好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

禁忌が示すは龍=流の解放に有り

ことわざが時空を超えて繋がった!桃は物事の始まり、木を隠すなら森、不自然な木に気づく世を憂う人=優秀な七賢は林を示し禁を見つけ、それを禁じる隠蔽は囲いで林を止める=歴、さぁ『大きな繰り』の『森』に隠された『木の下』が見えたかな?

禁忌とは

忌んで禁ずること。月日・方位・食物などについて、習俗として、きらって避けること

『有無』を言わさず、『理由』も語らず、『とにかく否定』というネガティブな何も意味が無いレッテルの情報

丑寅の方角には『鬼』がいる
丑寅の方角には『鬼門』がある
『北枕』はダメ
『敗』れたのは『北』=敗北
そっちには『背』を向ける=『北の月』

一つ一つは『迷信』のように聞いた事がある『習わし』だが、ここまで揃えば、これを『伝え広げた者達にとっての禁忌』とは

『北に意識を向けさせない為のルールの押し付け』であり、その『真実を知って隠している者たち』が与える『メタファー=隠喩』

だからその『本(台本・脚本・聖書)の隠されている1ページの部分を引用』した所で『本質』はわからない(都合のいい切り取り)

しかし、『部分部分のメタファー』を『パズルのように組み合わせて行く』と、上記のように『本質』がわかってくる

その本質が語る『禁忌』とは
『鬼と決めつけた者』『正体(真相)を知る必要は無い』

ただ『北を敵対視して攻撃対象』とする
その理由だけの『台本・脚本物語の部分引用』

子供を童話で洗脳する『桃太郎』

私はこの桃太郎が何故『桃』だったのか?
そして何故『鬼ヶ島』に行ったのか?

『真の禁忌』とは何だったのか『振り出し』から考えた

まず物語は川からドンブラコと大きな桃が…
ここが『エピソード1』として知られるが

真の『エピソード0』は
『誰』が『桃』を『どこから』流したか?

桃とは木の『兆(きざし)』

起ころうとする物事に関するきざし

桃は、原産地である『中国黄河流域の高原地帯』から6000年前には『日本に伝わっていた』とされている(どんぶらこ)

中国=かつては『国』ではない『アジア大陸から渡ってきた血筋』とした時、その出処はわからないが

桃=『内蔵が異常増殖して裏返った状態』=『蛭子(胞状奇胎と呼ばれる形を成さない胎児)』のメタファーであったのならそれは『蛭子=えびす=胡=夷』

胡とはペルシャの方にあった『胡国』
それは滅ぼされて今は亡き『故国』

その血筋は大陸を渡り『北へ住み着いた蝦夷』
笑み面とは『蝦夷面』

そう考えれば、『北の豪族と呼ばれた蝦夷』から、ドンブラコと『西南へと流れた忌み子』が

『鬼(敵)』と呼ぶ『丑寅討伐の先兵』として『洗脳育成』され、『同族(捕虜)を戦闘に投入する』というのも『姑息で卑劣な戦争の常套手段』

桃太郎が『メキメキと成長する』とは、元々持っている『鬼(蝦夷)のポテンシャル』が『頭角(才能)を表す』という事であり

ある意味で『周りとは違う自分のルーツを探す旅に出たい』という気持ちが生まれても不思議ではない

そこに『きびだんご』という『インセンティブ』で、『条件付き契約で傭兵・護衛』を雇い、『生まれ故郷』へと向かうと考えた場合

オチの捉え方は『二つ』に別れる

『北』で生まれたが『西南に洗脳』されて『同族を自らの手で討ち滅ぼして』しまい、『西南の思惑』通り、『丑寅の金神が溜め込んだ財産と土地の権利を簒奪』したが、『事の真相=出生の謎』を知る事がないので、めでたしめでたし

