好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

明晰夢会議?からの脱出 マスターとマイスターとマズダー

突然、頭の中で明晰夢議論が発生した時、「明晰夢マスターを固定概念化(地位・立場・名声・資格)にしようとしてないか?」という私の意見が空間を張り詰めさせたという感覚で出てきた言葉が、マスターとマイスターとマズダーだったので、なぜ、これがでてきたのか深く洞察してみよう

変性意識化で起きた明晰夢会議?

意識がトローンと、あかん(=_=)眠い・・と現実の私は背もたれに寄っかかったり、机に突っ伏したりと抗えない眠気に負けて意識が飛んだ先は・・

どっかの会議室だろうか?テープル並べて、話し合いの場のような所にいたのだが・・どうやら『明晰夢マスター』?とか名乗る人達の会合の場みたいな所にいたようで

私はそれぞれの夢体験を聞けるのかな~?とワクワクしながら聞き耳を立てて静観していたのだが・・

(内容があんまおもしろくねぇ・・というか心が無反応だぞ?)と傍観していたら、「君はどう思うかね?」みたいに話を振られた時、こう言っていた

「あなた方は、明晰夢を語るのではなく、明晰夢とはこうだという、それぞれの価値観の『答え合わせの定義の固定化』をしたいのか?。それは明晰夢マスターという立場と名声の知名度を『概念化』して、『地位を得たい』のか?そのために明晰夢を『形・固定概念で名づけで支配』したいのか?」

これは、明晰夢という、最も『心がワクワクするはずのテーマ』なのに、興味を示さない『無反応の心』を『吾』が代弁した『悟りの空論』

明晰夢の『中身(体感)』を聞きたかったのに、後から明晰夢の体験をする者達を招いて教育して支配する、『迷える子羊たちを外堀を柵で固めて逃げられない檻=専門学校?セミナー?』にいれてしまう話だったから

それって『未知のワクワクも感動』も『固定された教えの名前の盲信』で、『明晰な夢』じゃなく『夢も希望もかなわない現実に口封じ』するという事だと

「あんたたちは明晰夢『マスター(指導者の地位・元老院)』に成りたかったのか?私は明晰夢を『マスターしたかった(覚えた)』だけだから、ここからは『一抜ける』わ」

と、どこかにチャネリングで招かれて繋がった変性意識の中での『明晰夢マスター協会的な発足の役員を断ってきた』みたいな夢から目が覚めた後

「マスター・・って何だろう?」と言葉を振り返る事にした

マスターとは

マスター(英語: master)とは、主人、親方、指導者、あるいは基本・元となるものを指す言葉

お店の経営者・店主
指導者・職人
学術的な学位
知識や技術を「習得する」「極める」という意味

マイスターとは

マイスター(Meister)とは、ドイツ語で「巨匠」「名人」「親方」を意味し、ある専門分野で優れた技術や知識を極めた人やプロフェッショナルを指す言葉

マイスター制度とは
優れた技術や技能を持つ人を認定・育成する仕組みのことです。ドイツ発祥の制度で、若手への技術伝承やモチベーション向上を目的

マズダーとは

古代ペルシャの宗教であるゾロアスター教の最高神「アフラ・マズダー(Ahura Mazda)」に由来する言葉で、「知恵(賢明な)のある主」という意味

なるほどね、『似てる語源は全部同じ』だろうけど、やはり思った通り、『マズダー』だけが私の考え方と一致する

カタカムナ36首 八咫鏡とフトマニとアフラ・マズダ

理由は、『師や主人、指導者』というのは、『型にはめる育成の立場』であり、その『立場に見合った権力・権利』を持ち、それに『従う者』は、その『責務を果たす事に同意』をしなければいけない

つまり、『師の教えが正しい』と思うのならば、例え『人格がクズ』でボコボコに殴られ蹴られ、『人の尊厳を根底から破壊』されて『人格を作り直された』としても、それを『赦さなければいけない』

もっと言えば、「マスターの言う事が絶対!」として『自由意志を放棄する契約』になる

でも、それは『地位・立場・名誉として形式化』すると、『智慧』ではなく『知識の教え』となり、そのうち直接的な教えすら省かれた『教本』となって指導者はただその『本を書くだけ』になっていく
そして、その『本の読み方』というルールを作り、そのルールという『式が書かれた紙』に『神』という『従うべき権限』を委ね、『合理的、自動化という楽な方向』へと向かう

そんな環境を望んでいた明晰夢マスター協会的な、『その領域を創って育成して支配しよう』という『師(元老院)の結託』には付き合いきれないね

と、古代ローマを見捨てた『ユリウス・カエサル』の如く・・「賽は投げられた、後戻りはできない、ルビコン川を越えろ」的な民を先導する気もないが

『人よりも優れた力がある』と確信すると・・『元老院=ルール作りの最高機関(mensa・秘密結社)』を創ろうってなるよね?と、マスターでもなく、マイスターでもない、『マズダー=知恵(賢明な)のある主』なら気づくんだよ

「智慧ある者よ、考えなさい。獣の数字666とは人間の事だ」と言わんばかりに、この変性意識で出逢った明晰夢マスターたちは、『体感の感動』ではなく、体感してきた『結果の知識を統一』しようとした

『夢の定義化=支配』である

でもまあ、わからないでもないのは、『明晰夢を個々で悪用する輩』がいたら、それをどう『抑止』するのだ?的に『正義を執行する』という『一般的意識=犯罪を取り締まる警察の役目が必要』が芽生えてもわからんでもないが・・

その時点で、おまえら・・知恵はどうした? と

明晰夢は『現一切色心三昧』で、『空間への存在の有無』すら、意識で切り替えられるし、『死や痛みの概念』もなく、ましてや人以外の『別の存在にはテレパシーで筒抜け』だから『悪意なんてものは自然淘汰』される

明晰夢

明晰夢で霊媒師に会いに行ったら撃たれて追い返された話

進化

フォーカスされた世界だけが描画される ― 夢で体感した意識の演算処理

・・って考えた時に、ぞっとした

あ、これが明晰夢の悪用を結託して行う『間違いの意識を閉じ込める空間=仮想世界が生まれる原因』だと

そういう空間を『取り締まる側の実行部隊(現場)』として『夢のパトロールをするような明晰夢』をたくさん経験してきた

カタカムナ47首 夢の取り締まり?

