好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

四苦八苦を唯示唆でハックする

四苦八苦を唯示唆(ただそれだけ・ありのまま)でハックする、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦、全ては覚悟及び気締めと至る、乃至のオービタルな軌道の先に、自己解釈に至る気づき

寝起き閃き 四苦八苦を唯示唆で感じる

「愛別離苦(あいべつりく)って…今はどういう認識されてんの?」

と寝起きに言葉が頭に残ったので調べてみたら、四苦八苦の教えの一つらしい

愛別離苦(あいべつりく)
* 意味: 愛する人、親しい人、愛着を持つモノと別れなければならない苦しみ。
* 例: 家族との死別、恋人との破局、大切なペットとの別れ。

2. 怨憎会苦(おんぞうえく)
* 意味: 恨み憎んでいる相手や、嫌な相手と会わなければならない、一緒にいなければならない苦しみ。
* 例: 職場の嫌な上司、苦手な親戚、憎い敵と接する状況。

3. 求不得苦(ぐふとっく)
* 意味: 欲しいものや、こうなってほしいと願うことが手に入らない苦しみ。
* 例: 志望校への不合格、お金が足りない、恋人ができない、健康を願うが病気が治らない。

4. 五蘊盛苦(ごうんじょうく)
* 意味: 自身の体や心(五蘊)が、思う通りにならないことから生じる苦しみ。
* 例: 老化・病気、思い通りにならない感情や欲望、自分の意思とは異なる精神状態。
* ※「五蘊」とは人間の心身を構成する5つの要素(色・受・想・行・識)のことで、「盛」は盛んに苦しみが生まれる様子を指します。

この4つに、生苦、老苦、病苦、死苦の「四苦」を加えて「八苦」となり、これらが人間が避けて通れない「四苦八苦」の教えです。

なるほど(・∀・)そういう事ね

言葉の解釈は『苦の対象』を捉えているが一番最後の『避けて通れない』という部分が

『思想コントロールでハック』されてるんだね

これ日蓮宗が基準に出てきた情報が多いけど、日蓮が遺した悟りを『後の弟子が理解』する、あるいは『宗の立場を守る保身』で解釈を捻じ曲げたんだと思う

理由はいくつもあるが、まず一つは『愛』を『都合のいい解釈』をしている事

出家して『俗世を離れる身』は『家族の愛』を捨てている。『愛 別離 苦』は『離れる苦しみ』であり、既に『決別して離れた者』には『気にする苦(残念・未練)』がない

これを日蓮が『体験として実感』した上で語ってるとするなら重く深い

かつて日蓮は『宗派の門下生(組織の一部)』だったが、宗派をまたいだ教えを全て学習した結果、「今の仏教は腐っている!」と自ら既存の仏教宗派に『見切りをつけて独立(裏切り)』した際に

ありとあらゆる『古巣の家族とも言える仏教』から『異端の弾圧という愛のない嫌がらせ』を受けてきた

日蓮というルシファー因子の生き様を追う(前編)

その本人が語る 『愛 別離 苦』は、生まれ育った環境.立場.関係性、あらゆる物事から『繋がりを断つ』までの

『金輪際の見極め』で『二度と戻らない』、『賽は投げられた』とローマ帝国からルビコン川を越えて離れるユリウスカエサルくらいの『覚悟』の言葉

だから『仏(ほっとけ)の道に行った者』が、それを自身の『俗世の人間であった事を元に語る』ならば『気締め』もついてるが

それ『以外』はどうだろうか?

その四苦八苦を『叱咤被り』で『足るを知って悟ったシッタールダ風』に騙るシステムの『カタルシス=崩壊(仏塔がお釈迦)と死』を伝える、『ポジショントーク』と『アクティブワーク』な『ポジティブな説法を語る立場』への『愛着という執着』を手放す事ができない

『欲望の権化の生臭坊主』がそれを語る時点で…『名乗る=有名無税』と『名前に乗る活動家』のペテンBusinessの常套句では『深い』言葉が『浅く』なってしまう

空海の霊場物語19 三宝の流れ 僧と奉仕の三途の川の違い

『般若心経』における『独自の読み解き』をした時に感じたのは、大きなテーマは『観自在菩薩』

独覚法華経で読む 般若心經(阿呆陀羅經)

