自分で生み出した物事(業)を軽く考えすぎている、業の回収という戒めを創造主の観点で捉えると…現実は揺りかごで、夢がシビアな真釈迦の覚悟と選択
創造主の回収するべき業の重さ
いったい…一眠りで何回別の夢を見たのだろう…と思う記憶の持ち帰り体験をして(´-`)oO{
ひとつひとつの記憶はもはや詳細に区別して分ける事は無理と思った時、『夢と現実』の『明確な違い』がひとつわかった
現実は『先世見』出来るが夢ではできない
現実では有り難い事にじっくりと『観察』して『思考シミュレーション』が出来る
それは『物事の結果が現象』だから
「どうしてこうなった?何故?」という『辿る為の原因』がある為、言うなれば『探す、探求』すればいずれ見つかる
しかし…
『明晰な夢の中』では、『思考』した事は瞬時に『施行』した事になり、それが『具現化』されて現れ
『無かった事にはできない始まり』になる
無かった事=『目の前から消す』は可能
しかしそれは『出して、消した』という積み重ね
「何故、出したものを消したのか?」
それは『現実』に戻ってから『行動の因果』を辿れば
自ら生み出した物事を
『いらない』から消した
『邪魔』だから消した
『必要ない』から消した
『生みの親が我が子を殺した』
実は『これと同じ業』になる
考えた事も無いだろう?
『業の重さ』というのは『人の価値観』で捉えている
動物に対しても『人の命の価値観』は狂っていて『ハムスターは可愛がる』のに『モルモットは雑』に扱う
実験は『大切に命を雑に扱う』
めちゃくちゃサイコパスに狂ってるが…
この名に込められた業も感じた
ハム族
聖書の「創世記」10章に記されているノアの孫であるハムの子孫は、クシュ、ミツライム、プテ、カナンの四人です。さらに、彼らの息子たちから、エチオピア(クシュ)、エジプト(ミツライム)、リビア(プテ)、そして「ハム族仮説」の語源となった カナンの地の人々が分かれていったと記されています。
モルモン教
聖書と同じように、イエス・キリストが神の御子であり、その教えに従うことで人々が救われることを証する書物です。 古代アメリカの歴史: アメリカ大陸の古代の人々であるニーファイの民やヤレドの民の歴史が記されており、彼らの生活や信仰が描写されています 聖書と同じように扱われたモルモン書
侵略されたネイティブな先住民族インディアンに伝わる教えがまとめられたモルモン書
『聖書(ハム)をスター』にしようとする勢力にとって、『モルモン書(モル・モットー)』は不思議な生態の一族だから、色々と『実験の道具』にしてやろう
という『大切に命を雑に扱う』
名付けから存在意義が始まっている気がした
例えば地固めに使う『建築素材』も
セム→セメント(粉末、単体では使わない)
モル→モルタル(接着用途)
セム・ハム…と来たら『ヤペテ』なんだけど
ヤペテ…ってこんなスペルだったのか
Japhetic
思いっきり『JAP』だね(海外の侮蔑言葉)
Japhetic. 古代オリエント史に活躍した諸民族の一つ。 セム・ハム系、インド・ヨーロッパ系いずれにも属さない「帰属不明の諸族」をさす。
帰属不明の諸族だから、『ニーズ』が無い・・なるほど!前に疑問だった
Japanese
Chinese
ニーズが付く国とつかない国
何が?違うと思ったけど…これか!
そもそも海外から見て帰属不明(失われた氏族)のヤペテ=Japhetic. =Jap
なるほど〜…って、ハムスターとモルモットを『創造主』が創り出した『命の重さの例え話』に使ったら元の主旨から外れてしまった(笑)
伝えたいのは『生みだした命(業)』について
創造主の創造物を『生む・消す』というのは、『行動はシンプル』だが、『選択』は簡単ではない
だから『夢=創造主(自)の世界』は『先世が無い=お先真っ暗』だから見る事は出来ない
瞬間、瞬間に『思考の試行』よりも先に『意識の観測』によって『見たい景色(観念)』を、お先真っ暗な『スクリーンに間事視野化(真釈迦)の投影』で生まれている景色をシームレスに見ているのが夢
先の『展開がわかる』『予想出来る』のではなく、それは自らが『そうなるように間事視野化』しているだけ
『瞬間』的に『結果』を生み出して進んでいく。戻るというのは、『立ち止まる事は出来ない』からぐるっと『巡ループ』するしかないから『急がば回れ』
でも『二週目以降』だったら?
『先に起きる事(結果・キャッシュ)が読める』から、それは負担の問題にならずスルーして、目的の『間違えた選択の業を回収』する事が出来る
…が当然、再び同じ道を歩む時、業ではなく、他に目移りして「それもいいなぁ〜」と欲して望めばどうなるか?
当然、『生まなくていい業』が生まれても、また回収の為に急がば回れの巡ループ
言うは易し行うは難し
これは夢にも通じる事
「生む」と言うのは簡単だ
だが『生まなくていいものを生んだ』という『間違い』を認めて正して「生まない」選択にたどり着くまでに
その自分が生み出した業が、どれほどの『生み出してはいけない膿を生み出し続けるか』を『目の当たりにして絶望を生む』だろう
現実での間違いは『生温い』
誰だって間違いはある…となあなあに甘やかされる
しかし、『夢の中で間違いを生む』とは、『間違った世界そのものを創造主として生み出す事』であり、その『間違った世界を無かった事』にするとは…
『生みの親が我が子を手にかける』という事
「貴方が!!私(命・役目・業)を生み出したのではないですか!!!!」という『残念と向き合う覚悟』が出来るまで…その世界は野放し
でも仕方ない…
デモ死方無い…
活かさず殺さず、誤魔化し抱えて
真相は深層と表層が混合するblender(3次元設計)
混合=金剛界の混沌=『現実』が生まれる
逆なんだよね、夢と現実が
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