寝起き閃きワード ケジメ。一般的な使い方は二元性のポジショントーク、立場をわからせるだが・・実はそういう二元性を理解した上で前向きに切り離す事が明らかに成る可能性の自由意志の力だったと体験ありきで気づいたお話
ケジメという言葉がある
寝起き閃きワード ケジメ
今日はこの言葉から伝わる波動を訳詞如来するお仕事のようで(≧▽≦)
「ケジメ(けじめ)」とは、物事の区別や折り目正しい行動、責任を取ることを指す言葉です。一般的な日常会話では「公私のけじめをつける」といった、ON/OFFの区別や責任の明確化という意味で使われます。また、やくざ社会などの慣用的な用語としては、失敗や利敵行為に対する厳格な懲罰や決着を意味する場合もあります
区別・分別: 物事の境界線、善悪や長幼の序。
責任・決着: 失敗のけじめをとる(責任を取らせる・謝罪する)。
態度・振る舞い: その場に応じた適切な行動
これは、二元論的な『閉鎖的な使い方』であり、『その空間の中での立ち位置』を『区別』する為になっている
勝者→敗者、罪→罰、責任追及→反省
私が感じた『ケジメという言葉』の力はそうではない
空間から離れる力、空間を切り離す力・・と書いて
『大切』な事
『一+人切』な事
勝者も敗者も、罪も罰も、責任追及も反省も・・共通点は『人の為』
人の為というのは『正しい義理』の『正義の元に一本化』され
正義とは『対極を悪に仕立て上げる事』で成り立つ立場だから
それは『どちらも正義』で、どちらにも『罪と罰』があって、どちらにも『責任追及と反省』がある
これを『一つの一善を信じる宗教』と仮定した時、どちらも『一悪を盲信する宗教』と同じ
「おまえはどっちだ?勝ち組か?負け組か?」
「おまえはどっちだ?罰をうけるべき罪人か?」
「おまえはどっちだ?反省して責任をとるのか?」
この『線引きされる境界線』というのは『どっちつかずの中間の立場』を持たせない
これが延々と永遠と『時の間』で、繰り返されるのが『人の為=偽の人の流行り病』
どちらか・・という『凝り固まった概念の衝突』のせいで
自然に、『どちらでもない中間の拮抗に追いやられる者達』の数の奪い合い
これは『腸内フローラ』と呼ばれる
善玉菌2→日和見菌7←悪玉菌1 のバランスと同じ
この『中間で安定している日和見菌』がどちらかに傾くとどうなるか?
それを解かり易く現代社会に当てはめると
年功序列の『皆で支える安定した中流家庭・中級社会が崩壊』した
『資本主義・個人主義』によって『貧富の格差(資産・教育・強者/弱者)』が生まれた結果
「富める者は富み、貧する者は貧する」というわかりやすい立場になってしまった
これは社会的、人為的、特定の何か・・ではなく『構造に働く力』
『長いものに巻かれろ』
『勝ち馬に乗る』
善玉が優性=日和見が善玉に加勢→悪玉は追い込まれる
悪玉が優性=日和見が悪玉に加勢→善玉は追い込まれる
・・だから中間に追いやられた物=『立場の責任』から逃れ
『社会不適合者』と『レッテルを貼られる者達をリクルート』する
時には叱咤→「立ち上がれ!(二元性)社会に貢献しろ」
時には罵倒→「どうせ何もできないからニートでもしてろ」
でもこれも『ポジショントーク』
劣勢で数が足りないから『勝つための道具として徴兵』する都合のいい叱咤
ポジションの奪い合いの『ライバルを増やしたくない』から都合のいい罵倒
私はここに『ケジメをつける』と感じたのがコロナ禍の『どっちも狂ってる正常バイアス』
ワクチンを打ちたい奴は「思いやり」という『善意に訴えかける悪意』を使った
その悪意が降りかかっても大丈夫のように『責任の罰を逃れる為に任意で同意という罪逃れの法』を使った
善も悪も『二元性の両方』が『同時に中間に牙』をむいた
その時の私の心の中でこういう構図が生まれた
心と吾は覚えた=『覚悟』を決めた
それが矛の中で止める『武』だと気づいた
それが大切=一人切→と気づいた時
私は人の『二元論、認められない立場の中間で苦しむ』も含めて
一人切から『人』の立場も無い観点に至った事で『一切』になった
その立場から離れた『一切』から見た時、この世は『皆苦』だ感じた
二元性の板挟みで、『上下左右の波の都合』で強制的に立場を選ばされる
犠牲になるのは『波に乗れなかった浮かばれない者達』
『人の立場』から離れて『人の世』を観ると、立場なく浮かばれない者達とは、この世界の『構造に疑問』を持ちながら『静かに異を唱えていた中和』であり両極の『緩衝材』
その『中に和』がある『和の精神が宿ってるはずの日本』で『この騒動を体験』した事で、幻想のように盲信していたような『神や仏などはいない』と実感した
『人』が生み出し、人が起こしている『業に手を貸す存在』はいない
現実にも借金を肩代わりする内容が『ギャンブル』だった場合同情しないだろう
「自業自得だ!てめーのケツはてめーでふけ!」が当たり前
『見守る存在』がいたとしても、そこには『手を貸さない』
世界という環境は『皆』という『集合的無意識が構築している空間』だが
『自己』という存在は『自己中心で存在している空間』
その『自己世界を脅かす侵略から護る意志』は『自己責任』
その『自発的な想像と創造力』を思い出すには
『実践』して『体感して自信』をつけるしかない
護る為に云う鬼の意志=『魂の指導』が必要だ
二元性の都合のいい争いに関わらない為に=『ほっとけ(仏)の心構え』が必要だ
魂の指導と仏の心構えで、大胆不敵になればもう『大丈夫=釈迦』
自己世界とは釈迦の三千世界
云う鬼=魂を『加味』して足るを知り『ほっとく(仏)』の神仏一体
云う鬼=魂となった『先人達(浮かばれない者の意志)』を宿し
人が共に養う=『先祖供養』する事で成る仏の成仏
『in(入る)spirit(魂)ration(一定量)=閃き』が起きる
この閃きの智慧が『未知の道を進む明かりと成る』
ここまでくると、『未知(まだしらない)』と『既知(すでにしってる)』
金輪際の見極め=『気締め』として『大切な事』に気づく
何を『持って』いって、何を『切り離す』か?
