差別と区別…の上にある格差は別?問題となる争点は基準だが因縁つければ邪なコントロール可能。全ては魂の年齢に当てはめれば簡単に理解出来る選別のお話
差別と区別の問題は?
差別とは
差別とは、正当な理由なく、ある属性を持つ人々を他の人々よりも劣ったものとして扱い、不平等な扱いをすることです
区別とは
それとこれとの間に認める違い。また、それをこれと違うもの(種類)として扱うこと。
これが社会的な意味らしいが…やはり『差別の解釈』には疑問がある
『正当な理由』なく・・の正当とは何か?
それが『片方の正義』だったら、それによった『偏見』である
つまり『差別を持ち出す』時点で、『差別は無くならない』
そんな元々ない上に、無くならない事を議論しても無駄なので
私は『違う観点からアプローチ』してみようと思う(´-`)oO{
カタカムナの言霊を読み解くと
さべつ 遮り内なる縁に集まる
くべつ 引きより内なる縁に集まる
ふむ( ・・ )なかなか『的』をいている
差別は基本的に『別物』として遮る=『間』違う
後、左寄りの羊=『差』であり『リベラルや意識高い人』が行う傾向
区別は基本的に『線引き』
遮るのではなく、それは『それ』、これは『これ』
『領域を分けて整理する』=『間』違う
実はどちらも『間違い』(笑)
思想的にはどちらの言い分も『取り入れる中間』
間を合わせる=『間合い=距離・空(有無)間』を取る
問題はその区別の『基準』という所が
左寄りの羊=リベラルが『文句』を言う点
『都合の悪い線引き』をさせない為に
『線引きのルール』に『差別の因縁』つけて
少しでも『リベラルが得』をするようにする
これは魂年齢で見ると
区別 成人期の魂
差別 若年期の魂
しかし、この『差別』をする『リベラルを後押し』するのが『邪の魂』であり
格差別 邪の魂
区別も差別も『格差は別』
『格差』がある者が『区別に文句』をつけるように『差別をするリベラル』を動かす
『邪』が『中心・空間(正)』が生まれるのを『邪魔』し
傾いた『偏見の正当性を主張』させるように『議論をずらす』のである
この目線で物事を捉えれば
『差別』がなぜ『区別を批判』するか?
『左の羊(左翼)』だから
眠った羊=『左目の民の羊』だから
『正論を無視』する『格差は別』=『特権階級の邪』が
『区別で整理』しようとする『中心・空間』を『差別で因縁』をつけて『右往左往』させる
こういう『エネルギーロジック』になっていると読み解ける
『正論』というのは『拮抗して安定』しているから『中間』
右にも左にも上にも下にも『間合い』を取って一定を保つ
それを『邪』が『右往左往』させると『二元性の争いに加担』して『中間・正論』が消える
邪は正しさを『二元性』に貶める
二元性に陥ると『どちらが正しいか?』という
『正しさ+主義(二元性)』=「正義は我(片割れ)」にあり!
と『信仰宗教戦争』になってしまう
格差=特権階級の『邪』は言う
「馬鹿と鋏は使いよう」(。-∀-)ニヤリ
『鋏』という漢字は
『左の金』の右に『一線』に『大きな人』と『小さな二人』が分れている
『格差の人』が『争う二人』の『間』にいる
鋏は『切る道具』で『裁断する為』の道具
『金人』が『一線』の下、『争う二人(馬鹿)』を作る
『ことわざ』はこれを示していたのではないか?