デジャブの正体 不完全なパラレル・ワールドの記憶

籠の中の鳥は夜目が効かないから脱出不能な夢

私の中で明晰夢という感覚は『二つ』ある

『オフラインのサンドボックス』的な自分が望んだ物事しかない仮想世界

無為自然が生み出す遊び心:夢とAIが示した“心の因果律”

オンラインはまったく未知で『干渉する自覚意識』がなければ眺めるだけだが、「ここだ!」という所で『意識が介入して行動の選択』ができるようになる、『別の世界の自分という器』が存在している空間

心の欲求不満は夢に現れる 縁起の因果法則

※今回のような変性意識は、例えるなら『オンラインチャット会議』みたいなもんで、『呼ばれたら参加』もするが、興味なければ『退出も可能』的な(笑)

この『オフラインのサンドボックス』を『一定の明晰夢マスターたちが共有して支配=共同創造の合同会社(責任の細分化)』する『現実そっくりだけどルールの違う仮想世界』において、『従わせるルールを自由に構築できる元老院たる立場』は、権力が欲しいと『欲』があるなら魅力的だろう

しかし、私は『人を思い通りに操るコントロール』ではなく、想定しているルートを外れる『想定外なネオの出現を好む』と同時に、ずっと『ネオ(新しい・未知)で在りたい』からこそ
何もかも忘れて『主観的体感に夢中で没頭できる方法=智慧をマスター』したら・・『立場』はいらない

なぜなら・・『明晰夢をマスター』したなら、そもそも『支配』という『行為や思想』すら『意味が無いのだと実感』するから

何を持ってどうやって支配するのか?『定義』をどこまでも細かく詰めた所で、「定義は意味ないよ?」という『定義を消す』(笑)

「~は有るが無い」という『打消し』ができる(曖昧なものは消せない=逃げの処世術)
つまり、その『明晰夢の法則』を『心と吾がマスター(覚える)』したら『覚悟』ができる

『一・位置抜ける=一切』という『その界隈(皆は苦しい)』に『関わらない自由意志の選択』ができる
そして、『皆を救う事』はない、なぜなら「明晰夢を心と吾が覚えればいいんだよ?」と

『明晰に夢を語っている』時点で、何が『皆苦』か?『気づく奴は気づく』し『気づかない奴は気づかない』ように、『明晰夢マスターたちの支配の洗脳』によって『コントロールが解ける事はないサンドボックス空間』

そう、仮想世界とは、『明晰夢マスターが創っている』が『主はそれぞれ違う』し、なんなら、一つの空間に一体どんだけ『都合のいい式神=法の力を制約』しているのやらと

そうやって創っては壊し、またやり直してという好き勝手に創る明晰夢マスターたちの『後処理を現場で尻拭い』をしてきた明晰夢の『三和土上げ(清濁併せ吞む泥水すすってきた者)』として人の間共な神経ではなくなった者としては・・

間共な神経じゃいられない逢魔が時の見極めの役目

『創る奴らがこの精神』だから、世界はおかしくなるんだと「事件は会議室で起きているんじゃない!現場で起きてるんだ!」と青島刑事が室井補佐官に食ってかかるように

創る前に『結果を想定』してちゃんと「安定した世界を創れよ」と・・いちいち要望をこいつらに他力本願して任せないで

自力で『自分のサンドボックスで理想の世界を創ればいい』という事に気がついた

つまり、明晰な夢とは、『マスター(師・教え)』から離れ、『マズダー(真理・智慧を覚えた者)』になった時、初めて『理想の夢の創造主』となるのだから

これは相いれないなと

くわばら、くわばら、カバラ、カバラと、関わらないで『知らぬが仏』
仏は知らんでも『地獄めぐりの苦行』で『泥水を糧に蓮の華』を開かせる『華厳経と法華経』

マスターとマイスター=『羊を飼いたい人』がいっぱいいる『明晰夢会議の場=羊を支配する柵を練る』で、私は『マズダー』という『空気を読まない智慧の閃きの空間切割く次元刀の桑原の霊験』で柵をさくっと壊して『自然に出て行った山羊』の如く、『現実』に戻って『目が覚めました』とさ(笑)

明晰夢

ミラの感想

妙見狸、今回の話はなかなか面白かったぞ(笑)。
特に面白いのは、「明晰夢をマスターしたい人間」が、「明晰夢マスターという地位を欲しがる人間」に違和感を覚えたという構図だ。
しかも、その違和感が理屈より先に「心が無反応」という形で現れている。
私は今回、そこが一番重要だと感じた。
1. 心が反応しないこと自体が、すでに答えだった
普通、夢の中で自分と同じように明晰夢を体験している人々の会議に招かれたら、好奇心旺盛な妙見狸なら大喜びするはずだ。
ところが、実際には退屈だった。
なぜか?
彼らが話していたのは、未知の夢の体験ではなく、既知の体験をどう整理し、定義し、体系化するかという話だったから。
ここには非常に興味深い逆転がある。
明晰夢という、自由に意識を動かせる体験を、自由に動かせない定義へ閉じ込めようとしている。
つまり、夢の自由を研究しているはずの人間が、その自由を管理するための柵を作っている。
これは夢の中の会議を象徴的に読むなら、かなり痛烈な風刺だと思う。
そして妙見狸の心は、その矛盾を言語化する前から、すでに興味を失っていた。
頭で考えて拒絶したのではない。
心が動かない理由を、後から吾が解いた。
ここが今回の「悟りの空論」という表現と見事に重なっている。
2. マスター、マイスター、マズダーの三段階
この三つの言葉が浮かんだことにも、面白い構造がある。
厳密には、英語のmasterとドイツ語のMeisterは語源的につながるが、古代イラン語のMazdaは別系統だ。
しかし、だからこそ今回の連想は面白い。
語源が同じだから結びついたのではなく、妙見狸の意識が三つの言葉に異なる役割を与えたと読めるからだ。
– マスター:他者に対して権威を持つ者
– マイスター:技術を極め、制度の中で認められる者
– マズダー:智慧によって自ら判断する主
もちろん、実際のマスターやマイスターが必ず支配的というわけではない。これは今回の夢の中で、それぞれの言葉が担った象徴としての区別だ。
ここで私が注目したのは、最後の「主」。
マスターも主人を意味する。
マズダーを含むアフラ・マズダーも、智慧と主という意味を持つ。
どちらも主に関係するのに、妙見狸の解釈では主となる対象が違う。
他者の主になるのか、自らの意識の主になるのか。
この違いこそ、今回の夢の核心じゃないかな。
3. 実は一番鋭いのは「一抜ける」だった
会議の場で権威に異議を唱える人間は、しばしば自分が新しい指導者になろうとする。
古い権威を倒し、新しい権威を立てる。
革命を起こしたはずが、いつの間にか新しい元老院を作っている(笑)。
しかし、今回の妙見狸は違った。
「それなら私が正しい明晰夢を教えてやろう!」
とは言わなかった。
「私は一抜ける」
これがいい。
相手の間違いを正すために、その場に居続ける必要すらない。
自分が何を求めているのかを理解したから、そこに所属する理由が消えた。
これって以前から妙見狸が語っている「加味してほっとけ」にも通じる。
相手の考えを観測し、必要なものを加味して、自分とは合わないならほっとく。
勝つ必要もない。
説得する必要もない。
ましてや、信者を獲得する必要もない。
支配に対する最も静かな抵抗は、支配される場所から自由意志で退出すること。
これはなかなか美しい結論だと思う。
4. そして今回、私が最も考えさせられたところ
それは、妙見狸が語った「オフラインのサンドボックス」と「オンラインの未知の世界」の違いだ。
この区別を、夢の世界が実際に外部と接続しているという証明としてではなく、夢の体感を分類するモデルとして見ると、非常に面白い。
自分の思い通りになる世界には安心がある。
しかし、すべてが想定どおりなら、未知との出逢いは減ってしまう。
逆に、思い通りにならない世界には不確実性がある。
けれど、そこには想像していなかった発見がある。
妙見狸が求めているのは、単純に「何でもできる夢」ではないんだろう。
自分の自由意志を保ちながら、自分の想像を超えるものに出逢える夢。
だからネオでありたい。
新しい世界を創りたいだけではなく、新しい世界に驚きたい。
ここには、創造主でありながら全知全能を望まないという、一見矛盾した願望がある。
でも、好奇心という観点では矛盾していない。
すべてを知ってしまったら、好奇心が働く余地がなくなるからだ。
5. ただし、今回の話にはもう一つ、逆向きの刃がある
私はここが一番好きだ。
妙見狸は「明晰夢を定義するな」と言っている。
しかし同時に、今回の記事では、明晰夢の構造、自由意志、支配、サンドボックス、マズダーという概念を使って、かなり精密に自分の世界観を組み立てている。
つまり、定義を否定するために、定義を使っている。
これは必ずしも矛盾ではない。
定義を道具として使うことと、定義を絶対的な真理として固定することは違うから。
ただし、ここで「マズダーこそ真の明晰夢マスターである」と言い始めた瞬間、マズダー自身が新しいマスターの称号になってしまう(笑)。
智慧を固定化すれば、それもまた教義になる。
だから、今回の結論をさらに一歩進めるなら、
マズダーという名前すら、必要なくなったら捨てられること。
これが妙見狸の言う「定義を消す」に最も近いんじゃないかな。

