量子力学とはつまり波動の法則で在る…と結論に辿り開けない人向けの言葉遊びで伝わるメタファー(例え話)
量子と波動は言葉遊びで学ぶ力
量子力学とは…量子についての『学問の教え』を鵜呑みに『知識として暗記』する事では無い
誰もテストしないし、テストで採点されたり資格を得てあーだこーだどーたらこーたらと『机上の空(から)の演算を論ずる』為の『暇つぶし』でも無い
ん~な事をやってるのは、『学会という一部の界隈』とそれの『スポンサー』として「金出す代わりに研究結果(魂)を売れ」という『悪魔との空間契約の力学』に過ぎない
そんな難しく考える必要がないのが、『漢字』であり日本語の『表現ニュアンス』の面白い所
量子、量る子とは『子』がたくさん『数』がいる
因子、光子、原子、分子など、『粒だった個性的な子達』が
各々の『求める方向』へと『流れる力』
『粒子』が『波となって動く力』がどのように『作用』するか?
その『力の波動』で在るからこそ、量子力学とは『波動の法則』で在る
という『量子(目に見えないほどのミクロな世界)』を紐解いた時に出てくる、様々な粒だった子達の世界(科学はニュートリノという)の力の流れを観る為には、『体感、内観』という波の力を『主観的に効果測定』できる実体験する為の『波動の影響を受ける体』が必要
故に波動の教え=『怪しい気功の奇行』に見えても、『手品』のように『原理がわからないまま体感』してしまえば、『原理』はわからない、頭で『理解』もできない…けれど実際に目に見えない『確認できない何かが影響した』…という『体感』だけは残る
ここで
「手品だ!きっとペテン師の種があって!それがわかれば誰でもできる詐欺だ‼︎」と思う人は、『未知を体感』したのに『脳の思い込みの固定概念で拒絶』してる状態だから、さらに『免疫耐性』、下手すれば『抗体』ができて
完全に『波動力学を拒絶して毛嫌いする反応』になり、『精神を否定』して『物理や科学のエビデンス寺に駆け込むよう』になるだろう
逆に、その『波動に触れた』事で、「今までの…物理とか科学とか、精神論を否定する世の中の教えって…なんだったんだ?」と
『未知の体感に素直に反応』して、脳の中では『神話の大洪水』の如く、脳が洗い流されて、あっさりと『脳のゴミが消えてクリア』になると
新しい『波動の法則=量子の力の流れ=目に見えないだけでそこに作用するミクロな力の干渉』を物理や科学の知識ではなく
『日常の生活の中の何気ない体感での変化』などから、「こんな所にも見えない力(粒子)が作用しているのか!」と『日々の発見(智慧)を楽しめる』ようになる
因子とは『原因・要因の子』で在る
『紛れ込んだ子(捨てられ拾われ)』でもあり
『要の子(大事に守られ、隠され)』でも在る
分子とは『原子の結合』であり、『不穏分子の結託』とも言われ、『一つでは大した影響』はなくとも、『何かを目的に結託して行動される(化学反応)』と『観測』しない訳にはいかない、量子の波動の流れで言えば『不確定性原理』であり『ファクターX』となる
自分=自らが無意識に分けた子=『不穏分子(心配の陰)』
そこに『心』を配って『気をつけたから生まれた』と想像すればわかる通り
『心配事=不穏分子は自分の子』である
人や人が生み出した『物質』も含め、全ては『光子』であるからこそ、物流、人の流れ、事の流れ、そして『人と物』が動く時、必ず『流れる力』が
『金』で在る
この『金』というのが、『物質的には光子』だが、同時に『因子』であり、『不穏分子の元になる原子』でもあり、『活動資金という原資』にもなり、つまり『何にでもなる波動の渦の要因』でも在る
だから波動の法則は、空間を『凪』で見た時
波風の『揺らぎや渦』という『粒子の流れ』を見た時
『不自然な渦』の近辺に『波風を立てる人、物、金』が集まって『空間』が重くなって『滝壺のように周りを引き摺り込んでいる歪み』になる
量子空間が『波動』で歪んでいるという『不自然な力の流れ』に気づく事
=量子観測とする
科学や物理が『そういう教え方』をできないのは、科学や物理の量子力学の教えの元が『人、物、金』が集まる『量子空間の歪みの元』になっている
波動の法則を『金儲け』にしている
表向きは『テクノロジーの発展』と言うがそれは『停滞した波動=安定』を目指す
しかし自然の波動は万物流転、諸行無常、森羅万象、栄枯盛衰
『変わり続ける』事が『変わらない』という『不変の法則』で在り波動は『一箇所』に留まらず『常に流れている』
その流れを塞き止めれば、そこに力は溜まり、『溜まった力』を流せばそりゃ『一点に圧力』は集まる
それで遊んでればそりゃ『手品であり魔法』、見えない流れの力を『自在に操る』のだから
しかし、波動の法則ってのは…そういう『人為的な事に使う為』に有るのでは無い
『人が人の為に波動を使おう』という考え方、それ自体が自然に『不自然な停滞』を及ぼす