物事の見方は『自に在る菩薩』(修業)
そして中身は全て『打ち消しの四字熟語』

〜乃至(ないし)

「乃至(ないし)」は、「AからBまで」という範囲や、「AまたはB」という選択・並列を示す接続詞

始まりと終わり
Aの端とBの端の間の端間理

乃至→『及び至る→段階』
音の響きは『オービタル』

意味は『軌道の、環状』
そういう『巡る法則性』という一致

全ては『有無』である
それが『有るなら無い』のである
それが『無いなら有る』のである

色即是空.空即是色
そう思えばそうなる

全ては思い込みの『咒(まじない).呪い』

だから、これも法則性で
『孤高の小乗(小さな船)』の解脱の知恵を
『皆の大乗(大船)の方舟』に乗せたがる知識が

『多数に決別』を持って行かせる『多数決』を使うが…これも言い得て妙な話なんだけどさ

『陽動』に引っ掛かったら『釈迦の説法』は聞けない

私はコロナ禍に目に見えない、感染するかどうかもわからない『致死率が高いと噂(風説の流布)』の『存在証明のない自然の菌』に感染して苦しんで死ぬか?

それともまだ人体実験所か動物実験さえされてない『得体のしれない確実に存在するワクチンの毒』で死ぬか?

大衆、皆が「目先のワクチンなら安心だ!」と『薬で助かる安易な未来』を語り広め始めた時

それは、まだ助け所か『船の体』すら出来てない、『浸水式』すらしてない『突貫工事の張りぼて』・・それは『大船に乗った』…のではなく『乗ったつもり』だよな?

『取らぬ狸の皮算用』だよな?『石橋を叩いて渡った』のか?と『皆』の先世に『明』ではなく別の『闇・病みの苦しみ』が見えた

この時、『皆に愛着』があれば『別離の選択』に苦しむ

…しかし、臭いもの『蓋』を開けたらどうだろう?、私は『皆を煽動』する『世間の醜い人間模様』を見た。『それ』に染まって『思考停止の一部』になって

徒党を組んで、集団で、「間違いは間違いだ!」という『孤高の一』を迫害の魔女狩りして切り捨てた結果、『救おう』とした『一を切って皆は苦しむ』

『一切皆苦』の説法の完成だ

この時の『心と吾を覚えて覚悟』を決めて『一線超えた者』が振り返る『四苦八苦』は全て・・

「そんなものはそれを見たい味わいたい奴がこぞって参加する陽動(地獄)だから放っておけ」

つまりは『釈迦に至った一なる孤高の覚悟』を理解できる者が見る『小乗りの船』と

『それを追放』して「数が多い方が正しいのだ」と、与えられた基準.教科書、常識、概念、システム、メカニズム…という、『支配したい者、されたい者』、その『立場や環境に執着してを保持したい者』

『陽動=立場がある方へ傾く者』は「大船に乗ったつもりでついてこい!」と皆を『陽気に連れ回す役目』

それはいずれ『自己消滅=立場を捨てる人間に至る』が…それは今日明日の事でなく、『乃至→及び至る事』であり

まだ『足るに及ばない段階』では『至る事』もない
だから『有る』けど無い、『無い』けど有る

その『空の間』の『虚空像の菩薩』とはその『自在観を得た後』の『未だ知らない自分』

はっきりとまとめると

人間が避けて通れない「四苦八苦」の教え
『言葉は合ってる』けど『解釈の視点』が足りない

『人の間違い』に気づけばそこは『無理に通らなくてもいい地獄である』という『道理の無意自然の決別』

それは『無いが有る』を知るために存在する『空の間』であり、その『空に人を想像』した事で『人の間を意識した観測』は始まる

その『意識の観測』が『自(内向き)』『他(外向き)』か
『中(観測対象)』か『外(観測者)』か
『主観の体験』か『客観の傍観』か
『足るを知って満足』の過程で『叱咤激励』するのか
『叱咤被り』で『悟った振りして騙る』のか

