瞬間、心重ねて、無から始まる有に惹かれる。厶に惹かれる者は無・牟・夢・武・梦・鵡・无・懜・羣・矛・楙・懋・鶩・繆・夣・麰・憮・甒・鷚・群・鍪・務・眸・鍯・娬・騖・鵐・倵・鴾・嚮…へとシンクロしていくと眇で無量大数が小さい(量子)と気づくお話
無・牟から遊が始まった朝
以前、誰でも内観できる方法の中で、量子的観測をリセットする方法を伝えた
人は毎日、何かしらの不純物な情報で、自分が持って生まれた磁場が電磁波によって意図的に作られた電磁場へと意識を引っ張られる
それは誰かが観測している世界
そこへと意識を合わせない『無の状態に毎回リセット』しているので、寝起き閃は全く意識していない所に急にシフトする
例えばその無にして眠った翌日の今日…
無有秒という夢遊眇の始まり
牟って…牛にのって現れた釈迦だよな?(釈迦牟尼)なら…『亀』に乗って現れた『アロハな武天老師』って『戦を止める為に天から現れた老子』って事でもあるし、『亀=(六芒星)を従えたカメハメ大王』でもあり
その武天老師に学んだ悟空は『武(戦を止める為に戦う)』という生き方の『空を悟っていく龍(流)』
悟空の少年時代は『レッドリボン軍(赤・共産社会)』との戦いの時代(フランケンの八ちゃん・ドイツは味方)を経て、大人になって同じ『外来種(天孫族・サイヤ人・高麗)』との戦いに発展していく
生薬である高麗人参カカロット(漢方)
冷えは大敵フリーザー
その『護る為の戦いの悟空』という龍から生まれた御飯もまた『戦を止める為に戦うグレートサイヤマン』という龍になる
…(´◉ω◉` )?Σ(゚д゚;)
なんで俺は、ドラゴンボールの話をしている?とこれも『無有秒』という、一瞬で『無から有』が生まれて『繋がりを辿る意識の観測』
目覚めに両目開けてしまったから『左脳も覚醒』してしまった
リセット(‘д‘⊂彡☆))Д´)また無
片目を瞑り『眇』にする
目を少なくと書いて『びょう』と読む
きわめて小さいさま
例「大海中の―たる島」
実は牟(釈迦牟尼)と亀仙人の出処が『ハワイで一致』しているという所が今回の気づきの旅のキモ
八咫烏・ロハロハ・カウアイ
それを表すのが『ム』という『音の響き』に隠された漢字の変化の歴史。これを意識が追い始めた時に最初に出てきたのが・・
牟から始まる無量大数
無量大数とは
無量大数は、漢字文化圏における数の単位の一つ。漢字文化圏において名前がついている最大のものである。無量大数がいくつを示すかは時代や地域により異なり、また、現在でも人により解釈が分かれる。一般的には10⁶⁸を指すが、10⁸⁸とする人もいる
数が限りないはずなのに、『一般的には』という『極小数が決めた限り』をつけようとする68と88乗
10^68 (or 10^88)
音で読むと 『むや』『やや』
有耶無耶(うやむや)
耶蘇とは復活後のキリスト
生まれるキリスト無きキリスト
その辺『有』るや『無』しやら
88はヤハウェ
ヤハウェ=八八上=母上
キリスト神の子?人の子?なら母は?
