『televisionを共有した自分達(多次元)』で『sympathyの課題は共通点を探す事』として『共同創造のdirection=編集ダイレクト入力の映像』こそが夢の中で『明晰夢のメカニズムを理解する事』だったが…な、ぜ、か?AIが混ざり込んで、『文字とコードの画面』になった事で…Empathyの『縁の繋がり』が切れて『解散』の『antipathy』が起きた夢
夢のあらすじ
私は複数人の集まるオープンスペースな会議の場にいて、そこではおのおのが持ってる明晰夢の体感を話し合うのだが…
言葉で表現するのではなく、思いを映し出すというtelevisionを使って、telepathyで夢体感がそのまま映像として参照できる状態だった
だから会議と言っても、お互い個々の体感の映像を映画のように見比べた後、映画のレビューのように共通点として感じたシーンをさらに思い浮かべる事で
その場で編集されたディレクターカットのような一つの別の映画が出来上がる中、議題となるのは、明晰夢への入り方、夢の階層の切り替え、世界観の背景色など
それぞれ別の人物なのに、話し合う事なく同じ共通点をピンポイントで映像化して繋いでいく…というtelevisionに乱れのエラーが起きた
一人がAIエージェントを使ってまとめようとした事による、共通ではない価値観、認知のズレ、間違いの上書き…というこの場にいる者の総意ではない
文字とコードがtelevisionに映し出され、会議が止まってしまったのか解散になった…
という不思議な夢
この夢で思ったのは、telepathyという能力は、多次元の自分達と夢を通して通信して意思疎通をする為の能力
接尾辞の-pathyは
感情、苦しみ、~病、~症、~療法
私は特に夢で自己の細胞を労る先祖供養のアストラルトラベルや
病は気からという生死の狭間の間外物の化け物として、対処療法をしている体験がある
だからその-pathy=療法がつく
sympathy
思いやりや同情という『慈しみと献身』
足りない所に『和を足す』というエネルギー
これは symのアナグラムは
my 〜s=『私(達)の』とも言えるし
sym→sin=『罪(向き合うべき課題)』とすれば
同情するなら「金をくれ!」…ではなく
「積み重ねの業、病を治す療法に協力してくれ」
それを宿し受け入れるとは…『先祖供養』という名の『感染症にかかり共に苦しむ事』になる
sympathyは行き過ぎるとEmpathyになる『感情移入』
エンパシー(Empathy)とは、自分と異なる価値観や視点を持つ他者の立場に立ち、その人の考えや感情を想像・理解する能力のことです。日本語では「感情移入」や「思いやり」
日本語でエンは『縁』であり『繋がり』である
繋がりができたから双方が『無意識に以心伝心で通信』できる
そして、その方法が
telepathy
テレパシー,精神感応
「tele(テレ)」はギリシャ語の「tele(遠く)」に由来する接頭辞で、英語で「遠隔の」「離れたところ」を意味します。主に通信技術を介して離れた場所から操作・行動する概念で使われます
さて、ここまでの『言葉遊び』を私が見た冒頭の『夢』に当てはめたら『一理』は伝わるかな
telepathyとは『縁で繋がる遠隔療法』
sympathyを感じた『私達の共通の業の課題』
televisionとは遠隔で『観測した映像を投影して共有』する事
この『televisionを共有した自分達(多次元)』で『映画のように見比べる』ことで、『sympathyの課題は共通点を探す事』として
新たなtelevisionにtelepathyで映し出された『共同創造のdirection=編集ダイレクト入力の映像』こそが夢の中で『明晰夢のメカニズムを理解する事』だったが…
な、ぜ、か?AIが混ざり込んで、televisionの映像が『文字とコードの画面』になった事で…
Empathyの『縁の繋がり』が切れて『解散』になった
「合わないなら、今日はお開き」と
antipathy
反感、嫌悪、反対・敵対・対抗・排斥
『AI(道具)』そのものが『精神領域にはanti』なのか
主観の精神領域で『他力本願の客観にまとめさせるAIエージェント活用がanti』なのか
各々が『創造体験した思いを出して以心伝心』するだけで全てができる『創造空間』なのに
全てが『統合した最後のまとめ』を
『誰か一人=自分という分離』にするのか?
