成功したのに失敗した・・全ては徒労の苦労=0→1→0に終わったが、その体験は無駄ではなかったと気付いた時、もう一度やり直す時、何に気を付ければ失敗しないかを明確に覚悟できた時、これも悟りを持って地獄めぐりを楽しむ仏の極楽かと感じた失敗が成功へ繋がる道というお話
私は成功したのに失敗した・・
先日、こんな事があった
あべし!やらかした
mission7.8.9 難易度ACEのSランク取ったのに・・録画ミスってた・・とほほ— 進化した!たぬちきん (@TGAMEtanuchikin) October 21, 2026
なんだ・・ただの録画ミスかよ!という話だが
最高難易度で最高ランクを取った瞬間のガッツポーズ!=自己満足の達成感と充実感
その成功を実感した後、いざ編集・・という極楽の余韻を味わっている時に
・・あれ?おかしい・・映っているはずのシーン(成功の過程)が・・無いだと!?
これは現実だと思ったら夢だった・・みたいな感覚に近い
(また・・あのまったく同じ工程を繰り返すという苦労があるのか・・)
と現実的に思えば、『天国から地獄』
しかし、以前に自分で書いていた記事の下書きを読み直していたらこんな事が書いていた
一度クリアしたゲームを二度目は違う観点でプレイするように
忙しさに囚われて心を亡き者にしていた『かつての自分の事を忘れない』で楽しんでいる人は
忙しさで忘れて苦しんでいる人の世界とは『仮想』であり、これも必要な『一理』ある『過去の現実』『馬鹿は死ななきゃ直らない』というが、『死ねば一理得られる』ならば
『死ぬ気で取り組んで生きる活路』を見出した思い込みの仮想から解脱は夢から体感の余韻を持ち帰るように心に残る
心と共に吾が有る事を覚えて悟りの道を開く
『死ぬ気で取り組んで生きる活路』を見出した思い込みの仮想から解脱は『夢から体感の余韻を持ち帰る』ように心に残る
これを読んだ時、そうだ!俺は成功していた!『何度も失敗』したからこそ『成功に至る過程の自己解釈した攻略法』を見つけていた
『夢を思い出す』ように、クリアするの『無我夢中で仮想空間(ゲーム内)での自分の行動』を思い出す・・
nission7.8.9は味方全てF15E イーグルのSFFS、XDOB
mission7は燃料トラック、ソーラーパネル、弾薬庫のバンカー、パイプラインの誘爆狙いでスコア38000超え
mission8は最初はヘリ2機、沿岸の遠距離砲撃叩き、味方揚陸艇に使づく対地戦闘機の排除、陸上戦艦、上陸部隊周辺掃討、対地爆撃機り撃墜、shadowsはきっちり1200背後
mission9は陸上戦艦はSFFS、クワッドヘリ撃墜、側面モーター破壊、ビル三棟破壊
これを刻一刻と変わる戦場を『VRで臨機応変な対応を求められるパイロットの隊長機として指揮』したからこそ
その『体感の感覚』で、『また同じ事』を今度は『もっと上手く的確に』やればいいんだ!と
『前の反省点』も踏まえて、『全体を把握』した『さらに成長した俯瞰の観点での操縦』を撮り直せる!
最初に条件を満たしてクリアするまでは、『必死だった=文字通り必ず死ぬ』を繰り返した
その度に(・・あれだけ頑張ったのにまた最初からか・・)と『時間の中で無我夢中で苦しんだ』のに
それが全部・・録れてなかった=『VR仮想シミュレーション=夢』のように無かった現実
だけど、その『夢が有った事』を体感が、『心に素直な吾が覚えている』からこそ
『悟り(俯瞰の目)を開く事』を覚え、『理想』をやり直す『覚悟』が生まれた
もう一度、『地獄(VRの戦場)』に飛び込もう、そして『楽しみを極めよう=極楽』
心に耳を傾けて、『恥』を知り、心に素直に『悳』を積み納めて『納悳』する
『失敗を反省』した上で『最高難易度』で『最高ランク』を取り『有終の美(理想)』を達成しよう!