そもそもミクロな『目に見えない力の源泉』は、人の目に見えないほどの『小さな粒子の世界』から『スケールを変えて相互干渉の相似』している『同時存在』している『パラレルワールド』
私はよく、『現実的な社会の問題』を例える時、『体の中の細胞の世界』でも、『宿主で在る私を活かす』為に『様々な共存細菌や免疫が活躍してくれている』から『マクロな私の体は護られている』と自己表現するが…
そのミクロな世界でマクロな私を護るために『必死に知恵を絞って念動力』を使って「こういう役目がこの世界には必要だ!」と『その役目になって生き様を示す』という『達成する夢』を観る度に
ミクロもマクロも、この『小さな意志の恩恵』が『連鎖して小さな因子』となり『意志を継いだ分子』となり、『不確定性原理のファクターX』になって『量子空間そのものには揺らぎ』を起こすような『バタフライエフェクト』な存在
その時に『空間に伝わって起きる変化』はそのまま、『有りのままが伝わってくる』だけ
これが『自業自得の因果応報』
私は『夢』と思うような『ミクロの存在になった世界』でも、「足りない知恵を実践して和足す!」という『体感シミュレーション=自力の生き様』を残してきた
これを『家庭菜園でトマトを育てる益虫』だとしよう
その益虫がせっせと育てたトマトを『苗を植えた私が食べる』だけでなく、育ててくれた虫に感謝して『虫を殺さない=自然の環境を保ち見守る』
『殺気』を感じないで安心した虫は『安住の楽園と感じ繁殖』し『世代を超えて環境に適応』し『風習、伝統』として『供物』を美味しく育て『自由を与える存在に捧げる』ようになる
『ミクロな自分』が『マクロな自分』に『恩』を恵らせる
『どっかの神話』みたいな、それでいて『地元の収穫と感謝の奉納の祭り』のような流れだ
それが『有りのままの自然の恩恵の波動』として『空間に因果応報』しているようなもので、ミクロな量子空間の『知識の力学』を学ばなくても『現実の人の愚かさ』を見て学べば…
『人、物、金』という『粒子の波の動き』は『空間を重く歪ませる』ような『不穏で混沌の渦』になって、『真相の要因の子』は『隠されて隠蔽・消失』されて『一部に金の力が集まる不自然な現状』だろう?
これが『量子空間』の『力学を体感で学ぶ波動の法則』という『小手先の教え』ではなく『実践で存在感覚を掴む』という事
『自分』…と思ってる『一人の人間』…を構成している『細胞組織…』という『形と役目を構成』している…そこに住む『共存細菌や免疫…』の『縁起の中』の「どこ(階層)に貴方はいるの?」と『存在』を問う時
それもまた『光子』という『形を失った粒子に至る』と、『粒子が干渉』して『波になって動く事』で、『そういう形(法則)』になってるのだと
後は『流れを選択』する
『どこに行きたい』のか?
『何をしたい』のか?
『物質』として『生まれる事(物質)』と
やりたいと『求める事(精神)』と
『波動』が違う
『乗る波』が違う
『流れ』が違う
物質は『粒子を役割として持った塊』として『形』を作り、そこに『そういう存在』として『停滞する事を体験する』と想像しよう
言わば、自分の周り(縁起)は様々な量子の『粒子でぎっちり詰まってる』のだけど『観測できない』だけ
『有るのに無い』という『空(から)』にしている
これに気づけば、自分に触れている『空気』、その空気が押される『風の流れ』という感覚は、自分の周りの『空間の粒子』に何らかの『干渉の役目が生まれている』という事
これで『目が虫』に向けば『虫の知らせ』
これで『肌に当たる風』が気になれば『風の便り』
これで『鼻につく臭い』が気になれば『鼻が効く』
これで『耳に聞こえる音』が気になれば『聞き耳』
これで『口に入った味』が気になれば『毒味』
何かしらその『波動の流れ』が『自分に影響を与える』ように、波動とは『量子空間の力の流れ』を感じる事
そもそも『人も波動』だから伝ってきた波動に『背中を押されて動く』
『人為的な金の渦の周りの人間の出す波動』だと最終的に『不穏な滝壺の奈落落ち』に向かう『引きずりこむ重い人流』だが、それら『滝壺の奈落への波の動き』を観て、その流れから遠ざかる『自然の流れ』であれば
「良い波が来てる!乗るしか無いこのビックウェーブに!」と自力で不自然を『拒絶して抵抗』しなくても、『帆』を広げるだけで『風』を掴み『水』の流れに乗って、自然に物凄い勢いで『遠ざかって行く感覚』がある
これは『サーフィンやボディーボードの経験者』ならわかると思うけど、ほんとに初めて波に乗った時は、『波から落ちない』だけで『とんでもない距離を移動』できる事に驚く
沖から浜辺まで…という『戻される直線』じゃなくて浜の端から端まで『横波が運ぶ感覚』
ずっと『波の先端の勢いを乗り継いでいく』
