十二支の干支は漢字を動物に置き換えたから間違いになった。元の漢字と意味のまま読み取れば、それは魂の育成における鬼の役割を明確に伝えていた自然の循環だったお話
干支の十二支
前回の昴と金星のプレアデスからの派生の話
この言葉は非常に面白い
干支の『干』は
かかわる。関係する。あずかる
それを支える
その為の『十二』の支え
これが現代では『生物・動物』に起きかわっているが、元々は『動物に由来するもの』では無い
子丑寅卯辰巳
午坤酉戌亥
え?(´・ω・`)『11』しか無くない?と思うだろ
そこが『羊猿の分離』の『罠』なんだよね
もともと『坤』という『一言と意味』がある
そして『時計表示』6にしたらわかる通り『12とは=0の重なる基点』でもある
だからその始まりが『子』である事が重要
今朝はその『子丑寅卯辰巳/午坤酉戌亥(子)』という『循環』についての寝起き( ¯꒳¯ )ᐝ閃きを説明
『十二支の意図』は全てにおいて『方角』ではなく『人の魂の成長過程』と『役割』を伝えていた
子はまだ『生まれる前』
その段階で『丑寅の知恵』を身につけ、雨の三中主として巫(無垢)な靈が『卯』に宿り
『辰』の流の中で『様々な波風を体験』し『固有の振動周波数』を身につけ
落ち着いて『辰巳下がり』して『子』宿す母(身・巳)となり師として『我が弟子』の面倒を見る
ここまでが『明け六つ』
こっから先の『暮六つ』は、その教えを受けた我が子、我が弟子がちゃんとその『教えを一人で体現』できるか?のストレステスト
うまひつじさるとりいぬい=午坤酉戌亥
午は前後の切り替えの間
明けと暮れの切り替え
『坤』はしたがう、やさしい、陰柔、母や臣下を表す
『酉』は日読みの酉」とも呼ばれ、「鳥」を表す「隹(ふるとり)」とは別に区別される。 「酉」には「酒」という意味もある
『戌』の本来の字は戉(エツ)=儀式のときに使う まさかり、斧の意味
元字は「閡({門<亥}: がい)」、「とざす」の意。 草木の生命力が種の中に閉じ込められた状態を表しているとされる(『ウィキペディア』亥)。 収穫された稲が蔵に収納されている状態とも解せる
そう言う意味で捉えると、『巳以降』は面白い事に『鬼=逢魔が時』の話になるんだよ
巳が宿した身に胎教した『午』の後
坤(ひつじさる)の方角は西南で『桃太郎』
桃太郎に「鬼に困らせれている」と『思想誘導』し、『吉備団子を与えた祖母の意志』は『下僕の懐柔=怪獣(猿・鳥・犬)?』
したがう、やさしい、陰柔、母、臣下
しかし…それだと『辻褄』が合わない。『亥と子』が無視されて『丑寅(鬼)に行く対極』だから、単純に順番で言えばこうなる
『戌=儀式の為の斧』を持ち、『隹(素直なもの)の所』に『酒』を求めて『収穫された稲で閉ざされた門<亥』の草木の生命力が種の中に閉じ込められた所に…って
『鬼の稲家』を『襲撃して金品強奪』しようぜ!という『邪な結託』が見えてくるのが『対極図』における『丑寅の方角と西南の方角』は、『中立(安定)と邪(不安定)』
だから、暮六つの『鬼の役割』が、『金の都合』によって『書き換えられている』と言える訳だ
『戉=まさかり』を担いだ鬼が、『収穫された稲家』を練り歩き「泣く子はいねぇが!親を困らす悪い子はいねぇが!」と脅して周る
『親』はニコニコと『今年の米の酒』でもてなす
『子』はビクビクしながらも『親兄弟を護ろう』と『鬼』に立ち向かう
それを見て『親も鬼も笑う』
「今年の米っこ(子供)は出来が良い(≧∇≦)b」
これは秋田の『なまはげの儀式』
子丑寅卯辰巳
午坤酉戌亥(子)
午前は『母の胎の中』、『母の背で夢』を見る
午後は『父の厳しい思考シミュレーション』の『仮想現実の試練』を乗り越える
そこまでたどり着いて『一子相伝の免許皆伝』
『一の子』を『相手に伝える』=免じて許す事を皆伝えた
その『子』からまた『伝統の繰り返し』が受け継がれて始まる
これが明け六つ暮六つの『6と6の12』であり、『干』関わり支える為の『十二の成長段階』
その全体の流れを把握する『観測点の十三』で見ると六角形の『亀の甲羅』が見えてくる
これが私はとても『腑に落ちて納悳』する
『現実で意志』を持って『一生懸命成し遂げた事』が、実はその前に『夢の中で別のカタチで試されてた事』だったりと
現実の前に『夢で抽象的に体験』してるから『物事がスムーズに回ってる』と感じるし、その過程で『心を鬼』にして『自分に厳しくするという事』も理解できているから
『丑寅=釈迦力な原典=真実思考』の段階でも『自我の欲望で物事が滞る』ような『後先考えない発想』は生まれない。その『思考をシミュレーション』するのが『卯と辰と巳』の『456=仕込む空間』である
