好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

独自体感論 ビデオアイ(映像記憶)トレーニング法

体感が先で理論後付け。チャクラ頼りに目を瞑って歩いてみたら、無意識にビデオアイ習得トレーニングをしていた!ついでに肉体の疲れは視覚からくるという事に気づく

夜道を目を瞑って歩く実験

いつもは近所のコンビニまでも車を使うのだけど、なんとなくな気分で今日は歩いていこう~と無意識に歩き出した時に、なぜか「目を瞑ってどこまでまっすぐ歩けるかな~」と思い付きの実験をしてみた

目を瞑って歩くってこんなにも怖いのか(;゚Д゚) Σ(・ω・ノ)ノ!

自分ではまっすぐ道路の中央を歩いてるつもりがいつの間にか脇にそれてる!?いや、普通に考えれば当たり前の事・・と常識的に捉えないで

もしかして?と思ってチャンレジしたのがチャクラを意志氣した歩き方

第1と第7チャクラでオートバランスを発動させてみた

第1と第7チャクラに意志氣を回すと人間は不思議なもので体幹の軸がぶれなくなる事をわかっていたので、呼吸を整えて常にチャクラを意志氣して歩き始める

最初は1mくらい歩いて目を開けてまっすぐ進んでる事を確認。徐々に3m、5mと伸ばしてもまっすぐ進むようになった

なるほど、目を瞑っても体幹の軸がぶれてなければまっすぐ歩く事は可能のようだ

ただ・・どのくらい歩いたのか距離感は正確ではない

そこで第一~第七に意志氣を回しつつ、周囲の状況を察知するために耳にも意識してみた結果、反響音で周囲の状況が少しわかった

側面にブロック塀などがある場所では、足音の反響音がでかく、その音が反響する障害物がない開けた空間では音がしなくなった

これは目の見えない人が舌打ちの音を利用して周囲を感知するクリック音というテクニックと同じで、私は自分の足音でそれを検知し、目を閉じていても耳に集中している時はそれがはっきりわかったが・・

反響音に対して耳に意識しすぎると、チャクラへの意志氣が途切れ、体幹が崩れ、今の自分の姿勢がわからなくなる。いうなれば、全体のカタチがわからなくなるため、自分が耳しかない存在のようなものだ(極論で言えば)

かといって動きを止めると周囲の音を検知する耳にも何も聞こえなくなる。動かなければ音がでない=音がなければそこには何も無い有るかもという状況が無限に続く

まるで可能性の量子の世界だ

そこで、思ったのが耳って第六チャクラの高さだよな?という事

もしかして耳を意識するというのは、第六チャクラを意志氣してるのと変わらない?と思ったので、全てバランスよく複合して意志氣してみたらどうだろう?と試してみた

第一・第六(耳)・第七チャクラを複合して意志氣

耳に意志氣し過ぎると、体の全体のカタチを見失うため、まずは第一と第七チャクラを意志氣して、体全体のカタチの把握とオートバランスで体幹がキープする

その状態でまっすぐ歩きだすと、音が発生し、その反響を第六チャクラの耳を意志氣してキープする。これによって、障害物がある所では、目を瞑っても距離感がわかるようになってきた(まだ完璧とはいえないけど)

徐々に側面のブロック塀に近づいてる感覚もわかり、衝突手前で止まる事もできたが、電柱やミラーなど、反響部位が少ない物の検知は直前にならないとわからない

おまけにちょっとした高さの違う段差が現れるとスコーン!(;゚Д゚)ウワァァアとびっくりしてしまう。そこに在るはずと思っていた物がない人間は不安(不安定)になる

例えるなら階段の最後の一段空振り現象と同じ(笑)

そこで、常に一定の姿勢のキープではなく、膝を少し軽く曲げ、衝撃吸収を可能にした歩き方に切り替える

例えるならロボットのアシモウォークや能などで使われる、そろりそろり・・のように膝を柔らかく、尚且つ体幹を維持した歩き方

アシモ

するとちょっとした高さの違う段差や地面の傾きなども、感覚でわかるようになりその感覚に柔軟に対応できる事に気づいた

ただ今度は、接触面の段差や側面からの距離の検知に対しては安定したが、正面の距離感がわからない。正面は進む方向であり、開けている状態のため、反響音はない

逆に言えば反響音がない方向へ歩けば正面・・と思い込むのはとても危険で方向転換した時に正面を見失ってしまう事になる

その頃には目的のコンビニについてたので買い物を済ませた後
さてどうしたものか(;´・ω・)良い感じなのに・・と考えていて気付いた

第六チャクラの正面を意志氣してみよう

各チャクラの部位には体の表面から離れた部分・体表・中心・背中の4つのルートがあるらしく(なんとなく独自体感で理解)耳に意志氣を向けるのは、第六チャクラの中心(松果体)に近い感覚で、普段の呼吸瞑想の時はそこに意志氣すると耳鳴りがする(それが意志氣できてる指標)

そこで第六チャクラの体表部分である眉間の中心(いわゆる第三の目)に意志氣を向けてみる

方法としては、進む方向と距離を一回目視した後に目を閉じて、その映像を第三の目でプレビューしながら動きに合わせて流れるように再生する感じ

映像付きルートナビに合わせて、第1・第7チャクラを意志氣しながら体幹を保ち、まっすぐ歩くように自分の体をコントロールする

これから進む道を一瞬映像に焼き付けるのは簡単だが、その静止画を動きに合わせてコマ送り動画として再生するのは難しい。一歩進んだら、第三の目で再生中の映像も一歩分再生する

これで最初は10歩、5m、10mと行ってみると、行きよりも帰りは結構な距離を目を瞑って歩く事ができた

ただこれは周りに人もいない静かな夜間だからこそできているが、大勢の人が行きかい、様々な周囲の音が発生する状況で再現するのは難しいだろう

・・しかし、なんで俺はこんな思いつきで危ない事をやってんだ?(;´・ω・)と思った時に意図がわかった

無意識にビデオアイを身に着けるトレーニング方法に気づいた

瞬間記憶のカメラアイは精神テクノロジーでは?

