全ては望んでそこに居る現在という結果は、その元に在った積み重ねられた原罪によって生まれた環境。記憶が無いだけというお話
原罪とは
キリスト教で、人類が最初に犯した罪。 アダムとイブが禁断の木の実を口にし、神の命令に背いた罪。 アダムの子孫である人類はこの罪を負うとされる。 宿罪
こんな感じで宗教的な概念だと思っていた『人は生まれながらに罪人』という考え方
そうではなく『積み』人
もしくは『詰み』人
カルマを『積み』重ねてきた『人生経験者』
もしくはその前に『行き詰まった』からやり直した人
だけど『前世の記憶』が無いから
今という『現在』の『居間』という空間において
『元から在った』詰み(誤ち)も
『元から在った』積み(魂の経験値)も
『教会』という他者に知られる事なき『境界』の中で『神父』と名乗る『神の使い』の前で懺悔して、『つみ』を告白する事で、己の中の『つみの意識』の根っこが『何処』にあるのか?
それは『現在の罪=選択と行動』の告白の中で、『何を誤ち』として捉えているか?をカウンセリングする事で本質を見抜く事ができるが…
実際は教会も神父もいらない
神=力の実態=心の内からの『意欲や衝動』というのは『己の中』にあり、その『己と内観で向き合う』事で、『現在』という『居間』の中で起きている選択への『神の反応』を知る事が出来る
そこで心が感じる『現在』への『元在=罪・詰み・積み』の『意識』とは何か?
過去に『選択ミス』による『行き詰まった失敗』が『元』に在ったのか?
過去から『大切に詰み上げてきた経験』が『元』に在ったのか?
今という過去も未来もその『居間』にある『現在』という『位置』を『意識して観測』している『神と我=心我』に分けて『鏡』のように向き合った時
『元から在った』のは何か?
貯蓄してきた『財産』を『活かす』ためか?
踏み倒した借金を『返済』するためか?
『記憶』はその『居間』にしか残されない
『選択』して『元在』から『次元』へ進んだら
その『居間』は『空間』となり『忘却』される
過去記憶は『悪魔』への『代償』として支払う
失われた『過去の栄光への執着』は悪魔=空く間に『憑かれている』と言える
過ぎ去ったのは『自らの意志』、そこを『去る事を選択』した時点で
どんな選択しても『後悔は先に立たない』
だから
『悔い』のない人生
心に『杭』が刺さらない人生
『懺悔』の必要のない『忘れられる過去』
それを生み出す『現在』という『居間の空間』を『観測』している『意識』をより広く高くするためには、『自他』という『分離』を止め、『神と我』という都合のいい『格差』を止めること
自分の『今』という『瞬間』は確かに『過去』という『元から在る空間』での『選択の積み重ね』で繋がった『次元』という『現在』という座標
しかし『経験を与えられるまま』にという『受動的な自分』に分ける事がなければ、その次の空間である『未来』=『未だ来ない空間』というのは『ランダム』ではなく、現在から次へと進みたい『明確な意志』によって『創造』できる
何も『知らずに体験』したいプレイヤー意識と
何もかも『知っている』体験を提供するプログラマー意識と
何もかも知らないプレイヤーの『ドラマ』を見て感動したり『共感覚』を得たい意識
これらは全部、『自分自身』という『己の心に内包 」しているから『分離』しなければ、三位一体の『神』
『今』という『現在位置』を『観測している意識』が、『次へ進む扉』を見つけても、それが『望むものでもない』なら『選ばない選択』ができるようになる
『居間の中の自分』には出来ないが、『居間の外にいる自分』にはプログラ厶を『書き換える力』がある
それは『真言・進言』する事
進言とは『上を納得』させる事
企画を『プレゼン』して『説得』する
今まで積み重ねてきた『魂の経験(心と向き合ってわかる感覚)』から
「これはこうしたらもっと面白くなると思うんだ?想像してご覧?」(๑•̀ㅂ•́)و✧Σ(゚д゚;)
まず『プログラマー目線で説得』するには、その『選択の先』に得られるであろう『経験の魅力』とその『使い道』をプレゼンする
次に、居間には無い所に突然『第3の予想外の選択肢』を作り出す『ドラマ展開を予告』する
こうご期待!!(๑•̀ㅂ•́)و✧Σ(゚д゚;)
これらは『何も知らない主人公の自分(トゥルーマン)』が望む想像を、それを『プログラムする自分(ディレクター)』が用意した『シナリオ構成』を書き換えて
