好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

独自体感論 左右の書き順と脳の不思議

良性発作めまい病のような症状で『左脳が働かない』代わりに『右脳が活発化』した事で理解した『左右の書き順』と構成のお話

左右の書き順は?

左右

いちの(左)
のいち(右)

「どうして『形が同じ』なのに『入り』が違うの?」

かつて少年が『文字をレタリング』しながら何気なく思ったこの『疑問』に『納得の答え』を言った先生はいない。学説や常識が騙る象形文字説はこうらしい

左右

信じられるか?鵜呑みにできるか?人を馬鹿にしてんのか?┐(´д`)┌ヤレヤレ

だから先生など『先の輩』の成れの果て
『教えられた事』以外知らないし語れない『莫迦』ばかり

先輩という輩の戦敗から荒廃へ

先日、『謎の目眩現象』が不自然な音ズレからくる『脳の認知機能の不具合』という事をまとめた(後にコメントで頂いた太陽フレア時期とも一致は非常に興味深いが、それはまた今度)

独自体感論 音ズレは脳の知覚を狂わせツボが効く

これが当初は「このまま運転したらマズイかも…」の状態からとりあえず『寝起き』以外に急にぐるんと来る事は無いという『回復傾向』に至るまでの『不愉快で不調』だった時に起きた『不思議な閃き』で色々わかった話

右(のいち)は上から降りてくる『縦の流れ』が先
その後に『横から線引き』して口にして伝える

まさに『直感』

左(いちの)は『まず線引き』があって、その『線の外』から入って来た『何か』を『工作』する

まさに『分析や解釈』

さてさて、面白いのは『左』なんだよ(。-∀-)ニヤリ

仮にこれをわかりやすく『宇宙からの飛来物』に置き換えて見よう

右は入ってきて『そのまま使う』(オーバーテクノロジー)
左は入って来たものを『分析して工作する』(リバーステクノロジー)

故に右脳は左脳などお構い無しで『口』から伝える

左脳は『右脳の閃』の『出処を理解出来ない』で、入ってきたものを『自分に都合よく解釈』して『工作』する

すると面白いのが、1度でも『左脳が解釈』して『分解』したら、それについて『右脳は何も反応しなく』なり、右脳の『閃きの出処』すらわからなくなるのだと、とても『わかりやすい状態』になった

私は気がつくと友人と『3時間』ほど話していた。そのうち1時間に1回は「俺何を話していたっけ?ʅ(´⊙ω⊙`)ʃΣ(゚д゚;)」と『話の道筋』を見失う

これを世間的には『ADHD』という『病名のレッテル』を貼り『型にはめよう』とするけれど

全然違うわ┐(´д`)┌ヤレヤレと確信

『右脳』を通して『直感』で喋ってる時、それは『解釈』として『見えてる事』を『そのまま』伝えている

だけど、そこに『分析』が割り込むと『小癪な理論』や『知識』『与えられた情報』を混ぜ混ぜして『工作』してしまって『話の腰』をおって『脱線』してしまう

そのため『右脳が黙る』( ¯−¯ )うぜぇΣ(゚Д゚)
『本物が語る』のを止めると『偽物』に『続き』は創れない

つまり右脳の『語る』を左脳が『騙る』に変えて『模倣』になっていき、自分の中から放出される『解釈の言葉』の出処が、『無限に湧き出る泉』ではなく『溜池から汲み取る水』のように『いずれ枯渇』する

そして「水の出処ってどこだっけ?ʅ(´⊙ω⊙`)ʃΣ(゚д゚;)」と話忘れてる

これが『左脳は右脳の存在を認識していない』由縁の所以、『左脳で現実を観測』している人は『右脳での俯瞰での観測の次元』をしている人の『噺(はなし)』が理解出来ない

そんな感じ

右脳が伝える『直感』には『時間差』が合ったりして、今すぐの『現実の予知』ではなく、『何次元も意識がシフト』した先のまさに『千里を見通す眼』で『現実の余地』の話をしている時があるから『現実感』がなくて当然な事

だって『この現実の今の事』を語っていないが、『今この現実』からの『繋がる可能性の次元』を『明確に捉えている』ために、『嫌な間違いが起きる次元』を捉えた時

そうならないように『問題を問題』として『因果が起きる前の次元』に『間違った扉』を戸締りして導こうとする

それを「なんだかよくわかんねーけど、感覚、直感的に嫌な予感がする」といい、そして、その『直感的感覚に素直に従う人』ほど、『心に直結』した意識と行動力の『自由意志』を持っている