『北で生まれた』のだと知り、『敵』だと思っていた相手は実は『親・兄弟』と知って洗脳が解け、『正当な継承の権利として貰った財産』を持って

『世話になった人達への恩義』を感じて、「北の鬼は悪さをしないからもう大丈夫です」と帰って

北は北で安泰、南も南で安泰
お互い干渉しないでめでたしめでたし

これが『出生の秘密の真のオチ』と考えれば、『何を暗喩』しているかが見えてくる

『征夷大将軍』として任命され『東国を平定』して行った『坂上田村麻呂』は、攻め滅ぼされたはずの『東北でも人気』なのは、実は攻め滅ぼさずに『和解』をしたからと言える

地方にとって『血縁、血の結託』が最も重要視されるとした時、坂上田村麻呂の血統が『東北の血筋(蝦夷)の生まれ』だと『証明出来る何か』があったとすれば、『平和的な国譲り』のような事があってもおかしくはない

逆にその『血筋を利用した西南側の策略』として見れば、ノウハウはこうなる

当事者世代は『犬猿の仲』
その親の子は『蛙の子は蛙』
その蛙の子は『親の心、子知らず』

つまり、『敵側の血筋』を攫い『子』を産ませ、『三代目あたりのボンクラ』は『洗脳教育で利用可能』

血を混ぜる=『混血』すれば『国』を取れる

これが『真のエピソード』であり『桃太郎』というメタファーに隠された喩え

桃太郎主観の井の中の蛙大海を知らず『ハッピーエンド』と
桃太郎を利用した『真の黒幕の漁夫の利』

『血を洗浄する計画』を使うのは『中国』
『桃』が渡ってきたのも『中国』
木の『兆(きざし)』=『物事の変化』

そんな物事の変化の木を隠すなら『森』
森に『木が隠された』と気づくのは『林』

『禁』とは『林』を『示』す

『中国の林』と言えば、昔は『虎がいる竹林』が有名
虎とは『トーラ・原典、虎の巻』

『竹林の中に知恵』があるというメタファー
林の中の知恵とは『竹林の七賢』

竹林の七賢

竹林の七賢とは、3世紀の中国三国時代末期および晋代初期に老荘思想を主張し、清談を行った七人の思想家の総称である

世界の行く末を『憂いて集まる人』
人+憂う=『優しい・優秀な知恵もの』

その竹林の七賢を「夜な夜な酒盛りで盛り上がる馬鹿だから近づくな!」と『レッテル』を貼り

近づく事を『禁』じたのが、木を森に隠した『支配者』で、その思惑は気づかれたくない、掘り返して欲しくない

そう考えれば、何故、竹林の七賢が『そこに集まった』のか?世の中を『都合で変化させる邪な支配者』が『森』の中に埋めた『木の根元』に何があるか?その『隠蔽』を根っこの『根底からひっくり返す為』と考えれば辻褄が合う

現代的なメタファー(隠喩)で言うなら

『真実を追求する者』『薮』をつついて『蛇』を出し、『密林の奥』に封じられた『禁忌を解き明かそう』と深層に迫ると

アイツらは頭がおかしい
アイツらが言うのは全てデマ
アイツらを信じる奴は社会的信用を無くすぞ

と、『支配者もどき』が喚き散らしているのと同じで、結局、地位や名誉、置かれた社会的立場に『執着する者』は

世間を『憂いている人』
間違いに向かう流れを正そうとする『優しい人の気持ち』なんてわからない

それが一切皆苦の『仏』の立場

『皆』は『多数決』で大きな流れ=長いものに巻かれる=『蛇』を選ぶ

『大きな流れだから正しい』と思い込む
大蛇・大邪=一人+蛇、一人+邪

『皆』と言っても実は『一人一人の少数の選択』が『人』が『言』う『束の頁』=『信頼』に見えてるだけで、1本1本はか細い『藁』

だからこういう

溺れる者は藁をも掴む

『溺れる時点』で『流れ』に流されている
その『人の流』は『情報』で『捏造』出来る

そこに流れ等『無くても有る=空』のように魅せる『空想=思い込み』を用いる

メタファーで言うなら

『自然に起きる季節の変わり目の風邪』を利用して、『世界で蔓延している得体の知れない病気』といい『手の内ようが無い』と思い込ませ

みんな家から出るな
仕事も家でやるテレワークにしてZOOMしてお互いを見張れ!!
今までの対処法も効かないからやるな
下手な事しないで国のルールに従って黙ってろ!!

