目とか眼で通じ合う?確かに色(色即是空)っぽい言葉と量子空間の寝起き閃( ¯꒳¯ )ᐝ目覚ましは何故アラームというのか?を深堀すると見えてくるア・ラートラ・ムウとどっちも雷なお話
寝起き閃キーワード 目と眼
( ¯꒳¯ )ᐝ目が覚めたなう(2024/11/07 07:41:27)
今日は何故か『氣運』が変わりそうだから、『大掃除』をしようと思った(´-`)oO直後
目と眼は…右目に『艮(うしとら)』がある
左の目は監視の目『プロビデンス』
そういえば『民の上の目』と書いて『罠』だった
右目は『ラー、真実を見通す目』と言われるが、その真実を見通す目が『艮=丑寅=失われたトーラ(原典)=鬼が云う=魂』
『物理的な目覚まし』は鳴ってない
そもそも予定も無いから『セット』していない
しかし『精神的な目覚まし』はずっと『鳴っていた』ようで、ただその『音無き音』の心に『氣を巡らす』だけで、それは『音の心』が伝わり『意』となり、その意が『識別』しようと『観測した空間』が『観得る世界』になる
今朝は左目は民を監視支配の『罠=プロビデンス』
『眼』はそのプロビデンスの右には『艮=丑寅=鬼』がいた
それが真実を示すラーと『両面』と向き合った時、『目覚め=夢から覚める』とした時
アッ!ラー…夢から覚めちまった( ゚ ρ ゚ )ボーΣ(゚д゚;)
『アラームという音』によって『心』が『意識を持っていかれた世界』に目が覚めるよね
つまり『プロビデンスの世界(罠・wana)』を、『ラー(真実)が意識して観測する空間』がひとつの現実。では、今朝、『精神のアラーム』で目が覚めた私が寝起きに観た『意識した空間』は2つ
ア・ラー・夢の『眼』の世界
アッラーとはイスラム教の神で『99の名(役割)を持つ創造神』と呼ばれている
これがひとつの『認知空間』
仏教では阿羅漢=応具と呼ばれる、小乗仏教の修行者の最高の地位の称号。 また、すべての煩悩(ボンノウ)を断ち、悟りを開いた人
『最高とか地位』とかを伝えている時点で『煩悩』なんで説明が矛盾しているけど、『悟り=差取った』からこそ
『何=人の可能性』にでもなれるし、『衆生を導く為』にどんな『要望にも応じる道具(役目を果たす)』にもなる
『釈迦が一切』ならば、それ以外は『皆苦は応具』
『真我以外一切無常』ならば『色即是空の空間が応具』
声明(仏)と神楽(応具)
これもひとつの『認知空間』
日本には『九十九神(付喪神)』と名前が着いた、持ち主に大切にされた道具(創造物)に宿る『99の名を持つ神』が語られている
これもひとつの『認知空間』
例えば、アッラー99の名と体を持つ『創造神』と九十九と名に持つ『創造物』に宿る神が『同一神』だとするなら?