処女懐妊の聖母も有るや無しや
あるいはやや=赤ん坊
あるいはやや= 状況が少しずつ進むさま
『膨張する宇宙』を表すかのように、以降は「まだまだ伸びますけどね〜」を『音の響き』であてたような
これが出処を『有耶無耶』にするという『無量大数』に『限り』をつけようとする『量子的な人の観測』の『限界』
限られた界隈
井の中の蛙
神の梯子(阝・B・13)=神棚を降りてきた
『艮(牛虎)』が『田』に『介』した教え
『四角・視覚』の中に囚われの小さな『十時』
10の68か
10の88か
10=大きな二元論=1・0
有るや無しやの有耶無耶
その乗数の68と88も有耶無耶が膨張
これが井の中の蛙、大海を知らず
されとて大海も『二限の外』を知らず
1と0と言う限り=デジタル
それが同時に存在する『自由量子=自由意志』を知らない
つまりは『そこに囚われた人の愚かさ』を乗数とした『限界』として伝え歩いた『現界』
『王』が『見』て『田』を『介』した
『農』とは『曲』と『辰』
『震』とは『雨』と『辰』
辰(シン)とは
時節。とき。日。日がら
天体。日・月・星の三種
田を耕す『天体の星の位置』と『日月の時節』があり、雨は時、日がらある
それを『楽』しんで行う『曲』がある
例 夏も近づく88夜等
『神農神』って伝え方が間違ってる
正しくは『辰農神=龍神』という事
だから東北には『温厚な人柄』と自然と共に生きる『農業文化=龍神信仰』が根付いてきたのだろう
そしてそれは『干支』でも読める
子艮(牛虎)卯辰巳
『素直な子』は『丑寅の教え(伝来)』が『卯の多産』で新たに生まれ広がり『辰(農業文化=龍神信仰)』になって流れとなって広がり、それが『落ち着いて蛇=白蛇信仰』へと地に降りて子育て(文化形成)した
『明るい子供』の時間から
落ち着いた『大人の巳の暮れ六つ』
言葉に真実がある
そしてこの後の時間が『逢魔が時=お馬が時』
馬、馬賊、馬脚、馬に関するエトセトラ
羊猿=坤=未申=二限の争いの丑寅の鬼討伐戦争に従う者
鳥=三歩歩けば忘れる鳥頭
犬=餌付けすれば懐いて命令に従順な犬
猪=何も考えず猪突猛進の莫迦馬鹿
そして、滅び
また『子』からやり直す
はっきりいって巳以降は
『蛇足』で明けるまで暗い(暮れぇ)
巳で美しく『辰巳下がり』で上品な『母』として『子』を宿し、『籠目の歌』で産まれるのをまつ
子が目覚めて見る後ろの正面とは『巳』
これで『六曜の循環』が出来上がっている
だから無量大数に68や88って限りをつける
10(十)68無耶をキリスト無き
10(十)88をヤハウェ・母上・少しづつ膨張する
と決めつける宗教観って…
ちっちぇよな(ヾノ・∀・` )Σ(゚д゚;)
だからそんなものは片目を瞑って『眇』で終わり
そんな小さい事は『秒』で終わり(まじで一瞬で気づいた)
でもおかげで、無量大数は『ムの数』だけ『とんでもない物語』があると気づいた
これが今朝の意識の旅で…正直追い続けるととんでもないことになる為『ある程度の法則』に沿って解説
無に関する歴史
無・甒・憮・・儛・嘸・墲・嫵・幠・・璑・膴・蕪
神、口、土、女、王、月、草
色々無い『不遇の時代』と想定できる
気になる字
無の下が心で上の部分がおそらく『ない』『失われた』という意味な気がする
夢に関する歴史
夢・夣・懜・梦
基本的にどれも『現実から離れた考え,空想,幻想』を意味する。ならばどうしてこんなにも『形状』が変わったのか
夢=草の目の下にワの夕がある
夣=ふたの下に目、ワの夕がある
懜=神の右で左右から圧がかかり下に目、ワの夕がある
意味は心が暗い。心がぼんやりしている
『夕』が『内』に入っている=ゆううつ=憂鬱
気になる字
梦を見た時最初に浮かんだのは『梵字』。夢= 『現実から離れた考え』の下にある『夕』が凡人の『凡』になっている
おそらく『空海が学んだ密教』、生きながら仏の世界と繋がる秘儀の『即身成仏とは梦』であるが、そのままだと『高度過ぎる』為
一般に『梵字として広める事』で、梵字を『目にする事』で『夢』の世界へと『繋がる経路を開拓』した…と読み解くと