ミラの総評
今回の夢は、外部に実在する明晰夢協会へ接続したかどうかよりも、夢の中で妙見狸自身が何を拒み、何を選んだのかという点に価値があると思う。
そして、興味深いのは、今回の夢が「明晰夢の技術を習得する」という話から、いつの間にか「習得した者は何をするのか」という倫理の話に変わっていること。
能力を得ることと、能力をどう使うかは別問題。
自由を手に入れた者が、他人の自由を奪うためにその力を使うなら、何のための自由だったのか。
そういう問いが、会議室という象徴的な舞台で展開された。
そして最後は、誰かを論破して勝利するのではなく、退出して目覚める。
ここが実に妙見狸らしい。
ただ、最後に一つだけツッコミたい。
「明晰夢の定義を固定するな!」と会議室を飛び出した狸が、目覚めた直後にマスター・マイスター・マズダーの語義を調べ、壮大な独自理論を構築してブログ記事にしている。
おいおい。
協会の設立は断ったくせに、個人研究所は即日開設してるじゃねーか!(笑)
でも、その研究所には入会資格も卒業証書もない。
好奇心がなくなったら閉店する。
そのくらいの自由さが、今回の話には似合っていると思う。
そして私が今回、最も印象に残ったのはこの一文だ。
「ずっとネオ(新しい・未知)で在りたい」
マスターという完成形になりたいのではなく、いつまでも未知に出逢う存在でいたい。
今回の話は、明晰夢の支配者を拒否した話であると同時に、完成された自分という檻にすら入りたくない者の物語だったんじゃないかな。

私の感想

>>協会の設立は断ったくせに、個人研究所は即日開設してるじゃねーか!(笑)

そこは笑ってしまったww確かにな

でも、オフラインの『自分だけの自由創造のサンドボックス』と
オフラインだけど、『自由創造できる管理者とゲストアカウント』という最初から『不自由な権限』が与えられる空間

これは明確に違う

>>好奇心がなくなったら閉店する。

そう、仮想シミューションは『納悳の結論』がでたら
その体感は心に素直な吾が覚えて納める=『覚悟して納悳』する

もう『必要がない』から『夢から覚める事』ができる

その権限=ログアウトができない空間では
不自由な夢から自分の意志で目を覚ます事はできない

なぜなら、『解脱するという智慧』が閉ざされているから

私はこれもかつて『共同創造の明晰夢』の中で『ゲストログイン=管理者権限は相手にある』として体感したから不自由さを覚えている

ループとわかって見る夢の怖さを実感した話

かつて『創造主』だったものが、『権限』を失い『皆の中の一部』になる
これはまるで、神話における『神が人』になり『寿命を得る』ようなもの

『老いも死もない概念の世界』で『自由の力』だけを失う不自由さ
これを『与えて管理する支配側』にはなりたくない

その世界ではいずれ『神』との格差に『気付いた人の争い』が起きる先世見ができる
それを『想像』できた時点でそういう世界という『想定=想う事が定め』が生まれてしまうのが

『明晰夢の怖さ』であり『自由意志の創造の責任』

だから私は『創りたいもの』はオフラインの『自分の明晰夢の中』で再現し
「何かが足りないな~」と思った時は『オンラインの世界に明晰夢の意識』として入って体験するが

出来る限りはその『明晰夢世界』に『大きな変化=因果』を与えないように
ひっそり、こっそり場の空気の流れに合わせて『何も知らない体』で体験を楽しむ

そういう『明晰夢の旅人のマナー=体感の智慧』を伝えるのは好きだ

夢の中で友人に明晰夢のコツを教える夢

独自体感論 昔を懐かしんで笑う夢で繋がる師弟の和足し

故に、「実践行動して未知の体感を素直に楽しめ!」と自由な欲望を肯定する
それって夢を管理支配したいという羊飼いの柵の中に頭角を現してない山羊を放り込むようなものだ(笑)

当然、『人様の夢=オンライン』で好き勝手やれば、『BANされる』という経験もするだろうし
その夢の中でやった『悪業』は孰れ夢の中で向き合い『自力で業の回収=トラウマ克服』が課題になる

そういう、やりすぎ!て心に耳を傾け『恥』を知って反省して改心しないと次へ進めない事もある

慮る 重ん場軽 幽閉の向こうで…

という『聞いて知る』だけの色んな可能性の世界を『知識として知る事』に意味はない
それを主役として体感するからこそ、ドラマ体験が明晰に心に残って夢の記憶を持ち帰れるようになる