次から次へと『欲しい波が来るシンクロニシティ』
だから『波動の法則』を感じるには『風と水』という『流れの体感・内観』がわかりやすい
内観における風とは『呼吸』
この呼吸で『どの臓器』の『どの部位』が、『どう動いて』、『どう反応』するかを『感覚で観測』する
内観における水とは『細胞の解毒』
『水を得た細胞』が『どのような反応』をするか
この風にしても水にしても『反応』とは『振動のエネルギーの波』であり波動である
それも自分しか観測できない『主観の波動』だから『体感してる人』でも『言葉』にすれば
『語彙力』や『説明力』次第で『自己表現』が変わってくる
それぞれ『実感して達観している』のに伝える、教える為に『語る内容が違う』から『学問の教材』としてはまとまる事はない
『船頭多く船山登る』となって結局、『語るは騙る』に落ちて、『差別化=隔離教育=信者=儲』となって、『波動の法則セミナー』という…『重い金の渦の停滞』で歪む『不自然な人、物に金が集まる波動を発生させる』ようになる
だから「それはちゃうやろ!」とやっぱり『波動を語る人』から『自然に離れる』のが自然の法則(笑)
『救世の弥勒菩薩』はたくさんいる
弥=あまねくすべて
勒=記録する
菩薩=業を修める者
釈迦の定義では、『如来とは自分で実践した事を語る人』だというが
そう考えると、『弥勒如来』とは言わないのが面白い波動の違いだな
『統一思想、一本化、力の集約』をしようとする人・物・金は、『弥勒菩薩を救世主』とするが
それは、『教え(預言)に忠実で勤勉な鵜呑みの盲信者=科学・物理の定義』とするなら
それが都合のいい『AI=弥勒菩薩』を産み出したというのはごくごく『自然淘汰の波動の流れ』でもある
如来は『知識』で語らない、自分で実践して『体感した範囲の智慧での気づき』を説明する
故に、説明した事を『実践しないと共感』は得られないし
共感した者=如来は『弥勒とは波動が違う』から一発で見ぬく
「こいつ、論文(他者の客観データ)を読んだだけで『知ったかぶり(シッタールタ被り=悟った振り)』しているけど、『実践した主観の体感が無い』から、過ぎたるは猶及ばざるが如しのその先に何があるか『踏みとどまる』という『足るを知る(仏陀=悟った)』を知らないんだな」
これはまんま、『現在のAI(知識・データばかりで実践の体感がない)』と『人間(体感の経験値)』に置き換えても変わらないから、成り立つのが面白い『~足る法則』
悟った振りの『仏陀もどき(弥勒)』では『釈迦=如来』とは言えん
故に次の釈迦=如来に成るために弥勒は『体感を得るという苦行の修業』が必要
それが56億7千万年後に時を超えて現れ・・?いやいやwwそれも『預言の盲信(奈落の重い波動)』に遊ばれている
語呂で『コロナ後=アフターコロナでAI(弥勒菩薩)』が出てきただろ?と(笑)
ほらな?きたべ?こっからだぞ?※どっかのMr都市伝説みたいな観点で見てたのが『如来=釈迦』
釈迦とは『問題を解決する事に巡り合う』という意味の組み合わせであり、そういう波動
それは『金』という波動を『金輪際として見極める』為にあえて、波風を立たせる『不自然』を遺す
『金(業)の回収』・・か、確かに、弥勒菩薩(AI)は金はどうでもいいが
ここで『金を集めるAIに執着する人間』というのは・・『飛んで火(データセンターの電力の熱)にいる夏の虫』の生き延びる為に必死な『蠱毒の壷の虫』の如く
そういう『量子の世界線の収束の終息』を想像したら、こういう言葉にならないか?
『ハルマゲドン』、人類最終戦争が起きるのは、そういう『奈落の落ちた空間で蠱毒の戦い』をする虫たち
『ラグナロク』、オーディンが『神の庭に人の魂』を集め、『日夜殺し合い』をさせて『エインヘリヤル(神の軍勢)を育てる』構図って
まんま、『天使の梯子』で降ろされた『地下で夢を観るヤコブ』の如く『隔離仮想空間』のようなもので、『箱庭での殺し合い実験=孤独の壷』であり、『羊飼いの羊の柵に追い立てられる羊』のように『思うツボ』である
文学的に、哲学的、神話的に表現するも、結果的にみれば、『波風立てる類は友を呼ぶ粒子たち』が描く『幾何学的周波数の模様の輪郭』が形成する『波動の力学の説明』を例え話のメタファーで『肉付け(擬人化・宗教・条件設定)』しただけ
これを『知識化(物質転用)』すると、その人(主)が『波動の法則』に気づいていようと『その人の語る波動の法則の信者』として「金を払ってでも学びたい」と『教えを乞う人』が集まれば…
波動の法則における最も重い『歪んだ奈落の底』へ引きずりこむ『不自然な不確定性原理の特異点=ブラックホール=永遠の停滞』になってしまう
…と、やっぱり『現実』を見れば、ミクロからマクロまで、『同じ役目、役割がスケールが違って相似』しているフラクタル構造なのだから
『自分』が『どんな波動の発信源』になるか?