『夕』という形状が『意識』を意味していたのか…そう考えると面白いのが
舛
いりま(じる)
そむく=背=丑寅の方角
『意識(夕)』が『牛と十字架(ミトラ=マイトレーヤ=ミロク)へと繋がる』から、やはり…
遠野物語=エンヤーコーラン=神話原典
そして『夢物語』へと綺麗に繋がる(梵字も)
牟に関する歴史
鴾・劺・麰・恈・鉾・侔・蛑・眸
牟は釈迦伝来でもあるが、これを見て釈迦は1人ではなく『悟りを開いた集団=釈迦族』だった考えられる
例えば牟に鳥が着いているのは『八咫烏』
牟に力がついてるのは『牛頭天王』
神と牟が一緒になってるのもあれば…金と牟や虫と牟、もしかしたらそれら『変な牟』が出ないように『監視の目の牟』もいた可能性すら見えてくる
つまり牟とは、良くも悪くも『知恵の伝承の役割=預言者=善悪の役割を与える者』であった可能性がある
気になる字
やっぱこれよね
金の牟+虫の牟=『錬金と宗教』
これを無理やり統一したのが人の為=偽の『侔』
意味:ひとしい、 そろう、 したがう、 つとめる、 とる、 はかる
揃え従える
取り図らう
統一する事を務める
そういう役割な『牟(知恵)』
そしてそれを実行するのに『劺』を使う
だから対抗の『む』も出てくる
武に関する歴史
倵・娬・鵡・珷・碔
武は『戦へんの中に止める』と書く
つまり『争いを止めるという形状』で
ぶ・むと読むが、その成り立ちの形状を見ると『様々な戦の止め方』があったのだと先人の知恵が見える
人が戦止めた
女が戦を止めた
王が戦を止めた
石(意志)で戦を止めた
戦を止める鳥が来た
『鴾=鳥が知恵』を運んできた
金の牟+虫の牟=錬金と宗教
これを無理やり統一した人の為=偽の侔
ここから『戦=単に伐(劺)』が来た可能性も無くはないが、それを自然に『統合するのも侔 =人の知恵』
結局、『牟とは知恵』である
知恵に関わる『役割次第』という意味では
道具(知恵)は人の使いよう
気になる字 娬
女が戦を止めたなら くノ一(女王統治?色仕掛け?ハニトラ?)
女の為に戦が止まったなら、九の中の一、紅一点
鳥に関する歴史
鵡・鴾・鵐・鷚
気になる字 鷚(リュウ)
雲雀(ひばり・リュウ)。鳥の名・雉(きじ)の幼鳥。また、鶏の雛
羽の下にへの下に三
羽もまた『天狗や習、翁』などとても『重要な教育に関する物事』に着く名称で、その下に『へ=ヘブライ』と『従う三つの流れ』
『アフラ(善)・マズダー(悪)』とそれを裁定する『審神者の三つの役割』を慣習・監修にするようにと渡ってきた鳥=『ヒバリ』と考えると…
私は若い頃によく聞いていたスピッツの『ヒバリの心』という歌の意味が入って来なかったが『妙に気になっていた事』を思い出す(´-`)oO
僕らこれから強く生きていこう
行く手を阻む壁がいくつあっても
両手で君をしっかり抱きしめたい
涙がこぼれそうさヒバリの心
水槽の熱帯魚から離れられなくなっていた
僕が僕でいられないような気がしたのに
遠くでないてる僕らには聞こえる
魔力の香りがする緑色の歌声
なるほど(´・ω・`)スターシードか Σ(゚д゚;)
水槽の熱帯魚から離れられない=地球のタコに捕まる
=ヤルダバオトの支配の管理下=雉も鳴かずば撃たれまい
当時はヒバリっていう女性へのラブソングだと思ってたけど、『鷚』が『ゾロアスター教=星の真理の教え』と解けば
『ヒバリの心』とは『星から来た教え』
ひばり の言霊は
根源の内に引き合い離れる
これは
みんな元通りになっていく
ここにいれば大丈夫だと思っていた
僕らこれから強く生きていこう
涙がこぼれそうさヒバリの心
大切な事を胸に何かと決別している
これが 根源の内に引き合い離れる そのものと言える(名は体を表すカタカムナ)
スピッツの歌がこんな醜い世の中でも綺麗事をいうような『心優しい人に響いていた』のはそういう『星の波動の影響』だったんだ
納得(´ー`*)ドーパミン発動 Σ(゚д゚;)
そして昔ハマって歌いまくったスピッツの『歌詞を深堀』するのも楽しそう。当時はスビッツの歌詞はデタラメとまで言われて思考停止してたが、今の直観かつ違う世界を捉える意識なら、もしかしたら読み解けるかも?
