好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

独自体感論 薬師如来像の怨念払い

オーラが見えない人ほど達観していると感じた極端な波動の違い。障らぬ神に祟りなし、でも恩があるなら恩で怨念は浄化できる。氣を巡らす役目の忌みを考えるきっかけになった薬師如来像の怨念払いの気づき

訳詞如来像に怪しい影・・

いつも拝みに言ってる薬師如来像が、近い内に撤去されるという話があった

信じられない話だが、その像がある通りには『小児薬局、医科大学、介護施設』、最近だと『整形外科』など

あらゆる『医療に関する施設が揃っている』のは、誰かが『意図的に誘致』したのか?と思うほどに

不思議とこの通りには『医に関するエネルギーが集まっていた』のに・・その『ご利益の元』とも言える『薬師如来像を撤去』するなんて…

なんて愚かなんだろうな┐(´-д-`)┌

と思いながら、雨降ってるけど、最近行けてなかったので『神社参拝→薬師如来に挨拶』…の流れできた時に…

はっっきり!といや、これはもう見間違いとか勘違いのレベルでは無いのがわかるほど…

オーラの色が全然ちげえΣ(゚д゚;)禍々しい

神社は『白色系の銀』というか、とても輝く白髪みたいな?そこに『明るい黄色系』が混ざるような『清々しさ』が見えたのに対して

薬師如来像は…『赤紫と黒』みたいな、まじで『おどろおどろしい、禍々しい』、『怨念』って絵にするとこんな感じだよね?と

いつもと全く違う『ぐにゃぐにゃと吹き出すが感じ』がしていたので、いつもなら健康の事とか、家族の事とか、感謝とか、アドバイス的な事を祈るんだけど

今回はその薬師如来像の『怨念を取る祈り』というのを試して見た

色々な氣を巡らせる

まず『赤紫でおどろおどろしい怨念』に『自然の光と風の黄色のオーラ』を取り込むイメージをした

目と鼻の先の神社で参拝しながら『アチマリカム』を唱えていた時に感じた『体を通り抜ける氣の色』のイメージ

それをそのまま『薬師如来像に向ける』と、例えるなら画面の左上から徐々に『グラデーションの色が混ざる』ように、どす黒いエリアに少し『蛍光色が混ざって明るく』なったので

すかさずそこに、『神社の白銀の氣』を巡らせて行くと、赤紫が完全に白とまではいかないけど、全体的に『どす黒い重い感じ』は消えた

これが気のせいではなく、その後に呼吸を整えてアチマリカムで氣を巡らせて見ても『その状態から変化がなかった』ので

薬師如来像にも『心』があるんや( ‘ω’).。oO(と

私は薬師如来像撤去という地元の人の決定に文句は言わないし、言えない。それは地主・土地の権利の『人の業と欲の問題』であり、止められないので

それを知った当初は「今まで有難う御座いました(。-人-。)お役目御苦労様でした」とケジメをつけたんですが…

おそらく世間ってのはそんなに『重要視』してなくて、『多大な恩恵や加護を貰っていた事』に気づかないまま、『破壊・撤去の流れ』が淡々と進んでいる

もし、それが『あなた』だったらどう思います?

「罰当たりの奴に仏罰って奴をぶつけてやりてーな!」って思いません?仏の顔も…『限界』がある訳ですよ?