はさみ の言霊は
引き合い遮る実態
邪は中間を『右往左往』させる
引っ張ったり遮ったりの実態は『正論を邪魔』する事
つまり、『鋏=正論を邪魔して切る道具』であり
『争う馬鹿』を『使い用』によって『格差にとって有益』になるように動かす『漁夫の利』
だから『区別』という『正論の基準』は
『損得を求める差別』が『文句』をつけその『差別』を使って『正論を邪魔』したい
『馬鹿と鋏は使い用』という『格差』という『別の邪』が絡んでる事で
『正論』を言ってるのに『正論が認められない』と『心』が病んで
「全てを破壊してやろう」と後に『邪』になる
争点は『基準』であり
この基準が『望・謀』という『棒』倒し
『望を護ろう』とするものと
『謀』を『右翼左翼のどちらかに倒したい』ものと
魂の正邪の闘いは『砂山の棒倒し』の如く
…でもこれは
正論と言う『中間の基準を立てよう』としなければいいだけの事
例えば『LGBTQIA』にしても『SDGS』にしてもやってみた結果『長続きしない』
理由は簡単で、『調和しない』から『栄枯盛衰』の『竜頭蛇尾』
『メディア』を使って『無理やり流行り』を作っても、それは『自然に反する』から『人為的にその流れ』を続けなければ続かない
『移民優遇政策』なども、いくら『政治がゴリ押し』しても、すればするほど『ボロ』が出て『問題が浮き彫り』になってくると
自然の法則的に必ず『過度な傾き』には『揺り返し』がある
『どこの誰が』とかではなく、『流れが自然』にそうなる
『誰』が来ようが『何』が起きようが、『日本人が日本人である』
という『意識・精神』を持ち続ける限り『成人期の魂が多い』から『自然』にそうなる
これは『腸内フローラ』でも同じ事
善玉菌2
悪玉菌1
日和見菌7
この『7の取り合い』で『バランス』が崩れる
『悪玉菌メディア』が『日和見主義の民』を『不安を煽って焚きつける』とそれに『反応して悪玉菌』になり
『善玉2:悪玉菌8』のようになってしまっても、冷静に『悪玉菌1』を切り離せば圧倒的に『日和見菌の方が多く悪さができない』のと同じ事
『日和見』が『右往左往』しなければバランスは崩れず『区別』が出来る
それが『自然の法則』であり、なるようになる『自己治癒』
さしずめその『善玉2:悪玉菌8という構図』になった時
圧倒的劣勢な『善玉菌を活性化』させる為に
「ワクチンを…」と擦り寄って来るのが『格差別な特権階級』が『二元性に介入する邪』
そういう状況になるように『ショックドクトリン』を使って『分断の鋏』を入れて
『馬鹿(対立)』を作り『右往左往』と争わせる
だから『邪の言う事を鵜呑み』にするといつまでも『戦争が終わらない二元性』が続き、決して『安定のバランス』に戻らない
戦争で『負けてる方に軍産複合体が武器支援する』ように、「仲良く喧嘩しな」と『邪な特権階級の格差別のおもちゃ』になる『区別(国境)と差別(国境紛争)』
全ては『邪の世界の中』の
『若年期の魂を利用』して『基準を差別』し
『成人期の魂が区別』して『安定させるのを邪魔』する
そうなると『ただの嫌がらせ』何だが…嫌がらせが続いた時、人は『二つ』に分かれる
手口を覚えて『やり返す→邪』
手口はわかったから『ほっとく→老年期の魂』
なるようになるさ→投げやり・諦めではなく
なるようになるさ→『〜たる法則』
『全てを知った』上で、『コントロールしてやると介入』したら
やってる事は『邪(特権階級)と同じ』であり、それこそ『邪の思う壷』
全てを知った上で『人為的な立場』を持たない
『極と極』は同じ力の『二元性』
『真ん中』でどちらかを『抑え』どちらかに『押し返す』みたいな
『変な力を加える』から『過ぎたるは及ばざるが如し』
そこを『邪は分断ポイント』として『狙って介入』するのだから
『介入の糸口=日和見の不安』を与えなければ手は出せない
結果、ほっといても『拮抗して中間』は生まれる
そこに『立場を持たなければいい』だけの事
これは『国境』にも言える事で
『国境紛争』は『なぜ起きる』か?
国境という『分断の線引き』があるから
その国境の線引きもまた少しでも『領土を広げたい』『資源のある土地を奪いたい』
という『特権階級の邪』が、線引きという『基準』を『差別のイチャモンの因縁』をつける
『若年期の魂を利用』して、『基準を安定』させようとする『成人期の魂』を
『保守寄り』にさせて『中間をズラそう』とする
『スケール』が違っても『やってる事』は同じ相似象
『領土侵略』も『ルール決め』も、『右翼左翼を利用した邪』という
『格差は別』の『特権階級がコントロール』している
さて、ここで『自然と不自然』の法則だ
邪=特権階級が『1/ー1=0』とする
正=日和見主義が7
善=保守1
悪=リベラル2
何もなければ『日和見の安定』が最も『パワーバランス』が強い
…にも関わらず、なぜこの『日和見』が『邪にコントロール』されてしまうのか?
実は善悪・光闇などの二元性は『主義』である
善悪・光闇はこの『主義を主張』する
このそれぞれの主義に『正論(共感)』を感じてしまうと
『主義+正=正義』になって加担してしまう
『それぞれの正義』という『日和見の取り合い=宣教→信者化』
それを『戦わせる土俵』を作るのが『邪』
『切り抜きの偏向報道』でころころ立場を変えて右往左往する人々
そもそも『切り抜き文化』を『誰が関わって』作ってるか気づいてるか?(笑)
だから単純な話「もう金輪際関わんない」と
『邪が作る土俵』から降りる=『ほっとく=仏悳』
勝手にやってろよ=『1人相撲』
差別も区別も中間の基準も線引きもない
最初から無い『日和見=日の和を見る心』
和は『何でも混ぜる』という意味ではない
『調和しないもの』は『和』ではない
『邪が生み出す二元性』に『安定する和が無い』のであれば
そもそも『そこに合わせる必要』が無い
存在を『空』にする(有るし無いし)
邪な世界が『ある事を認める』
ただほっとく=『区別』
正邪を『見極める事』でそれは『一部の界隈の話』になる
トランスジェンダー?お好きにどうぞ?