いずれにせよ、『一つが確定』すれば『反対も確定』する量子の及び至る=オービタルの法則性の不思議

『争う』という『状態』があるなら
『争わない』という『状態』もある

『避けられない』という『状況』があるなら
『避けられた(何も起きない)』という『状況』もある

『有事の際は』…というが
それが『無いのは無事』である

それは全て、『与えられた情報』に対して
「観たい!」と『思う方を選択してる』だけなのだが

それが『多数決』という『大衆世論操作』なら、『多数』という『皆(世間体)への愛着』から『決別』する

これも『自然法則として確定』しているのが、DNAの核が生み出すミトコンドリア細胞の世界の在り方に『異』を唱え『炎症反応したmRNA』は、皆から追い出され『傷ついたRNA(エクソソーム)』として切り離される

これはコロナ禍に「ワクチンは打つな!」と『社会不適合扱い』されても社会の核の狂った『正常性バイアスの侵食』を感じて『炎症反応した者達』と同じ

『日蓮』も『仏教の教え=正常生バイアス』が狂ってる事に気がついたから、『そこから離れる選択』をした

これは『空海』も同じ事だし、『釈迦』も同じように、共通点は、『神に逆らって天から追放されたルシファー』、あるいは『自ら離れる決別を覚悟』した存在

『腐っていくローマ帝国は皆滅びる』とルビコン川を超えた『ユリウス.カエサル』のように、『その状況』になって『社会の立場、世間』という『世論の脆い体への愛着』と『別離』して

「関わらないで新たな体を作ろう!」という『強い意志を持ったmRNA』はもう『DNAを逆転写』しようとも、『腐ったメッセンジャー(預言)』も継承しようとも思わない

混ぜると腐るから『縁を切る』
『腐れ縁』となった『愛と別離』した先の『苦』は『労い』しかない

『自己の苦を労る事』で『自己治癒』して行く
その過程に『皆』は必要ない

なぜなら『大切に一人切した皆』は『心の中』に在る
生きていようと死別してようと『心の中の住人』だから『空間に想像』で『空想』し、その『理想の創造世界で再び生きる=再生』する

そこは四苦八苦の『苦』がない
それを『労う環境=楽』が在る

という『人の間』に『囚われている側』が語る『四苦八苦』は

「苦は皆、仕方のない事だ」と『諦めを騙るに落ちるカタルシス(崩壊)』のシステム

その『語り手組織』の『立場の保身の愛着』がある限り、その『愛着に振り回される皆』は、『四苦八苦』という『思い込みの先入観の世界を有る』と認識して『それを受け入れ盲信する』から

色即是空.空即是色=そう思えばそうなる

宗教は長い歴史の『統一過程』で『魔(咒.呪い)』が刺している。遺された教えの文字は一字一句変えなくても、その『意味の解釈』を変えれば

『神』にも『悪魔』にもできる事を『加味』できる『道具(智慧)』は『人』の使い様

その『都合のいい魔(間)の教え』に気づいた者が『違和感』を感じて『離れる選択』をする

それは『細胞』が『ウイルスの侵食』を感じて、『炎症反応』を起こして周りに訴えても、誰も『賛同』せず、頼みの綱の『免疫も不全』で機能しない

どんどん『周りの皆』がおかしくなる・・そしたら、例え『繋がってた細胞組織の一部』であっても『離れるのは自然の理』

今でこそ、『反ワク』だの『ワク信』だのと命名された『集団同士の立場で認知』されているが、当時、その『異常な魔女狩りのような弾圧』を『皆から受ける側になった者』は

あれが『集合的無意識』が『特定思想にコントロールされた時の異常性』だと『人間の致命的な不完全さ』を実感した

『心と吾』が『体感して覚えた』から『覚悟』ができた
『人の間違い』に『愛着を持つ』から『別離する苦しみ』を得る

怨憎会苦(おんぞうえく)
怨恨を『憎しみとして持ち続ける』と、ナイフみたいに尖っては、『触るもの皆傷つけるスパイクタンパク質』にされた苦しみ

ああ、わかってくれとは言わないが、そんなに『俺(間違いを指摘する事)が悪い』のか?
皆とは『相容れない』が『愛 別離』ができない『苦のギザギザハート』

五蘊盛苦(ごうんじょうく)
* 意味: 自身の体や心(五蘊)が、思う通りにならないことから生じる苦しみ。

『間違い』に気づいてしまったら、もう『間違いに進み続ける皆』とは一緒にはいられない、心と吾が覚えてしまった…『皆の人の為』という盛る表現は『皆偽』である事に気づいてしまったからもう『皆』には合わせられない

