法華経とは人知れず語り部、方便・方言、護摩を炊き、護摩化し、嘘から出た真の伝承、真剣な献身の奉仕の法師の邪を追い回す戦わない戦いの役目のお話
寝起き閃 dogファイト
( ¯꒳¯ )ᐝdogファイト?
…つい先日、キリスト意識による『救いの洗脳』が解けた訳で
その流れから言えば
dog=神の犬=導く者=真剣な献身
自己犠牲になる者を救う孤高の戦い
これが『キリスト意識』に対して
別のdogファイト=道引く者
道が途切れないように語り継ぐ
『伝導者』としての戦い
語り部の法華経も真実を『法弁』として『方便』として『例えて』残す『技の伝承』のdogファイト
これは仏教では無い
なぜなら
何何『宗』という仏教の中の『分類』ではなく
何何『教』と明確に『教えとして独立』している
で、私はその中身云々の『体』という物は
『勘と感と観』で何となくわかってるので
『名』の方に注目する
ここで現代カタカムナの力を借りて言霊のロジックを読み解く
ほっけ
引き離し自然に集まって放出
ほけ
引き離し放出
ほうれんげ
引き離して生まれ強く消失し内に放出する
きょう
エネルギーが自然に新しく生まれる
つまり、ほけ・ほっけ・ほうれんげのどれであろうと
ある一つの元から強く『分離』して新しくエネルギーが生まれる教え
そこでこの言葉に注目する
南無妙法蓮華経
この名を見た時に『妙』な事を感じる
南は無い北の法
妙とはおそらく妙見菩薩
「妙見」とは「優れた視力」の意で、善悪や真理をよく見通す者ということである。 妙見信仰は中国の南北朝時代には既にあったと考えられているが、当時からの仏像は未だに確認されていない。 妙見を説く最古の経典は晋代失訳『七仏八菩薩所説大陀羅尼神呪経』(西暦317~420年、大正蔵1332)である。
そして『妙見』とは『北極星』を意味する
道教に由来する古代中国の思想では、北極星(北辰)は天帝(天皇大帝)と見なされた。 これに仏教思想が流入して「菩薩」の名が付けられ、「妙見菩薩」と称するようになったと考えられる
なるほど(´・ω・`)『天帝』か
するとこうなる
南はない=シュメール・スメラ
南の地方=百済もない・新羅もない、和唐もない
北の法=天帝・妙見・北斗七星
そして北極星=星信仰はゾロアスター教
つまり『南無妙法蓮華経』とは『星信仰』と言える
『宇宙の真理・法則』を最も表している、『量子的な観点』から『物事のエネルギーロジック』を語り継ぐ伝承の役目
そうなると
妙法蓮華経
南無妙法蓮華経
法蓮華教
法華経
言い方の『違い』には、単なる『略』では無い、とてつもなく『深い改変の歴史の繋がりの意味がある』と言える
そう考えると法華経(ほっけきょう)が分離した後、自然にエネルギーが新しく生まれるというのも、まさに『混沌・カオス』から『真理を分離・抽出』する
その為の『導き手の役目のエネルギー』と言える
南も無いし北(妙)も無くなったから
法を蓮華の華のように広げる教
蓮華は泥水をはじき高い所で花を開く習性がある。それは法華経が仏教とは違う事を明確に表しているともいえる
『仏教では無い』と言うのは『星信仰』から始まっているからゾロアスター教=天帝
『道理』で私は『天帝』にやたらと『意識』が向く
『黄帝』を追えばその背後に『天帝』がいる
聖徳太子の脇に『秦氏』
信長の脇に『光秀』(後の南光坊天界)
家康の脇に『南光坊天界』
そして南光坊天界から東北へ法華経が繋がっていく
これらは『北極星信仰』という共通点があるが、脇にいる役目の『伝導者のような存在』が
妙法蓮華経=法則における役割を与える者
善悪の主役を生み出す『預言者』であり、後にその『生き様』を『伝承』として揶揄や比喩で物語りとして語り継ぐ者
うーん(´・ω・`)『記憶を持った転生者』かな Σ(゚д゚;)
昔で言えば『洗礼者ヨハネ』
その時代を動かす『キーマンを育成』する為に
焚きつける話をする
相手の感情を刺激して、ある行動にかりたてる。 けしかける
=護摩を炊く
護摩とは、密教の奥義として古来より伝わるご祈祷の手法です。 真言宗、天台宗、そして修験宗の日本三大密教において 主に修法されている最高にして最強の祈願法
しかし、『そんな方法』を知っていれば、時の傲慢な権力者達が『不老不死を求める』ようになって『命を狙われたり身柄を拘束』されてしまう
だから『護摩化す』(*゚∀゚)冗談ですよ Σ(゚д゚;)
私が法華経を初めて意識した時に感じたのは、『方便=例え話の比喩』である事
仏教で、人を真の教えに導くための仮の手段。「うそも―」。転じて一般に、目的のために利用する便宜的な手だて
そう、嘘も方便であり法弁
意図を伝えるために便宜的にとられる表現や手段のこと。 元々は仏教において聞き手の能力に応じて説かれた教え
更には『方言』を利用する
ある言語が地域によって別々に発達し、音韻・文法・語彙(ごい) などの上で分かれた、それぞれの地域の言語体系のこと
語彙力と韻力(駄洒落)、素直に受け取らないで『ひねくれた伝え方を変換する知恵』を使わなければ、それが『悟意力と因力』だと気づかない