ほっとけば、『元々のトランスジェンダー』が『元に戻そう』とする
SDGS?お好きにどうぞ?
ほっとけば、無理やり『道理を曲げられた者達』が『元に戻そう』とする
その『自由を認める』という事はそれを『認めない自由も認める』という事
結果、『それを必要としない人』は離れ、『必要とする人』だけが残る
『付き合いきれない』から、一人また一人と離れてぼっちになる
それが『邪な考えの結果』ならやってる事は『一人相撲』
『人種問題』もそうで「特定の国の人だからダメ」と言っても
その国から来た人でも『和の心が好きで住みたいから努力している人』もいる
日本が好きな外国人で『日本に長く住んでいる人』は、そんな『日本を貶める外国人を嫌う』ように、それはもう『人種問題』ではなく『精神や心の問題』
その『国の日和見(正)』に対して『和する心』が無いなら、それはもう『区別』が必要で『基準は元から』ある
だから落ち着けばわかる事は
『メディア』を使って『日本人に不安や煽り』を行い『分断』しつつ
『それを扇動する者』というのは、一部の『特権階級の邪の思惑通りに動く事』で
『地位や金を約束』された『自分損得で動く活動家の若年期の魂』の行動
そういう『発言』やそう言う『行動』を取るから
『区別』とか『差別』とか…言葉ではなく
『行動や思想』を見れば『中間を装って二元性のどちらに右往左往させよう』として『擬態』してるのが『透けて』見える
さべつ 遮り内なる縁に集まる ←損得リベラル
くべつ 引きより内側の縁に集まる ←保守の基準
かくさべつ 力が引きよって遮り内側の縁に集まる ←特権階級の結託の邪
『魂の年齢』が透けて見えるな〜(*ΦωΦ*)おもろー
これを『頭(知識)で理解』すると『なるほど』となる
でもこの構図だとわかって『素直に心』で感じた時
『息=自の心』が苦しいな〜( -ω-゛)と『波動の重さ』を感じたら
この世界に『唯一存在しない』のが『邪の悪意のない和心』だと気づくだろう
『無い』から求める『可能性』
無いは『0』ではなく『全てが有る』
無には『全てがある』はずなのにそこには『和心』はない
『二元性(同一)の極』があれば、自然に『中間の安定(拮抗)』は生まれる
『元々あった』はずなのに『無い』
おかしくない?
どうして安定しない?不安定?
何かが意図的に『廃され』てない?
と、『逆算』で考えると
仏=穏やかさ
鬼=抵抗
釈迦=問題解決
中間・正法・日和見=『大日・釈迦如来』が『廃仏毀釈』で無くされた
安心の『大丈夫』の『代名詞の存在の教え』がそもそも『無くなってる』んよ
それが『邪がコントロール世界』なら邪の土俵から『出ない』と見つけられない
『邪の都合』が『中間・正法・釈迦』が『生まれるのを邪魔』している
『情報過多で思考停止』にして『自力で想像を創造する力』を封じた
『閃』からの『問題に巡り合い解決する解釈』を隠した
理由は簡単で『罪を憎んで人を憎まず』
『人が狂う』のはその『人をコントロールする流れの影響』である
「そうしなければいけなかった・・」という『立場の役目の業』を背負わされる
その業を背負わせて元来の『住人十色の宿業を邪魔』をした
『邪=特権階級=罪・ルール作りだけ排除される』という『自業自得の因果応報』が起きるから
釈迦が邪を『切り離す』のではなく
釈迦の『弟子たち』が『金輪際関わらない』と
『自ら解脱』して離れて『魂が成仏』していく
仏に成った魂は邪の世界を『ほっとく=仏悳』
そうやって『支えてきた心』が消えると遺るのは?
(悳・恩=めぐむ)-心=『直因』
ある結果を引き起こした直接の原因、または最も近い原因
まぁ、『救われない世界』だろうな(((uдu*)ゥンゥン
だから、『セト際』であり、『金輪際』の見極めである
それは『自力で気づく=閃・釈迦=解釈する為の修練所』だから
その観点からみれば『邪もまた役目の一つ』であると赦す(敵にあらず)
差別も区別も『邪の中』にあり
その『邪』もまたそこから『自力で離れる意志』を生み出す
『魂の選別』の役割
なるほど、差別、区別、格差別・・は『選別』の為か
これはそのまま魂の年齢と相似する
差別=若年期の魂
区別=成人期の魂
格差別=邪
選別=老年期の魂
世間で騒がれている『差別と区別』は人類の『霊的精神性の成長段階』においては・・ちっちぇ問題なんだな┐(´∀`)┌ヤレヤレ
やっぱり、『人類選別(大きな意識の変化)』はもうコロナの時に起きてたんだ
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