寝起き閃シリーズ。人相と憑依…というワードを紐解いて行ったら陰陽師(安倍晴明と芦屋道満)とカタカムナが繋がったというお話
人相とは人の顔つき
人の顔つきとは人の顔立ち・表情
人の顔立ちとは顔かたち。目鼻立ち。
表情とは心の中の感情が顔など外部に現れたもの
憑依とは人の生霊・死霊,動物霊などが人間の体内に入ることによって、その人が精神的、肉体的に影響を受ける現象
表情が顔の表面に内面の意識が反映されたものと考えると、表情が変わる程に心に影響を受けるのは、何かしら外部からのエネルギーの干渉を受けてる状態なので
憑依とは、表意(表に出てくる意識)でもあり外部の生霊=感情エネルギーや死霊(残留エネルギーorかつて何かだった穢れ=気枯れ)が憑いた依代の状態でもある
と考える事ができるのだけど
単純に私が気になったのは
一時期話題になった人面犬や人面鯉
また怖い呪いで有名な人面瘡
私は夢で人面瘡に憑りつかれる体験をした際に、無害だけど徐々に体と意識を乗っ取ってこようとする意志は感じた訳で
これらの人や動物に現れた痕跡は何かの霊を意図的に結びつけて人の意識が憑依できるか?を呪術実験していた産物だとしたら?
西洋医学や科学(ルーツは錬金術)が切った貼ったの魂のないフランケンシュタイン(人造人間)を生み出すのだとしたら、東洋呪術は生身の人間に霊を憑依させて化け物にする?
あぁ、そうか陰陽師の依代(紙)の人間バージョンか
平安時代の京都はなぜに妖や魔物が出没する魔都の噂が立ったのか…そして、なぜにそんな環境に、状況を一変できるヒーローのような陰陽師という存在が現れたのか?
私はこれを壮大な自作自演だと思っている
ヒーローは悪がいないと成り立たない
戦争がなければ兵士はいらない
お互いに敵意がなければ争いは生まれない
逆に言えば
ヒーローを生み出すために悪を造る
兵士と敵意を用意して戦争を生み出す
卵が先か?鶏が先か?
人の手に負えない魔物や妖怪がいなければ、陰陽師という存在は必要ない。という事は陰陽師が必要とされるには魔物という存在を放てばいい
陰陽師は魔物を使役して魔物を封印する(倒さない)
陰陽師が常に必要とされる敵が尽きない環境、それはつまり、人の理解の及ばない呪術だからこそ、大衆が陰陽師に疑いを向けない限り、陰陽師に逆らえない環境を生み出していた
この疑惑をより確信に感じさせるのは、陰陽師は時の権力者とずぶずぶの関係だったから
歴史上有名な、安倍晴明は、平安時代の陰陽師。「晴明」を「せいめい」と読むことが多いが、これは音読みであり、諱本来の読み方は確定していない。鎌倉時代から明治時代初めまで陰陽寮を統括した安倍氏流土御門家の祖。官位は従四位下・播磨守。
従四位下が職における大夫、近衛府の中将、検非違使別当、蔵人頭、京職の大夫など朝廷内の行政を司る京官の長官ないし次官相当の官職がこの位階に相当
つまりは陰陽師は朝廷の行政長官という政治に口出せる立場にあった訳だ
しかし、私が気になったのは、もう1人いたはずと気になった陰陽師がいた
「正義の晴明」に対して「悪の道満」という扱い
道摩法師は、平安時代の呪術師、非官人の陰陽師。生没年不詳。一般的には、蘆屋道満あるいは芦屋道満として知られるが、活躍したとされる時代の文献ではその名が不詳である。また、道摩法師と道満は別人であるという説も存在するなど実像については不明な点が多い。 江戸時代の地誌『播磨鑑』によると播磨国岸村の出身
wikiでも悪役なエピソードが書かれているが実際の所はわからないが、上記、歴史上正義と歌われたものは実は悪で、悪党と罵られた存在ほど民の意志を大切にするものだったというあらゆる歴史の裏から見れば