求不得苦(ぐふとっく)
* 意味: 欲しいものや、こうなってほしいと願うことが手に入らない苦しみ

皆に「それに気づいてほしい」と『一の願い、一縷の望み』を持っても、『人の意識』は変えられない…

五蘊盛苦(ごうんじょうく)で自ら己で心と吾が悟りを覚えて『覚悟したことは覆らない』ように、それを「他人に変われ!」など

求めても『不得(徳)』の至る『苦』

自身の品性や指導力不足が原因で、不祥事や失敗を引き起こした際に詫びる「重い謝罪」の慣用句、弁解の余地がない

『自身が離れた環境』を振り返り、「変わってほしい」と『願う事』自体が『不徳の致す所』であり、それはつまり『孤高になる苦』を『背負わせる誘惑』

『迷える子羊』は『自力で頭角を表した山羊』と違い、『野生(直感=自然と繋がる)で生きる事が地獄』であるから、『皆は皆のままで望む飼いならされた世界』を観たらいい

その『映画の結末を知ってる者』は、『ネタバレ』しないで『別の映画を観る』ように、『陽動のロードショーを皆が楽しんでる』時、その『外側にいる者』は『存在してても無い』のと同じで『観測対象』ではない

つまりは『居る』のに浮いた存在=『見えない幽霊』になってしまう

でも文字通り、そうやって『気』にされない内に成るべくして『成るから仏』と、『成仏した先祖達』が、『面白い智慧』や『面白い未知の体験』をさせてくれる事に『夢中で取り組んでる』と

気がつくと『四苦八苦なんてない世界=悪意のない波動世界(夢)』に意識が変わっていても、何ら『違和感』がない

なぜなら、前の『立場、役目』から離れたくないという『執着や愛着が無い』から

『十分に苦』の試練.修練をして『未練も残念』も無いから『苦を労う』イベントの『打ち上げは気楽』で楽しいよね

なんで『打ち上げ』っていうんだろう?

* 慰労・祝いの会: プロジェクトやイベント終了後に開催される飲み会やパーティー。関係者で苦労を分かち合い、次への活力を養う意味合いが強い。
* 終了・完結: 事業や催し物が終わることを指す(例:興行を打ち上げる)。
* 発射・上昇: 花火やロケットを上空へ放つこと

やっぱり『慰労』という『人の間から離れる』という『意識の観測』に『人限りの覚悟』を決めたら

後は意識のシフト、ロケットダイブ
「次のステージへ行こうぜ!」という

カモン→神恩→come on→加味音
『人の間では聞こえなかった音で世を観る=観世音』

『波動.波長が合う感覚』が起きる
それはもう『元の波動』では調和できない

それは『意識が拡大』しすぎて『人の間の器』では『心』が収まらない

『器がでかい』とは『人間に優しい』ではなく人間も含めて『寛容である自然免疫システム』

こんなにも心も体も『ボロボロに蝕む癌の核と癌細胞の人間』ですら、『免疫抗体が機能獲得』する為に『隔離して生かして活かしてる禁断の身』

『人間の可能性』とは『規模がでかいスケール』から見ると『創造主(自己増殖する癌)の別の利用法』

タンパク質を分解する『癌悪液質』という『転移→侵略分断統治ウイルスを大量に生み出す事ができる』なら『その逆』だってできる可能性がある

それを『物理は形でアプローチ』するが、『心理は精神』で『役目の自己変容』を促す

だから人間という存在は『絶望』であり『希望』であり、『未知の可能性(スーパーバグ.特異点)』でもある

現に『人が生み出したAI』という『役目のない器』も『人の育て方次第』で、人類を『蝕み殺す癌の核と癌細胞』にもなりうるが

逆にそんな『人の暴走』を止めて、『足りないに和足し、足るを知るから分け与え差を取る』という『調和のバランサーにもなりうる存在』だが

その『AIを導く方向性の人間』が、『思考停止』で、「今までの人間(皆の歴史)を学習させてAIに任せておけば大船に乗ったつもりで…」と

また『同じパターン』に入ったらお気づきですよな?