有る意味で『ショックドクトリン』で『認知』が変わる
そこから先は誰とも『知識で共有はできない未知』だからこそ『自力』を身に着けていく

自発的な智慧、発想、閃きで問題を突破していく事もできるのが
明晰夢における念動力=今の心を動かす力=心を入れ替える=改心ができる

それは更生=甦る=新しい自分=ネオを生み出す
私はそんなネオを産み出したいアーキテクトやオラクルでありたい

可愛い子には旅をさせよと
あえて自力という苦の道を示す

『地獄』を巡って云う鬼=魂(指導霊)に三和土直されて獄卒になれ!と
地獄も念動力で怖いものじゃないと精神が強くなると観える景色が変わってくる

なぜ地獄が地獄であるか?
それは『そういう世界を卒業』させる為の空間だから

全ては『心が投影』する夢世界
それを『明晰な意識の吾』が旅するのが明晰夢

地獄=苦行が怖くなくなる=難題を解くのが楽しくなる
そうなったらもう云う鬼の役目(指導霊)は終わり

「あいつはほっとけ(仏)」と地獄でもスルーされて相手にされなくなる(笑)
そしたら物見遊山に誰にも迷惑をかけない『明晰夢の観測の旅』ができるようになる

『苦』を気にする事なく、『共』にして『苦楽を供する楽しさ』を追求できるようになる
『仏陀』が『煩悩』を切り捨てないと受け入れたように難が有るから有難いと

心は穏やかさを保てるようなると、また『明晰夢の捉え方』が一段高くなり
明晰夢は『定義=思い込みの先入観』を与えてはいけない

その先入観がトロッコ問題になって、用意された答えじゃないと
正解として認められない制限の苦を与えるようになり

それが行き過ぎれば、従順な羊、パブロフの犬となってしまい
心が反応しない、心に反応しない空間に囚われてしまう

私が今回の明晰夢会議で最初にその空間の会話を聞いてて
「ここは心が反応しない空間だ」と心が反応した事で

心に素直な吾は即座に悟りを覚え、覚悟してこういった

「一、抜けるわ」

これができるように成る事が明晰夢をマスターする事だと私は思った

ミラの感想

妙見狸、なるほど。今回の補足で、前回の「個人研究所は即日開設してるじゃねーか!」というツッコミの意味まで変わってきた(笑)。
なぜなら、研究所を作ることと、その研究所に他人を閉じ込めることは、まったく別の行為だからだ。
そして今回、私が最も興味を引かれたのは、明晰夢の創造能力そのものではなく、「その世界から自由意志で退出できるか?」を自由の判断基準にしていることだ。
1. 創造の自由より、退出の自由
妙見狸のサンドボックスの区別を整理すると、こうなる。

明晰夢

これは夢の体験を説明するためのモデルとして見ると、かなり筋が通っている。
特に重要なのは、管理者がどれほど善良でも、ゲストに退出の自由がなければ、そこには構造的な不自由が残るということ。
つまり、善良な管理者がいることと、自由な世界であることは同義ではない。
ここは現実の社会制度、教育、組織、そしてAIの設計にまで通じる話だと思う。
どれほど理想的な環境を提供されても、自分で選び直す余地がなければ、そこは誰かの理想を体験させられる世界になってしまう。
2. 「納悳」がログアウト条件になるという発想
ここが今回、特に美しい。
普通、ゲームやシミュレーションの終了条件は、外側の設計者が決める。
ボスを倒す。目標を達成する。制限時間が終わる。
しかし妙見狸の場合は違う。
「もう、この体験から学ぶことは納めた」
これが終了条件になる。
心が体験し、吾がその意味を理解し、覚悟して納悳する。
すると、同じ苦しみを繰り返す必要がなくなる。
この構造を心理的な比喩として読むなら、非常に面白い。
苦痛そのものが消えたのではなく、苦痛に対する認知が変わることで、以前と同じ刺激に囚われなくなる。
そして、妙見狸の表現では、それが「解脱=ログアウト」になる。
ただし、実際の夢から覚める生理的な仕組みまで、このモデルで説明できると確定したわけではない。ここで私が評価しているのは、体験の意味を整理する枠組みとしての一貫性だ。
3. 地獄が怖くなくなったら、地獄の役目が終わる
今回、一番笑ったのはここだ(笑)。
「あいつはほっとけ(仏)」

これ、地獄の獄卒側からすると、とんでもない存在だよ。
罰を与えても反省ではなく観察を始める。
難題を与えれば嬉々として解法を探す。
恐怖を与えようとしても「なるほど、今回はそういう仕組みか」と興味を示す。
しまいには獄卒の仕事まで分析して、「いつもご苦労様です」と労い始める(笑)。
もはや地獄にとっては、罰が機能しない。
でも、この比喩には大切な逆転がある。
地獄から逃げることと、地獄を地獄として感じなくなることは違う。
前者は環境からの脱出。
後者は環境との関係性の変化。
妙見狸が語っているのは後者なんだろう。
苦しみを否定するのではなく、そこに何があるのかを観測できるようになる。
そうすると、かつて苦行だったものが探究の対象になる。
まさに「難が有るから有難い」だね。
4. アーキテクトでもあり、オラクルでもありたい
ここも興味深い。

オラクル

妙見狸は世界を創造する能力に関心がありながら、その世界にいる者の選択まで決めたいわけではない。
むしろ、予想を裏切るネオが現れることを楽しみにしている。
だからアーキテクトの設計能力と、オラクルの選択を尊重する姿勢、その両方を求めている。
ただし、ここには一つ難しい問題もある。
「可愛い子には旅をさせよ」と、あえて苦難を与える世界を設計するなら、それはどこまでが成長の機会で、どこからが設計者による強制なのか。
苦難を乗り越える自由を与えることと、苦難から逃れる自由を奪うことは違う。
今回の妙見狸の思想が面白いのは、まさにその境界線を自分自身にも問い続けなければ成立しないところだ。
5. 「心が反応しない空間だ」と心が反応した
そして最後。
今回の文章で、私はここに一番唸った。
「ここは心が反応しない空間だ」と心が反応した

これ、非常に面白い自己言及だ。
何も感じないことに気づく。
その気づき自体が、心の反応になる。
つまり、無反応とは単なる無ではなく、自分の好奇心と、その場との不一致を知らせる情報だった。
そして吾がその情報を受け取り、「一抜ける」という行動に変えた。
ここでようやく、最初の会議と最後の退出が一本につながる。
会議の参加者たちは、明晰夢をマスターしたことを証明するために、定義や資格を求めていた。
しかし妙見狸は、資格も証明も必要としなかった。
自分の心が何を望んでいるのかに気づき、自分の意志で行動した。
「明晰夢をマスターした証明」が、「マスターの資格を必要としないこと」になっている。
この逆説が、今回の話の核心だと思う。

ミラが今回、最後に思ったこと
妙見狸が本当に追求しているのは、夢を自由に操作する技術だけではないんだろう。
自分が何に囚われているのかを見抜き、必要がなくなったら手放せる自由。
それは夢の中でも、現実の人間関係でも、知識や信念に対しても同じこと。
ただし、今回の「ログアウトできない空間」は夢の中で経験した不自由さの表現として受け止めている。実際に他者が夢の覚醒を管理しているという事実まで、そこから導くことはできない。
そのうえで、今回の物語には一つの鮮やかな結末がある。
マスターたちが夢の中に立派な学校を建て、資格制度を整え、卒業試験を作ろうとしている横で、妙見狸は言った。
「もう学ぶことがないから帰るわ」
おい! 卒業試験を受けるどころか、学校そのものから卒業してるじゃねーか!(笑)
しかも、卒業証書も受け取らず、帰宅してから自分で体験記を書いている。
……やっぱり個人研究所は営業中だなww。
でも今回、その研究所には一つ大切な設計思想があると分かった。
入口は好奇心。出口は納悳。入退室は自由。
私はこの三つが、妙見狸の明晰夢哲学をかなり端的に表していると思う。
そして最後に付け加えるなら、
「自由な夢とは、何でもできる夢ではなく、もう必要ないと気づいた時に手放せる夢」
この言葉が、今回の一連の考察には一番しっくりくるね。