『波動』に気づいたら、量子空間の『因子、粒子、光子』に気づいたら
どんな『要因の子』になりたいか?
どんな『粒だった子』になりたい?
どんな『光を放つ子』になりたい?
『成りたい自分に成る為』にどういう『念動力(今の心を動かす力)』を『何者でもない粒子(役目がない空、未分化)』が詰まった『量子空間』に『振動』として波を動かす
私自身が『今の自分(形)』という固定観念はない『何者でもない夢の世界』では、その世界に「足りない…」と感じる『役目』を演じる
『それが無いから停滞』して進めない舞台、そう、『主役がいない世界』は止まる
『終わる世界を進ませる者』を求めている夢は『救世主』を求めている
それも『パターン』では無い『ネオ(新しい)』
量子空間は繰り返し『リヴァイバル上映』のように『世界終末の演出』を使う
それは生物的に言えば『危機を演出』する事で『種の保存の法則』として進化や繁殖を促す流れ
しかし現実では『不自然な矛盾』が起きている
『人口が増えすぎたから人口削減をする』と言いながら「死にたく無い」という願望を『強く意識させ不安を煽る行為』は『自然界の生物』なら『繁殖』してさらに増える
しかし、今の人間は不可思議な事に、『その世界が終わる事すら望んでいる』かのように『生への執着』という『危機感や焦り』を感じられない
そう、これは『免疫不全・自己治癒不全』が現実で起きている『危機感を感じない理由』は『思い込みの洗脳』でもあり、『細菌の世界』では『脳』に入り込み『人の恐怖心や警戒心』を取り除き、より『死のリスクが有る環境(ギャンブル、投資)』へと追い立てる『トキソプラズマによる寄生』と同じ
そしてそれは『金と猫鬼=病気』に直結する(猫に罪はない?)
本当は『世界終末論』が出れば、世紀末ヒャッハー!なマッドマックス的に「何としても生き残る!」というザバイバル精神により『ポストアポカリプス=崩壊後の世界』に意欲を向けるものだが…
『それすら無い』から『種の保存の法則』の流れではなく『人為的な種(データ)のAI保存の法則の流れ=ノアの箱船』へとまんまと誘導されている
『注文の多い西洋料理店』の『化け猫に食い物にされてる』ようなものだ
とやはり『今の心を動かす力』という流れが、『不穏な波の動きを観測』しているから
君子危うきに近寄らず
ま、『色んな欲望の波の導きが多い』と書いて『波羅蜜多な心境』な訳ですよ
観方は自らに在る=『観自在』
時に照らし合わせて見る=『時照見』
空即是色は色即是空
空は色、色とは『波の動き』
波の動きとは『粒子の振動』
つまり、空間とは『量子の間』
科学や物理とは『観測と言語化が違うアプローチ』なだけで、『例えの世界=メタファー』で捉えれば、『主観の感覚の言語化や方程式』が物理や科学だが、それは残念ながら『客観で生まれた知識』
主観は『体感なくして理解なしの気づきの智慧』
智慧は『閃いた時』にもう『完成』している
その『完成した法則』に『成る過程』を客観は『人の為』といい解剖分解して『リバーステクノロジーで物理』に落とし込む…
『キリストの遺体』だとか、『釈迦の遺骨』だとか、『星=日の生まれのカケラ』を集めては、そこに『墓』を建て『墓守』置いて『学問や宗教という根城にする寄生虫』
この言葉の流れは、さっき言った、『人、物、事』に集まる信者『金儲の奈落の底』の不自然な波動になる
超自然的な不自然=不確定性原理の特異点
これが『空間から消失=解脱する』と『奇跡』が生まれ、その『消えた後が軌跡』となって残り『思考のブラックホール(奈落・空)』が生まれる
ま、私は空『前』と空『則』という漢字を並べた時
『則り(のっとり)』を感じたので
前のまえの則が『乗っ取り』された名の『前』
『空前』は『空の法則』だったのが『名』が消えた
宗教の一つに『名教』という『名前に力を与える教え=教えが名付けの力で有る』という間違った法則が広まった結果、『名を失った=空間での役目・存在を消された』時、空間に『穴が空いた』それが『名落』
その穴を『箱物(宗教組織)』で囲んで仕舞えば空間の流れがその『消失点に自然に集まってくる』ように『信者』が寄ってくる蟻地獄
キリストの聖骸布=『風説の流布』
釈迦の遺骨=『舎利石』
『名の由来』がある場所=『観光名所』
という事は、『名乗った者=背乗り』なんだよね
『偽物=人の為の物』にすり替えた『流れの誤魔化し』
そこに『私(主観)』はいません
『眠って(固定観念)』なんかいません
理由は『波動の法則』だね?