そしてそんな『ドラマに夢中』になっている『次の役割』になる多くの『分離前の自分達(集合的無意識)』にワクワクと『知恵』を与える
『選択肢にない事』をしてもいい
無いなら『想像して創造』した『空間』を生んでいい
そういう『魂の経験を提案』し、それを『達成』する事で次から次へと『分離』して産まれてくる『新しい意識の役割』の根っこの元には『積み重ねた魂の経験』がある
それは『現在』は継承された『元在の空間』だけど、その『次へ進む元』となる『魂の空間での経験』でもあり、その経験を『過ち』として間違いは『間違い』と認め『軌道修正』していくためには
『原罪』に向き合う『内観』は、『何時のどの時代の居間』という『空間に意識転生』しても絶対に必要な事(その意識が生まれてきた意味を問う)
これはいついかなる『瞬間』でもできる事
しかし、その『誰も入れない空間』に『侵入する術』を見つけたのが、『教会・神父・懺悔・罪の告白』
人は『他者』と『分離』した時点で『神』ではない
ましてや『神の父』?なんと『業の深い選択』か・・
それは『善悪の根源』を『体験』する『境界』
誰にも聞かれない『教会の中の境界』で『告白する内容』を聞いているのは『聖職者』か『生食者』か『性色者』か・・
『天の神』への『代行者』とは『天邪鬼』の『邪の部分』であり、『天』に『牙』を向け『神の梯子』をかける。これが『力ある者』だと思っている存在に『全権利を明け渡して帰依』する『弱者』を狙っている『悪魔の居間』
通り過ぎれば悪魔が居た間は空く間、『記憶の忘却の彼方』に消えてなくなる
ずっと『宗教に帰依』するという事はいつ『悪魔化』するか分からない。人が『人の為』に『神の名』を語り『私利私欲の梯子』をかけるかは分からない
が、宗教に『意識が囚われている』時点でもう『悪魔付き』みたいなもので、どの『現在』にもその『元在に積み重ねた間違いの過ち』がついて回る事になる
「悪魔よ去れ!!」というキリストのセリフ、もしくは弟子の言葉は、『空く間(ついて回る過去の過ち・選択ミス・後悔)』という原罪のカルマ
だから『カルマ』と向き合い、
カルマを『解消する必要』がある
キリストは『サタン』を抱きまいらせ
仏陀は『マーラ』を受け入れた
それも『主観の自分』が『試練や問題を求めた願いの一部』だったから必要な事だった
『過酷な試練や苦行』『使命感を持つ』という事は、それだけ『現在』のやるべき事の『ハードルが上がる』けれど、その『緩急』は『自分の赦し』という許容しだい
何も知らなかった主人公が『そう感じる結論』に至る、それは『人生』を『ディレクションしている自分』や次の展開に期待してワクワクしている『分離前の集合的無意識の自分』にとって
『渡る世間は鬼(試練)ばかり』…じゃないのかもしれない(*´ω`*)、『憎い相手を赦す気持ち』ってこういう感じなのか…と学習させる
そういう『現在の生き方の選択』が、今までになかったら『新しい魂の経験』を積み重ね始め、使える『元在の選択の力(企画提案・ディレクション能力・ドラマ視聴者層の質)』が変わってくる
と、分けて『分離』しているけど、あくまでもそれぞれの『役割を区別』しているのであって『差別』でも『格差』でもない
『旅人』と
旅を『企画する者』と
旅を『密かに同行して見守る者』と
『選択肢(宿命)』や『方向性(運命)』は用意しているけれど、そこには無いもっと『面白い展開』になり、滅多に得られない『有難い経験を求めて行動』できるのが
『今』という『瞬間』を生きる『プレイヤー意識』にしか出来ない『自由意志の選択』
だから『人生体験』とは『特権』と言ってもいいほど、重要で尊い
私は今もこうやって『寝起き閃』を書いている(※公開は夜ですがw)のは、『この瞬間』に『メモ』しなければ、こんな『meta的』な目に見えない世界の『外側の仕組み』の事など現実の『空く間(今日という現在位置)』に観測意識が定着したら
『元在の居間の空間(夢)の記憶』など『忘却の過去』として消されてしまう
そうこれが『meta記憶を失って意識転生』
『悪魔との契約』は『生まれながらに悪魔付き』という『原罪を背負っている』とも言えるが、悪魔はあくまでも『概念』でしかない
それを『善悪』に『区別』しているのは『人の思い込み』
私が悪魔を『空く間』と言ってるのは、ぽっかり空いた『隙間』に『何が入り込むか』分からないから。過去の記憶も汚染されるし、先のわからない未来も空く間(そこに何がいるか)
天と鬼の間に『邪』が入る
天と地の間に『人』が入る
…これは偶然か?