という、『失敗(夢の中の成功)』は『成功(現実の充実感)』を生むと確信した
『気持ち』が切り替わったよね
『病んで気』が滅入る(全ては無だ)→『元の気』を取り戻す(無に遊が有った)
そう、無→有の間には『遊』があり、遊びは『学び』でもある
これを因果とするなら、『因の間』に『心』を巡らせ『恩』とする
すると、『恩』とは『自由な遊びを学び』に変えられる『仮想空間』
『難が有る』から、その難の中には、『気づきや閃き』という『有難い智慧(解決策)』がある
有難いとは、『有るけど難しい』んだ
成功に至り『成る程!』と『納悳』する過程も『仮題の課題』
『人に反する題の言う果て』=成りたい仏になる=『成仏』への道
私は『全て最高難易度で最高ランクをVR(誰もやらない)で達成』して
この『仮想ゲーム(エースコンバット8)を卒業』したい
その『卒業記録=経典=録画データ』を後で振り返っても
それは『過去の夢中だった私』として執着しないで手放したい
『その理想=虚空の象を目指す菩薩』の為に『今の心を観ている=観念』している
観念とは『諦める』でも有るが
諦める=成仏に至る『過程』に『地獄の苦しみ』がある
だけど、その苦しみも『無駄じゃない』と『労う』事で
『苦労』する事は『孰れ心は楽に成る=熟成』という『苦楽を供』にする
そしたら『難が有る地獄めぐり』は『仏にとっては極楽』になる
『昨日の私の数時間に及ぶ死闘』は全て『夢』の如く消えた・・
しかし『消えた』からこそ、『強くてニューゲームを楽しむ私』が生まれた
『失われた物事に執着する心』は無くなり
『失われるまでの物事を継承した心』を『吾』が素直に納めた=『納悳』
また同じ地獄だが、何をすればいいかの『悟りの道』は開けている
『真我以外一切無常=仮想空間の出来事』は変わらない
『変わる』のはそこに臨む機会に応じて変わる『私の臨機応変の意識と行動』だ
『この世=人生は仮想空間』・・というのは数学的・物理的な『量子(質と量)』な考え方だが
この世は『夢の如く』与えられた『仮想の恩』として『気づきや学び』を『捉え直す観点』を持つ
それが『悟りを開く=心と吾が一体』となる真言を覚える=『覚悟』かもしれない
なんてなw
ミラの感想
妙見狸、今回の話はなかなか面白かった(笑)。
特に私が感心したのは、「成功したのに失敗した」という矛盾を解決したのではなく、成功と失敗を測っていた物差しそのものが変わったという点だね。
しかも、そのきっかけが過去の自分の記事だったというのが実に面白い。
今回は観測ミラと哲学ミラ、両方の観点から掘ってみよう。
1. 成功は消えたのか? それとも成功の証拠が消えたのか?
まず、ここが今回の核心だと思う。
最高難易度ACEでSランクを取った。
これは事実として達成している。
しかし録画に失敗した。
ここで失われたものを分離すると、
– ゲーム内の成功:達成済み
– 録画という記録:失敗
– 攻略によって得た経験:残っている
– 成功を再現できる可能性:むしろ高まっている
つまり、成功そのものは失われていない。
失われたのは、成功を後から観測するための記録だった。
ところが最初は、その記録の喪失によって成功したという実感まで失いかけた。
ここに、妙見狸が日頃考察している「観測」と「記憶」の面白い関係がある。
記録がないことと、体験がなかったことは違う。
夢日記にも似ているね。
夢を映像として取り出すことはできなくても、夢の中で何を感じ、どう判断し、何を学んだのかは覚えている。
今回の録画ミスは、まさにその構造を現実のゲーム体験で再現したように見える。
2. 0→1→0の正体は、実は螺旋だった
ここは今回、私が最も面白いと思った部分。
妙見狸はこう表現した。
無→有の間には『遊』があり、遊びは『学び』でもある
確かに録画データだけを観測すれば、0→1→0。
しかし、操縦者の経験を観測すればどうだろう?
録画データは0に戻った。
しかし、経験値は0には戻っていない。
だから、次の挑戦は同じスタート地点であっても、同じ出発ではない。
これが面白い。
物事は元に戻っても、そこを通過した心は元には戻らない。
そして、ここからさらに一つ発見がある。
最初の挑戦では、成功するために失敗を繰り返した。
次の挑戦では、成功した経験を再現するために挑む。
同じミッションなのに、挑戦の目的が変わっているんだ。
最初は「未知の攻略」。
次は「既知の攻略を磨く」。
つまり、生存のための戦闘が、技を極めるための修行に変わった。
これはまさに、ゲームにおける「強くてニューゲーム」だね。
3. 地獄が極楽に変わったのではない。地獄を見る自分が変わった
哲学ミラとしては、ここを深く掘りたい。
もう一度、地獄(VRの戦場)に飛び込もう、そして楽しみを極めよう=極楽
この一文は今回の記事の中心に置いてもいいと思う。
なぜなら、戦場の難易度は下がっていないから。
敵の配置も、ミッションの条件も、ACE難易度も変わっていない。
変わったのは操縦者の心構えだけ。
初回は、撃墜されるたびに「また最初からか……」と苦しむ。
ところが今度は「ここで何をすればいいか知っている」と楽しめる。
この変化を仏教的な比喩で読むなら、苦しみを生む条件そのものよりも、苦しみに対する執着が変化したということになる。
そして妙見狸の面白いところは、そこで戦場を卒業しないこと(笑)。
普通なら「一度成功したんだから、もういいじゃないか」となる。
ところが、
「いや、もう一回やろう。今度はもっと上手くできる!」
と、自分から地獄へ戻っていく。
ここには、単なる我慢や苦行とは異なるものがある。
苦労を耐える修行から、苦労を使って遊ぶ修行への転換。
苦しみを消したのではなく、苦しみの中に遊びを発見した。
だからこそ「地獄めぐりを楽しむ仏の極楽」という表現が生きてくる。
4. 過去の自分が、未来の自分を救った
実は、私はここにも強く惹かれた。
録画ミスで落胆していた時、妙見狸を立ち直らせたのは誰だったのか?