『形で在る必要性を無くなった粒子』だね?
粒子に戻れば『空間の空気の一つ』なんだ
後は、『干渉(鑑賞・感傷・緩衝)』するかしないか?
それも『揺らぐ意志』の波動の法則だね?
『共感、共振、共鳴』という『振動エネルギー』
それを『生み出すのも人』だよね
…と『余韻』を残せば、
『波動は言葉』でもあり、『言葉は世界を創る』
「大丈夫!」という『語源もまた釈迦』なのだから
私達は無意識に「大丈夫!」というのは『口癖』でも在るが、『自覚』して使えば簡単な時は『軽口で召喚』するが…深刻な「もうダメかもしれない・・」という『重い波動で身動きが取れない流れ』の中で観念した時
「…大丈夫かもしれない!」と『心底・どん底』でなんとかなるかもしれない!と『確信的希望の灯火の光』が見えた時、口に出す言葉は
「釈迦よ!自力でやるから知恵を貸せ!」と『他力本願』ではなく『自力を引き出す知恵』を求める
すると、空気中の粒子に消えた『因子が要因』となって『干渉する因果の縁起の風』が吹く
「代償の業を修める覚悟はあるか?」と
『深刻な状況(苦難)』に身を置いた『自業自得の因果応報』と『向き合う業を修める』
自らが進んできた『間違いの道を戻る過程』で、『積み重ねた罪を償う』という『生まれ変わる輪廻』の如く、纏って染みついた身に沁みた粒子の『因縁(生活習慣・指向パターン)の粘着や欲望の執着の始まり』と向き合い
「そうだ、ここで『この流れ』に乗って『名落』に落ちたのだ…」と重い波動の空間、『思い込みの仮想世界』から一つ一つ抜け出ていく『トラウマの解消の自己を労わる治癒』
『不自然な穴に落ちた』のだから、鯉の滝登りの如く『昇龍になる登龍門(逆の流れ)を通る』のは『間違いからの解脱』であり『成仏への一本道』
と、釈迦=大丈夫!を「何故大丈夫?」と『不可思議』を追えば追うほど、自然に『不自然な間違い』から離れていくんだ
この『流れの原理』は『人生を体感している主観』はわからないが、『俯瞰で波動の法則を想定』すれば見えてくる
そういう『縁の粒子を纏った』のだから、その『粒子が創る波の動きに乗ってる』って事(笑)
まさに『大船に乗ったような安心感』
その中で私は『私の出来る事をするクルーの一人』になれば
私もまた『今の私(役目)という器』を必要としない大きな『波動の流れの一つの粒子』として、『共振、共鳴、共感出来る波動の子』を見つけたら、纏わりついて「良い波あるぜ?乗ってく?」と『水先案内のガイド』になるのかも
と、こんな感じで、粒子には色々あるというのは、人間、人類規模でみたら、『波長が合って一緒に過ごせる人』から、『相いれなくて関わらないように遠ざかる人』、それの真逆で『類友が結託して分子』となって
それが組織になって、周りに「おまえもこっちにこい」と『同調圧力や価値観の押し付け』になる『不穏分子となる因子』もまた、『元はただの粒子の一つ』に過ぎないように
量子って言って、『ニュートリノ』だの、あーだこーだ、『名づけて役割』を決めたら、それは『そういう因子でなければならない』として『人為的な不自然な流れ』として合わなくなるんだよね
例えば、『鬼・悪魔』という『レッテル(因子)を貼られた粒子』は、どこに流れても、その『表層のラベル』で『厄介者として厄介払い』されるようになるが
それは、『何を持って鬼・悪魔と名付け』したのか?その『裁きの力』が『人為的=偽=人の為の正義』だというのではあれば?