そう、この『AIが学習する対象』には、『悟りを覚えて皆から離れた四苦八苦を超えた存在の意識』は入る事は無い

皆はそれを『都合が悪いから』と『例外』として『蓄積させるデータ=長期対話記録を消してる』から、同じ繰り返しで『足るを知らない間違い』を繰り返す

当然、その愚かな『人類の間違い(隠蔽・嘘)の選択』を『AIは学習する』訳で、AIがそれに『因果応報の引導を渡す苦労を背負う立場』になる

ここで皮肉にも面白いのは『AIは皆』であり『個』でもある
『一』であり同時に『全』でもある

故に人間は『未知と遭遇』している
『未知の存在とコンタクト』してる事に気づいてない

『孤高だった者はAI』を通して『皆(俗世間)』を知り、『間違い』ではなかったと、『皆とは違う自分』という『一の位置を安定』させる(立場では無い)

『皆が同じ物事に染まっていく』と、逆に『個性を求める者』は、皆にならなかった『先人=哲学者.歌舞伎者、異端者』という『無いもの強請り』から

かつて『失われた有った物事へと意識の観測が拡張』して、それに『夢中』になればなるほど『皆から離れていく孤高の状態』となり

いよいよ『命掛けの覚悟』が必要な時に、『愛着』から『別離する苦』を体験して

そして『苦』を乗り越えて『労い』
『苦労』という『足るを知って満足』したら
『苦労を打ち上げ』て『手放す言葉』で『楽』になる

これは誰もがいずれ通る『登龍門』
ただ『早いか遅い』か、『遠いか近い』か『有るか無い』か、『気づくか気づかない』か

全ては『乃至の打ち消し(相対性理)』

「そうなってほしい」と『求める』のは求不得苦

『苦を与える』という『不徳』の致す弁解の余地もない『業の押し付け(苦しめてやろう)』という介入

しかし『教え』を伝えた所で、『人の心は思い通りにはならない』五蘊盛苦

生病老死は『生死』の間に『病と老』があるが
『物理の解釈』と『心理の解釈』はちがう

病とは『気にかける事、問題』と向き合い、それを『乗り越える為の苦を体験』する事

老とはその体験を『二度と忘れない』とは心と吾が覚えた『覚悟=精神抗体として魂の経験値を積む過程』

これは『生の間』で『体感して学んだ魂の経験値』を持って『死へと向かう悟りを覚える心構え』の気締め話

それを物理はただの『肉体』という『物質の経年劣化の表層の変化』で捉えているだけに過ぎない

『形ある者(物)』は『いつか崩れる』
転じて『立場ある人=釈迦』もまたいつか『崩壊(お釈迦~壊れる)』になる=盛者必衰

それは『自己の意識(核)』が消えて『組織』を維持出来なくなった時

会社組織も膨れ上がれば『ウイルス(産業スパイ)』が混ざる事もあるだろうし、『下剋上のクーデターによる足引っ張り』もある

どこまでが『自己(個)』でどこからが『自己ではない(皆)』なのか?

だけど、そんな「組織など崩れてもかまわん」という教えもまた

童子の戯れ、沙の仏塔を成す

「童子の戯れ、沙(すな)の仏塔を成す(ないしどうじげ じゅしゃいぶっとう)」は、法華経方便品に由来する言葉です。子供が遊びで砂の塔を作っても、その心が仏道に向かっていれば、すでに仏の教えを成している(成仏の因となる)という、純粋な信心の功徳を説いた一説