卯に『二元性=可能性』を宿すと『卵』
『卯卵』とは『魂の育成空間』のエネルギー
ウランは『中性子』をぶつけて『不安定な核分裂』を引き起こし、『放射性物質エネルギー』として使う方法と、『核融合して安定』させる方法と2つある
『釈迦力』に『自力な卯(無垢)』なものは『人の為という偽』に耳を貸さないで『真を追求』するから、『真意外の中性子(情報)の影響』を受けず、『真は真』と結びついて、『類は友を呼ぶように核融合して大きく』なる
一方で『中性子という分断の情報操作』に耳を傾け『口にする鵜呑みの馬鹿』は『自らを核分裂』させて『小さく小さく』弾け飛んで、弾け飛んだ先でまた『同じレベルの小さな者同士が反発』し合って『劣化ウランの再利用も不可能』になっていく
これが『卯卵の間(魂)』にある『辰=流の空間』
『穏やかな凪』のような『和を以て貴し』と為す『核融合』と『相手を傷つけ反発』し『分断』して『争いの波風』を起こす『核分裂』
それは『宿した身』である『巳の精神状態』であり、それが『子となり生まれる前』に「それでいいのか?」を『ストレステスト』する鬼はデーモンストレーション=demo
午 は『前と後』の『境界線』
ここからは違う空間の『逢魔が時』
『巳の教えの母』から離れた『子の試練』
その『辰の空間(米=湧き出る)』で『生まれた子(酒)の出来』を試される
①泣く子はいねぇが!=『弱気』か?『強気』か?
②悪い子はいねぇが!=『道徳心』はあるか?
③親を困らせる子はいねぇが!=『裏切る可能性』は?
④さぼってる奴はいねぇが!=なもみはげ(囲炉裏の火傷痕)は鬼の役を交代しろ!(酒飲めるぞ?)
実は『④が重要』で『なまはげ役』って『声がガラガラが多い』のは、そもそも『酒焼けしたドスの利いたつぶしのある声』なので『普段から酒飲み』である事
一件、一件と『飲み比べて試飲で判断』できるほど、『酒の味=米質や水の質』など、『味覚で審査』できる人選が重要。その味や質を継承する子供の精神力もまた重要だが
冷静に考えれば、そういう『鬼を待つ家族』をまだ持っていない『さぼって酒に吞まれているなもみはげ』が『鬼の適(敵)役』と言える行事でもある(脅して酒飲み嫌われ役になるだけの簡単なお仕事)
それで『親兄弟を護る』為に、例え相手が『勝てない鬼』だろうと『立ち向かう強い意志を持つ子=自立心』
それがいる『稲家の習わし』として、家に『今年の米の出来』を『酒』で確かめつつ、『伝統を継承する跡継ぎ』も『立派に育ってるか』を『親と鬼』が『一緒に確認する儀式』
『なまはげ』というのは『干支の十二支の暮六つの役目』。これは『現象として生まれる前』からもう『心(風流・風土・風情)の意志決定のプロセス』は始まっている
それが『親』として『子育て』に関わる=『干渉』して『鑑賞する楽しみと責任』であり、それを『体験した子』はいずれそれを『親』となって『我が子に継承』していく『一子相伝』の
『子』に『丑寅(釈迦の教え・原典トーラ)』が伝わった
その地に『兎』がやってきて『辰の流れ』を変え、その流れの先で『子に教育』した
これが明け六つならば『卯』から善い流れ
これが暮六つならば『兎』から悪い流れ
私は『蛇=子を育てる・教育する』という意味では、蛇は『卵を護る存在』でもあると感じるので、『卯卵=魂(ウラン)を宿す』と再認識した
そこでこの『具能シス主義』の知恵で気づいたこの文字列パターン
SYSTEM → SYS met
SNS →『N』が『S極』に回される
『2匹の蛇=ウロボロス』に囲まれている
ウロボロスは『互いのしっぽ』にくらいつこうとする『蛇』という『隠喩=メタファー』で描かれているが、簡単に言えば『無限の循環』を促す
その『間』に挟まれているのは『自然の流れ』
『辰』という龍=流は自然は『穏やか』
しかし誰かが『手』を加えると『振』るえる
そこに『雨』が宿ると『震』える
『固有の振動周波数』を生み出す『魂』が震える
『雨(先人の辰巳下がり)』に『素直な子』は『丑寅(三つの口・立場)』を身につけた『巫』=靈を宿す
それを『卯(器)』の導きによって『辰』となり、様々な波風の中で揉まれて『龍』となり『神童=振動=心動』の意欲の『ワクワク』を十分に堪能したら
流れが落ち着いて『巳』となり、自らの体験を元に『新たな原典(現実体験の経典)』を生み出し、それを『素直に受け入れる巫に伝え育てる』
さて、ここでもうひとつ不思議な童話の『兎と亀の教え』の別の観点の話を
兎と亀という『動物に例える』からおかしくなるのは、『干支の十二支』もまた同じ事と気づいたら、それは『メタファー』となる
ここで『卯』という『魂を育てる空間』から
『鵜呑みの詐欺』で『鵜詐欺の空間』か?