人邪=神社
じんじゃの言霊は
強く内に示し、内なる示しが自然に飽和
強く示ささず、示さずに自然に飽和
なるほど『神の社』か『人の邪』か
その『空間の中身』は『蓋を開けないと分からない』=量子シミュレーション世界ってね?
本来の神社には『鏡』があった
そこは『現在』の『自分自身を映す』ため『神(可能性)』と『我(量子の観測)』を向き合わせる
人=邪ならば、その『邪の中での行動』
『正邪』か『邪悪』か?その空間での『選択』
その『積み重ね』が『カルマ』であり『元在』となり
その『元在の因果』を追求する事で見えるのが『原罪』
そうすれば『原因果』解る
産まれてきた『役割の目的』や進むべき『方向性』
最近わかってきた『感覚』がある
『過去を悔やまない』とはその『過去』が『現在』という『居間』だった時、そこに『大切な物を全部置いてきた』から、『やりたい事』をやってもう『満足して用済み』で『氣閉め』をつけて『戸締り』してきたから『執着』がない
その『空間』に『隙間』はなく『忘却の悪魔』が入り込む『余地』もない。だから『私』が『何』を『見て』、何に『感動』し、何で『笑い』、何で『悲しみ』、何をしようと『意識や行動が変わった』のか?
『次元』へと繋がる『魂の経験値』は奪えない
だから『今』という『意識が観測して居る空間』において、『何』をしたら『自分の心が躍り』、そんな『自分を見ている自分達を感動』させることができるか?
『ドラマの展開』を『自分自神』に『プレゼン』する
『自分自身』を『納得させる進言』において売り込むための武器っていうのは、『目標』を決めて『それを成し遂げた』という、自分にしか分からない『目に見えない達成感』という『信頼スコア=徳』
その『有言実行』の『達成』した『元在の積み重ね』という『信頼スコア=徳を積んた主人公』ならば、ディレクターも突然『スピンオフ展開』を考えたりする
そしてその『スピンオフ展開の先』が気になって『次のシーンに出たい意識達』は、その『物語が終わらない事』を望み続ける
そして、『スピンオフで得た達成の経験』が『次元』へと持って行ける『魂の経験値』であり、『新たな意識』はその『蓄えられた経験値』をどう使うか?を楽しみにしている
これは『全てあなた』
目に見える『神(我)』と『見えない神(真)』とそんな『神々の遊び』をみたい『神(心)』
神とは『真心』たまには『魔心(悪戯)』(笑)
でも心に『魔が刺した』所で『器』が出かければ、自分を責めない『赦しの許容』が大きい訳で(´∀`)キニスンナ!