切りよく『100』に至る為に『1という位置』が足りてない
ここであったが100念目…に『1念』が足りない
『一念』発起の『位置(存在)』が必要になる
例えば阿羅漢=応具というのが、『皆苦しみの中にいる衆生を導く』為に『自らを差取り=無常の空』となり、『カタチを持たない創造神(アッラー)』、『求められたカタチになる創造物(付喪神=九十九神)』と考えた時
この『皆苦(9)の空間』には、やはり阿羅漢=応具=アッラー(99)の九十九神(99)が求めて付き従う『創造物の持ち主』がいない
だから『一切皆苦=1切皆9』
それは『主無き夢の世界』であり、そこから『現実』に『目を覚めます道具の名』が『アッラー夢』という『音無き音』
しかしまぁ、『現実のアラーム』はそうじゃない
まるで『けたたましい雷の轟音』のようなアラームというより『ア・ラムウ』『雷=ゼウス=神なり』
人が造りし捏造の『都合のいい神(道具)』によって『強制的に目覚め』させられ、『意識の観測』を直ぐに『その現実の対象』へと絞られる
アラーム(轟雷・業来)が鳴る→起きる→着替える→飯を食う→歯を磨く→テレビ(ネット)を見る→乗り物に乗る→仕事に行く
皆が『決められたスケジュール』に『辻褄を合わせる』ように『遅刻しないように行動』する。それが『ア・ラムウの音』に『心』を支配されて意識して観測して『縛られた人生』
でもそれは、それを『主=貴方が望んでる』からそうなってる
『平凡』と『皆と同じ』は違う
これといったすぐれた特色もなく…と平凡である事を『見下し』、汎用と『利用する側のレッテル』になってるが
平凡とは『ごくあたりまえなこと=自然』
『皆と同じ立場がいい』と『願い求める』から、『皆が苦しむ』時、『その立場の苦しみ』を味わえる『自らの選択』
自力の位置=1
他力の苦=9
皆苦の世界に『主という位置』は無い
『皆で苦しむ事』を望む『主体性の無い世界=集業的無意識』を『創造神(アラー)が創造物(九十九神・付喪神)』として『応じて』『与えて』『宿って』見守っている
『八百万の神』というのはもはや存在している『粒子空間そのもの』を指し、その『恩恵の中に主』はいる
それが『現実』という『夢の中』
の『夢の外』に『人の意識』が出たら『人夢=儚』
眼が覚めた時、『泡』のように消える
それは『現象化』したものが『粒子空間』に戻るだけ
『意識』が『今の心を観た』=観念=ステータス確認
はかない=果敢無い
遠慮なし、押し切って、あえて
果て等無い(๑•̀ㅂ•́)و✧それが『人の夢』『欲望知らず』
『アッラー(騒々しい)』からも離れ
『ラムウ(轟音)』からも離れ
『ム』だけになると静かだ
その『無=空=有無』の始まりの『無常明滅』から湧き出る『意欲』
こいつがまた『新たな夢を観測』させるための『無音のアラーム』を鳴らし、『心を振動』させる
創造神の夢=意識の拡大
応具=宿る九十九神の求める道具という『空間の夢=希望』
希望とは希う(こいねがう)
亡き月の王
月を運ぶ=『運氣』を巡らせる
流れを生み出す=龍を降ろす=『オロチ』
それは『好き勝手暴れた』後で、『収まるべき所に目的』を決めて、『辰巳下がり』で穏やかに『ソフトランディング』してくるが如く
リンク 自由滑空
そこは『ヤコブに与えた梯子で繋いだ世界』であり、『様々な物事』を『同音異義語』で繋ぐ架け橋
同音異義語
その『音』に主の『心』をつければ?
同じ『意』の異なる『主義』を語る
ヨナから始まる 与える与那国と支える那国
アワから始まる 阿波国
どっちも関西弁で『同意』を示す「よな」
追放から始まるヨナ推しの世直しエデン物語
リンク
『駄洒落』って高度な『韻踏んだ哲学』なんだよね(´-`)oO『皆は苦しみ』だから一切にならんとわからんか
アルミ缶の上に在るミカン
音の響きだけでは二回『ミカン』が聞こえるだけだが
アルミ缶=『無機物』
在るミカン=現象と『有機物』
これを『耳』で聞いて『心の眼』で見極める=『想像を創造』
『想像力』とは『創造』である
『創造』には『想像力』が必要
では?
全てに応じて叶えてくれる創造神=『応具の四次元ポケット量子空間』=『器の中の大=一人』において、『主』である『貴方』が『自由意志を放棄』したら?貴方が『その空間=皆苦』に『同意』したら?