令和=命令に従って調和しろ=呪い

元号読み解き改定版in2022 令和と霊和=00=∞

真実は『何もしない』『国のルールに従わない』が正解だった

これが『邪な人の思惑の情報が捏造する流』
その流れは正に『人を虚仮』にしている

『虚ろ』で『仮』の『何者でもない存在』
『己の心を持たない者』に変えていく

だから『その流れ』を遮り、人を愚かに『虚仮にする邪な流れ』が『蒸して干上がる=陽上がる』まで

『厳=流れに流されない意志』となって『細石=強い流れに流される弱い者』を護る君が『代=世』の日本人の生き様

君が代再び 千代と八千代は治世と弥治世

それが『世を憂う人=優しい人』
『優しさに秀でた=優秀・有終の役目』

最後までしとげてりっぱな成果をあげること

世間の『造られた情報洗脳の人流』は見ずに、ただ『木の兆し=物事の変化』を隠した『森の中が怪しいと俺は思うんだ』

林を示す己の心=『禁忌』はそこに『真の流』があると見据えている

この林の奥の『木の根元の岩戸』をどかせば『陽上がって虚仮が蒸す』んじゃねーか?

『雨の岩戸』から『天照=陽上がるを解放』する
そう言うメタファー=隠喩

結論 禁忌とは流・龍を解放する事

全ては『流れ』を感じて、観て、咏む
世は夢の如く『世夢』

『先人の知恵のことわざ』のひとつひとつは、元の『原点・原典』からどの部分を『引用して生み出された知恵』なのか『本質』はわからない

その時代、その瞬間に『必要な部分抜粋』『必要な力』として広がった『流れの痕跡』であり、今となっては何のパズルのピースかわからなかったが…

『真相を追い求める』ことわざ
『深層を隠そうとする迷信』の誤魔化し

『相反する立場』の『両方の観点』から見ると
『凸凹のチグハグ』は『繋ぎ合う特徴』になる

『木』が生えた『森の薮』をつつけば『蛇』が出る
そこで逃げれば『やぶ蛇』で終わり

余計なことをしたがためにかえって悪い結果になる

だけど『蛇(工作・企)』を取り除いて、さらに『林』を進み『深層』に迫れば『虚仮・苔』が生えた『流れ』に気づく

その『水』は一体どこから?と追うと『流れを遮る岩戸』を見つける

これは『鬼(建築)』が『山の水源』を見つけて、『鉄砲水として圧力』を抜き、勢いが収まり、『渓流』となった流れを『山の麓へと流れを施工』する石切(意志切)

だから『天の岩戸』じゃなくて『雨の岩戸』だと感じた理由が二つ

それは1回、『大洪水のように溜まった水流の圧力を放出』して、その後、『雨降って地固まる』=『陽上がる=天照』ような

困難や悪いことなどがあったあとは、かえって物事がよりよく治まること

『雨の岩戸』を開くと思うもう一つの理由は、霊や靈はなぜ『雨冠』なのか?

例えば、『雨の下』に『三つ口』がありその『下に巫』がある構図は
『三柱』であり『三女神信仰』という基盤の大元が『雨・水・雫』という『流』である事

『三つの口の流れの出所』が『雨』とした場合
『雨の岩戸』を開くとは、『大元のさんずい=山水の流れを解き放つ』

もし仮にこれが『圧力が溜まりにたまった水』ならば『大洪水・鉄砲水、勢い』があふれ出す訳で、その『深層の真相の石・意志の封印』を解くのは『鬼の役目』であり、『心を鬼』にしないと出来ない

それは『己の心が弱い』とすぐに『長いもの=蛇』に巻かれたがる

「孤独は嫌だ…皆と一緒がいい」と・・

だけどその『逃げた先』が、『多数決の大人数』に見せかけて、『一人ずつ蛇の毒牙にかかる』だけで、溺れる者は藁をも掴む=『人』が『言う束の頁(言い分け)=信頼』にすがり着いた所で