陰陽道を盛り込んだ桃太郎を見れば一目瞭然
後世に至る伝承の中で、鬼は悪いやつ、鬼は退治するべき!という印象操作をしている側(お前ら金銀財宝奪ったよね?)が、大陸からの侵略者であり、丑寅の方角にいる鬼とは、朝廷の意向に従わない土着の縄文の民であり、鬼とはモノであり、モノノフやモノノ怪と呼ばれ忌み嫌われるように印象操作されている
そういう情報操作の呪術も時の調停の官職という位置から陰陽師ならできる訳だから、その意図的な情報操作を行ったであろう自称正義の安倍晴明から「悪の道満」という扱いを受けて遠ざけられた存在は・・
本当の意味では正義だったんではないか?と思う事を見つけた
芦屋道満(アシヤドウマン)
私はこの名前(似ている)をカタカムナウタヒの1首で見ている
カタカムナヒビキマノスベシ
アシアトウアンウツシマツル
カタカムナウタヒ
アシアトウアンとアシヤドウマンはあまりにも似ている
この1首の中央の記号は全80首中3回しか出てこない〇で描かれている
〇は言霊読みでは、調和
つまりは、本編ではなく著者の注釈と見ると、元々存在したカタカムナの秘術を書き写したのがこの芦屋道満(アシヤドウマン)だと仮定。このカタカムナを書き写して理解して陰陽師になったのか、元々陰陽師がこれを重要と判断したから書き写したのかは分からないが
すこし関係性があるようなエピソードがwikiにあったので引用しよう
「三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集#晴明朝臣入唐伝」を参照
遣唐使として派遣され唐の伯道上人のもとで修行をしていた晴明の留守中に晴明の妻とねんごろになり不義密通を始めていた道満が、晴明の唐からの帰国後に伯道上人から授かった書を盗み見て身につけた呪術で晴明との命を賭けた対決に勝利して晴明を殺害し、第六感で晴明の死を悟った伯道上人が急遽来日して呪術で晴明を蘇生させ道満を斬首、その後に晴明は書を発展させた。
最後の部分の伯道上人から授かった書を盗み見て身につけた呪術で勝利
呪術で晴明を蘇生させ道満を斬首
このエピソードには諸説色々あるが、これが神話シリーズでよくある著者側に都合が良い脚色をされて後世に伝えられているものだとするならば、その逆や嘘の部分を読み解く必要がある
そもそもこの話自体が全てまるっと創作の可能性も否めないが(笑)
まず安倍晴明は生まれながらに能力を持っていたのではなく、遣唐使として渡った先でその陰陽の秘術を学んできたという点、そして、芦屋道満が安倍晴明の妻と浮気し、その妻を通して盗み見た書物で晴明と命をかけた戦いに・・って
その流れだと、まるで妻を寝取られた夫VS間男という間抜けな昼ドラバトルになってしまうし、何よりも唐に渡って修行してきたのに、修行もしないでちょっと秘術を盗み見ただけの間男に負けるって・・どんだけ晴明無能力者wwっていう情けない話になり
一回死んだあと、師匠の力でチートで復活で復讐して斬首?それ戦いパートは師匠が戦ってね?ww
ちょっと脚色自伝にしても、情けない話を後世に伝えるっていう頭の足りない所が無能力者の証であり、仮にその弟子たちが書き記したにしても、その無能を広げる無能な弟子たちに対して呪いや祟りを発動しないあたりやっぱり無能?
って話になってしまうから嘘は辻褄が合わない┐(´∀`)┌ヤレヤレ
もしこの晴明の妻が世の為人の為に、陰陽を用いて京の都を支配する悪の権化である晴明を討つための呪術を、ひそかに道満に伝えたのだとしたら?
そうすると道満が命を懸けてまで晴明に挑む理由が見えてこないだろうか?