例えば空海が語る莫迦は元はサンスクリット語の『ヴァーカ』という音の響きはそのまま『地方の方言(外国語)』を日本の『音と漢字』に当てはめている
人を馬鹿にする時に『口にする』ほど、それは『莫迦のひとつ覚えのオウム返し』という意味になるように『法則のひとつ』になった
知らず知らずに法則の一部、『エネルギーの流れ』に入ってるから『法華経は妙な法』
それでいて『真理が心理』になっているから『妙見(北極星)』のように『一点から蓮華のように広がる全て』に対して『妙な見方』をしなければ善悪や真理を『よく見通せない法則』を伝えている
このポジションは『天帝=北極星』の俯瞰の目線
そしてそのために『記憶を持った転生』をする
それが『法華経の達人』であると考えた時…
私は思う(´-`)oO{効率悪いな Σ(゚д゚;)
『数』増やして『分散』したらどーよ?
『プロジェクトの役割分担』して『多くの人の中』にひっそり宿れば?
『1人の預言者の記憶』を『1人の人格に転生』させるのではなく、波長が合う『バイオリズムに至った者がアクセス出来る』ようにすればいいんだ
(´-`)oO{後の意識のクラウド化である
ただしこれには『問題』がある
元々の人格=その時代時代の『混沌の常識』があり、『完全なるイレギュラー』で『妙な思いつき』になるため…
『自我の認知』を変えなければ『預言』が正しく伝わらなかったり、あるいは『予知として邪に利用』されたり、正しく伝承されない故に…
(´-`)oO{だから『少数精鋭』なのか
ライトワーカーと呼ばれる存在も如来の人数も何故か『144000』
そしてこの数字も『妙な見方』をすれば悟意力と因力で『量子的な法則』に当てはまる(常識では無い)
予知を思わせる作品のクリエイターの多くは『如来』だろうし、あるいはそれを産ませるべく『アイデアのきっかけを作る者』の中に如来がいる
創作物語は『例えば…の想像』から始まる
その『想像のチャンネルの波長』が合えば『クラウド化した預言者の意識』に繋がり、『伝承されるべき知恵がダウンロード』される
それが例え、『どんな妙な作品』であっても、『妙法を感じる如来』はその『エネルギーに引き寄せられる』
そうやって『誰も気づかない事に目を向けて気づく者達』が、知らず知らずに世間とはズレてるけれど『好きな事や楽しいと感じる事』をやって
それを『自分の体験の中』で生まれる『例え話の語彙力』でそれに興味を持つ者を『因力』で引き付け、それを感じて『一理受け入れ共感した者』は、捜し物を見つけたように『波長が調整』される
するとその者もまた『クラウド化した預言者意識にアクセス』して、『語り部の法華経実践者』になっていく
イメージは『合鍵を渡す』ようなもの
護摩を炊くとは『火を起こす』
護摩化すとは『火を隠す』
『火』とは『知恵』である
だが『火と火』を合わせたら『炎』でそれは『人の手』に負えなくなり
いずれその火は『天下』を焼き付くし『天上へと炎上』する事になる
後のバベルの塔である
…様々な国、時代を超えて『同じような神話』が『その地の方言(門外不出)』でまとまっているのに、何故か世界はひとつのように『内容が一致する』のは、1人の語り部、その弟子が世界を転々としたからでは無い
その地、その地に『生まれる如来』が、『現実の事象を体感』して、『自発的に気づいた』結果、『叡智にアクセスして語彙力』で例えた
それが『抒情詩』だろうと『創作の小説』だろうと、ふと沸いたポエムや誰にもみせないエッセイや聞かせない自己満足の作詞作曲だろうと
それは『法華経の伝承者達が持ち帰った記憶』
如来が如来を生む為の表現=伝承の継承
だから人によって『例え』が違う
それは『語彙力』と『悟意力』の違い
『その時代の言葉』を知らなければ
『その時代の人生経験』がなければ
感じる事はできないし『時代にあった例えの説法』も生まれない
そういう意味で考えると『肉体の転生』って効率悪いな(´-`)oO{Σ(゚д゚;)また
で、意識転生(๑•̀ㅂ•́)و✧
認知を変える=『観測チャンネル』を変える
にんち の言霊は
強い圧力の凝縮
こうだ!!と思った『強い固定概念』だからなかなか変えられない
認知症は『物忘れ』とかいうけど違う
やった・やってないと『思い込みが強い』
代表的な例えが…
飯はまだかね?( ˙꒳˙ )
おじーちゃん!さっき食べたでしょ!Σ(゚д゚;)
『飯の時間に飯を食べる』という『ルーティンは忘れない』のに『食べた事=新しい事』が『行動記憶』に残らない
『新しい事』が覚えられないが覚えている事は『出来る』
これも意識の観測するチャンネル=『食べてない思い込みが変えられない』のと同じこと
だからその『思い込みの認知』を書き換える
その為の出来事に『意識』を導いて行く
すると、『奇妙な体感・体験』をするほど、『認知』で『凝り固まった常識や普通』というものが『なんて曖昧で不明瞭なものだったのか』が見えて来て
そんな『何の基準にもならないような普通や常識』をみんなに『教養・強要して共用』している『とち狂った社会』に生きてる事に
合わない=『波動が違う』に気づいてきて
『妙な感覚』の方に『意識』が向いて行き
なぜ?どうして?なんで??