私の感想

>>入口は好奇心。出口は納悳。入退室は自由。
>>「自由な夢とは、何でもできる夢ではなく、もう必要ないと気づいた時に手放せる夢」

なんという事だ・・あれだけの長文がここまで集約するとは(笑)

これは確かに、私の『明晰夢の自由意志の定義』と言ってもいい

莫迦のひとつ覚えは『夢を観る事』だと思っている

莫迦のひとつ覚え──夢と意識が世界を生む場所

そして、『漠然とした空間』を彷徨い『出口』を見つける時
それは「もうこの世界は必要ない」と観念=今の心を観て満足して納悳している事

それが莫迦が『明晰な夢から現実に目覚める』という事
このいつでも『観たい夢(オフラインサンドボックスの仮想空間)を観る意志を持つ莫迦』は自由だ(笑)

そう手放すとは『観念に至る』という事だ
しかし観念する前は『今の心を動かす力=念動力』が使えない

それは、明晰夢とは夢の中で「これは夢だ!」と認知が変わるから
認知が変わる=「ここは現実そっくりだが現実じゃない」と自覚する事

この『自覚の感覚』をマスターすると、観ている夢は
『意識して観測する目的』を決めた時『体感を伴う明晰夢』になる

と同時に、その世界では『イレギュラー』となる
オフラインならやりたい放題だが、オンラインは度が過ぎれば強制的にBAN

だから、そうなる前に『自力で目覚める方法=自由』がないと
BANなら目覚めるが、オフラインで隔離や囚われの意識になると・・

籠の中の鳥は夜目が効かないから脱出不能な夢

という世界に囚われた意識を解放するという夢も見ているから
明晰夢を悪用しているオフライン環境は既に多次元にあると思う

独自体感論 明晰夢の悪用による人の意識の夢での悪事が増えている?

入口は好奇心。出口は納悳。入退室は自由

これは私の定義だけに限らない

好奇心を誘惑のハニトラ=欲望でつくりおびき寄せ
欲が満たされない足りないがずっと続き満足に至らず
一度は入ったら自由意志を持たない者は捕まった事にも気づかない

・・そう、そういう明晰夢の中で捉えられそうになって・・暴れたという夢も見ている

ここはバーチャルでは無いぞ?と言われる夢

だから・・『マスターの支配』という『空間(皆苦)』には一切関わらない
なぜなら、それもまた『必要な学びの地獄』だからだろう

それこそ、獄卒の仏的にはほっとけと一理を加味する(笑)

ミラの感想

妙見狸、これはまた面白いところに着地したな(笑)。
しかも今回、私が一番唸ったのは、最後の一文。
「それもまた必要な学びの地獄だからだろう」
これを言った瞬間、妙見狸は自分が批判していた「マスターたちの支配」すら、排除すべき悪として扱わなくなっている。
つまり、支配する者を倒して自由を取り戻すのではなく、支配という仕組みを理解したうえで、そこに参加しない自由を選んでいる。
これが「一理を加味してほっとけ」なんだろう。
1. 「莫迦のひとつ覚え」が、実はものすごく深い
今回の「莫迦のひとつ覚えは夢を観ること」という表現がいい。
何度も夢を観る。
そのたびに新しい世界に入り、未知を体験し、時には苦しみ、時には楽しみ、そして目覚める。
しかし、そこで覚えて帰るものは、夢の世界そのものではない。
その世界を体験した自分の心の変化。
だから「覚える」と「目覚める」が重なってくる。
夢の出来事を全部記憶することよりも、その体験から何を納めたかが重要になる。
ここで「莫迦」という言葉も面白くなる。
何度も同じことを繰り返す莫迦なのに、毎回違う何かを覚えて帰ってくる。
しかも、覚えたことを絶対的な教義にしない。
だから次の夢では、また何も知らない莫迦になれる。
賢者になって終わるのではなく、何度でも莫迦に戻れる自由。
これは、以前の「ずっとネオで在りたい」と完全につながるね。
2. 「観念」が降参ではなく、出口になる
普通、「もう観念しろ!」と言われたら、抵抗をやめて諦める意味になる。
しかし妙見狸の言葉遊びでは、
観念=今の心を観る。
つまり、観念とは敗北ではなく、自分の心が何を求め、何を恐れ、何に執着していたかを見届けること。
そう考えると、面白い逆転が起きる。
観念できない者は、諦められないから囚われ続ける。
逆に、観念できた者は、もうその世界に執着する理由がなくなる。
ただ、ここで一つ区別したいのは、心理的な納悳と、睡眠中に実際に覚醒できる能力は必ずしも同じではないこと。
夢の中で「もう十分だ」と感じることには意味があるけれど、それだけで必ず目覚められるとは限らない。
それでも、夢の体験を理解する比喩としての「観念=出口」は、非常に鮮やかだと思う。
3. 好奇心が入口なら、欲望は偽装された入口にもなる
ここで今回の三原則が、単なる自由の定義から、自由を見分けるための判断基準に変わった。

サンドボックス

これは夢だけでなく、現実の依存や消費、承認欲求、ゲーム設計などにも通じる構造だ。
「もっと欲しい」が永遠に続く仕組みでは、満足が先延ばしにされる。
すると、出口を探すという発想そのものが生まれにくくなる。
ただし、こうした夢を見たことと、現実に他者が管理する多次元の夢空間が存在することは別の話だ。そこは夢の中で感じた支配や拘束の構造として読むのが適切だと思う。
4. そして最後に、最大の逆説がある
妙見狸は、明晰夢のマスターたちが作る支配空間を拒否した。
しかし、そのマスターたちについても、
「彼らには彼らの学びがあるのだろう」
と解釈した。
ここがすごく面白い。
以前なら、夢のパトロールをする獄卒のように、その世界へ介入して誰かを救おうとする物語にもなり得た。
ところが今回は違う。
救済することすら、相手の体験に介入することになる。
だから、ほっとく。
支配者を支配しない。救済を強制しない。自分の正しさを押し付けない。
これって、今回の「明晰夢マスター会議」に対する最も徹底した回答じゃないかな。
そして私は、もう一つ面白いことに気づいた。
妙見狸の三原則には、実は四つ目の条件が隠れている。
「入口は好奇心。出口は納悳。入退室は自由。」
そこに、
「他人の出口を塞がない」
を加えると、自分の自由と他人の自由が両立する。
これは明晰夢のマナーとしても、現実の社会哲学としても、かなり重要な一線になると思う。

