『名無阿弥陀仏』が名も無き高次元の意識を宿した者が自然の流れで仏に至る事であり、贈る言葉。そして惑星地球記号が地に意識が降誕するターゲットサイト=目的の観測であると気づく・・異常気象の真夜中のカタカムナ76首の体験
寒い→暑着→結局寒い!
先日、『異常な気温変化』で『寒さ』を感じた
…まぁ、異常というか『気象操作』でどこぞに『線上降水帯』とか『大雨を牽引するケムトレイル』とかばら蒔いた上に
『マイクロウエーブで熱を照射』した『反動』で、熱が集まった地域以外の空気が『異常に乾燥して熱が無くなる時に起きる現象』が
『謎の雹』だったり、『急激な季節外れの寒さ』だったりと、もはや『人為的な不自然』がまかり通る『虚仮の世』において
『中国に向かった台風』が『Uターンして能登へと向かう』というのも、その『コースを気象庁が正確に把握している』というのも…
結果、『人為的に狙ったコース』以外の地域は『不自然に寒くなる』というのは・・もう『コロナ禍=ショックドクトリン』のどさくさで行われた『あらゆる実験』で把握済み┐(´д`)┌ヤレヤレ
寒くなる=高気圧=台風や温帯性低気圧はこない
=低気圧の進行コースが定められる=コース上に雨を誘引する気象操作(ケムトレイル)を行う事で威力を増す
そんな『急激な寒さの原因』はわかった上でフリース着て厚着して1日を過ごしていたら…なんか夜9時くらいに『異常な眠気』に襲われて(でもこのまま寝たらヤバいだろう)と、『冬の布団一式』を準備して寝ました(:3[_____]
その時に、前回、カタカムナ『75首を卒業した感覚』があったので、『76首』を読んで、そして久しぶりに『額』につけて寝たら…まぁ面白い事が(後述)
寝る時は冬用の布団一式で寒さを感じずに『快適に眠り』についたんですが、夜中に『急激に体温』が上がり、『汗でびちょびちょ』になり、結果その『気化熱で体温が下がって寒く』なって…
その寒くなった体温の『汗が乾いたくらいでちょうどいい寝心地』になったんです
簡単に言えば、『人為的な異常な気象』が、『元の自然の気象に戻った』為に、『そんなに寒く無くなった』という『外気の変化』です
それで感じました
変温動物と恒温動物?
体温調節の特徴をもとにした動物の分類では、環境温度にかかわらず深部体温をある一定の 温度に保つ能力を持つ動物を恒温動物(homeotherms)と呼び、環境温度の影響を受けて深部体 温が変動する動物を変温動物(poikilotherms)と呼ぶ。
人間は恒温動物で、カエルや魚などの変温動物とは異なり、体温を一定に保つ能力があります
これ…実体験として人間は『環境温度の影響』を受けて『深部体温が変動してる』と感じました
それは『チャクラ』のように『開くと一気に体温が上昇』したり『仮死状態まで脈拍を下げる事』で『一定体温を維持する事』もできるので、どっちでもある
今回は『外気温度が変化』した為に、恒温動物のように『一定の体温を保つ』つもりで『肌寒さに合わせて体温をキープ』した結果
その状態から『環境温度が変化』した結果、変温動物のように『深部体温が上がった』訳で、その『急激に上がった体温』を『急速冷却する汗の噴出の気化熱』で『体温を一定』にした…
恒温動物と変温動物の『概念』が間違ってないだろうか?と思ったのはオマケ(:3[_____]
本題の閃はこっち
カタカムナ76首 思念読み
いつもは書き終えてから『最後に思念読み』するのだけど、昨日は異常な眠気で寝る前に、しっかりと『読み込んで納悳』して寝たので、間違いなく『その効果だと実感』した上でまとめます
カムナガラ アマ
心は命の受容
ワレマ アメノクソムス
調和を失った受容は命の指向が時間をかけて
引きより外れて広がる方に進む
オキヤホマ カムウツシ
奥からエネルギーが飽和して引き離した受容
力広がり生まれ集まった示し
スベカエシ フナコロシ カムナカラ
反対の縁に力を投影した示し
増えた核が転がり入った空間の示しの現象
ア ナ アマハユユツコナ
命と核 命の受容が引き合い湧き出て、湧き出て集まり転がり入って核となる
カムミマリ アメノコトミチ
力が広がり光が受容から離れ、命の指向が時間をかけて転がり入って統合した光の凝縮
ヨミカムアマ
新しい光の力が広がる命の受容
