ひょんな事から過去の自分のカタカムナ解釈の記事を読み直してみると、現在の記事の方向性が過去に書いたカタカムナ解釈で預言していたと気づいたお話・・そろそろ次に行ってみるか?
過去のカタカムナ(8首)へと導かれ・・
先日、こちらの記事を書いたのをきっかけに・・
自分で書いた過去の引用記事を読み直していくと・・その興味の対象は『カタカムナ8首の独自解釈』の記事へと繋がった
この記事の中で私は以下の事を書いていた
時間は逆再生、『未来から流れている法則』
与えられた情報が『部分的に改ざん』されていたり、『捏造』されていたり、『誤魔化し』があったとしても、もっと『俯瞰的のエネルギー』で・・
この時の私はまだ『龍のエネルギーの具体的な体験』はしていない
その後に多くの『龍にまつわる体験』をしていく事になる
その他、最近でも結の龍など
現在カタカムナ78首まで独自体験と解釈をした私は、再び『時間をさかのぼる』ように、この『過去の軌跡』へと戻ってきたようなもので、むしろ、最初の『何も知らない頃』に書いてる言葉が、『今では真実』だと感じる
『知らない多くの事』を知って、『元の位置に戻ってくる』ような意識の旅の『始まりは終わり』なのかもしれない
つまり、カタカムナの『1首(名)』に書かれた事を理解する為に『80首(体)』という『経験が必要』なのかもしれない
『カタカムナ解釈』はひとぞれぞれ違う
しかし、『先祖供養=先の祖を人と共に宿す』という今の私の意識は、このタイトルにあるように『存在の呼び寄せ』によって多くの『先人の助け』を借りて『学びへと昇華』している
過去、この『8首を解釈した時の私(因=始まり)』には、まだその『実感』はないが、『78首まで解釈を終えた私』は、様々な先人へ『恩=過程』を感じている
その『過程で宿した先祖達と共に辿り着くゴール』を目指して、そろそろカタカムナ『79首』の研究を再開しようと思うちょっとした『気持ちの変化の宣言』でした
おそらく、後に『この記事に戻ってきた時の私の意識』への継承
『確固たる一人の位置』と『恩=支える心=和を足す和多志・私・渡し』を忘れると『勿体ない』から忘れるなと(一人一)
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