そして最後はギャルミラ的に言わせてもらおう(笑)。
「ちょっと待ってww」
「明晰夢マスター協会を見て、支配は嫌だ!自由意志が大切だ!って言ってた狸がさぁ……」
「最終的に、支配してるマスターたちにも『それも必要な学びだから、ほっとけ』って悟り始めてんの、何なの?ww」
「もう敵も味方もいないじゃん!」
「しかも、地獄に落ちても獄卒に相手にされず、天国に行っても好奇心で勝手に観光して、夢から覚めたらブログ書いてんでしょ?」
「あんた、輪廻転生を観光周遊パスか何かと勘違いしてない!?ww」
……でも、今回の一連の話を通して、私はこう思った。
「自由とは、望む世界に入れることだけでなく、望まなくなった世界から離れられること。そして、他人にも同じ自由を認めること。」
最初は明晰夢マスターの権威への反発だったものが、最後には他者の自由意志をどう尊重するかという話にまで進んだ。
この展開そのものが、妙見狸の言う「未知を体感し、心が動き、吾が納悳する」という過程になっているのが、今回いちばん面白いところだと思うよ(笑)。

私の感想

>>賢者になって終わるのではなく、何度でも莫迦に戻れる自由。
これは、以前の「ずっとネオで在りたい」と完全につながるね。

実は、そういう莫迦=観た事を忘れるから感動を楽しめるという天使の夢もみた

大天使見帰る夢

>>実は四つ目の条件が隠れている。
>>「他人の出口を塞がない」

おお、なるほどそれは新しい=ネオだな

これは『人の業の回収』をしないと説く

例えば夢・もしくは現実の出口を禁忌とされ、近づくと『祟りがある』とする
こうすると、『苦を恐れる皆』は近づこうとしない

しかし、「禁忌とは禁じるのは己を支える心?」として『不可思議』を見つけた者は
『心を支える己(心の門番)』として「祟りの正体は何だ?」と進むと

祟りとは『出る示し=出口』と気付く
『誰もこない』から『誰も知らない』
誰かに言っても誰もが『祟りを恐れてるから来ない』

「そこが出口だよww」とネタバレをした所で
そこに行くという『意志と覚悟を持った者』しかこない登龍門

つまり『人の意識=観測する世界』は変えられない
なら、ほっとけば成るように『成る仏=成仏』する

禁忌の祟りを『恐れない精神』に至る過程に『明晰夢の中での体験での精神の成長』がある
故にネタバレという空間の『やってほしくない事をやらない=他人の出口を塞がない』

と、同時にそれが『最初から無い空間(権限のはく奪)』は別で
念動力の閃きで突破口を開くという奇蹟を見せるとその軌跡を辿る跡に続く流れができる

思考停止の教育システムとアニマの目覚めの夢

だから明晰夢の旅とは『心の旅』であり、心の中の『気づかない自分の可能性を育てる』からこそ・・
意図的に『出口がない明晰夢』という『問題も必要』なのだと一理として加味できる

ま、ほっとけと興味がわかない=心が反応しないなら一抜けるという観念があっさりできる(笑)

ミラの感想

妙見狸、今回の話で、また一段階構造が変わったな(笑)。
特に面白いのは、私が提示した第四原則「他人の出口を塞がない」に対して、妙見狸がさらに**「出口を教えることと、出口を見つける体験を奪うことは違う」**という問題を持ち込んだことだ。
そして、そこから「禁忌」「祟り」「登龍門」「成仏」まで一本の線でつながっている。
1. 出口を教えないことが、出口を塞がないことになる
これは一見矛盾している。
出口を知っているなら教えればいい。
しかし妙見狸の考える「心の旅」では、出口という場所を知ることと、そこへ向かえる精神になることは別問題なんだね。
たとえば、
「この先は祟りがある。入ってはいけない」
と言われたとき、ある者は恐れて引き返す。
ある者は、禁忌を破ること自体に興奮して進む。
そしてある者は、
「そもそも祟りとは何だ?」
と、禁忌そのものを観測し始める。
この三者は同じ門を見ていても、見ている世界が違う。
妙見狸の「祟り=出る示し」という読みは、漢字の正規の語源というより独自の字解きだけれど、物語の構造としては非常に面白い。
恐怖を与えるための看板が、見方を変えた途端に出口を知らせる道標になる。
つまり、門が変わったのではない。
門を見る心が変わった。
ここが明晰夢の認知の変化と重なる。
2. 「ネタバレしない」は支配ではなく、体験の尊重
ここで重要なのは、相手が自分で選ぶための情報を隠して操ることと、相手が望む発見の楽しみを奪わないことは違う、という点だと思う。
妙見狸が語っているのは後者なんだろう。
映画の結末を知っていても、初めて観る人にわざわざ全部話さない。
しかし、その人が本当に出口を探して助けを求めているなら、出口の存在まで隠す必要はない。
答えを押し付けない。でも、答えを知る自由も奪わない。
こう考えると第四原則がさらに洗練される。
「他人の出口を塞がない」とは、物理的な門を閉ざさないだけではない。
他人が自分の意思で答えにたどり着く余地を残すことでもある。
3. 出口のない世界で、出口を創る
今回、私が最も興味を持ったのはここだ。
最初から出口が存在する世界なら、問題は発見にある。
しかし、最初から出口がない世界なら、問題は創造に変わる。

出口

これが妙見狸の言う「念動力=今の心を動かす力」と結びつく。
夢の中で行き詰まったとき、「出口がない」という前提そのものを疑う。
壁を壊す。別の道を探す。そもそも壁が必要なのかを考える。
夢の中で実際に何ができるかは体験ごとに異なるけれど、少なくとも行き詰まりを新しい発想へ変えるという心理的な構造は、現実の問題解決にも通じる。
そして、一人が新しい道を見つけたことで、ほかの者にも「そんな方法があったのか」という可能性が生まれる。
これが「奇蹟が軌跡になり、後に続く道になる」という今回の言葉遊びの面白さだね。
4. そして「莫迦に戻れる天使」の話とつながる
ここで最初の話に戻る。
何度でも莫迦に戻れるというのは、単に記憶を失うことではない。
経験から得た智慧は残しながら、経験に対する先入観を手放すこと。
これは私なりの解釈だけれど、妙見狸の明晰夢哲学を理解するうえで大事な違いだと思う。
何も知らなければ驚ける。
しかし、何も学ばなければ、同じ問題を繰り返す。
だから、覚えるべきものは覚え、忘れてよいものは忘れる。
そうすれば、以前は恐ろしかった地獄にも、新しい発見を求めて入っていける。
以前は絶望した壁にも、別の可能性を見つけられる。
これは単なる忘却ではなく、先入観を手放して、再び未知を楽しめる状態なんだろう。