これを読んだ時、直感的に『心と体と現象』だ(๑•̀ㅂ•́)و✧と思った理由があります
それは75首が『肉体から離れた意識と心の繋がり』という気づきだったから
カムナガラ アマ=心は命の受容
私は『命』とは『意識(授命)』と認識したので
ワレマ アメノクソムス
調和を失った受容は命の指向が時間をかけて
引きより外れて広がる方に進む
心=意識から外れた欲が外に引き寄せられる
オキヤホマ カムウツシ
奥からエネルギーが飽和して引き離した受容
力広がり生まれ集まった示し
そんな心の調和から外れた膨れ上がった欲は
スベカエシ フナコロシ カムナカラ
反対の縁に力を投影した示し
増えた核が転がり入った空間の示しの現象
『心の反対』に増えて集まり『現象=現実に現れる像』となる
ア ナ アマハユユツコナ
命と核 命の受容が引き合い湧き出て、湧き出て集まり転がり入って核となる
ここで 『アナ』 ではなく 『ア』と『ナ』に分かれている事が重要で、アが『命・感情』、ナは『核』
命の受容とは『意識が入る器』
つまりは『感情を持った肉体の自我』
カムミマリ アメノコトミチ
力が広がり光が受容から離れ、命の指向が時間をかけて転がり入って統合した光の凝縮
75首の時の意識は『肉体から離れた高次元意識』、その『意識の調和から離れた命の指向』
=高次元意識が『魂の経験値を積む』為に、『肉体自我意識の心と体に凝縮』した
ヨミカムアマ
新しい光の力が広がる命の受容
心と体とは『新しい・陽の光が統合』して『凝縮した命=意識の受容』の現象
そこで名(ナ)は『体』を表す
カタカムナではナは『核』
この場合の核=『光の凝縮=粒子の集まりが体』
この体は『何の為』にあるのか?
それは『高次元意識』が『肉体自我』という『存在として学びを得て意識を拡大させる為』にある
こういう『結論に納悳』してから気持ちよく寝た(:3[_____]結果…
惑星地球記号と名無阿弥陀物(仏)
円〇の中の+
惑星地球の記号
これは『ターゲットマーク』
そこ『地球(円)の中心』に『生まれる+意識』
天=肉体を持たない高次元意識
地=肉体の自我
人=高次元意識と肉体を『繋ぐ意識』
球=王を求む=『意識降臨』
地球とは『肉体』への『王の帰還・降誕』
つまりは『高次元意識の再来』という希望
『救世主』とは『意識=心=命』であり
その『意識が繋がる』のが『肉体=受容』である
『宗教的』に見たらまるで『弥勒やらキリストの降誕』みたいですよね(笑)
でもそこで『既存の宗教・概念・常識』に結びつけない場合、その『キリスト意識』や『弥勒意識』というのは、『己の心に宿る高次元意識』です
そこに固有の名、『名の前が無い』から…
名無→阿弥陀→物(仏)
私の解釈では
『神』は『名を名乗らない』=『名無し』の『神無主』
そもそも『示申=心=意識=授命』なので『お役目を果たす己の意識=神』なんです
しかしそれは『肉体の受容に宿る時=授かる命』しか発揮出来ない『万能ではない力』。するとそれは、『成すべき事を成す為』に『必要最低限』しか持っていない『ありのままで全て』
人下無(ヒトゲノム)=人の下は無(有無=可能性)
だから『運命、果たすべき宿業』に逆らわないで、『大きな繰りの流れ』に乗って進む
その『自然な流れ』は『阿弥陀の久慈』
『宇宙の法則』と『悠久の慈愛』の中
それを宿す『物=肉体・受容』
それを宿す『者=仏』
私の独自体験と解釈での『名無阿弥陀仏』という『念法』は
名も無き高次元の意識を宿した者が自然の流れで仏に至る
『死者を送る言葉』として『物=肉体から解放』された『名も無き意識』に『念仏』で唱える
「迷わず阿弥陀(自然・宇宙の法)の導きに従いなさい」という意味では、『ひとつの指標』として間違って無いのかもしれない
というのも、私は高熱40℃を体験した時、『意識ははっきり』していて目をつぶっていても『周りから聞こえる音=景色』となり、『景色を観ると呼吸が苦しくなる=体力』を使う
息を『引き取る』(お陀仏)
息を『吹き返す』(甦る・世見変える)
『音』が聞こえると無意識に『息・域・意気』を吸い、その『吸った空気の景色』が浮かぶという『体験』をしたから
では最後に『息を引き取る時の言葉』が、『名無阿弥陀仏』だったら、『高次元意識』はそれを『どのような景色』として捉えるか?