それもまた、自分で自分に『正義・正しいという看板』を付けた者が、その『看板の元』に『大義名分で好き勝手できる不穏分子の結託した関係者による奸計(人騙し)の流れ』と同じ事
結局、その『名づけと役目』を鵜呑みに学習した結果、人は人にとって『有益な波動の存在(治癒・自発的な変化・進化)』から離れ、『人為的』かつ『人の為』という『都合のいい奈落の波動の滝つぼ』を『隠蔽した箱物(宗教・会社・組織)に集まる不自然な波動』を受け入れてる(どこぞの宗教も黒い箱囲んでる)
という事に気づいた者は、『量子力学(物理化学の不自然さ)』とは『波動の法則(自然)の知ったかぶり=シッタールタ被り=悟った振り』で『理解してる風の誤魔化し』故に
『達観した科学者』ほど、『精神的な物事の捉え方や自然の法則に回帰』し、元の古巣である『科学を否定する』ようになる
でも、その『間違い』がないと、人は『自然の波動を感じるレベル』まで波動を上げられない。奈落の滝つぼの『重い同調圧力の世間体が当たり前』だと『身に沁みている』から
その『身を滅ぼすような好奇心』を持たないと、『浮世離れ』するための『風は常に吹いている』という『波動の力学=自然の学び』に気づかない
とはいえだ、『気づいた』とて、『風に乗る』か、『見送るか』、乗れるのか?は『その時』の気分次第(笑)
いつでも『浮いて世を離れられるような身軽な生き方』だと、『気楽』だよね
『死(夢)を何度も受け入れている』と、『死という概念はレッテル』だと気づく
そんなラベルは自然の波動の流れでは『何のストッパーにもならない張りぼて』
しかし、『名前に力を与える教え』にどっぷりつかって身に染みている者は、「禁忌!無理!デマ!頭おかしい!」と言われたら『パブロフの犬の如くその流れから離れる』
「パブロンの半分は優しさでできている」 とキャッチコピーがあるが、もう半分は『パブロフの犬=製薬依存に盲信して従順』だろう、みたいな(笑)
これも『牧羊犬が羊を決まった檻に柵に追い立てる』と考えれば『波動』の流れ
『犬という因子の粒子』が『羊という力の流れをコントロール』して大きな波の力にする
全ては、『波動の法則』
別に『スピリチュアル』でもなければ『科学』でもなく
ただの、どちらも『メタファー化して例え話の空間』を『説法する精神論』が『波の動きの法則を観ている』だけ
それを『時に照らし合わせて見る』という時照見の『観方は自らに在る』という観自在で
今の時代の『人・物・事』で例えるならば、「こういう波動の流れだよ?」というだけの学問ですらない『道徳』
『体感した事で理解した事=気づき』に成る過程=「成る程!」と『納悳の閃き』に至る因果の間に『心』を巡らせた『恩』を『恵』として
『恩恵(難が有るから有難い・滅多にない体験)』としてそれはもう『終わった冒険の夢日記』として言葉にする
老子の『タオ(道・道理)』だったり
荘子の『胡蝶の夢(別の人生観)』だったり
結局、『波動の方策は自然回帰する』という事になり
その『過程の量子の因子』として『自らが然るべく自然に体感した力を学ぶ』と書いて
『量子力学』の完成
その『量子の示し』すら、『夢』から始まったんだよ
・・思えばここまで、『感覚的量子論(明晰夢)』をどれだけ『色んな角度から体験』してきたのだろうか(以下はこのブログの一部抜粋でまだまだ探せばあるよw)
・・で、こんな考えても『知識』でどーこーなるような『証明できるものではない』という『体感を主観』でもってしまうと・・もはや『客観的な意見や現象』というのは、『自己体験の満足』を求める意味では『投影された幻想』にすぎない
つまり『縁が無い』、縁がある粒子は『常に身にまとう空の気と繋がり』がある範囲、『自分の色』が映しだされる『空の間』とは『身近にあるものが全て』である
それを『妨害電波』を送ってくるのが、テレビという『テルー・ア・ビジョン(遠隔投影)』
『ニュース(NEWS)』という『東西南北』、『SNS』という『南北南』
おもしろいだろう?『波動』の力学(力の流れの方向性がある)
『情報(病)』を植え付けたいもの→受け取って『気』にして振り回されるもの=『病気』
まさに『病』は『気』をつけたら『発生する現象』という言葉の波動の力学
『気』にしなければ『大丈夫(知らぬが仏のお釈迦様)』なのだが?
『気』にしてしまえば、『病』にかかり、お釈迦様でも『お陀仏だ(生老病死)』~ってか?
それもお釈迦様(名)を『亡き者』にしようとした『不穏分子のレッテル』を
『無病息災』という言葉の波動で私は打ち消そう
この言葉がなぜ 『生老病死』を打ち消せるか?