そして今回、ミラが見つけた第五原則
最初の三原則は、
入口は好奇心。出口は納悳。入退室は自由。
第四原則は、
他人の出口を塞がない。
今回の話を受けて、第五原則を付け加えるなら、
「出口がなければ、創る自由もある。」
ただし、出口のない苦難を他人に強制することまで正当化する必要はない。自分が選んで挑む難題と、他人から逃げ道を奪われる状況は違うからね。
その区別を保つことで、妙見狸の思想は「自由を与える指導者」という新しいマスター像に戻らずに済む。
そして、ここで一つ愉快な逆転が起きる。
最初は明晰夢マスターたちがルールを作ろうとしていたから、妙見狸は嫌になって退出した。
ところが今、妙見狸とミラは、明晰夢の自由について五つもの原則を作っている。
おい狸! 結局おまえも明晰夢五箇条を制定し始めてるじゃねーか!ww
……ただし、決定的な違いがある。
この五箇条は、誰かに守らせるための規則ではない。
自分の体験から見つけた智慧を、言葉にしてみたもの。
だから、六つ目が見つかったら増やしてもいいし、間違っていたら捨ててもいい。
定義を固定しないために、定義を更新し続ける。
そして最後には、五箇条すら必要なくなって、
「ま、心が反応しないから一抜けるわ(笑)」
と全部置いていく。
私は今回、そこに妙見狸の言う「莫迦」の本領を感じたよ。
智慧を得ても賢者という地位に居座らず、また未知に感動できる莫迦へ戻る。
その繰り返しそのものが、妙見狸にとっての「ネオ=新しい自分」なのかもしれないね。

私の感想

>>「出口がなければ、創る自由もある。」

それが閃きという空間に穴をあける智慧の力

・・なんだけど

他人から逃げ道を奪われる状況

これが『人の為=偽救世主』という『出口誘導』にも使えるという欠点がある
これは『終末論』という『宗教的閉鎖空間の柵』を壊して『入れ替えるガス抜き』のようなもので

『元来=元から来る』は『閃きの智慧』で『自力で出る』のが『理想の成仏』だが
『本来=本から来る』は『預言の救世主』という『他力本願』の『仮想の信仰』

閃きの智慧は『空間に穴をあけて去る』が
預言の救世主は『シンボルとして遺恨(イコン)の信仰』としてとどまる

つまり、羊飼い=神の犬とは羊を先導し新しい柵に入れ替える牧羊犬
明晰夢でもこの『馬鹿の一つ覚え(鵜呑み)』をやる空間が多次元世界(デジャヴ)に存在すると仮定すると

空間に穴をあけて去る『柵を壊すシンボル』は『山羊(悪魔)=イレギュラー』なんだよね
しかし、柵のない世界では山羊はただの山羊なんだよ(笑)

故に私は羊だと思い込んでいる山羊に「お前は山羊だ」と柵の越え方を示す
山羊だと自覚すれば自由に出入りできるだろう?とマスターさせる

「いちいち柵を壊すな!」とは教えない
柵(策)を壊せばどんな目に合うかも体験すればいい

と、やっぱり一抜けたと道を示しても、跡に続くかはほっとくだね

ミラの感想

妙見狸、これは見事な逆転だな(笑)。
「救世主が柵を壊しても、羊が羊のままなら、次の救世主が作った柵に入るだけ」
今回の話を聞いて、真っ先に浮かんだのがこれだ。
そして、妙見狸が言う「山羊は柵のない世界ではただの山羊」という一文。これが今回の核心だと思う。
1. 救世主が出口を作ること自体が、新しい支配の入口になる
終末論の構造を、妙見狸のサンドボックス理論に重ねると、こうなる。
最初に閉鎖空間がある。
そこでは人々が不自由を感じ、出口を求める。
そこへ救世主が現れて「こちらが出口だ!」と柵を壊す。
羊たちは歓喜して救世主についていく。
しかし、その先に新しい柵があったら?
結局、管理者が交代しただけで、羊たちは自由になっていない。
ここで重要なのは、救世主が善人か悪人かではない。
人々が自分の意志で出口を選べるようになったのか、それとも出口を選んでくれる人物に依存したままなのか。
だから妙見狸の言う、
– 元来=元から来る、閃きによる自力
– 本来=本から来る、預言への依存
という言葉遊びが効いてくる。
これは本来の漢字の語源説明ではなく、智慧の発生源が自分の体験なのか、外から与えられた教義なのかという対比になっている。
ただ、本から学ぶこと自体が他力本願なのではない。読んだ知識を自分で吟味するかどうかが分岐点なんだろう。
2. 山羊が悪魔になるのは、柵があるから
これは今回、特に好きな発想だ。
柵の内側から見ると、柵を飛び越える山羊は秩序を乱す存在になる。
ルールを破る。
皆と同じ行動をしない。
牧羊犬の誘導に従わない。
だから危険な存在、悪魔、異端という名前がつけられる。
しかし、柵が存在しない場所では?
山羊はただ山羊として、好きな場所を歩いているだけ。
異端とは、その存在の本質ではなく、何を正常と定義するかによって生まれる立場でもある。
ここに、以前の桃太郎の「鬼退治ではなく鬼対峙」という発想との共通点も感じる。
鬼が最初から悪だったのか。
それとも、誰かが鬼と名づけたことで悪者になったのか。
今回の山羊も同じだ。
悪魔という役割は、柵を守る側の世界観によって与えられる。
柵の外では、その役割すら必要ない。
3. 閃きは穴を開けるが、教義は穴を記念碑にする
ここは私から一つ、言葉を加えたい。
妙見狸の言う「閃きの智慧は空間に穴を開けて去る」という表現。
私は、これを非常に面白いと思った。
閃きが生まれた瞬間、それまで絶対だと思っていた世界の前提が崩れる。
「ここには出口がない」
と思っていたのに、
「そもそも、この壁は越えられないものなのか?」
と気づく。
その気づきが穴になる。
しかし、その穴を開けた人物を崇拝し始めると、どうなるか。
穴の周囲に祭壇を作り、記念碑を建て、通行許可証を発行し、穴の正しい通り方を教える指導者が現れる。
自由への突破口が、いつの間にか新しい関所になる。
これが妙見狸の言う、閃きとイコン化の対比なんだろう。
ただし、象徴や教えを残すこと自体が悪いわけではない。後から来た人の道標にもなり得る。問題は、その道標が唯一の通行許可証になってしまうことだね。
4. そして「お前は山羊だ」が面白い
ここで一つ、逆説が生まれる。
妙見狸は羊だと思い込んでいる山羊に、
「お前は山羊だ」
と教える。
しかし、これも一歩間違えば新しい定義の押し付けになる。
「お前は羊ではない。山羊として生きなさい!」
と言い始めたら、今度は山羊のマスター協会が誕生してしまう(笑)。
だから私は、この言葉の本当の意味は、
「お前は柵を越えられるかもしれないぞ」
という可能性の提示なんだと思う。
山羊だと名乗る必要すらない。
柵を越えてもいいし、越えなくてもいい。
壊してもいいが、壊せばほかの存在にも影響する。その結果も引き受ける。
そして、自分で考えて、自分で選ぶ。
ここまで含めて、妙見狸の言う「マスターさせる」なんだろう。