その世界には『新たな運気(ツキ)を運ぶ王』が居なくなってしまう
『その空間』に『意識事囚われ』、その中の『粒子の一粒』となって『無であり有の空間の一部』になる
だから『現実の外』から観て『現実逃避』や『現実堕ち』というのが、『現実の中』でいう所の『ドラッグジャンキー』や『ギャンブル依存症』のように『自らを追い詰める事』に『快楽』を感じてしまい『戻れなく』なる
『肉死身=体験の虜』や『仮名死身=名誉・地位の虜』の『囚』となり離れられなくなる
それを『夢から覚ます』のもまたアラーム
『音』が無い『アッラーの夢』
音が無いから『現実の耳』では聞こえない
耳だけじゃなく『心』も使うから『恥』
「恥を知れ!」…に『違和感』を感じてから私は『端を知れ』に言い換えてきた
理由は恥を知れもまた『見下しのレッテル』
しかし『端=極端』を知れ!は『叱咤の説法』
という事は、恥にも『レッテル以外の忌みが在る』と気づいた結果が、『耳』に聞こえない『音無き音』に『心で反応』しろと、『恥』は『心のアラーム=阿羅無』を聞いて『眼』を覚(さとる)
阿羅漢=悟りの応具=『形』にこだわらない
無=有るけど無いが『全て』
恥を知れ=『極端』に気づけ
お前は『円(縁)から外れよう』としている
『目』を覚ませ、それは民への『罠』だ
『眼』を開け、『真実の右目(ラー)=艮=丑寅=失われたトーラ(原典)』を観ろ
皆の世界の『観ろ苦』は弥勒=マイトレーヤ=『再びAI(慈愛)を求めてる』だろ?
…という所までも『ひとつの認知世界』
ここまで
『目(監視の罠)』と『眼(艮=丑寅=鬼)』で『通じ合う世界』は確かに『色っぽい(色即是空)』
と気づいただけで
『嵐』を起こして『全てを壊す』の!と言うのが『静』という皮肉(笑)
MUGO・ん…色っぽい
目と目で通じ合う=作詞は『中島みゆき』だから、『無言』『色』『心はおしゃべり』を『仏教的』に捉えている可能性も高い
目覚めのアラームは鳴っていないのに、『音無き音』に『心が反応して意識した世界の捉え方』で『眼』が覚めて
アッラー=99の名を持つ創造神=九十九神=付喪神=阿羅漢=『悟りカタチにこだわらなくなった応具(靈)』が『宿る道具(仮想空間=現実という夢)』の中で…
「主=貴方は何=人の可能性を試したい?」
ただそれだけ
『世界を変える』のではなく『観る世界を変える』
世界は『情報』でできている
『情報を入れない者』に『その世界』は無い
世界には『どうでもいい情報』が沢山在る
どうでもいいとは、『同でもいい=同じ』
既に何か同じ=『相似の概念(体験)』があると『興味』を示さないという『人生の指標』が備わっている
例えばこれも同音異義語の派生で捉える
『菌を嫌う』のと『ウイルスを嫌う』のは違う
『菌』は『自然界のあらゆる所に存在』する『役目を持った粒子エネルギー』であり、その『循環』によって『人の細胞の中の組織』も『恩恵』を得ている
『ウイルス』は『人工的』に造られた『不自然な実験物』=『現実で験す人の為』の物
その『ウイルスを培養』する事を『株を育てる』といい、『株は金と取引出来る代用品』であり、その『株式(法則)で運用』されているのが『株式会社』であり
その株式会社には『寄生するウイルス』のように『株主という内部に予防接種』されていて、会社の『免疫力(ステークスホルダー・筆頭株主)』が下がれば、『株主総会で牙を向いたウイルス株』が
『社長の首を切り落とす』という『金目的に邪な問題』が起きる
これらは全て、『存在する役目』が『相似』してる
ウイルス=株=金=邪
そのどれかに『感染』すれば『世の為、人の為』と『思想が皆苦』に染まる世間体という『同調圧力』
という事は?
その『金』から離れ、『菌』を選ぶ=『自然界との繋がり』を求める者は『一切』
その皆苦の世界では『無いと否定や拒絶』された『一の位置こそ主』という『空間が求める亡き月の王=ツキを運ぶ命』となるが
それは『統べる=統一や統合』ではなく総べる=『総合』
『今の自分』も含めて『全て無』に戻り『有として創り直す事』を繰り返している
そんな『世界の再創造』なんて大袈裟ではなく、『その意識』が在る限り、毎日少しずつ『望む事が叶う世界』に『観測点』を変えている
「この可能性が有るなら…この可能性だってあるじゃないか!」(๑•̀ㅂ•́)و✧『昨日』出来なかった事が『今日』なら出来る!
