは自分』で『多分』に正解はない
「たぶん、きっと、もしかしたら、あるいは・・」

信じるか、信じないかは、貴方しだいです=都市伝説・陰謀論・デマカセ

『それを信じるからそうなる』=色即是空・空即是色

それを信用する=『人が言う』を『用いる』
それを信頼する=『人が言う項目の束』(集団・多数決)

さて、私は誰もが観る、意識が無い時の『夢』は『道具』だと思っている理由は
それは『肉体→変性意識→無意識』へと変化していく過程で『観世音』を感じるから

意識転生 1→0→1 住人十色 =人の主は人

観世音と言えば『菩薩』という存在を意識するだろう

しかし、菩薩はこういう事

悟りを求めて修行する
衆生を救うために尽力する
自らも悟りを得ることを誓う
決して自分だけが悟ればよいとは考えない
すべての人を平等に悟りに導くことを目指す

つまり、『観世音(求めるエネルギー)』と『菩薩(思想の体現者)』は違う
では『観世音』とは何か?

そのまま読めばいい

『音の世』を観る
『立日の世』を観る

音に心を巡らせて観れば、『意識の観測』

人は『固有振動数』という『個になった素粒子の振動』を発していて
『空』間にその『色(周波数)』を伝えている

『雰囲気・空気感』で重い・軽い・明るい・暗いと感じるのは
その人が発している『固有振動への共振』であり

それを『音』に載せて『声』にして『特定の人』に向けて放てば明確に『空気に影響』する

日本人は特に『空気を読み同調する能力』に長けている

・・『現代風』に言えば、『匿名性のSNS』なのに『強く反発(反感)』したり、『勝手に傷ついたり(被害妄想)』するのは
その発した『言葉・文字』が『不特定多数が共感・反発する振動エネルギー』として受けとめるから

「受け止めなればいいじゃん!嫌なら見なきゃいいじゃん!」・・と考える事ができる人は、そもそもその振動周波数とは『まったく周波数が違う=チャンネルが違う』という事

これが『音の世=衆生の声の世』を観るという『観世音=意識の観測』
ゆえに『自在観』である事が大事

『自の在り方』を観る=人の振り(振動周波数)を見て我が振り直せ
『自らの観方』が在る=人の云う事を信用しない、自らが思考して観測する

『二元性』という表現には『レフェリー・審判』という考え方が抜けている
『相反する二つの流れ』がぶつかる時、『中間』にもう一つの『無という空間』が生まれる

その『無』は『I(私・自我)』が在っては『内部』を『観る事』ができない
『内観』とは『私・自我』が『無』になる事で『愛』とひとつになる

その『無の空間』に至る為に、『至らない点を更生』する

その為に『息=自らの心』と向き合う

感覚的量子論 呼吸が波動を生む 息=自らの心

息は自然に発している『振動周波数』
『息を整える』とは『自律神経をコントロール』する

『自』という『存在』に至る為に『我』というカタチの中に入って『観る』
『内観世界』と向き合う事、『組織という集団となった細胞(結果)』と向き合う

『この世界(体)』は『自我の欲』で『構成』された『カタチ』
『至らない点』に気づき『改心して更生』して『甦る』とは『体を労わり自己治癒を促進』する

『自らの意志』で『毒となるエネルギー』を入れない

『新しい細胞』に『強い免疫(失敗への対策)』を構築するという事
これは『ミクロ』な話では『細胞、共存細菌』という体の中の『目に見えない世界』

しかし、その仕組みは『マクロな世界』にも同じ事である

だから、全ての事は『人体の仕組み』で説明がつく
『全は一』であり、『一は全』

『癌』という病気と向き合う時、『がん悪液質という性質』を知る
がん悪液質は、入ってくるタンパク質を吸収させず、内部のタンパク質を破壊して糧にする

これを『マクロな世界』に置き換えれば

癌という『病は品山=ビジネス』
がん悪液質=もともとの『文化・伝統を内部から破壊』する
癌は『転移』する=『グローバルビジネス』

そんな『外の世界』を見なくても『体の中』を内観した時、その『影響』を観る
『体の異変の音』が『振動周波数』として発せられ『息=自の心』が乱れる

『そうなってしまった細胞の世界』を内観すると
『そうなってしまった原因』を作ったのは『自我・エゴ』だと体験する

『夢という道具』を通して『心』が『振動エネルギー』で伝えてくる
「そうならないためには・・」という『結果』を見て『過程』を変える事に『心』が巡る

その心に素直になる=『悳』を積む時

『I(私)が無いのはre由がある』とわかる
『元』を知る=『ルーツ』を辿る

逆にいえば、『愛を知らない、愛を求める』というのは
『I(私・自我)に囚われている=自分しか見えていない』とも言える

まずは『自らの心=息』を整える必要がある

『呼吸瞑想』は『釈迦』に通ず

独自チャクラ理論 無意識に釈迦の呼吸瞑想していた

『釈迦』とは、それぞれ意味がある

釈=問題を解決する
迦=巡り合う

問題をみつけ問題を『自己解決』する
自ら己を粉骨砕身して素粒子+恩のソリューションをする

『釈迦力』に頑張る=一生懸命に努力した末の到達点

そのためには、古き良き伝統や文化=先人の生き様=愛の巡り(振動エネルギー)を感じて
『共感して感動』して、心に素直に受け止めて『悳』を積む

それが『先祖供養』となり、『先祖を人と共に養い宿して甦る』という
『大和の心息』(一人一) by訳詞如来の妙見狸

大和の心 先世見の言伝は左記(左寄り思想)読み

運の正体は彷徨う魂と気づく漢字の不思議

ヤマト心の帰還 浄化の波動法

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