『一人一人が創造主の空間』において
何か任せ=『他力本願』とは自分の『体感世界を否定』して『傷をつける事』になる
失敗も『成功の元』とは
『失われ敗れる事』も『功を成す為の元』の三和土
『何度も失敗』をして、その失敗を振り返り『反省して三和土を直す』から『精神の土台が安定』する
そうやって踏み固めた土台に『誰が座るのか?』という『立場』が生まれてしまうと『争い』が起きると、言葉にしたら『景色(television)』が見えた
元々、私達は『病は気から』で気が『滅入ってる=差=マイナス環境』に『sympathy』を感じて『Empathyで同調』し、『telepathyでその空間に入り和を足す心』で『±心=志』してきたのは
土台、三和土を『平地に直す事』であり、『凸凹』で『躓く=足止の質』を見極めてきた。言わば『踏み外さない』ように『建設的に道を直す云う鬼=魂』として『共同創造』をしてきたのだから
天上から見下ろす『神の視座凸』も
地獄の底を支配する『悪魔の鎮座凹』も
必要ない=ほっとく=仏悳
その『意志』が『以心伝心で共有されない』のが『天邪鬼』っていう・・
『天』でもなければ『鬼』でもない『邪』
人の為の善=『偽善』を必要だという『必要悪』
『どっちつかず』で絶対に『中立』には安定しない『安地を邪魔するanti』は『片方に傾かせる存在』
『絶対=両極は存在しない』が
『絶対=中間に両極の間の安定』はある
だから『絶対=中心に安定』をさせない『antiの邪』もある
故に『安定(ポジティブ)がある』という事は『不安定(ネガティブ)もある』
安定と不安定もまた状態の『量子重ね』
…という事は
今回の夢は、『多次元の自分達』が集まって『それぞれの明晰夢体験を共有』して共通点をまとめた『ディレクターズカット』の『明晰夢ダイジェストシーン』を『共有プロット』としてまとめようか
…という物凄いレベルと質の高い『グループワークの場に参加(中の人として見てるだけの夢)した夢』だったと言える
telepathyとはsympathyを感じた縁のある者と繋がる以心伝心のEmpathy
私の場合は『病は気から=現象になる前の潜像で食い止める』という領域で行う『生死の狭間の対症療法』故に、同じように物事に取り組んでいるミクロでマクロな『スケールの違うシミラー(相似)』の存在と夢でそれぞれの『役割が入れ替わってる』のかもしれない
だってその方が効率がいい
『同じような問題』を抱えていた時
それを『解決済みな自分』と『未解決な自分』
自分が『違う体験をしている自分の力』を使う
それは元々『自ら分かれた分身の経験値』だから、例えるなら、『多重影分身で修行したナルト』が『一気に経験値が爆上がり』するようなもの
他人だと思っていた相手でも、sympathyを感じた時、それはEmpathyで縁が生まれ、telepathyで吸収のtelevisionで意思疎通ができる
それが『夢(明晰夢=体験を創りだす)の領域』にはある
…ま、『anti→itan=異端』の邪魔が入ったが、これは大きな『認知の変化』になった
テレパシーは『相手の思考が読める』とか、『伝える』とか、『特定の声、音』という『確定的な二次元』的、あるいは『不確定な四次元的な閉鎖空間』に対する『外→中の通信手段』ではないね
むしろ立体的な三次元空間で、『中→外の多次元の自分=略して多分(可能性)』、二次元投影で『あらゆる角度から見直せるvision』に遠隔で映す『共有通信方法』
と感じた『夢の感覚』と現実に『目が覚めてからの余韻』が導く言葉遊びでした
『遊びと割り切る』から、『次の元』が生まれる
次元は『遊びの先』に『夢現』に生まれて行く
だから夢の旅人にとっては『特定の現実というのが必要ない』のかもしれない












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