運子、米田共、人が更に便利に…執着・吸着する宿便、それがなければダメという依存症、それしか出来ないと思い込む認知症なお話
うんことべんとくそ
なんで便というのか?
なんでうんこ・うんちというのか?
どうしてうんが良いと言うのか?
どうしてくそと言うのか?
考えた事も無いだろう
これも常識の思い込みで物質の名称で思考停止しているから『名付け』と『認知症』に氣が巡らない
『運』がつく
『運気』が上がる
『運の流れ』がいい
『運子』説
これはこれで、昔から
うんこの切れがいい『快便=快調』
気分がいい(´∀`)という『運気を運ぶ』
うんこの『色・カタチ・臭い』は健康のバロメーター
ケツから生み出す=『運子』
地に出す=『運地』
こう考えるとしっくりくるだろう
便というのは『人』が『更』に便り
自然農法における便を用いた『肥料』
人から出た『便の再利用』という『頼り』
今の自然に還らない『人工化合物や化学調味料まみれの排泄』と違って、昔は『食材が自然天然のもの』だから、人の身体の中が『自然環境と同じ』で、『様々な自然の菌が行き来する共存サイクル』ができていた
そりゃ『人』が『更』に『便り・頼り』になる。『人の体』を通してでしかできない『消化』による『自然界への肥料の変換』
『人間の身体の機能』を使った『錬菌釜』
元々、『人は自然と共存関係にあった』という『表現の言葉』ではないのか?という
もちろん、今の『毒まみれの食生活』ではもはやそれはできないが…
糞・くそ・ふん
米田共
これそのものが『役割』を『一言』で完結している
運を運ぶ子の『運子』を地に生み出して『運地』
人は更にそれを『便』利に『米田共』に『肥料』に使った
それが『自然と人の共存』だった
快便・快調の戸愚呂巻の一本絞り
『宿便』なんてなかったんだよ
『変な異物混入』して『癌』が生まれるまで
宿便と依存症と認知症と癌
何かに『依存』し始めるとその『波動』が変わる
そのハマるきっかけというのは『自律神経がしっかり機能』してないと気づかない
『精神的な感応』の部分で『エゴが依存』を求める動き
肉体的な意味で例えるなら、それは免疫が押さえ込んでいた『隔離したウイルスが活性化』するのと同じ
そう言う意味では『エゴ』とは『癌と同じ』で、始まりは『小さな浸潤がん』で最後は『奇形』に凝り固まる
きっかけは『些細な傷』から
それが『繰り返し』て『元に戻らない』で
その『元に戻らない状態に適応』してしまう
原因は『そう言う業を繰り返す生活習慣』を見直さない『自業自得』
これは『依存症』と変わらないし、認知症=出来ることはできるが『新しい状況に適応できない』とも同じ事
エゴ=依存症・認知症・癌細胞
共通点は『執着・粘着・横着・吸着』
これが発生した時、だいたい…
『宿便』が溜まってるんよʅ(´⊙ω⊙`)ʃ不思議
大腸癌の原因は『粘着・吸着した宿便』から発生している『猛毒』なんだけど、それもまた生き物のように『身体の波動が変わる』と『勝手に出ていくような動き』をする
で、宿便が全て出来ってしまうと、これまた不思議な事に、『執着していた何か』に急に『興味が無くなったり』するʅ(´⊙ω⊙`)ʃ
これが『業を手放す』という事でもある
凝り固まった『大腸癌の拠点の崩壊』
吸着・執着した『共依存環境の解消』
『思い込みの認知』が取れて『新しい事』を覚えられる
だから『古いエゴ』は手放せ
エゴはどうやっても生まれる
『エゴ』がなければ『人は生きて行けない』から
どうせ『エゴ』はまた『積み重ねる事』になる
それがなければダメという『依存症』
依存した事しか出来ない『認知症』
何故か『宿便が出ていく』と『何かしらの依存症が解消』される
『人間関係』だったり、ずっと『執着していた些細な事』だったり
『凝り固まった思考停止の原因』が一部開放される
くそくらえ( ´∀`)σお返しだ
最近の研究では健康な人のくその一部を食べる事で病気を治す治療法も発見されているとか
そもそも健康な体になってみたらわかるけど、臭いにおいがしなくなる
ま、要は昔の人が糞・便(※これは私の当て字:運子・運地)の漢字に込められた忌みは
自然と人の氣綱の『役割と効果』として読みとける
もちろん、現代は『その考え方に回帰』する事はもはや難しい
それはアダムとイプが羞恥心を覚えて股間と胸を隠したように
今更、糞を食え(関節的に肥料)というのにも抵抗があるし、そもそも昔と人体の中身が違うのでもはや無理
だから、便は健康のバロメーター、自然に戻しても『臭いも害もなく肥になるような糞便』を出せる人間になりたいものですね ← なんのこっちゃ
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