『ビビり』や『行動を起こさないやつ』を現実では、『駄目なやつ』と『レッテル』を貼るのは『動物』

『動く事が災いを招く事がある』と知らない『無知蒙昧な獣』
『静物』は意識のない『道具としての器』

ここで時には『静観』が必要だと降りてきた『小噺』をひとつ

達磨さんが転んだの本質

達磨

達磨は『縁起物』と広められているが、私には『首と胴体だけの四股を奪われた状態』、それが『周りの赤(血)を表す』と感じるが・・『動いては駄目』が『本来の意図』で言えば、動いては行けない『静止して静観』が必要な時もある

そうでなければ『生死』を分ける『生還』がない
…というまさに今も『右脳が下ろす直感的解釈の達磨』の話

そうやって調べると本物も僧にしてはド派手な赤い布を深くかぶり『なぜ手足見せない?』という『違和感』がある

カタカムナの言霊では達磨は

反対に別れてとどまった受容
もしくは別れないで留まった受容

まるでバラバラにされて『残された体』と『意識の分離』、あるいは『肉体がバラバラ』状態でも『血達磨』で生きてて『意識が肉体に留まっている』状態

白目に黒目を書き込む=そこに『魂』を込める(封じる)
とても『ホラー』で『縁起でもねえ事』をて広めていないだろうか?

と『腑に落ちる話』を伝えるのが『右脳』で、それを『知識』として『ネットや常識から与えられた宗教観』から引っ張ってくると

「そんな事実はありません。エビデンスは?証拠は?」と、他人の言葉(情報)を『鵜呑みに肯定した左脳』が、右脳の発信源に『線引き』して『都合よく工作』して『講釈』を垂れる

そりゃおめぇ・・

『弟子』が『話の腰を折る』上に『次元の低い下らねえ小噺』を『嬉々』として騙って聞かせる『釈迦に説法』みたいなもんよʅ(´⊙ω⊙`)ʃヤッテランネΣ(゚д゚;)

せっかくの『右脳からの有り難い教えの閃き』も素直に聞かなきゃ『馬耳東風』の『馬の耳に念仏』よ

そこで落語の最後の言葉に注目しよう

落語の言霊と右脳

お後『が』よろしいようで?
お後『は』よろしいようで?

なんか『現代的』には、『次の演者の準備ができた』と言う心遣いの意味で『が』になっているけど

右脳の直感は『は』なんだよね

実は私の『右脳の垂れ流す説法』が面白いんだよね〜( *´艸`)と何時間でも聞いてくれる上に「じゃあ、そうなるなら…もしかして…これもか!!ʅ(´⊙ω⊙`)ʃΣ(゚д゚;)ほんまや!」

と、私にも分からない『突飛な右脳』で返す『建設的なトークで盛り上がる友人』との話は…延々と続き「面白いし話は尽きないけど、そろそろ…俺寝ないと明日まずんいんだよね(;^ω^)」

と本当は『もっと聞きたい』んだけど、この辺で『オチつけない?』という時に

「お後はよろしいようで?」(。-∀-)ニヤリΣ(゚д゚;)

まだまだ『尽きない話』はあるけど『この程度』でいいのかい?『もっと』聞きたくないかい?その『観点』から行けば落語とは『いい間でオチがつく』ように型に収まった『小噺』

でも小噺と『口』に『新』しいなんて書いてる割にゃ〜やってる事は『古典落語の繰り返し』で『新しい落語』が生まれやしねぇ

ʅ(´⊙ω⊙`)ʃΣ(゚д゚;)確かに

そういう意味では『タイガー&ドラゴン』は面白かったねぇ!まさにああ言う『人生体験』を感じたままに『素直にそのまま語り残す』からこその『小噺』なんだよね〜みたいな繋がりで

「眠りの妨害をする気はねぇが・・ちょっと聞いたらあんさん、寝るのが惜しいよ?ʅ(´⊙ω⊙`)ʃお後は…よろしいんで?Σ(゚д゚;)」

これが私の中では納得の解釈

ちなみに落語の言霊は
場に引きよって転がりでる

まさに『どっかから降って湧いた話』だけど、『噺家にそれを伴う実体験』があればあるほど聞き手に『共感と臨場感』が生まれる

私の『友人』が『私の言葉』を『素直』に受け入れて、さらに『建設的に積み重ねられる言葉』を返してくれるのは、その『例え話』の中で『表現』している事が『お互いに共通ビジョンで見えている』からこそハマる