ま、こんな風に『想像』を楽しんでいる時、『私の意識』は『現在』という『意識の観測位置』を持っていない
『現在』は『元在から構築』されている
もしも心に引っかかる『杭か悔い』があれば、それは『解消』するべき『原罪のカルマ』を持って産まれた『役割意識』
例えば『遅刻してはいけない』という『カルマ=自分に課したルール』は一日一生=永久的にそのカルマは解消されないが、そのルールの『縛りが無い環境や状況』を求めて『自分の意識』が『その現在』を求めて『観測した次元』が
『YouTuber』だったら?
『遅刻』という『時間に追われるカルマ』は『解消』されるだろう。しかしその『選択と行動』が『別のカルマ(人生=ネタ作りに追われる)』を産むことは『想像』できると思う
全てはあなたの『想像』とその『創造を意識が決めた今』という『居間(空間)』に、付随的に『次の選択と行動=未来』は決まっている
だから『今』が『大切』なんですね(๑•̀ㅂ•́)و✧
『今』をどう生きるか?『心』と向き合って決める
=『念』(-人-)
そしたら色んな『念』が『選択肢』として浮かんでくるけれど『選べるのはひとつ』であり、選んだらそれ以外は『雑念』として振り払わないと…
『過去の栄光』とか『過去のしがらみ』とか『悪魔(空く間)の記憶』に取り憑かれてしまうのよね。『大事な事』は『忘却』されて『どうでもいい記憶』は消されない
その『記憶領域』は『現実』には無い
ではどこに『ある』か?どこから『行ける』か?
想像してみよう
『デジャブ』とは何か?
『トラウマ』とは何か?
どうしてそれを『解消』すると『現実感の認知』が変わるのか?『そこ』に『意識を向けて観測』した事はあるか?『真剣』に『自分自身』に『その空間を体験したい』と『進言・真言』した事はあるか?
多分、多くの人がやった事がないだろう
『長いものに巻かれろ』の人は、その『元』から在る『積み重ねの原罪』によって『自由意志を放棄』し『不自由な現在』を受け入れるカルマを体験している
言うなれば『意図的な空間に囚われたまま』だから、こんな『意識』が『現実という現在』から離れた『夢世界からのアプローチ』になるのだろう
要はそこなんだよね
自分で『望まない体験』は『記憶に残らない』し、『達成=体感』しないと『定着』もしない
机上の『空論』
『経験』もないのに『空の世界観』を騙る
『体感』無くして『理解』なし
『やればわかる』から、『やり方』を伝えられる範囲で表現するが、おそらく『重要なキーやコード』は『自分自身の中』で創り出さないといけない
だから『想像と創造』の部分を『人任せ』や『何かに帰依』して『権利を放棄』して任せている時点で、机上の空論という『ただの情報』に踊らされて『後悔や杭』だけが引き継がれて重くなり、産まれた時から『長いものに巻かれる』という『現在の意識』から始まる。
その『長い物の正体』を知らないと進めない『次元』があるが、それはつまり『蛇ににらまれた蛙』の状況を自力で解除する事である
『それがいい』と思っているから『マスク』を外せない
とてもわかりやすいまさに『今』という『現在への反映』
だけど、『その空間』から『意識』は『何時でも離脱できる』という事を忘れてはいけない。ただそのやり方が『執着』を捨て『身も心も軽く』なり、『あるがまま』を受け入れ
トラブルすらもどう乗り切るか?と『楽しむ心意気』かあるいはその『誰も望まないトラブル』の『発生源』に鋭く目をつけて『侵入経路を潰す』という『NK細胞』のような『最前線で魔と向き合う門番の鬼』となるか
私はどうやら『後者』のようで、それが『元在からの積み重ね』のようで、結局『現在』も『夢の中でも』やってる事が変わらず、『人為的』な『精神汚染ウイルスの侵入』を防ぐ
そのために『言葉を言霊として処方』しているような
…そんな薬師=久須志の意識が…いるような居ないような…
あぁ目が覚めてきて、『現実』によって消える(´・ω:;.:…
(´◉ω◉` )無Σ(゚д゚;)
ここから新たな『想像や創造の種』を膨らませるための『プレイヤー』としての『一日一生』が『今現在』、この『元材(寝起き閃)』を持って『始まる』のであった…
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