大事=『一人事の縁』を持って、『腐れ縁(位置)』を断ち切る
『消滅』させるわけではない
「その世界はその世界」として『有る事』を赦す
無為自然の為に関わらない『無』を有るとして空間を残す
無残、無惨、無理、無言、無医、無視、無念、無明、無我、無二、無機、無垢、無事
これが自己中心、自ら己と向き合い、中の心を知った時
なぜにそんな『心に合わない世界(地獄)を体験』していたのか・・
それは忌避している世界=己の心が避けている『無理な世界側で忌避』している『今の心が有る精神世界』を思い出させる『反面教師』の試練
なぜ嫌っているか? 自→己←自 なぜ嫌っているか?
「無理とは何だ?」という自問自答
理解しないという事、理解できないという事、受け入れられないという事
「生理的(不潔)に無理!」と女性の月経言葉を例えたお断り方法があるが・・
「生理的に無理」とは、頭で考えるよりも早く、本能や身体が対象(人、臭い、行動など)に対して強い嫌悪感や拒絶反応(寒気がする、鳥肌が立つなど)を示す状態です。理屈や論理を超えた、自己防衛反応の一種
頭の知識の理屈や論理(二元性のルール)ではなく、本能や身体=細胞の隅々の奥の自己が『嫌悪や拒絶の直感反応』を示すという事
『満場一致』で『自己細胞組織世界がそれを侵略と警告』した『総意の言霊』という事
それなのに・・心も体も嫌だと言っているのに頭を押さえつけられて、それを受け入れる立場に傾くというのは
『心を加味』しないで、ほっとくべき『他力本願な集合的無意識という皆苦』を受け入れる地獄の選択
人を憂う=優しさの『利他という善意』に傾いているから『偽善』をしてしまい
『自己を労わる』のではなく『人の為の善』を選んで地獄に行く、唯示唆
だから、『最後の気締め』を理解する為に、道に外れたようなその『無理』が必要
どちらにも関わりたくないと『二元性の中間でも逃げ場がない』となった時
諦めて『皆の為という偽善の間違いに行った流れ』があったから『それは間違いだ』と気づけた
それは『そういう選択の先を生き様』で示してくれた先人達がいたからこそ
『失敗という先の祖』を人と共に養い、宿す事で心と吾が覚える=覚悟ができる
そっちに行ってはならないという氣締めは先祖を宿す事で生まれる精神的抗体=魂の経験値
直感や閃きとはそこから来る
その繋がりの縁を失ってしまえば、運の尽き(命が運ばれてない)
別れとか、裏切りとか、逃避とか、置いて行くとか
それって、立場がある、『立場に執着する人のポジショントーク』なんだよね
でもその『主張(自由意志)が通る』なら
『執着から離れる』のもまた自由なんだよ
飽きたら別に行くでしょ
飽きたのにずっと同じじゃ苦でしょ
人間、『人類に興味が無くなっていく』のもそれと同じ
争いや競争、『二元性のポジショントーク』はいついかなる時代でも、誰が時の権力者でも変わらん
それは『その時代の人』のせいではなく、そういう『人社会の構造力学』
そういう『立場をロールプレイング(役割交代)』している
で、その世界に唯一無いのが『争いが恒久的に無い』という空間
『一時の平和』は実現できるよ、人が頑張れば・・でもまた繰り返す
でもその『一時の平和』という『感覚(夢)を味わったもの』が、いずれ『浮かばれない者=満たされない無念・残念』となり
さらにいずれその浮かばれない者達を『先祖供養』して宿して、『恒久的な平和の空間』へと連れて成仏して行く為に『気締め』をつけて『夢(涅槃)で解脱』する
そうか・・そういう事か
『成仏』とは『一人で逝く』ものではないんだ
『足りない』に『和足し』て『足るを知って満足』する事で『成り立つ仏』
まさに『多宝塔如来』となる事を示していたのか
道理でin(入る)spirit(魂)ration(一定量)=閃きが起きる
この閃きの智慧が未知の道を進む明かりと成る
孰れを支える心に成る=熟成
明らかに成る=明成
最後にカタカムナの言霊で読み解く
けじめ
全放出した内なる示しの思考・試行・至高・志向・嗜好・指向
なるほどね、生理的に無理!もまた嫌悪・拒絶の嗜好や指向
それによってその空間(五感)に関わらない!という
明らかな気締めに成ってる(笑)









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