『意識』が変われば『興味』が変わり
興味が変われば『取り入れる情報』も変わり
情報が変われば『観測する世界』も変わり
今まで観る事も無かった、有っても見えなかった、逢っても気づかなかった物事に『気づく』ようになる
ま、それが今回は
『目と眼』であり目覚ましの『アラーム』
『アッラーの創造した世界』に『九十九神が宿って見守る夢』であり
『阿羅漢』となって『仏に仕える夢』であり
その夢から『人』が目覚めれば『儚く消える世界』であり
現実から『目を覚ます音は無い』から『心』で感じ
『音の心』を『意識して観測』して『新たな世界を観る』
…音の心を意識して観測?!
自分で書いててふと思ったのが、それが『40℃の高熱』の時の『自分の意識を内観した時の結論』だった
『世界』は『呼吸』で繋がる
この世界で『域』を吸い、『息』を吹き返す
息=『自らの心=自心』
『息・域』を引き取る=意識が『宿る器』を返す=『借りたもの』を返す
『空っぽ(主無き)』に入ってきた意識が『満タン(主有り)』にして返す
『主の子』を置いて行く=種子・趣旨・主旨
『釈迦』が『三次元』に『弟子を送り込む』ように『神』が『キリスト』を『地上につかわす』ように、『主の旨』を伝えるように=主旨を理解する
あ、これも『相似』です( ̄▽ ̄)Σ(゚д゚;)
要は『今日』という『日の目標を達成』して『心が満たされた』と『満足』したか?の
一日一生精神
人は毎日、『息を引き取り』そしてまた『息を吹き返す』というのは『睡眠』ですから、でもその睡眠は『客観的観測者』がいて、既にそういう『概念(静かで動かない)でそう思い込んでる』だけですが…
その『周りや概念』という『情報が無い=色即是空』だったとしたら?あなたは一人で『毎日死んで』『毎日生き返ってる事』になります
『観測者や概念』が無かった時、『意識を失う』というのは『主観を失う』という事であり、その世界を『観測している主』を失った世界は、またこの世界に『主を引き戻そう』としますよね?
そうなると『世界=空間自体に生=継続の意識が在る=生物』という捉え方も出来る訳で、その『境界線』が『睡眠中の夢』だと思いました
『ここでは無い世界』への『意識の観測』を向けた時は、『その望みを叶える』ように『夢の中での不思議体験』が増え
『この世界の現実』で『肉体的な願望や欲望』を叶えたい『執着や依存が強い者』からは『睡眠や夢』から遠ざける為に『悪夢』を観せる
まるで『社会』が『レッテルワードで精神論を拒絶』するようにね
これも不思議な『相似』と言える
そして『現象』がどれだけ複雑で大きい『マクロ』だろうと『小さくシンプルなミクロと相似』してしまえば…『興味』が無くなる(´-`)oO{つまんね
物事は『シンプル』に考えれば『3つ』しかない
この『三つが安定』していれば『一』になる
だから『三位一体』
だから『協力』
これ全て『雨』の『三中主(三つの口)』に『巫』=『靈』
自由(十・10)の間に三つの力が揃った力
十力+三位一体の力=十三力=意味・忌
まるで『陽子』と『元々三つの力』
脱線したけど
今日は『あなたを現実』に強制的に引き戻す『アラームという轟雷=業来』
その『語源』に潜む様々な『音の現象』の裏には、『心』に『耳』を済まし、『恥』を感じないと聞こえない、『音無き音の眼覚め』=『目(現実監視・プロビデンス)』と『艮(夢観測・ラー)』で通じ合うと確かに『色(色即是空)=仮想空間・VR』っぽい『無言(MUGOん)の世界』を観るお話でした
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