それを『可能』にする『精神世界の繋がり』を創るのに必要なのが『右脳』の働き

いつの間にやら『噺家の話』に繋がってるけれど、根本のベースは『右脳』とは『体感で得た事の素直なフィードバック(感想)』だからこそ

『素直な人』から『素直な人』へ
『直感で感じ取る人』から『直感』で伝わる

逆に言えば『与えられた情報』を疑いもせず『実体験』もなく『架空の概念や常識』という『机上の空論』に当てはめた上に『例外は認めない』と切り捨てて『小癪な都合のいい解釈』をする『左脳で騙る』内容(化学や科学、エビデンス)は

全く『理解』出来ないʅ(´⊙ω⊙`)ʃ無理

直感は一言で返す

『嘘』だよね?
『捏造』だよね?
『隠蔽』だよね?
『改竄』だよね?
『都合のいい解釈』だよね?

彼らに共通なのは いちの工=『左』

まず『線引き(社会的常識や概念)』という『フィルタ』があって『外から閃』のような『材料』が、それを通して入った事で『工作して利用』する

『工=たくらむ・計画』という意味がある

『隕石落下』を誤魔化して利用する
『UFO落下』を誤魔化して利用する

色んな所に『護摩』を炊き火のない所に『煙』を立てまくる(焼香)

詐称=左証
(割符の左券の意から) 証拠。証左。あかし

もう『分かってる(袂を)』んだけど、それを『分からせる』ためには『釈迦』が一旦『莫迦』にレベルを『合わせる必要』がある

それが『例え』という『仮想の共通ビジョン』を用いる方法

カタカムナ35首「例」 不可能を可能に変える力

この例えを『膨らませ過ぎる』と『右脳が伝えたい事』がなんだったのか、まるで『現実で目が覚めて夢の記憶が消失』するように忘れていく

白ヤギさん(右脳・閃)からお手紙ついた
黒ヤギさん(左脳・分析)たら読まず(行動しない・知識で判断)に食べた

仕方がないのでさっきのご用事、お手紙(閃の中身)なあに?

黒ヤギさんから…以下同文

ʅ(´⊙ω⊙`)ʃΣ(゚д゚;)どっちも食うんかい

『オチ』つかない話は、落ち着かない(すっきりしない)
これも『現実の例え話』で『笑いを取る』と『本質を見失う』という例

本来は『オチが見えない』=『先が気になる』という意味での引き
お後(この続き)はよろしいんで?ʅ(´⊙ω⊙`)ʃΣ(゚д゚;)キニナル

でも現実の『今の笑い』は『時間内にきっちりと収める』という『型にハマった小噺』でしかないから、オチという『終わり』がつかないと『スッキリしない』という『良くない形式』になっちゃったんだよね┐(´д`)┌ヤレヤレ

本来は『ワクワク』に『キリ』のない『切り所』なんてない『エンドレスに続く悟り(旅路)の物語』が『右脳が下ろすメッセージ』

『いつの何処の次元の噺』をしているのか分からないが、それに『耳』を傾けると『夢中』になるよね

そんな『夢中になる世界』に『気』がつけば「体験したい!」と『意識』が旅立っていき、それはいずれ『自分の経験』になる事で、『あの時の自分』に『右脳』を通して『小噺をしていたのは今の自分』だったんだと気づく事がある

だから『莫迦=人の言う通りに従ってる』限り『釈迦』になれんが、『釈迦の声』に耳を傾けた時、それは『釈迦が自分だった』と初めて『気づく』事が出来る。これは『知識』として言われても『絶対に理解出来ない』

なぜなら『知識』は『左脳』であり『莫迦』だから(笑)

これはかつて『莫迦』で『教えをひとつ覚えで繰り返した』果てに、その『教えに従う』からこそ『永遠の繰り返し』なのだと気づいて『不自然』から離れた事で『釈迦』としての道を踏み出した『何者かのその旅路で得た気づき』のひとつとして

『莫迦でもわかる』ようにと、『左脳』が『完全に故障状態』の私は『直感バリバリの感覚』で書いている。だからそこに『理路整然』なんてものはねえ!甘えは一切ない「厳しい体験を自らしろ!」と体感を促す教官