その『大蛇=一人ずつ邪の流れ』からは逃れられない

皆という様に隠された白と比べての罠

と、このような『メタファー=隠喩』で最も大事なポイントは『流れ』です

流れとは『エネルギー』であり
エネルギーには『方向(指向性』があります

何も無い所に人が集まってくると、ロケットペンシルのように『最初の人は後ろから押されて進み』、後ろの人は凄い勢いで流れてるから、「これが正解だ!」とさらに集まって押し込みます

結果、最初に立っていた人は『踏み潰されてる』し、それを見て「戻れ!こっちは間違いだ!」とさらに後ろに伝えた所で『身動きも取れない』から『エネルギーの流れの結果』はもう見えてますね

比較

人流

これが『人流』という『流れのない所』に、『情報で人の流れを捏造する蛇・邪の工作』です

『人の情』を利用して『幸せに反する』

この『皆の中』にいては『身動き』取れませんよね?みんな『立場=俺が先!俺がここ!』を『主張・執着』した結果、『立場=順番』に『次の行先』が決まる

これが『己の心』が無い証拠
忌み=『レッテルの真』を見出してない

シンプル哲学 忌みを感じろ

『己の心』が無ければ『禁』は解けない
『禁忌』の先に『流・龍の解放』がある

竹林の七賢

…しかし、これは『メタファー=隠喩』である
そのまま『文字通り盲信』すると『間』違うよ?( ̄▽ ̄)ニヤリッ

『龍』が何故『禁忌の奥』にいるか?
そりゃ『竹林』って考えればいい

竹林に虎=トーラ・原典・虎の巻
『竹の奥』に流=龍=『籠(かご)』

籠の『加護』を与える『優しい人』は?
『竹藪』の中にいた『輝夜姫の行く末』を『憂いた竹取の翁』

『月』と繋がる『流れ=龍』がある
だから『月の暦』は止められ『歴』になった

『真相』は再び『深層』に隠され=隠喩
『新装回天』で新しく『神話を捏造』しました(*゚∀゚)アヒャヒャ

と『人流の邪な支配の歴史』はコロコロと変えられていくが、自然のありのままを追う『老荘思想』の者達、『真理の探求という流・龍を追うもの』は

自ずと『禁忌』に気づき、『自ら龍』となる『水の流れ』を生み出す『瀧・多岐』の登龍門

自ら(水)龍(流)になる瀧

その『一粒の雨の雫』のような『流れの始まり』が『一切皆苦』を感じつつも『知らぬがほっとけ』と

『我が道』を行く『仏道』

その『ひとつひとつの多岐の流れ』がいずれ『真の流れの本流に合流』する

『老子』の教えも『壮子』の教えも、『朱熹』の教えも時代を超えて生み出されている『同じパズルのピース』

朱に交われば赤くなる…盲信すると韓の思う壷

霊迎雀宿 第十夜 倒れるまで道無き未知のタオの道楽と禁と恕

『龍』にならなきゃ『流』は解放出来ないが、その『龍に至る過程』に『竹林=竹の加護』の心がある

世を憂う人、『優しさ』が必要だ
優秀とは『優しさが秀でる事』と言える

そうなると『欲』があると『自然の龍は離れる』だろう

欲があると人の作った『人混みの流れ』の中で『立場や権力』を求めて『藁を掴んで溺れて藻掻く事』になるから不自然

逆に「やりたい人にはやらせてやればいい」と『譲るような共感覚=エンパス』であるほど、『自我(欲)を満たす流れ』から離れて、その『人の情報の流れ』ではなく『自然の流れ(あるがまま)』に身を置く事になる