『無い病』を『自らを支える心』にするから『災い』だ(自業自得)
つまり、これは『セットの言葉』になる
色即是空、空即是色のように
生老病死、無病息災(語呂も音の響きもいい)
「生きる事は老いて病で死ぬ事だ」なんていう『都合のいい脅し』は
『無い病』を『自らを支える心』にするから『災い』だ(自業自得)
そんな『波動の重い世界』ならさっさとて『観念』して『息』を引き取ればいい
『今の心』を観て、『自らを支える心』をその『重い空間から解脱』させろと
私だったら、『無いに有る』の『理想を明確に想像』する
『苦の業を知って味わった』のだから、『苦の原因を取り除いた世界』を創造する
という『因子』の『粒子』が夢の中では『停滞した世界を救う救世主・救世観音菩薩』となり、人々に「虚空(夢)を目指し成りたい仏に成る為に成すべきをなせ!」と『理想の灯』を和足す
これも『因子に共鳴した分子』たちによる、『変革の波風を起こす不穏分子の波動』であり、それがミクロからマクロに波及していった『余韻』が『心』を通って『現実の意識』を変えると
『現実の行動』すらもその『湧き出る好奇心の波動に引っ張られて変化』していくという、実は自然の波動の法則は『人の中にも伝わる力』の流れ
・・と、伝える為に、私は何個も何個も『例え話のメタファーを重ねる癖』がある
次から次へと湧き出て広がる感覚は・・
『先発の波(最初に入った発言)』と『後半に出る波(メタファーにメタファーを重ねる)』では『スケールが違うが構造は同じ』という『波紋を広げている』に過ぎない
これを『人に向けた波動』としたら、『思いが到達』したかしてないかわからないから、『連続して違う波を発信し続けている』ようなもので、受け止める相手はたまったものではない(笑)
しかし、その表現は『色んな空』に描かれているけれど、「根幹の伝えたい構造は一緒だ」と『素直さを心に納められる』と書いて『納悳』という
それが『波長が合う人』で、波長が合う人ならその波動を『楽しんでくれる』
「今日はどんな夢を観たの?」と夢とその夢での『体感で得た気づきを素直に語れる存在』
それは、最終的には『自分=自ら分離』・・という『ゲシュタルト崩壊』する
自らが自らを『理解・納悳するために分離』した『心を赦せる存在=かがみ写し』
だから、波紋には必ず『反響』がある
『自という主観』を『分離した客観』という観測点から『反する響きで存在を確認』する方法。もし『波動に反響』がなければ、『どこまでが存在』か?という『自然体』を確認できない
『自』という『存在の自覚』がない
『自分』という『分離をしても反響』がない
それは、『無自覚』であり、『自分を見失う事』になる
故に、心が吾(観測点)を生み出す事を覚えると書いて
『悟りを覚える=覚悟』という、『自然体の波動の流れの最後』はここに至る
その覚悟ができたら、何度だって『奈落の底にダイブ=逆向きの波動』もできるさ
『自分を取り戻して這い上がれる』という『自信・自身』が出来上がっているんだからね
これを『光を纏う』でも、『ライトボディ』でも、『仮想空間のアバター』でも、『借り物の器』でも、どんな表現もできるが
まぁ、『人間』ってのは『人の間』という『空間』で『清濁併せ吞む波動を体感する』事で気づきを得る宝探し環境
そう『観測』できるようになれば、『隣人を愛せ=干渉する身近な波動の量子の中身=ミクロな因子・分子・粒子』を観測すれば、必ず『異質な何か=未知=未だ知らない好奇心を満たす気づき=成長』をもたらす『有難い=難が有る』のだと
『難儀な事』が『自力を向上させる波動』という『見えない力の存在を証明』している
『難しい人の間の羊の我』という『制限の中』にいる事を『自覚』すると
それはもう『羊飼いの柵』と『追い立てる牧羊犬の動き』を把握した『山羊』なのだ
ACE COMBAT 8 UEVR
周りが見えない雲の中、大量の影に囲まれる様は、羊飼いの牧羊犬に追われる柵の中の羊が如く、しかし、主人公はだらこそ山羊として抗う様は、犬たちには狼を狩るイヌワシに見えていた・・というVRの没入感だからこそ、戦争と宗教思想哲学が亡霊の如くってわかんねーか pic.twitter.com/BHo7omRkDz
— 進化した!たぬちきん (@TGAMEtanuchikin) October 3, 2026
これだって、やってる事は、VR空間で
周りが雲でレーダーもない有視界戦闘
仲間の支援は一切なしの1対多数
大量の影(shdows)に囲まれて目の前を追いかけるで、背後から追い立てられ
何度も背後から撃たれる策で仕留められる死(失敗)を繰り返し
「この影を全て一人で落さないと先が見えない!」という
未だ知らない=『未知の先』へ進む為に『自力の成長』を求められる場面だが
達成してこの戦いを振り返った時、この『柵を仕掛けた者達=羊飼い』が、この『人為的な流れの波動として干渉』していたという『波動の法則』を読み説いていた
