「王様の耳は、ロバの耳〜!!」と誰もいない穴の底に向かって叫ぶシーンが印象的な童話って何を意図した話なのか?気になったので洞察したら一瞬で『聾唖の耳』で法華経だと気づいた話
王様の耳はロバの耳とは
ギリシア神話に登場するフリギア王ミダスの物語。
昔、竪琴の神と笛の神がどっちの音が素晴らしいかで争っていた。その審査をした神たちは竪琴の音が素晴らしかったと言ったが、王は「自分の耳には笛の音がよく響いた」と言う。そのことに怒った竪琴の神は、王の耳をロバの耳に変えてしまい、このことに恥ずかしくなった王は頭巾を被って耳を隠すようになる。
だが、床屋に髪を切ってもらうことになった時、王の耳がロバの耳であることを知ってしまった床屋は、王に口止めをされた苦しさのために、森の中の葦のちかくに掘った穴の底に向かって「王様の耳はロバの耳」と叫ぶ。数日後、穴を塞いだあとに生えた葦がその言葉を言うようになる。それを聞いた王は床屋が言いふらしたと思って激怒するが、床屋から事情を聞いて家来に調べさせた結果、葦が言っていることを知ると恥ずかしくなって床屋を釈放し、ロバの耳を晒して生きるようになった。
なるほど(´・ω・`)これは法華経(例え話)か Σ(゚д゚;)
この物語は『ロバ』と『床屋』がとても印象深く表に出てくるが、ポイントは『葦という植物』だろう
というのも私は以前
葦原中津国のような古事記の表現の中で『葦』という漢字は『葦』とも読めると知った
え?同じだって?(´∀`)HAHAHA
あし=葦
よし=葦
善し悪し
両方備えているのが葦という植物
この物語のオチが『王様が反省』している事から、「床屋のせいだ!」と決めつけた『自分の行いが恥ずかしい』と素直に床屋を釈放し、その後『ロバの耳を隠さなくなった』という
『善悪の話』と
『心を入れ替える反省』と
心に耳を澄ます『恥を知る』
そのきっかけが『葦(よしあし)』
善悪の両方を兼ね備えた中立
『葦原国』が関わっている
『自己反省や恥を促した』のは葦
良くできた話じゃないか
これギリシア神話になってるけど『琴と笛』ってとても『東洋的』でしょ?
耳を大きくすると書いて『大耳』
聞く態度がおおらかで、細かいことにまで気をつけないこと
笛の音が琴の繊細な旋律を聞き漏らし、『音量的に耳に残った』と主張
笛の音がでかい
大雑把な体言のスピーカー
琴の音の旋律
繊細でバランスの良い調和
どちらがどちらの『国』を表したかどうか分からないけど
間とって『根の国』っていう所で伝えて広めてしまった結果、それは『木の国』を伝わり、『葦原国』という所まで広まってしまえばもう
『認めざるを得ない』訳ですよ(*´ω`*)
という何とも『日本昔話チックな説法』になります
その『テンプレートの物語』が海を渡り、『抒情詩』や『戯曲の舞台演劇』のように改変されて、『元がなんだか分からないロバの童話』になって伝わってきた
でもこれは
『調和の繊細さ』と『傲慢な大雑把』、その結果を『根・音に響かせる』と『木・氣』が巡り、『葦が善悪中立』と心に耳を傾け『恥』を知れと反省を促す
そう言う構成になっていると『全握』できる訳ですね、『本質』を
そうこの本の質感は『法華経の説法』です( ´-ω-)σ
『馬の耳に念仏』がまさに『ロバに説法』しても聞こえない『馬耳東風』や『耳なし芳一』とか、『耳に関する伝承』は『心』に『耳』を傾けて
『恥』を知って『改心』して『素直』になれ!という苦言のたとえ話が多い
というまさかの童話からことわざに繋がる時点で、ことわざの多くは法華経が生み出しているとわかる
こうなると『ギリシア神話』の多くが『法華経で読み取れる可能性』が見えてきますね(笑)
更に掘り下げると
王様の耳が『ロバの耳』ではなく…
王様の耳は『聾唖』の耳?
耳の聞こえないことと、言葉を話せないこと
転じて
自分に都合の悪い事は聞こえない
=傲慢・大耳
細かい事が言えない
=大雑把・体言・語彙力なし
まぁ、『揶揄』という意味でも『床屋』が叫ぶ理由はわからんでもないし、実は本当に王様は『聾唖(障害者)』だったのかもしれない(近親相姦王族の遺伝的問題)
なぜなら『床屋=仕立て屋』は、王族貴族に近づいて『様々な事(陰謀による裸の王様計画)を行うのが目的』なのに
アイツ…聾唖(障害者)だ_| ̄|○ il||li
大きな声では言えませんが…
ヒソヒソ話じゃ聞こえない
小さい事(旋律・調和)を聞き取れる耳がねえ
ダメだこりゃ( ゚∀゚)・∵ブハッ!!
それを根の国に報告に行った
=根の国の『スパイ・使いの者』
それが『木の国』に伝わり、更に『葦原国』に伝わった結果、『王様はまる裸(障害者だと認知)』にされてしまった訳だ
そりゃもう『隠しようがない』から『素直に生きる』しかないよね
チャンチャン♪
みたいなかつて『普通にあった昔話』のような出来事を『床屋』と『穴に叫ぶ』『葦』というキーワードで『仕立てる事』ができる=仕事
これが法華経イズムなんですよ
by 訳詞如来の妙見狸の解釈(-人-)
ここから『失われた日本の歴史』に繋げていくと、『漢字』がいかに重要かが解る訳ですね
わからない?→和唐あるよ?
くだらない?→百済あるよ?
しらない?→新羅あるよ?
『知恵』をいかに奪われているか
ゴミは五味(酸味,苦味,甘味,辛味,塩味)
クズは玖珠・久須志・薬師・九頭龍
『無い』ものの中に『有る』んだよ?=空即是色
日本人は『大切な教え』を『廃仏毀釈の教育による洗脳』で
今も『自ら捨てたまま』
ゴミクズとは気づけば宝の山の神仏習合の自然と繋がる古神道
『葦』ひとつで『善悪(よしあし)』です
『真逆の概念がふたつ』も込められている
それ即ち『中立』を指す
葦の字は『古代日本』と深い関係がある
…ま、その辺はまたそのうち夢でレクチャーがあるだろうから今は忘れる(*ノ・ω・)ノ⌒。ぽーい
あれから数日後… 葦・・葦屋・・葦部・・アソベ族
繋がっていく話はまた今度、別記事で( ̄ー ̄)ニヤリ
LEAVE A REPLY