地の心、重きにありbyオンモラキ→法華経の修行サボるな!の戒めかと思いきや、その前に来ていた神無名=神は名乗らない、無と化す雲の龍に繋がるカタカムナと習合的自意識
寝起き閃 組み合わせる?
合 \( ˙꒳˙˙꒳˙)/ 体 Σ(゚д゚;)
先日、オンモラキの話をしました
これは仏教の修行をサボる僧の前に現れる怪鳥という姿に化けた死霊と学び
あぁ、取り憑いた先祖供養
『鳥居』くぐってつけて来た『先の祖の想いを共に養う事』を怠ってましたと自己反省して、呼吸瞑想でより深く内観しながら眠りに着いた今朝
オンモラキは『私(自我)がそう感じた』からそういう『受け止め方の想像』で繋がったポイントで実は意味的にはもうひとつの
『地の心、重きにあり』のメッセージ
これが重要な鍵だった
というのもその前に来ていたこちらの気づき
神は名乗らない=神無名=カムナ
この名のない、名を持たない神
『仮名』を名乗る神=自分が『地の心、主き』にあり
そして自分に分ける前の『真』の状態
それが神無名=カムナ
故に
地の心、重きにありなら
『天』の心、『軽き』にありとしてみる
天とは何か?それも先に来ていたので今更考えるまでもなかった
天=一大=一人
¥=二Y=二次元
羊=三Y=三次元
『観測者』という『片神無名』と
『仮想体験』という『片仮名』
これは『同一』である
単に『片方に主きを置く意識』が片神無名
これが先祖供養=先の祖達から寝起き閃で学んできた事を共に養う事=『習合意識』
それを『三次元の仮想』の中でさらに『下層のVR遊びに夢中』になって遊んでる私にオンモラキ
サボるな(`Д´)ノ)罒`)
ちゃんと向き合えば
合 \( ˙꒳˙˙꒳˙)/ 体
複数回の夢体験
複数回の意識転生
複数回の人生(一日一生)
これらバラバラに『先に来てた学び』が全て『意識したら習合してひとつ』になったから思った(´-`)oO
集合的無意識の囚われの間違い
集合的無意識とは
ユングの用語。 個人の経験による無意識より深く、同じ種族や民族あるいは人類などに共通して伝えられている無意識
うん(´^p^`)ユングの時代にその『傾向』はまだ『片鱗』だったんだろう。世間的には人類などに共通して伝えられている『無意識の方を重視』している傾向がある
ま、統計とかデータとか、『気を引く吸う字の多数決の分母』で判断してるからそうなると思うのも先に来てた
合 \( ˙꒳˙˙꒳˙)/ 体
その理由はほとんどの人が『自分の内面』と向き合っておらず『与えられた集団的な共通事項のプログラム』に従っているように見えるから
コロナの『ワクチン接種への迎合の異常さ』
『22:78の割合』がはっきりと目に見えた瞬間
あの時、『個人の目的を持つ意識がある魂存在』と『目的なきプログラム、あるいは亡者(目的を失い魂売って命令に従う)集団』がはっきり感じた
集合的無意識というのは
『78に属する人類』の深層意識プログラム
言うなれば『新OS(オペレーションシステム)』を受け入れた
なんでかって?ギブアップ(降参)してSOS出したから
Save Our Ship
『護って欲しい船』とはなんだろうか?それが『魂』ならば、魂は既に他に行った後の『主導権はダミーシステム』に変わる
また『SOS』をシンボリズムで見ると
『2匹の蛇』に囲まれた『卵』
『善悪二元論』の『間』
卵から『自力で目覚められない』から
ここから出して!と諦めた
そういう『サポートシステムを使って離れる事』を「魂を売った裏切り者!!」と攻めた所で仕方ないし、その後はもはや似て非なる『魂のないダミー』
地の心、重きにあり
主を失った思い込みの重いコミット(契約)
人類とは『人下無』を受け入れる『集合的無意識』