『卯のみ』で『うさぎ(無垢)の空間』か?
『鵜呑みの詐欺の空間』では言われた事、教えられた情報を『何も考えずに実行する』から『鴨』にされるし、『醸される=腐らされる現実』を見る
『弟烏=烏の二番煎じ』で『腐らされた後』は都合のいい『蛇(ウロボロス・二元性)の教育で深く洗脳』される『卯卵(ウラン)の核分裂エネルギー』
そして、元来の『鬼=厳しい父の試練』を避けるように、「丑寅の教えを破壊せよ!」と『南西から北東へと進路をショートカット』しようとする
『西南』から来た『兎の悪知恵』
『卯のみ』だと『器』でしかなく、その中には『自然の流れ』があり、その自然の摂理を『辰』として、『手』で触れて『心が振動』し、『魂が震える体験・体感』しながら伸び伸びと育つ『自由な夢の中』で見つけた
「これだ!」という『我子祖和(われこそは)!』を生み出すと『遺伝子設計』が出来た時、「それを試してみよう」と『父の試練を突破』する
この『亀(六)の歩み』の描く『円』は『亀に知恵』を与える
(´-`)oO転がれば早いんじゃね? Σ(゚д゚;)
『縁』は『繰り返し巡る』ように、『円』もまた『何回転でも繰り返す事』で『物事が滞りなく進む』と考えた時、「どうせ負ける訳が無い(物理)」の『兎』は余裕来いて『寝てた』から『士別三日の量子的変化』を見ていない
その時、『亀(明け六つの空間)』がどんなアイデアで『急激に現実を変えた』のかを、童話の中で『兎は寝ていた=一日の時間経過』と『視点が兎』になっていて、『その間の亀』は描かれていない
意識の『変わる前』と『変わった後』の因果=『四足で歩く』しか見ていない
因と果の『間』の『過程』にこそ『目に見えない意識の変化』で『結果を変える可能性』がある。それが『亀は円』であり『転がる・回転する=循環・繰り返し』という『方法』を使えば…
夜明けの晩=『明け六つ暮六つ』
つるっと『亀(縁の六角形)』が滑った=『回転』
ここで亀と唐突に兎という『動物』を忘れよう
六角形の構図において後ろの正面誰?=『巳子』
『巳』に宿った『子』はいずれ『辰巳下がり』で『子を宿し親』となって『子を育てる親子の意志』を継ぐ
『自ら』が『自らの意志という子(魂)』を産むまでの『卯卵(ウラン)の中』で『核分裂=相反する事』や『核融合=同意・調和』を行い、『核が安定したエネルギー=魂』の出来を『心の鬼』に試される
『まさかり』を担いだ『鬼』が『稲蔵の酒』を求めて子供をヒビらせる親と結託した『子の精神的成長』を確かめる儀式=ストレステスト
泣く子はいねぇが(意志の弱さが核を不安定にさせる)
親を困らせる子はいねぇが(裏切る弱さが核を分裂させる)
そんな『現実と向き合う心』と『共同創造で生まれた意志を持つ子』を『親と鬼』は『酒』を飲みながら
「今年の子(米=エネルギーの意欲の湧き水)の酒はうめぇな!」(・∀・)人(・∀・)良い出来だな
『卯卵』の中に『辰』が生まれ『振動』する
『魂を育成』する『加護の籠=器』
『口封じの空間』で『人』を知る=囚
『口封じの中』で『一人で大』になる=因
『口封じの空間』の心に気づく=恩
十二支の動物のメタファーは嘘であり、稲家の鬼子育て論として
私はこれで、親子の『父と母の役目を受け継ぐ子』の『精神を育成する心構えと周期』であり、『籠目の歌』も地域の『童謡のわらべ歌』も、『日本昔話として継承』されてきた『伝統』だと思う
『皆が子』を育てる、『皆で子』を育てる、そういう『種族』だったら、その行く末も未来永劫、『次世代の子は常に成長拡大』していく。これは物質テクノロジー=皆の為の発展と精神の成長が『同レベルで進む為のバイオリズムの核融合カリキュラム』
こっちは『圧力かけて核分裂』のカリキュラム
『偽物の日』に変えられた時から『人類は狂いだした』訳で、さてさてさーて?『偽物の概念』を持ち込んだ、『金や金星』の『プレアデスに属してない』けど、『接近してプレアデス(星団)を名乗る』というのも・・
『虎の威を借る狐』と言える訳で『稲荷信仰(米の奉納)』を『狐においなり』になっちゃった(笑)
『金が混ざる』、いろんな所に『金属』が入り込んでる
『丑寅=艮』ですら『銀』に成っちゃって(笑)
もともと『地球上には限られている』という『金』・・という事は『地球由来』ではない
この『人類に金を持ち込んだ』のは?というのが今後の『真理の探究』だな(((uдu*)ゥンゥン
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