問題は万人に共通に訪れるものでもなければ、問題を問題と捉えない限り危惧もないのに、なぜそれを『気』にする?という奇遇は必然な理由
何が問題?
問題とは万人に問題ではない
問題を『問題として捉える人』にとって問題なのだ
わかりやすい例をあげよう
ワクチンとコロナは『問題』か?
私は問題だと思っていない
といえば、「お前は肯定派か?否定派か?」と
『それを問題』だと感じる人は捉えるだろう
そうではなく
ワクチンとコロナという『問題を利用』して
『ショックドクトリン』を起こそうという
その中で『暗躍していた5Gの環境的推進と法的整備』、その過程で『一定数の人が人体実験で痛い目を見る事』を『危惧』していたから
『コロナと5G』『ワクチンとマイクロチップ』という『ショックドクトリン』を利用して『傷口をこじ開けて免疫のない所へ毒を送り込む注射』のような
『邪な手口が同時侵攻』してくるから、コロナを恐れワクチンを接種するしないはやらなければ『問題ではない』という意味で発信しても
今度はコロナやワクチンの『肯定、否定派』は、それは問題ではないと『問題に気づきもしない』上に、因果関係を考えもせず、原因の特定もせず、反省もせず、再発防止策もしていないのを『当たり前』にしている
『何の決着もついてない事』を『気にしないのが問題』だと危惧する
『こんな人類』では救われないと
だから『何を問題』と捉えるかは『人それぞれ意識の存在するステージの違い』であり、『危惧する』とは他人から見れば『奇遇』
危惧の言霊はエネルギーが内に引きよる
奇遇の言霊はエネルギーが内に引きより生まれる
『心の深淵』を覗かないとなぜそれが『気になった』のかの『真実』には到達せず、『何も生まれはしない』
確実に『背後がある陽動』で、『狙いは別にある』と気づいた人はその『発生源や発生条件を特定』したい
それは『人類を削減』させる為なのか?
削減させる理由は『ただの私利私欲』か?
人類を『飛躍』させるとか『大義を騙ったただの強欲』か?
それとも広義な目で見れば『本当に多いなる計画』か?
『邪な欲』と考えた場合、それを『縦軸の抑で止める必要』がある
『縦(人類を成長させる)の意図』と
『横(人類を滅ぼしてやり直す)の意図』
この意図に気づいた上で、そのどちらの意図に『素直』になるかで『進む方向性』は必然的に変わる
縦の意図は素直=『主の意図』
横の意図は邪・歪=『不正の意図』
『不正を正す』という意識を持っている者は
どんな物事であれ『不正な手段』を感じたら
『そこに問題がある』と『欲の発生源を抑止』しようとして『傷口を塞ぐように集結』する
『リンパ液』が、『血小板』が、『単球が』、『好中球が』
あらゆる『白血球の免疫機能』が『遊走』でそこにたどり着く
そう『目覚めた者』とは『白血球の役割』を持つ
白い血の球、細胞と細胞の中を無視して通り抜ける『遊走』
まるで『物質を通り抜ける光子』
まるで『幽体離脱する変性意識』
訪れた先の世界で『仮の役割の体』に『一時的な五感』を宿す
私はこれを『同一体験』だと感じている
『白血球の遊走』も面白いもので、『問題』を見つけると面白がって取り上げる
『発信源はあそこ』では無いか?
『傷口はここ』だが侵入経路に過ぎず、『狙いはあそこ』では無いか?
こうやってやんややんやwと『目の前の問題』を取り上げながら「本質は違う所にあるよね?」と『周りに警戒の抑止の発信』をする事
『危惧している問題』を伝えなければという、『奇遇な行動』をとるのは『必然』である
なぜならそれが体組織を外敵から守る『白血球の意志』
『オートファジーの自然免疫機能』の現れ
物質的には『骨髄』、骨の髄まで
精神的には『メンタルは死んではいない、病んではいない』
そこに『宿る業』、そこから『宿る意志』
常に『自分が危惧する問題』を見つけては、その『内側に引きよる事』で業を回収する役割
もしそれを『目覚めた人達』と言うなら
世界にとって『自浄作用の免疫機能』の復活
末法の世に正法が復活して広がって行く事になる
…と考えた時、分からなくなる
コロナやワクチンを利用したショックドクトリンで強引に進めても!その裏の『欲を抑止』しないまま、『ウイルスの根源が潜伏』する事を許せば
それは『裏から操られた社会』が『ミャクミャクと形を変えて遺伝子を変えて続けられる変異』に過ぎないが
その『奇形』とも言える『道理のない化け物』が現れた事で「それは明らかな間違いだよね」と気付く人が増えれば
良きものは良い=正常な細胞
悪い幹部は悪い=切り離す癌・治療する癌
『病の中に品山』で『病人を食い物にするビジネス』という『手段を目的』にしちゃだめだろうという『人の邪なウイルス性寄生体質』に気付くだろう
それを『必然的に目に見える形』で『舞台演劇』している『グレイテストショー』だと捉えると…
まぁグレイ(未来人)の思考実験だからね
気づいても気づかないでほっとく『免疫寛容も必要』なんだろうなとも思う(´-`)oO
だって自分の大切と思う『ウイルス性の社会の寄生癌に侵されていない人違』『おかされて欲しくない人違』には『気遣いと思いやりの目も声も向けてやるべき事』はやっている
それ以外は『聞く耳持たないウイルスに侵されまともじゃ無くなった、道を違えた存在』なのだから
気にしない=意識の観測の世界から『自然にフェードアウト』していく。それは死ぬとかではなく、生も死もなく『存在してなかった事』になる
目に映る人=意識した観測対象
気にする事=問題として危惧する事
それは奇遇な吸う気な奇妙な縁がある事
それが『無い』ならそもそも『縁』がない
『円の中』にはない
だからわかりやすい
邪な『邪念に飛びつく人』も興味はない
邪な『邪念を使う人』も『使われる人』も興味は無い
邪、そのものがどこから来る?
その発生源と波動=波の動き
それが『癪』に障る『癇』に障る
龍=流を逆撫でする度に『逆鱗に触れる』
調和の中に『不調和』が混ざる
ハーモニーの中の『不協和音』
それに気づいて『抽出する』と言うのは
オーケストラの指揮者のように『違和感』に気づかないといけない
逆に言えばそういう『役目の宿業』だから
誰も『問題』だと思わない事を『問題と危惧』する
それは先見の明
『明るい方を見通す』のもひとつだが
暗いと不平を言うよりも
進んで明かりをつけましょう
byお釈迦様
自ら=水から流=龍になり
龍が大蛇=降り地になり根付き流れを生む
これが『仏に帰依する衆生を救う』という事かもしれない
そこで暗くなる原因を取り除いて行けばいい
痛みを、苦しみを、その原因を
『発生源』と『発生理由』を突き止めて
それを『再発防止』すればいい
そのために『問題を提起する』というのは必要な事
それは警鐘の継承となるのだから、免疫機能は『血の遺伝』ではなく『地(風土)の遺伝』といえる
それが理解できればあなたもマスターキーヾ(*´∀`*)ノ
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