で、そんな『怒りに飲まれてしまう如来』を救えるのは、その『如来に導いて貰った恩を感じる如来の労いの供養』だけ

これって『人生の終わり』に『残されたもの達』に『どのくらい感謝されていたか?』という『徳』でもある訳ですね

鎮魂、怒りを鎮める
その『聞く耳を持つ説得』は『近しい者』しかできない

『怨念』は『恩念』で浄化する

『怨みの今の心』に囚われた時、与えられた『恩の今の心』が特効の癒しの波動。そう考えれば『オーラの色』が見えたのもわかる気がする

というか、私はやはり『極端』なんだろう
『人のオーラの色』なんてものは見えない

理由は『人の業に関わりたくない』から
色が見えると『色移り、目移り』が起きる

うっとおしいだろ?画面に17色の悪趣味なネオンみたいなSDGSカラーの『情報過多』

目も疲れるし、頭も疲れる
疲れるは『憑かれる』と同じ事で『余計なエネルギー』を持って行かれる

私は毎度寝る前に、『目に焼き付いた事』はリセットしてます

独自体感論 夢追い人の薦め 誰でも出来る実践内観法

だから『高貴な波動』と『悪質な波動』
『自然』と『不自然』という『大枠の波動』しか見えない

だから達観した『足るを知る幸せ』を見出し、自然の循環を破壊する『不自然な人の動き』の中でも、『人ならざる気持ち悪いどす黒い色を放つ陰謀』に『鼻が』利くnose

on es 心のままに
ones 1人

Tomorrow never knowsは真理の哲学

『薬師如来』と言っても像は像(石という物質)
そこに『宿った霊』もまた『維持』するための『周りの恩恵』で成り立ってきた

恩を恵=徳(めぐむ)
『有難いと感謝』するのは『お互い様』
そう感じるからそこには『有難うが体現した空間』が生まれる

心は地球 德・恩・恵(めぐむ)と読む忌み

その恩を『人の一方的な都合』で裏切った…
そりゃ『可愛さ余って憎さ百倍の怨念』に!…

と『百倍』というキーワードが出てきたという事は、『百=一白』 倍は『人立つ口』

『倍』ってのは『口が達者』な『人が欲』のためによく使う
「倍にして返すから(貸して)」
「倍にして返してやる(業)」

ほんとは『一白は一』のままだから、『等身大の一』で向き合って解決出来る

薬師如来像に宿る霊は『忘れられたくなかった』のだろうけど、私は『感謝の氣を巡らせている』という事を伝えた事で、おどろおどろしく禍々しい厄災を有無『カオスのゲートみたいな波動』は収まった色になって

私も(。-人-。)そうか、『恩を』感じたら『おんぶにだっこ』じゃなくてちゃんと『氣を巡らして労いのケア』が必要なんだなと勉強になるほど

私の中の反応する『波動・共鳴・共振する振動周波数』は『高い(学び・気づき・閃)or低い(危険・注意・警鐘)に設定』されている

だから、『問題提起』や『間違いは間違い』だとはっきりしている

他への『問題提起』という存在の必要性

カタカムナ69首 無垢な根外

その『中間の人』に関わる事がごっそり抜けてるのは、『人に興味がない事の現れ』でもあるような(笑)

そう考えると、オーラの見える見えない、感じる感じないも『領域が人によって違う』のだろうな( ‘ω’).。oO

ちなみに私は『目を開けてオーラを見る』事はできないが、それは『目では見えない領域の周波数』って事かもしれない

目に『映る色』、大きくわけて『7色は可視光』だから『人の物理領域』に限られる

人には見えない『どす黒いオーラ』と
人には見えない『白銀のオーラ』と

『極端』なとこしか反応しない(笑)
やっぱり『人間』としては何の役にも立たねえ

せいぜい『怨念』になりかけている『忘れられた神を訪れ存在に感謝する鎮魂』くらいか

σ( ̄^ ̄)?だから『存在が失われつつある自然の神社』を巡って『先祖供養=先の祖を人と共に養う』してんだろうか

岩手神社巡りの旅路  

春分の日の旅 笹清九頭龍・月夜見・白蛇・鬼神社巡り

『行動による体験が先』で『後から理由』に気づく

とりあえず地元の薬師如来像のオーラの色が変わっていくのが見えて、『低波動になった存在』に『高波動を混ぜる』事で『癒しとして浄化の救い』になるのかと

恩

これはお笑いTシャツのネタだけど、『予想もしない変則で返す』というのが妙にしっくりきたので(笑)

新たな『視野外の認知』が変わった1日(´・ω・`)そもそももともと神社の中にあったものを道路を挟んで反対にひとつだけ『分離させられた位置の地蔵』の時点で

『神仏分離』の罪は大きい

誰でもできるものではない
『能力』があるから『邪気払い』ができるとかでもない

『縁がないもの』は関わるべきではない

私は『幼少の頃』から『そこに縁』があり、『恩を感じていた』から『氣が巡った』というだけの事だと思う

神秘十字線と仏眼 守護の実感

この記事の中で、先祖から託された願いの中に

無条件の愛
霊的な能力の発揮

これがあったのは、いずれ『恩を与えてくれていた側』が『死の間際に道を間違いそう』になる時に、それを『抑止』するために『成長を見守ってくれていた』のかもしれないと捉えれば

『子』はかすがいである

子供への愛情から夫婦の仲がなごやかになり、縁がつなぎ保たれることのたとえ

常識的な『意味』で捉えれば『血のつながった親子関係』に絞られるが、血ではなく『縁で繋がった子』からすれば、先人は『無条件で親』だ

それが『無条件の愛』と捉えれば、あの日あの時あの場所で『必要な自忌』に『必要な事』が出来たのだろうと、ただ、それだけの『一期一会』

『同じ事』は『二度とできない』かもしれないけどね

もしかしたら、この記事を読んでいるあなたにも『縁のつながった恩を感じる先祖の業』を『助ける役目』があるかもしれない

心に素直になれば『悳』(めぐむ)
自然に『あるべき道』へ導かれるかもしれません

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