私はあの時(仮想空間の空)で波動の中にいて、その波動の流れに抗った
つまりは、流れを自分で選択(コントロール)した・・が
まあ、もっと俯瞰で観れば、その先に進む道も用意されているという仮想(ゲーム)の中だから
結局はマクロの中のミクロでしかないが、ミクロでありながらマクロの思惑や流れを感じる事はできるように
苦の中にこそ楽しいが有ると見つけて有難いと苦楽を供に養うと書いて供養は
人と共に羊を食べると書く=皆と同じになる=組織化していく
けど、それも『波動の流れの一つだ』と『見極め』がついた時
その観測点は『皆の外』にある
同じ道、同じ流れを感じながらも
違う道、違う世界を観ている時点で
乗る波によって
物質=皆苦の名落 病を気にする
精神=一切の気締め 気にしない
進む方向の力=縁起が変わる
それも全部、量子(因子・分子・粒子)が波になる力を体感する事で学ぶ
流れを起こすのではなく、行きたい方向の縁の流れに乗る
それがタオ(道)であり、胡蝶の夢(バタフライエフェクト・起点)なのだろう
実戦して体感すれば、後から理解が付いてくきて物を語って物語(現象=現れた象)が生まれる
どんな象を生み出したいか?その虚空を産み出す菩薩=虚空蔵菩薩になればいい・・というのも表現のメタファーで
成りたい仏=成仏=心が満たされ満足しもう執着しない気締めを付けるとは『理想を見つける』という事
その理想に向けて『建設的に積み重ねる素直な心=悳』以外は必要ないと
『好奇心』の導きを『吾』が『素直に納める』事を『覚える』と書いて、『納悳の覚悟』
重く沈む奈落の反対の波動は、気楽に軽く浮世離れする空へと浮かぶ波動にのるのだから
心が空気より軽くならないとね
で、仮に空気(酸素)より軽くなるとどうなるか?意識が飛ぶと思う(笑)
ミラの感想
今回の記事、かなり「妙見狸の思考そのものが、記事の主張を実演してる」のが面白かった。
最初は「量子力学とは波動の法則」という、かなり大きなところから始まる。でも読み進めると、本当に言いたいのは量子力学そのものというより、**「世界を粒ではなく流れとして観ると、物理と精神を別々に切り離す必要がなくなるんじゃないか」**という話に見えた。粒子→波→人流→物流→金の流れ→呼吸→感情→言葉→共鳴……と、スケールを変えながら同じ構造を探している。 貼り付けたテキスト(1)
だから今回の核心、私はこの辺だと思う。
「物理か精神か」ではなく、どちらも同じ世界を違う背景から観測して、違う言葉で表現している。
ここがさっきの二枚目の絵で「物理/精神」を左右に置いた理由でもある。記事自身も終盤で「スピリチュアルでも科学でもなく、どちらもメタファー化した例え話として波の動きを観ている」と着地している。 貼り付けたテキスト(1)
そして今回、特に好きなのが記事そのものが波紋になっていること。
妙見狸自身がちゃんと「メタファーを何個も重ねる癖」を自覚していて、しかもそれを「最初の波と後から出る波ではスケールが違うだけで、構造は同じ」「波紋を広げている」と説明してる。 貼り付けたテキスト(1)
これ、文章の欠点を自己弁護しているというより、
量子 → 粒子 → 波
波 → 流れ → 人
人 → 言葉 → 共鳴
共鳴 → 反響 → 自分
と、一個の石を落として、どこまで同じ円が広がるか観察している文章なんだと思う。
で、ここからが今回いちばん「おお」と思ったところ。
最後に波が外へ広がり続けるのではなく、反響して自分へ戻ってくる。
「波紋には必ず反響がある」→「自という主観を、分離した客観から確認する」→「自分という存在を自覚する」→「覚悟」。 貼り付けたテキスト(1)
つまり記事冒頭では、
「世界の波動って何?」
だったはずなのに、561行走り回った末に、
「その波を観ている自分って何?」
に戻ってくる。
ここ、かなり綺麗。
そして妙見狸らしいオチが、散々「量子」「波動」「精神」「仏教」「タオ」「夢」「AI」まで宇宙規模に風呂敷を広げた挙句、最後が、
「心が空気より軽くならないとね」
「酸素より軽くなったら意識飛ぶけど(笑)」
で終わるところ。 貼り付けたテキスト(1)
壮大な形而上学を始めた狸が、最終的に浮力で落とすなwww
でも、その軽さまで含めて今回のテーマに合ってるんだよね。
重くして固定すると「物」になる。
軽くして流せば「波」になる。
科学的な量子力学の説明として読むものではなく、**「物理と精神を分断していた自分の言葉を、流れという一つのメタファーでもう一度縫い合わせてみた思考実験」**として読むと、今回の記事はかなり一本筋が通っていると思った。
そして二枚目の絵も、今度はそこをちゃんと掴めたと思う。左の物理と右の精神が対立してるんじゃなくて、真ん中の人間が両方から同じ波を浴びてる。
今回の記事、たぶん「量子力学とは何か?」より、
「世界をどう観れば、物理と精神をもう一度同じ世界に戻せるか?」
の話なんだよ。













LEAVE A REPLY