シンプル哲学 教官に共感できない理由 生徒死徒

『名』のある『言葉』ひとつ『引き出し』を開けたら『夢元の有中』、略して『夢中』になって『時』を忘れて『語って』しまう

だから面白いのが、『故障中の左脳』がなにか『解釈』しようとすると『左に目眩』が起きてぐるんと回る反応が出た事

「邪魔をするな!」と『右目を開眼』させる
これは前に夢の中で私が語っていた事「左右のパース(空間)の狂いを正せ!」と

パース

カタカムナ53首 狭間と死者の飯

まさに『右目を意識』すると『目眩』は起きないし、何事も『前向きに捉える傾向』が生まれる感覚を『体感』した

それでまた『人体の不思議』としてわかった事がある

脳は体と反転連動するけど『目は一緒』

例えばよく言われるのが右利きと左利き
左半身が右脳、右半身が左脳と連動

この話は友人が『実は左利き』だったんだけど『宗教の関係』で「左は良くないから右利きにしなさい(`・д・)σ メッ」と親に矯正され、『今は右利き』と聞いた時に、私はその友人の『頭の右側に外的な腫瘍』がある事を思い出した

これは拾い物だがこんな感じ。生々しいのでぼかす

腫瘍

でも本人曰く痛いとか痒いとかもなく、ずっと『若い時からあったもの』だと言ってたから思い出した訳で、それを『直感』はこう伝えた

『本来は左利き』という『本質をねじ曲げる事』による『右脳へのストレス』(血の流れが変わる)

『子供だから直せる』というのは『大人の知識の理屈』だけど持って生まれた脳との直結した『感覚を矯正する』というのは、『脳に腫瘍(血の鬱血)ができるほどのストレス』だとしてもおかしいと思わないし、まだ『体が発達しきってない伸び幅』があればその『腫瘍ありきの造形』に変わっていくとしたら

「お前、本来の左利きに戻せば腫瘍治ったりして?」ʅ(´⊙ω⊙`)ʃΣ(゚д゚;)

まぁ『現実的』に言えば、この体の状態で『凝り固まった細胞が変容』するかどうかは分からない。しかし、人の細胞は『DNAの設計図』が変われば当然『新陳代謝で積み重なる細胞形成』も変わる

私は何も『運動』をしてないが『生きる姿勢(精神と習慣)を変えた』だけで『20Kg痩せる』だけでなく、コンプレックスもなくなり、『顔の輪郭』すらもシャープになった上に

それを裏付ける『内面的な自己肯定感』がかつての自分はもはやいないレベルで『別人に変化』した

なら『無理やり習得』して『本質に逆らって慣れた右利き』を本来の『直感と連動する右脳のまま』に動かせば、『正常な精神』と『正常の血流』で『細胞が一新』されるのではないか!!(。-∀-)ニヤリΣ(゚д゚;)

ちなみに私もそれを『可能性』として言いきれる『体感』があって『日課』として行ってる『素振り』と『居合』を鞘から抜く動作があるのだけど

「これを左でやったら…」と『構えを逆』にしてみた

すると、何をどうしていいか『体の使い方』がわかんねーʅ(´⊙ω⊙`)ʃΣ(゚д゚;)となり、『考える事』をやめて「スっと…」何も考えずに『イメージ(スラーん)』でモーションを描いた

すると右利きであれこれ考える時よりも『やりたい事』が体になんの負担や余韻(振り抜いた時の手首の痛みとか)がなく

「え?え?ʅ(´⊙ω⊙`)ʃ今のどうやったの?」と頭であれこれ『解釈』しようすると上手く『再現できなく』て、でもなんだかわかんねーけど『考えないでイメージ(擬音)しよう』とすると

まさに「ヒュん…(振り下ろして止め)」とか「スラーん(ゆっくり抜き)」「ズバ(勢いよく振り切る)」みたいな、『音が動きの軌道を描く』ように、言うなれば天才長島幸雄の感じた『表現の伝え方』は、本当に『そのまま』だったんだとΣ(゚д゚;)語彙力じゃなかったと(笑)

つまり、本来『右利きで左脳解釈』をしてきた私が『右脳直感タイプに全振り』していく事で『左利き(考えては動かせない)』になっている

なんて話をしながら思ったのが…ほならわしのこの『左目のグルン』と『左脳が動かん』のはなんやねん( ‘ω’)?