どちらが本当の悪で、どちらが正義なのか?
そして、伯道上人から授かった書がカタカムナだとしたらアシアトウアンが芦屋道満の可能性は非常に高い事になる
このカタカムナウタヒの冒頭で書かれているマノスベシ=真似すべし?と解釈すると、安倍晴明が独占する秘術を本当は道満は多くの人(陰陽師)に伝えようとしたのではないか?
言うなれば、フリーエネルギーのように、精神テクノロジーを多くの人が理解すれば、人の精神は妖や魔物に心を囚われない強い心を得られる
魔物を倒す役目(自作自演)を一手に引き受ける安倍晴明一族に対し、魔物は心が不安だから付け入る隙を与えてしまうのだから仕組みを知って恐れるな!と人々の精神を高めるために伝えようとしたのが蘆屋道満であり、カタカムナなのではないか?
ちなみに民間陰陽師は時に「ハカセ」と呼ばれたらしいので、研究者という立場の者であったとすれば、さらに「真似スベシ」や「アシアトウアン」と著者の記述をするのも辻褄があってくる
と考えれば、この2人が争った理由も何となく見えてくる
片や魔物を生み出し人を怖がらせ魔物を退治する。権力の座に入り込み、陰陽術(カタカムナ)でライバルを呪い殺すなどの影の自作自演ビジネスも可能
片や幽霊の正体枯尾花、物事の本質と真理を知れば恐れるに足らず!本当の魔物の正体は人間の侵された誘惑や執着に弱い心だという本質をカタカムナから説く
どうしてカタカムナが隠されてきたのか?
どうして今の時代に表に出てきたのか?
どうして567首だけが世の中に広められたのか?
どうして後世に悪の道満として広められたのか?
カタカムナの本筋はそれ以外の事もたくさん書かれていて、医療畑の人が研究すれば医療に、アスリートなどが研究すれば体術に・・とすら思えるほど、567首以外も全てが重要と言える(と思う)が、引き寄せの力を富や名声、権力を引き寄せるためのビジネスに利用というのは建前で
本当の狙いは、567=コロナ=弥勒の世=終末を呼び寄せるための計画的陰陽術だったのではないか?としたら、芦屋というよりその混沌の世を望み、再び救世主として返り咲きたいのは安倍では?
私は今日のこの記事でカタカムナの話をするつもりはなかったのだけど、人相と憑依→霊・魔物→妖怪退治→陰陽師→もしかしたら自作自演?→ライバル→蘆屋道満(アシヤドウマン)→カタカムナやん!(アシアトウアン)
私が今日までカタカムナの研究をしてきて感じたのは、どこにも利己的な要素はなく、全て誰かの役に立つようなアイデアに繋がるような、人智を超えたエネルギーの循環やそれぞれの気づきを与える役割であるという流れ
その観点から考えれば、呪術の悪用は安倍晴明とその配下たち、その美味い汁を吸った時の権力者から始まったんだろうな。蘆屋道満は史実上、悪とされているが、非官人であり、民間の陰陽師という立ち位置で権力を欲していないと見ると、社会的に影響を与える悪い人には思えない
陰陽師に封印された魔物とは、もしかしたら世のため人の為に頑張る事が、時の権力者にとって都合が悪い人達だったのかも
特に民間のハカセ(純粋な陰陽師=能力者)に巻物を研究されるのが特に・・
その時代の支配する側の悪党の霊が現在の人間に憑依してたとしたら、そりゃ呪術を悪用するだろうなとしか思えないし、中身の意識が変わるから人相も変わるだろうな
カタカムナは不思議だね
今現在に継承されているのは、平十字という一族が守っていたカタカムナの碑文の石碑・・という時点で石に刻むは石切の技であり、縄文の民の匂いがするが、平十字という苗字をカタチにするとこうなる
どこかの家紋という見方もできるし、これは惑星地球の儀号でもあり、カタカムナにおいて8つの中心に位置する重要な記号でもある。地球の守り人という事かもしれない
これを楢崎皐月という人が書き写し、その書き写したものを現代の言葉に訳した弟子の方がいて、結果その碑文の最初に書かれていたのが、アシアトウアン=蘆屋道満?