人間とはこんなものさ ←という悟ったような事を云う人がいるが、『みんな間違いを侵す』と自分を『自分だけじゃないと自己防衛』して『言い訳する傾向』がある
『その場を凌ぐ』だけの『嘘で身を固めて』やり過ごし、より『重く凝り固まって』行く。『集合的無意識の誰か』がそれをして『身を守る手段として有効』と見るや否や『みんながそれを模倣』する
例えば、最近こんな変化を目にした
『政治家が4000万脱税をした』とメディアが報じれば「4000万までは民間も脱税しても脱税にならないんだろ?」
と声高らかに周りに『わざと聞こえて煽るようにSNSで発言する者』が現れると、それを多くが『引用して発言』する、そのうち『行動として発現』し始め、ひとつの『ルール破りの悪い例』を
みんなが『集合的に無意識に模倣』する事になるが、それはどこまで行っても
22:78になる
その22は『習合的自意識』と言うべきだろう
習合的自意識とは
これは私の完全なる『造語と感覚論』だがその『78の集団』に明らかに『自分』は属していない
その考え方には合わない=間違い=『間』が違う
という事は、その瞬間から『78が創り出した世界・次元・物質・ルール・常識・概念』が
『色即是空』になる
人生色々、ただの『色』
色の言霊は 伝わる現象空間
目に見える物質とは『光子の反射のスペクトラム(光の波=波動・周波数)』
空とは『有無』である
『有る』と思えば『有る』し
『無い』と思えば『無い』
全てが揃った『真空』
ならば私という『真』はどこに?
と、真から『分かれた』のが『今の自分という意識』ならば同様に『分かれた自分の欠片』があるはずだから、それを探そう!…と自覚しなくても
心が求める『心地よい』と感じる物・事・人・音・味・匂い
あらゆる『感覚のセンサー』で見つけて『習合』して『好き』を取り入れて『自らひとつの意識』として
『意識のスケールを拡大』させて行くと『何も知らなかった頃の自分(他人)』を見下ろして、手を差し伸べたり、励ましたり、導いたり、様々なアプローチで『悩みを解消して助けられる存在』になる
それは『ハイヤーセルフ・アセンデッドマスター』という自分が『共に養おうと誘ってる』のと変わらない
『本来の自分』がまだ『そこまで至っていなかった自分』に気づきの『学びを与えて成長させる』という
習合的自意識
だから私は『気になる先祖供養』こそが、自らの欠片=好き=元々一部だった『導線』になり、それは『真の自分へと辿るルーツ』でもあると感じる
その過程で、私の場合は
日蓮に惹かれ
空海に惹かれ
法華経に導かれ
そのルーツの高麗や高句麗へ導かれ
それらが『法華経の原典の旅』だったと気づいたら、実はそれを導いていたのは地元の神社の祠の『法華経の守護龍』だったと気づいたら
そもそも、この『地元の神社が好きだった自分』という『幼き少年時代まで』がひとつなぎとなり・・『夢見の力』すらこの『好きの空間から授かった』のか?
と『逆算』して『昨日の事』のように『瞬時に氣が巡る』のも、『それぞれの時代を生きている私の意識』が過去や未来という『区切りのない今という瞬間』に『同時に存在』しているから
かつての私はこうだった…
と記憶を辿る時『既に主観』だから
その時の『名前』など気にもしない
だから神無名
ひとつの『記憶の空間』に意識を向ける時
神無名は『仮の名』を与えて分ける
それが『片神無名』
だからなのかな?
カタカムナは『カタカナ』と変化した
片仮名・かな文字はどうして
平仮名で読みが『がな』なのかな?
ほんとは神名→神ダロ?(笑)
それは『神』を隠すために『仮』にしたのかな?仮と書いて、人に反する、人が反する
どうして…
かた『かな』で
ひら『がな』なんだろう?
