心構えとは覚悟するという事だが、何を覚えて悟のか?悟りがわからないものは何を覚えている?・・と考えた時、心(差取り・和足し)が前にあったと気づいたお話
心構えとは
物事に対処する(事前からの)心の用意
心は『人の中』にあると言われる
『体験』によって『心が生まれる』とも言われる
しかし
『心』によって『体験を求める』ように
『人』という『体験』を与えるのが『心』
『人の業』という『自我』を持って『僕』
『心が上』なら『僕は下=下僕』
『僕』が『心と向き合う』事を
『心僕』ならば『親睦を深める』とは
『心に素直』になる=『悳』である
『合理的』ではあるが=合わせる王の里
『利合的』では無い=利益・損得・儲
つまり人の業=『僕』が『損得勘定で動く』のは『合理的』ではない
心に『従わない』
心を『下』に見る『下心』
心に『下側ない=支える心が無い』
心が『落ちる』、心が沈み『気が滅入る』
心を『支える心構え』
『下僕』が『支える心』になれば
『心が前』になり、その『前に支える心がある』と気づく
つまり、『人としての業』を『体験』する為に
その『体験世界』を『生み出してくれた心』がある
『因(人の業)』を『支える心』=『恩』があり
その『恩』が『恵まれる』から生に『恩恵』がある
『生きてる事』に『感謝』する
それは『心に有難う』と『素直』になる
「僕があるのは君のおかげ」
『君』とは『主君・君主』
カタカムナで きみ の言霊は
エネルギーの光
カタカムナで ぼく の言霊は
内に引き離して引きよる
『心が前』で『僕という体験』の『恩恵』を与える
『心』を『支える心構え』で「僕は君に従う」
心の『下僕』
心の下は『僕(人の業)』
『心の僕』と向き合って『親睦を深める』事もあれば『下の僕の心』が『下心で暴走』する事もある
『合理的』であり『利合的』
そりゃ見極めの『境=間』が重要だ
心に応じる間=『応間・逢魔が時』
逢う魔=麻鬼
心は『云う鬼=魂』と向き合う『門』であり
その門は『一人』でしか向き合えない
つまり『一閃』
ぴかりと光ること。さっとひらめくこと。そのひらめき
『心が前』で『支える心構え』で向き合うもの
それは『問題』であり、『問題を解決』するのは『閃(アイデア・智慧)』である
つまり『心=鬼門』と向き合えという事であり
『鬼門は禁忌』として『忌み嫌われている』が・・
『己の心を嫌っている』のは、その意味の間を『間』違えている『下心の下僕』である
『恥を知れ』とは、『心』に『耳』を傾け、『聞く耳を持て』という事
『間違い』は『反省』して『更生』すれば『甦る不滅』
しかし、『間抜け』は繋がりが無い
亡き月の王として、ツキ(運の巡り)がない
運の正体は『先祖の魂』だと知れ
運は『巡ってくる』のではなく『引き寄せ宿す』のだ
『心に素直に生きた痕跡』に気づき宿して養い共に続きを求める(継承)
『繋がり』を断たれた『間抜け問題』を解決するためには
その繋がりの『切れ目』から『糸口』を探せ
糸の上の『主』となり、『素直に進む心(主君)』になれ
自ら流れる『龍の先頭』となれ、瀧(多岐)に渡って『流派』となれ
『心が前』なら『心構え=体(結果)』は後からついてくる
それを『覚えて悟る』、それが『覚悟』だ
『主』の織り成す『糸』が『素』の心として前になれば
『流れの龍』という『体』は『後から軌跡』になってついてくるのだ
心が僕(人の業)の前にあり、下の僕が『心を支える体』となる
・・と、云う鬼=魂が『心が前』の『門』と向き合う『一人の下僕』に
薬師如来の妙見狸として書かせてた( ..)φメモメモ
つまり、『心に素直になった行動』をすれば
心が『体が求める経験』へ『導いてくれる』から
『何も恐れなくていい』と
『問題が起きた』のなら、それは『お前が体験として求めた事』
それは『偶然』のように見えて『必然の宿業』だから
『集合的無意識(衆生・他人)』ではなく『己の心が見せている投影』なのだ
その現実は『お前の望み』が見せている
だから業を修めた時『修業』を終えてはじめて『心』と向き合える
業を修めるまで『心の門』は開かない
『業を欲した』なら『業を修めて』から『次』がある
「現実とはそういうものだ」と『覚悟を決める』
という心が前にある=投影の光=『ホログラム』
そのホログラムの『仮想』で為すべきを成す=『クリア条件』を満たす
『シナリオクリア』しないと『ゲーム』は終わらない
『遊び』の中に『学び』がある
『仮想・下層』の中に『気づき』がある
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