仮にそれが本当のことなら3つの仮説が決まる
仮説1 カタカムナと縄文(巨石文明)
カタカムナは陰陽師の歴史よりも古いか大陸から渡ってきた陰陽秘術そのもので、陰陽師(芦屋道満)も真似すべしと写しているという事は、写したアシアトウアンという者が残した方法が石板に刻まれた碑文であったという時点で、それは石切の成せる技であり、石切の意志を継ぐ、巨石文明は縄文のルーツに繋がっていく
仮説2 陰陽の悪役が後世に書き記した?という矛盾
カタカムナを後世の歴史上から見てメジャー(主役:安倍晴明)ではない方の(どちらかといえば悪役:蘆屋道満)が書き記して伝えようとしている矛盾(普通独占したければ黙るか存在を隠す)
もし仮に、悪役で誰にも見せる気がないのであれば「真似すべし」とも、「誰が写したかの正体」もわざわざメッセージのように追記する必要性もない。この矛盾を考えれば、アシアトウアン(ハカセ)は良かれと思いその技術(陰陽)の全てを残したが
それは同時に陰陽の悪用(安倍のように)にも繋がってしまうため正しき思想を持つ者が現れるまで平十字という一族が代々隠し続けてきたのかもしれない
仮説3 カタカムナの影響を受ける効果は人によって違う
カタカムナは読むのではなく意識して受け取る(記号を記憶して頭の中で瞑想して内観する)とそれは善悪や損得を超越した常識外のものばかり伝わってくる
思えば、カタカムナ研究での夢の中での自分の体験もなかなかのファンタジーすぎるから、あの意味不明の冒険譚もいずれ読み直す時が来るのかも・・と、カタカムナ研究レポートが溜まってるのに記事にしないで、こんな世の中の流れを洞察してたら・・
そこからまた カタカムナのが研究の方がおろしろいぞ?(・∀・)ニヤニヤ Σ(゚д゚;)タシカニ って引き戻されるのであった(笑)
ってこれ自体がカタカムナ14首を枕の下に敷いての寝起き閃だからな(´-ω-)ウムΣ(゚д゚;)そして、なぜここで蘆屋道満(アシアトウアン)が出てきたのか…ふと、次の15首を見て思った
全80首ある中、〇の記号は3回しか出てこない
ひとつは1首のアシアトウアンが真似するために写したよ〜っていう注釈、という事は、この〇ブロックは本編ではなくアシアトウアンのメモや自分の解釈や補足だと思われる訳で
なんと、次の15首がその〇ブロック(/・ω・)/オオオ
つまりはアシアトウアン=蘆屋道満が、カタカムナを写しながら何かしらを自分で書き加えたブロック(オリジナル陰陽か?)と想像できるわけだ!!( ̄ー ̄)ニヤリ Σ(゚Д゚)
と、書きながら自分が1番驚いている(;゚Д゚)次だった!芦屋道満(仮説)が伝えたい事って!
言われて見ればそうだよね、陰陽の太陰大局図の光と闇の流れはカタカムナの螺旋放射に似ている訳で、カタカムナが陰陽の本筋の知恵であり、それは後世のためにアシアトウアンが残したもんであり、その後に晴明が陰陽道を発展させた=今現在の陰陽は晴明が側が生み出したものって事だ
「さがせ!この世の全て(カタカムナ写し)をそこにおいてきた」
お上に逆らい、斬首 あと何か悪役なんだけど、真実は・・的なイメージが芦屋道満って事で(笑)
これは14首はもういいから、はよ次の15首行け!ってサインかもしれん・*・:≡( ε:)
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