こういう『誰も気にしない所』で『言霊の封印の神隠し』が行われている事に気づくのは…あ、そうかこれも先に来てた『閃きのメッセージ』が無駄にならない
合 \( ˙꒳˙˙꒳˙)/ 体
問題を問題として捉える
気になる所、『奇遇で奇妙』と感じる所
それはつまり『縁』がある所
私はカタカムナ69首で出てきた『カムナホビ』という言葉と役目にどうも『シンパシーが強い』ようで
役目は『流れを直す事』
言霊は力が広がり核から引き離す内なる根源
澱んだ混沌から『清流』を生み出して『本流へと繋げて流れを復活』させる
だから力の源である神=言霊は力の実態
それは心・真にあり、それと向き合う事で
縁が有るもの無いもの
元々自分の一部だったもの
それらがどんどん引き寄せ、引きより叶い始める『シンクロニシティを実感』するだろう
…が!(´^p^`)Σ(゚д゚;)
それをする為には色即是空
=集合的無意識の社会から意識がでなければいけない
それは『逃げる』とかではないし、『口で宣言』するとかでもないし、「周りが間違っている!!」とか『指摘して正す事』でもない
…これも先に来てた体感と残した言葉で
エゴイズム・エゴイスト上等!
それが好きならやるだけやるしかない
もうこれ以上やっても意味が無い所まで
自分でもう満足するまで終われない
やめられない止まらないカッパえびせん(•Ӫ•)
だからやりたい事やりゃええんじゃ
己を知れ〜
その結果、周りの出来事に反応しない
『欲して求めない』のなら
それはもう、経験済みで興味が無い
興味が湧かないという事は『縁はない』
縁が無い事を嘆くのは『世間的な繋がり』ばかり気にしている『78の人』
縁が無い=それはもう『習合済みの自意識』として回収する業=そこに『学ぶ授業』が無い
だから周りに合わせてもなんか『詰まらない』し、やり始めで『飽きて』くる・・そりゃそうだ、『忘れてる』だけで、それはもう『飽きるほどやってる事』だと感じるから
『22』の人達の違いはここにある
欲望に飲まれる業がないからこそ
やっと心から自分と向き合えるようになる
私が言ってる感覚論はそんな感じ
なう(2024/02/02 09:36:44)
ちょうど書き終えた時間
9次元の弥勒(36)の師志(44)
…なるほどな〜
この『記事を完成』させる為に、ここで紹介した『複数記事が生まれる体験』が先にあった訳だ
その都度、『一日一生』で、その記事を生み出す為の『体験と気づきに思考の試行の人生』を終えて、『授記』として授けられた『過去世の一生を終えた私』がそれを『引き継いだ』とて…その段階では
『これは今必要か?』とパズルのひとかけらを『自我が判断』してお蔵入り
=先祖供養してない→その『先祖は私』
この繰り返しで『私が私にオンモラキ』→サボるな!
(。-人-。)すいませんと『私に謝る私』
心を入れ替えて『一生を終えた私と向き合う私』
『そんな今の私』から生まれた
『習合的自意識の合体記事』
私は渡し=一時的な役割
流れ=龍のひとつでしかない
それがこの『神無名』の気づき
そんな私は『片神無名=分霊(わけみたま)』
『元』がなんだったか
『名前=名の前』は実はどうでもいい名無し
『主観』から見れば『客観の片仮名』
『プレイヤー』が決めた『キャラクター名』に過ぎない
しかし、『キャラクター名』に
『名は体を表すカタカムナの使命』がつく
『神は無名』だがその『化身のあなたの名』は重要だ
君の名(使命・宿業)は?
集合的無意識の78の身=悩み・名闇ではなく
習合的自意識の22の心=謹んで
承りくだされ
『受け』『魂』『割』下され=御魂分け→形割き片神無名
だから、雲の龍に乗った人=龍人だったのかという『今昔物語』な夢が先に来てたと納得
LEAVE A REPLY