いわゆる見たものを忘れずに静止画として記憶する瞬間記憶のカメラアイという特殊能力の上位版。映像として記録したものを、映像として再生するビデオメモリー能力

第六チャクラである第三の目で映像を捉え瞬間的に記憶する。その記憶の景色を自分の意志氣で動かすのはまさにやりたい事

誰だって素敵な想い出を目に焼き付けて脳内でリフレインできれば、いつでも最高に幸せ気分が味わえる。幸せな気分に浸れば、辛い事や苦しい事があっても心を回復する事にも使える

もちろん、やりすぎば思い出の中への逃避になるけれど(笑)

ただ、そういう使い方だけでなく様々な使い方もできるために、どうやってそれを実現すればいいんだろう?という想いは心の隅にはあったが・・

まさか、こんな理由からの行動でそれを見つけるとは思わなかった(笑)

明日から値上げだからたばこを2箱買いに行こう
車の鍵が見つからないからたまには歩いていこう
③人も車もいないから、目を瞑って歩いてみよう←?

ほんと、気づきってどこに転がってるかわからない(笑)

偶然の産物 目を瞑って歩くと肉体の疲れがない!?

家からコンビニまで歩いていくとまぁまぁの距離感がある。だりぃ・・めんどくせぇ(;´∀`)があるからいつも車なのだが、目を瞑って3m、5m、10mと歩いて行き、家に帰ってから気づいた事がある

①いつの間に家についた?
②あれ?どっと疲れて急に汗がでてきたんだけど!?

実際に目を瞑って歩くという行為を行っている最中は視覚という情報がなく、あるのは、自分の体と周囲を意志氣しているエネルギーの流れの情報だけ

だからスタートからゴールまでの距離感とその道中に継続して発生する自分の肉体の疲労という感覚がない

肉体(膝や足等)の疲労がないのだ!←ここ重要!

そう考えた時に、物理的な目が捉える視覚で、それを描画処理するためにどれほど脳のメモリーを消費しているかがわかると同時に、目を瞑って動いてる状態は、無なのか有なのかわからない量子の世界を捉えている事になる

それは体の目という部分に意志氣を回し、目を開け物質的な空間を認識して観測した瞬間に、そうだよね?このくらい進んでたよね?という思い込みの記憶物質的空間の誤差を調整する

そして、その空間を認識した瞬間に、今までの疲れが物理演算法則のようにいきなりどっと襲ってくる。さっきまで意志氣もしてなかった足の疲れの感覚としっとりと体に汗をかき熱を帯びてる感覚を感じる

まるで現実が後から帳尻合わせをしてくるような不思議な感覚

という事は肉体の疲れを判断しているのはであり、脳とのリンクが切れてる状態の時は疲れを感じない?

ならば脳による物理演算を無視してる状態とは肉体という制限のリミッターを解除してるという事だろうか?

これを突き詰めていけば、目に見えない世界というものを感じ取れるようになるかもしれないというワクワクが新たに見つかった

まとめ:これはビデオアイをマスターするための修行?

先に言っておきますが、これは独自体感の話なので、再現性については保証はありません。おのおの工夫してみてくださいw

本当は目を瞑って歩くなんて必要なく、第六チャクラ=第三の目に意志氣する事で可能なのかもしれないけれど(シランケド)

私の場合、カメラアイが欲しいのではなく、ビデオアイを求めていたために、物理的に記憶した瞬間映像を動作に合わせて空間ごとコマ送りで動かすという感覚を掴むために、実際に自分の体を動かす=記憶の中の景色も一歩分変わる

みたいな、そういう意志氣で映像を動かす感覚を掴むスイッチングトレーニング方法かもしれないという話です

なんで目を瞑る必要があるのかと考えれば、それは思い出す時に物理的な視覚は必要はない上に、視覚から飛び込んでくる情報が邪魔をして、メモリが圧迫されて正常に再生できないからだと思います

慣れてくれば、物理的な視覚映像を見ながら、ビデオアイの記憶もプレビューするという、複合現実(MR)みたいな事ができるのかもしれないけど

それやる必要ある?(笑)

現実を見る時は物理的な目の情報でいい
記憶をプレビューする時は第三の目で良くね?

そんな感じかもしれません

第1と第7チャクラのオートバランスに気づいた時も、なにげなくバランスボードの上で片足立ちと呼吸を整える方法を実践し続けてただけなので

もしかしたらこの目を瞑って歩くトレーニングで映像記録をコマ送り再生できるようになれば、気が付けば記憶力が良くなって、映像記憶をプレビューできるビデオアイも身につくかもしれない気がする

何事も「意欲」ってやっぱ大事ですよ!(゚∀゚)アヒャ Σ(゚Д゚)

「欲」と「意欲」の本質の違いの話

精神テクノロジーを体幹するには、まずは呼吸瞑想による「内観」からおすすめします

独自チャクラ理論 無意識に釈迦の呼吸瞑想していた

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

Return Top