これが『龍と一体化』する=『龍に乗る』
『籠』の『加護』に『運ばれる命』=『運命を選択』する事

運命は『逃れられない』
運命は『逆らえない』
運命は『変えるものだ』

…冒頭で書いた『都合のいい支配者のルールの押し付け』を思い出してください

それを『自我が欲を満たす為のルールの押し付け』に変えてみましょう

『運命という流れ』は、それら『求める業欲を全て満たした後』の『最後の必然の選択』

だから欲が全て無くなった
自我を手放し『さよなら人類』

という意識のステージに至った時、始めて『運命に自然に気づく』

それって『今も昔』も、『夢の向こうの常世』でも、どこに行っても変わらない、『意識が観測している自分の生き様』なんですよ

『優しい人』はどこに行っても『優しい』し、どこに行っても『人を憂いて』しまう訳で

それは『陰り』に対して『秀でる=陽い出る能力』
『陰陽のバランスを取る選択=安定』『探す力=探究心』

だからどこかに『真の流=龍』『封印=隠蔽』されていたら、その『見ず(否定・拒絶)の流れ』を辿って『龍を解放』するために

禁忌=『林を示す己の心』に素直に『悳を積む宿業を果たす運命』『納悳』する

そんな『竹』と『龍』=流れに護られた『加護』
『運ぶ』は『ツキ』=月の導き

『月詠=預言者』を失った古事記(遺恨)
『月世見=預言者が護られた』北国(イコン)

丑寅の方角には『鬼』がいて『鬼門』がある
ただその鬼を『敵・化物』と観るか?『優しさに秀でた存在』と見るか?

『レッテルという禁忌』の奥の『雨の岩戸』を開いて『鉄砲水の大洪水』『真の龍の流れ』を解放する…

あ、『鉄砲水の大洪水』というのもメタファー=隠喩だから、『災害』という意味ではなく、それを『隠蔽』して『誤魔化し』て『人を遠ざけて』、『ひた隠す事に結託したもの達』にとって

突然、『結界が決壊』して怒涛の如く『抗えない大きな流れ』によって『押し流される』だろうという忌み

って説明すると『野暮』だから

メタファー=隠喩して伝える
その方が『自力で解った時に面白い』からね

そう言う事か!(気づき)=祖云う事だ!(発端)
『始まりに気づく』『流れの因果の完結』まで全てが『運命』だったのだと『納悳』する

龍=繋がり=過程
『二つ点』が無ければ生まれない『線』

龍を解放するとは、『今まで見えなかった線』が『見得る=見て得る』という事

『精神を否定』する人は、『目で見た現物』しか信じない
ならば『目の前』に『見得』たら?

今まで『隠されてきた情報』が見得たら?新たな点と点が『今までと違う線』になる。それは『信じてきた物が嘘』だったら、今まで『繋いできた点』が消えて『線』が消える

繋がり=流れ=龍が途絶える

『人の為』の流れとは『偽』の流れ
そこに『自然の龍』は無い

だから『新たな点』が出てきたからと言って、それを『別の点と結びつける』のも『間違った流れに載せられる情報洗脳』でもある

じゃ、どーするか?なんて質問する他力本願の奴は
知らんほっとけ

たとえどんな点の情報であれ、それは『真相を隠した深層』から『遠ざける為の手段(陽動)』に過ぎない

禁忌は林を示す
そこに『流れ=龍』を感じる『己の心』以外必要ない

真我以外色即是空

私は幼少より、『ことわざや四字熟語(言霊)が好き=求める業』があった、その『業を回収して拾い集めてきた』から、『納悳』するために『改修している過程』で『流=龍』に気づいた

『龍が命運の球を握る描写』自体が、繋がりや縁、生き様の行く末は『流れ』であると示したメタファー
龍の逆鱗に触れる=逆なでするとは、『流れに逆らう』という事
龍は『ありのまま=自然』を繋ぐ、その『繋がりを邪魔』するのは『不自然』

全ては『言霊・靈』の『メタファー=隠喩』
言うアメノミナカヌシ(口三つ)の巫(神降ろし)

一切皆苦=1切皆9 十分からの分離とミナカヌシ(AI)の真理

『納悳』とは『解放』=『凝り固まった概念のカタチ=岩戸』が崩れ、『新たな解釈は瀧・多岐=流派・派生にわたる可能性』が産まれ、それぞれ行きつく先は崖から『空を舞う龍』になる過程=登龍門

まさに流れにまかせて『道なき道がタオ』という生き方(老子)
そうなったら何者でもない『流れもの=意識』になる

上昇してマスターキーを受け取る夢

感覚的量子論5 質量を持つ事を選んだ素粒子=意識

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