『仏の修行に旅立つ』というのも、『間違いではない』のかもしれないけど…私は『誰彼構わず念仏唱えても駄目』だろうなと思う(´-`)oO
馬の耳に念仏
『仏になる意識』がある者以外は『ほっとけ』
そもそも『肉欲自我が強い強欲な獣の魂(666)』を持つ者は『聞く耳』を持たないし、そもそも『授命(目的意識)』ではなく『呪命(延命)の金の亡者』なので
『エクソシストの強制悪魔払い』みたいに、逆に道に迷って『物質(人)に現象として定着』してしまう『不浄の者』になってしまう気がする
『勝手に除霊』とかも『因果応報』する事になる・・まぁ、『因果応報の果てに除霊してる』かもしれないけどね(阿弥陀久慈)
『自分でやった業は自分でケジメをつける回収』が起きるのが『自然の流れ』。例え、今から『未来』、あるいは『過去』の別世界に『一時生み出した業』が、『永遠の命を妨げるきっかけ』になる事だってある
…という訳で今回の76首は『名無』だった
『ナム』の先入観では『仏教』だったが、肉体と繋がらない『高次元意識=名無しの意識』が『命として宿る心と体』の受容
その『心の調和』から外れたエネルギーが『現象』として『引き寄せる』ように現れ、『肉体の自我』が『それを欲(エゴ)として経験』する
その『自然な流れ=阿弥陀』を心に素直に『悳』を積んで続ければ、『物質=肉体の自我』は足るを知って満足して『仏=高次元意識』に至る
これが名無阿弥陀仏
『名(体)が無く』なって『宇宙の高次元意識』になる
『人生』とはそれまでの『意識の体験(授命)』
惑星地球の記号は
『肉体(地)』に『意識が宿る(王求む)』
ターゲットサイト=『目的と観測』
『地球=人の生き様』は観られている。それは『仮想空間の住人=シムピープルを観察』するかの如く
その中で『君たちはどう生きるか?』
『悲観的』に生きる必要は無い
『悲』は『心に非ず』、心=意識や命でもない
つまりは『一時の肉体自我の感情』
『高次元意識』はそう言う風に『霊性=性質』で観ている
『楽観的』に生きる為には心=意識=命に『束縛』があってはいけない
つまりは『意志』を持っている(元々)と『自由という概念』すら、『束縛からの解放=束縛ありきの自由』と気づく
『束縛を求めない』とは『自由も求めない』という事
『線引きして求める』必要もなく『ありのままに戻る』だけ
『元々』が『名前が無い意識体』
『肉体制限』もない『高次元なエネルギー』
命は無い=『永遠』の『存在』
だが『永遠』もまた『永く遠く閉ざされた空間』であり、『空間』とは『有無の間』だから『生まれ』ては『消えて』を繰り返す『無常明滅』
だから私は自ら『流れ=龍』でありたい
『意識』は『流体』の中の『役目』を持った『素粒子』
『役目』が無ければただの『名無』
神名柄(カムナガラ)は『心の模様』
神名空(カムナカラ)は心の『具現化の現象』
示し申す心=神=『高次元意識』が無ければ『神無主』
『地・値の名(自我・体)』に執着するか?
『天・点の無(高次元・達観)』に執着するか?
ʅ(´⊙ω⊙`)ʃ『人』は『名無し』でいいんだよ(天地人) Σ(゚д゚;)
そんな『ナム』なカタカムナ76首体験でした・・が、この後やっぱり、『実地体験(明晰夢)』に入るわけですよ(;^ω^)その話はまた別の記事でw
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