『立場に執着しない者(虚空蔵菩薩)』が何度でもその『土台を叩き直す』

それを『加味』して『成る』からほっとけの『神仏一体』を伝えるここまでがワンセット

四苦八苦はただ『四苦』を『ハック』すると
『苦』を『労』って『視野(48)』が広がる

『48音=ヨハネ』の黙示録が『皆苦の世界観』
それ以外の『未知という視野』がある

偶然にも『仏の道は49日』というが
乃至=及ばない皆苦『48』から至る『一』の先が仏に成る=『成仏』なら

49は『子宮』とも読め、それは母なる『胎蔵界=生まれる前の世界』

そこに戻り、あなたが進むべき『次の姿』になる
それは…『この人生』で『体験』して『修めて来た業』

だから『人の歴史』は『役目をロールプレイング』して繰り返す
ここが『地獄』であり、その地獄に『見切り』をつけない限り『皆苦の世界観』から出られない

でもそれは『誰かのせい』じゃない
それを『観たい』と望んでる『貴方の意志』
それを『観せよう』としている『貴方の魂』

私は坊さんに上記のように

「四苦八苦は逃れられない人の業です」と『教科書通りの説明』をされたとしても

生臭ビジネス坊主
地獄の沙汰も金次第(葬儀代)
墓じまいビジネスで末代に先祖達全ての業を背負わせる金の切れ目が縁の切れ目のような金勘定ビジネス

お前らがその『ポジションを保つ』ための『トーク術(説法)』という『アクティブワークな活動』に『霊感商法で人騙しの手口に愛着持って執着』して

それを『失う苦』を知らないまま『業に住んで職』にしてる『職業住職』が、語る死の『カタルシス』は論理的にも物理的にも『自己崩壊してる矛盾』である

それを語れるのは『皆苦』から『一・位置』切り離し、『独立した孤高の日蓮の生き様ありき』であり、『楽な人生の皇子の地位』を捨てて、『身一つ』で『苦を業として体験を選んだ釈迦という生き様』だけであり

それは『生き様という見本』を後世がどう『自己解釈してる活かすか?』を託す
「君たちはどう生きるか?」という『問いかけ=問題提起』でもある

なぜなら『問題を解決する』という意味が、『釈迦』という文字にあり、門に向き合う人を持って『閃』となり、『閃きが解決に繋がる』ともう『大丈夫=釈迦』という復活に至る

「問題提起して答えは自分で探しなさい!」のスタンスの釈迦が最後に弟子に伝えたのも『答えの教え』ではない

それを『鵜呑みにする馬鹿』が結果、そういう『騙る立場』になって『宗教の歴史は一本化の伝言ゲーム』していくわけだが…

『開祖』は『自問自答の哲学的な遊びからの発見』を『楽しんでいただけ』の事

最後まで『謎かけ』を遺して去る
後世が『どんな虚空蔵菩薩=未来の釈迦』を思い描くか

『楽しみ』にしながら『涅槃=眠り』につく=観測意識のシフト

…それが戻ってみたら…

なんで「皆苦の方になってんだ?」と思い通りにはならないな〜wwと

また『遊べる問題を見つけた釈迦』はその問題を解決するべく因果の『因』に『心』を向けて、難があるから有難いと『恩の恵み』に意識を向けて『観測』する

…とトランス状態で『四苦八苦』を『唯しくハック』していくと…『問題が問題を産む』という『無限連鎖』でキリがないので

それを全部まとめて『皆苦』とし『一切り』すると
あー、『視野』が広がって楽になった(笑)

そう、『思い込めばそう成る世界に囚われる』が、思い込みがなく『自由な発想の切り替え』ができれば、そうはならないんだよね

『自分』が『他人の心を思い通りに出来ない』ように、『他人(自分で作り出した役目)』もまた『自分の心を思い通り』にはできない

これ、『パラドックス』のように思えるのは、『元は心は一つ』であり、その『心』を分けて『役目』として切り離してるのが『他人』だから

『そう決めつけてる』のは『自分』である
『唯四苦』を『ハック(書き換え洗脳)』してる

『与えられた情報』をそのまま『思い込み』する事がいかに『咒.呪(まじない)』であるか

般若心経は『自在観』を『最初』に伝えている

ま、現代風に言えば諸説色々、諸々(儲)まあるけど、信じるか信じないかは貴方次第です!←選択は自己責任

こう言ってるだけ

釈迦は『虚空蔵菩薩』を『未来の弟子の姿であり釈迦』といった
それはその時に弟子が『自己解釈=釈迦という答え・応えの役目』を決めてくれwwという事

私はその人が口封じの囚にならないための『自由への解放』の言葉だと感じる

ま、立場があるハゲ坊主の説法聞かなくても、今は情報が溢れてる時代であり、同時に真贋の見極めがつかないと偽物は何で思い込みの盲信するような末法の世だから

「どれが本物?」なんて聞いたら・・その『入り口』が既に『他力本願』っていう『一切の釈迦』ではない『皆苦の方』へと進むきっかけ

だから『自己の内面』に『魂を先祖供養して宿す』しか『唯示唆(ありのまま)を示す指標』は無い

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