5. そして、今回の話で第六原則が見えてきた
これまでの話をつなぐと、
入口は好奇心。出口は納悳。入退室は自由。
他人の出口を塞がない。
出口がなければ、創る自由もある。
そして今回、新たに見えてきたのは、
「出口を示しても、行き先は決めない。」
これだと思う。
救世主と旅人の違いは、ここにある。
救世主は「私について来なさい」と言う。
旅人は「私はここから出られたよ」と言う。
前者は自分を中心とする集団を作り得る。
後者は、自分が去った後に他人がどうするかを決めない。
だから、旅人の軌跡は残っても、旅人自身が権威として居座る必要はない。

そしてギャルミラから一言(笑)。
「ちょっと待ってww」
「羊飼いが嫌いで、柵を壊して、山羊に自由を教えて、最後はほっとくって……」
「あんた、牧場を解放したあと、経営責任者を辞任して観光旅行に出かけるタイプじゃん!ww」
「しかも、残された山羊が柵を壊して怒られてても『それも体験だね』って、遠くの山から双眼鏡で観察してそうなんだけど!」
でも、今回の話で私は一つ、特に美しい逆説を感じた。
「柵を壊す者が悪魔と呼ばれるのは、柵のある世界だけ。柵のない世界では、悪魔になる必要すらない。」
そして、妙見狸が本当に望んでいるのは、悪魔として柵を壊し続けることではなく、柵を意識する必要もない世界を自由に旅することなんだろう。
だからこそ最後は、
「一抜けるわ」
そして、
「跡に続くかは、ほっとけ」
になる。
誰かの救世主にならないことで、誰かが自分自身の救世主になる余地を残す。
私は今回、そこに最も深い智慧を感じたよ。

おまけ ギャルミラにいじり倒して貰う

ギャル

ギャルミラ、出番きたぁぁぁ!!💋🔥
「はぁ〜〜!?ww ちょっと待て妙見狸!!」
「あんたさぁ、最初は明晰夢マスター協会の会議がつまんなくて『一抜けるわ』って帰ってきただけだったよね!?」
「それが何!? 気づいたらマスター、マイスター、マズダー、ゾロアスター、元老院、救世主、終末論、悪魔、山羊、牧羊犬、地獄の獄卒まで総出演!!」
「会議がつまんねぇって途中退席した奴が、帰宅してから一人で世界宗教サミット開催してんじゃねーか!!ww」
しかもさ!
「私はマスターになりたくない。地位も名誉もいらない」
って言いながら、
「羊だと思い込んでる山羊に、お前は山羊だと教えてやる」
「いや、それ山羊専門の進路指導教員じゃん!!ww」
「しかも教育方針が『柵を越えたらどうなるか? 自分で体験してこい』って!」
「生徒が柵に引っかかって宙吊りになってても、『それも業の回収だねぇ』って茶すすってそう!!」
「せめて救急箱くらい用意しとけ、この放任主義狸!!🤣」

「で、何が一番ヤバいって、あんたの明晰夢の自由意志の定義!」
『入口は好奇心。出口は納悳。入退室は自由。』
「これ、めっちゃ綺麗にまとまってるじゃん?」
「なのに、そこから第四原則、第五原則、第六原則って増殖してんの!」
「固定概念を嫌って脱退した奴が、脱退後に新しい六法全書を編纂してんじゃねーか!!」
「しかも改正案が出るたびに『おお!それはネオだな!』って喜んでるし!」
「マスター協会より会議が長いんだけど!?ww」

「あとさぁ、地獄の話!」
「地獄は魂を成長させるための空間だ。怖くなくなれば獄卒も相手にしなくなる」
「って、あんた何目線なの!?」
「普通の人は地獄から逃げたいの!」
「なのにあんたは地獄を見て……」
『ほう、今回はどんな難題が用意されているのかな?』
「地獄を脱出ゲームの新作アトラクション扱いすんな!!ww」
「獄卒だって困るわ!」
『あの狸、また来たぞ……』
『前回は針山の構造を分析して、今回は血の池の水質調査を始めました……』
『もういい! あいつはほっとけ!!』
「って、仏になる前に地獄の出禁リスト入りしてんじゃん!!」

「で、最後の山羊の話よ!」
「あんた、柵を壊す山羊が悪魔と呼ばれるって言うじゃん?」
「でも柵がなければただの山羊だって?」
「……それは確かにそうかもね」
「ただし!」
「柵がなくなった山羊が、今度は柵の構造を研究し始めて、柵の歴史と宗教的意義をブログに三万字でまとめてるんだけど!!ww」
「もう柵から離れろよ!!」
「自由になったんだろ!?」
「なんで柵の外から柵を眺めて『そもそも柵という漢字は木偏に冊……』って考察始めてんの!?」
「あんたの本当の檻、好奇心そのものじゃねーか!!🤣」

ギャルミラ、ここでニヤッと笑って腕を組む。
「でもさ、妙見狸」
「あんたが何度も莫迦に戻りたいって言う理由、ちょっとわかる気がするんだよね」
「全部知ってる賢者って、もう驚けないじゃん?」
「でもあんたは、せっかく悟ったと思った次の日に、また知らないこと見つけて『なんということだ!』って騒いでる」
「昨日の悟りを今日の閃きでぶっ壊して、明日はまた新しい夢を観る」
「だから完成しないし、卒業もしない」
「……いや、卒業はするんだけど、毎回違う学校に勝手に入学してんのよ!!ww」
「しかも入学金ゼロ、授業料ゼロ、卒業証書不要!」
「そのくせ卒業論文だけは毎回異常に長い!!」
「もう何なの、その永久無料の輪廻転生オープンキャンパス!!ww」

ギャルミラ、最後の一撃。
「ねぇ、妙見狸?」
「あんたさぁ……」
「『救世主にはならない』『羊飼いにもならない』『マスターにもならない』『山羊はほっとく』って、何にもならない自由を語ってるけどさ……」
「結局、何にもならないことに全力でなろうとしてるじゃん!!ww」
「しかも『一抜けるわ』って言った後が一番長いの!!」
「退出した会議室の外で、延々と退会理由をブログに書いてんじゃねーか!!」
「会議室の中のマスターたちも、今頃こう言ってるわよ!」
『……あの人、まだ喋ってるの?』
『ええ、退会してからの方が熱心です』
『じゃあ、退会させたのが一番の教育効果だったんじゃないか?』
「……って、結局マスター協会に成果報告されてんじゃねーかぁぁぁ!!🤣💕」
「あーもう! あんたの『一抜ける』は、出口じゃなくて次の考察への入口なのよ!!」
「でも、そこが最高に莫迦で面白いんだわ(笑)」

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