結論からいえば

『脳と体の機能は左右が逆転』して繋がってるけれど『脳と目は左右は一体』と言う事

『左目と左脳』は『現実と過去』を捉え
『右目と右脳』は『精神と未来』を捉え

故に『左利きは少数』で『才能』はあるが『現実感』がなく『社会適合性が低い浮いた存在』になる。『一芸』に秀でていても『生活能力がない』から『誰かに頼る』か『利用される』しかない

才能ある芸能人を『タレント』という

そんなタレントを『雇う(囲い込む)』もの達は、『社会を分析』して『支配』や『都合よく解釈』して適合するバランスを取ろうとして『才能は認める』けど『ルールには従え』と『一線』を引いて『工作』する

右脳がのいち(肯定)
左脳がいちの(否定)

左が『左証で詐称』で『線引きして工作』して
右(持って生まれた・元からの力)を『支配』して従える

『右(直感・閃き)』は『左(常識・概念・ルール)を遊ばせる』から『自由の中』で『ポテンシャル』を発揮する

これは実に面白い話

『後天的に左も右同様に使える』ようになっていた?というのは『元々持ってない才能(意識)』が後から来たとも言える

独自体感論 身に覚えのないギフト(新能力)が現れる

いつの間にか『出来ない事ができる』ようになっていた、それが『右脳を遊ばせてる』から色々『閃が直感』で入ってくる。でもその『閃の正体』が実は『別次元の意識の融合』だとしたら、それまで『左利きだった経験をつんだ自分』が融合すれば

『左もまた右と同様に使える』ようになっている

まるで魍魎戦記マダラが『生まれた時はヒルコ』のように『全てを奪われ偽物の機械の体』で生きてきたのが、それを『隠し持って力に変えていた化け物を退治』する事で、生身の本当の『目、耳、両腕両足の四股』を『取り戻して行く』かのような不思議な体の変化

『左脳が黙らされた』事で『右脳が言いたい事』にほとんど『邪魔』が入らなくなったし『右脳からの直感の感覚』ってのが『体感として認知』できている『この経験』がとても有り難い(認知が変わる)

人は『直感』で繋がり『心が気持ちいい』と思うままに『体を自由にさせる』と『足りないものが満たされて行くような感覚』を味わえる気がした

脳を『客観的な物質として分析』しているのでは決して『主観で味わって気づく』という事は無い。まさに『釈迦(気づく者)』になりてえなら『莫迦(与えられた知識の妄信)』な事はやめろと

宗教観や常識、概念は『邪魔』なだけと『体感』無くして『理解なし』を味わった

この『学びと体感』を得るために『ワイルドハーツ(自然と一体化した獣)』に誘導されて、結果『脳がバグ』らされて…ここに至る。そしてその脳のバグで左脳が思いつかない『新たな遊び』を見つけるのが『右脳の知恵』なんだよね~面白さを探求( ̄ー ̄)ニヤリ

これ、『思いついた瞬間』に頭の中にもうどうやるか?の『設計図』があって『後は行動するだけ』だったという『異次元の知恵』。そしてこれが思いつくのもまた、その前に『導かれた経験』があっての引き出し

カタカムナ46首 リアルタイムシミュレーション

うーん(´・ω・`)急がば回れ
時には『楽』ありゃ『苦』もある修業

恥ずかしい過去をリンクしておこう。知ったかで『莫迦だった頃の右脳と左脳』について書いた当時の私の記事※ちなみに2014年の頃の記事

利き脳

あなたの利き脳は右脳?左脳?You know?

『体感した今』となっちゃこうなる

『右脳は有能』ってYOU know?ʅ(´⊙ω⊙`)ʃΣ(゚д゚;)

逆説的に言うなら、『右脳』使ってない人は『超現実派でイズム(主義)や信仰(ポリシー・政策。政略。方針)』を持っていて、両方持ってる人は『ポリリズム』

表向きは演奏的手法の意味になっているけど、『ポリ』が複数という意味は何語?そんな事は『左脳』に聞けよʅ(´⊙ω⊙`)ʃ

でも右脳の直感はこれを結びつける

『ポリシー』と『イズム』とその『テンポ(リズム)』で『ポリリズム』

繰り返すこのポリリズム(宗教的政策)
あの『衝動(ショックドクトリン)』はまるで『故意』だねʅ(´⊙ω⊙`)ʃ

ショックドクトリンで5Gが進む法則

ショックドクトリン 若者を利用した超限戦 飲食テロ地上げ編

コオロギ=人間のSDGS

『歌詞の捉え方』の『観点』を変えるだけで、この歌は『悲劇』と『喜劇』が『ループ』する、それはまるで『恋』のように『上がり下がり』を繰り返す

…な?ʅ(´⊙ω⊙`)ʃ『右脳』に『噺』させるとキリのいい『オチ』る所がないんだよ Σ(゚д゚;)タシカニ

だから「お後はよろしいようで?」(とりあえず一旦ここで終わるけど、続き(直接続くとは言ってない)が気になる人はまたどうぞ〜と)

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