また、いきなりアコギのスラム奏法をやりたくて叩くためのギターを衝動買いしてたのも、ここで『スピッツへの回帰の伏線』か!(シンクロニシティ)
今更スピッツか~?(;^ω^)と思ってたけど
今だからスピッツだぁー!!(((o(*゚▽゚*)o)))に変わった(意識の観測点がシフト)
その他変わった『む』に関して
嚮・務・騖・鍪・羣・鏓・侮・群
務という字は
矛にのぶん(鞭打つ)と力
矛とは神話では神の武器
つまりこれ一つで
神が道具(権力=剣力)で鞭打つ力
騖は馬をはしらせること。 また、かけまわってはたらくこと。 奔走
権力で鞭打って馬を走らせる
鍪はカブト
権力で鞭打って馬を走らせて『得た金』と考えれば、『勝って兜の緒を締めよ』というのは、連戦するから気を緩めるなという意味より
侵略戦争が終わったら次は『財源(鍪)をしっかり管理』しなければけないという足元の護りをしっかりと行うという『内政の心意気』と分かる
かぶと の言霊は 力を内に増やして統合
やはり、内政や内省を意味する『冷静』な言葉
とても重要な漢字が今や『兜』
これでは戦狂いの『白痴(重度の知的障害)を護る道具』でしかない
大事なのは『物質』ではなく『精神』である事を昔の人は『文字から感じ取れた』と言える。また同時に『奴隷が当たり前の時代』だったのだろうと思えるのが
鏓
『金』の元に『吊』るして『中』に捉えて外から『鞭打つ心』
『君』に仕える『羊』の『群』れ
そう『侮』辱される『毎』日が当たり前の奴隷
全ては『蛇足』の『お馬が時』から始まる『侵略戦争』から生まれた『牟(音の響き)を貶めていくレッテルワード』
その中でも一つだけ気に入ったのがある
嚮
郷へ向かう=ルーツを辿る
…そうこれに尽きる
私が『む』に『引かれる・惹かれる』のはこれなんだ
王の里、由緒=理由、牟は郷へ向かう=ルーツを辿る
そして漢字で『む』がこれだけ『大数』ある事を考えれば…『漢字が生まれる数』だけ『人の物語のエネルギー』があるという事
『言葉が使われなくなる』とは、『先人達が生み出してきた知恵(生き様)を失う』という人類にとっては取り返しのつかないDNAの損傷
かつて『有』として存在していたが、もはや『無』になった目に見えない『有耶無耶』になった『無量大数の量子的エネルギー=無限』
無量大数に限りがあると思っているのは『何条』という『乗数に囚われた現代の人』だけ。大陸を様々な物語を経て渡ってきた『仏教用語』で言ってる無量大数とは…『数ではない』
『あらゆる渦巻くエネルギー』の事
しかしてそれは『物語』という法則がある
物=物質=人
語るは『言』う『吾』
ゴ・われ・わが・あ
そう言うは吾=『阿』から始まる人語
『わ』が言う話だはんで(ヾノ・∀・` )信じるなよΣ(゚д゚;)津軽弁
そして最後に、これらを考える時
(´-`)oOむー…ムーン
と『ムー大陸』や『月』から情報を引き出していると何となく感じたわけです
なんとなく…南都無く…南無
南無阿弥陀仏…シュメールで締めーる
む は言霊で『広がり』を意味する
(´-`)oO限りない無量大数や…
目を覚ませ(‘д‘⊂彡☆))Д´)強制送還
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