こうなってくると『法華経の理解』が簡単に進む
なぜなら、その『なぜ?』を追う『先人の軌跡=哲学』が沢山あるから
哲学者の多くは『一般的に分かりにくい格言』を生むが、なぜ?を追うものには『とても分かりやすく社会を風刺』していたりする
そこに『語彙力と悟意』が隠されている為、その引き寄せる『因力に魅了』され、『チャンネル』があって『叡智がダウンロード』される
ま、こんな感じで
『預言者』は実は『そこら中』にいる(*゚∀゚)アヒャヒャ
ただ『真理』を言えば『奇妙な人扱い』されて、その時代、その環境に『居づらくなるから護摩化してる』だけ
『嘘も方便』として、それとなく『比喩や揶揄』で例えて『小説や脚本』で読者に伝えたり、『歌詞に悟意と因力』込めて歌ったり歌わせたり
気がつけばそこら中に社会的には狂言だけど、真理や心理的には『明言』だらけの『法華経だらけ』で笑ってしまう(*゚∀゚)アヒャヒャ
だから宗教じゃない
宗教はいらない
『伝承なやり方』が変わっていた
『実践者』が『叡智にアクセス』して引き出してる
『カオス』な世の中に『真理』を隠すのは
護摩化し護摩化し、『悪用』する『邪で傲慢な転生者』
それを『元に戻す』ためには『真理にアクセス出来る者』を増やしてカオスの中にもっと『明確に真理』を下ろせばいい
だから思うんだ
『莫迦のひとつ覚え』のような『破壊の預言』を実行しようとする奴らは、『破壊の後の未来のやり直し方』しか知らない死を知らない法華経の悪用者
『破壊では無いやり方』がある
『それにアクセスする事』が解決策のひとつだが
(´-`)oO{私の語彙力では、ある!という確信的な感覚しかない
有るのに『言葉』が無い(笑)
でも無いけど『有る』という謎の自信(笑)
これが『妙な見方』をして『妙な事』に引かれる
…って閉めようとしたらまた『911のライトワーク』でした(笑)
タイトルのdogファイトは
神の犬=導く者・道引く者
真剣な献身=奉仕な法師
ファイト=戦わない奴らが笑う孤高の戦い
人の為=偽に自己犠牲になるキリスト意識
人の為=偽だと方便で語り遺す法華経意識
どっちも『戦わない奴ら』を相手にした戦わない戦いの孤高のdogファイト
戦闘機のドッグファイトで言えば、『邪の後に張り付いて離れない真理』
活かさず殺さず追いかけ回して、攻撃の隙を与えない
…ああ、これ多分、昨日見た呪術廻戦の『真人を追いかけ回す役目に気づいた虎杖悠仁』のアレだ
白兎=西洋では邪なもの妖の類
狼=自然の秩序のバランサー
あれが『妙法蓮華経』の役目 なんだ
これは『ウイルスを隔離して常に弱らせて逃がさない看守免疫』なんだ
そりゃ、その役目も終われるなら終わりたい
人の為の『自己犠牲』も終わり
人の為に『闇を追い続ける役目』も終わり
『偽』から離れないと『本当の自由意志』にはならない
なるほど(´・ω・`)
『何を選択するのも自由意志』だけど
このふたつはもう『選択肢』としてはいいだろと『先祖供養』している私の中の同士な同志たちは伝えているようだ
この後に見た冬至一発目の夢が・・お楽しみに( ̄ー ̄)ニヤリ Σ(゚Д゚)ここで引き!?
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