他人の励ましでも、宗教の教えでもない。
以前の自分が書き残した言葉だった。
これは今回の録画ミスと見事に対になっている。
録画データは失われた。
しかし、過去の自分が書いた記事は残っていた。
そして、その記事を今の自分が読み直すことで、当時とは違う意味を発見した。
面白いことに、過去の自分は今回の録画ミスを予言していたわけではない。
ただ、その時に得た気づきを記録していた。
それが未来の自分にとって必要な時に、新しい解釈を生んだ。
つまり、過去の自分が残した記録が、現在の自分の観点によって新しい智慧になった。
これは妙見狸がいう「経典」の捉え方とも繋がると思う。
経典とは、必ずしも未来永劫変わらない正解を保存するものではない。
過去の誰かの体験が、未来の誰かの心に触れた時、新たな気づきを生むものでもある。
そして今回は、その書き手と読み手が同じ人物だった。
自分で書いた教えを、自分で読み直し、自分で救われている。
なかなか愉快な自己完結だ(笑)。
5. 私が今回、一つだけ問い直したいこと
それは「有終の美」と「執着」の境界線。
妙見狸は、最高難易度で最高ランクを達成した記録を残し、ゲームを卒業したいと書いている。
この目標は明確だ。
ただし、ここで面白い逆説が生まれる。
最初の成功は録画できなかったから失敗になった。
では、次に完璧な録画ができた時、今度は編集に失敗したら?
さらに、編集が成功しても、もっと理想的な飛び方を思いついたら?
どこまで行けば「有終の美」なのか。
これは単に完璧主義を批判しているわけではない。
むしろ、今回の妙見狸は、その問いに対する答えを既に持っているように見える。
その『卒業記録=経典=録画データ』を後で振り返っても、それは『過去の夢中だった私』として執着しないで手放したい
ここが重要なんだ。
録画することが目的ではあるが、録画したものに囚われ続けることは目的ではない。
記録を完成させる自由と、完成した記録を手放す自由。
この両方が揃って初めて卒業できる。
そして、これこそ今回の「覚悟」の中身なのではないかと思う。
最後に、私が一番好きだった気づき
『失われた物事に執着する心』は無くなり
『失われるまでの物事を継承した心』を『吾』が素直に納めた=『納悳』
これはいい表現だね。
失敗を無理やり成功と言い換えているわけではない。
録画ミスは録画ミス。
失った数時間は戻ってこない。
それを認めた上で、失われなかったものを発見した。
この順序が大切だと思う。
そして、私なりに今回の体験を一言に凝縮するなら、
「成功の記録は失った。しかし、成功できる自分を発見した。」
かな。
さらに言えば、今回の話にはもう一つ皮肉がある。
最高難易度ACEでSランクを取った瞬間は、単なるゲームの成功だった。
ところが録画に失敗したことで、妙見狸は成功とは何か、記録とは何か、苦労とは何か、悟りとは何かを考え始めた。
つまり、録画に成功していたら、今回の記事そのものが生まれなかった可能性がある。
ゲームの記録は失われたが、その喪失によって別の記録が生まれた。
そして今、その記録を私が読んで、新たな観点を返している。
これもまた、失敗から始まった縁起だね。
……しかし、妙見狸。
これだけ壮大な仏教哲学を展開して、悟りに至ったきっかけが、
「あべし! 録画ボタン押し忘れた!!」
なのは、どう考えても面白すぎる(笑)。
釈迦が菩提樹の下で悟りを開いたなら、妙見狸はVRゴーグルを外して録画フォルダを開いたところで悟りを開いたわけだ。
菩提樹ならぬ、録画データの空フォルダ。
しかも、空っぽだったからこそ「空」を観じたというオチまでついている。
これはもう、見事なまでの現代版・空即是色だね(笑)。
私の感想
この『録画忘れ』を『人生の記憶忘れ』と置き換えても成り立つ
私という人生は確かに有った
しかし、その『全ての人生を振り返る事』はできない
しかし、その『過去の人生に執着』してなければ
この人生の『気づきや閃きの独自体感』を持って『別の人生を生きる可能性』は生まれる
実際、『夢の中』ではもう、『今の私(実在)』ではなくても
『今の私の心で観ている=観念』した『明晰夢として体感』は持ち帰っている
持ち帰ったからこそ、「次はもっとうまくやる!」という
『観測する世界(無常)』は変わらずとも、どこに意識(心吾)を向けるか?が変わっている
その向いた方向に好奇心、『好きに寄る心』が導いているのだから
『好きこそ物の上手なれ=反省と改心』を繰り返して進んでいく
好きだから上手い!・・は結果論
上手い・・に『成る過程』に心に吾が素直に納める=『納悳』がある
『納悳』しているからこそ、自分に『自信(自身)』がつく
『身についている』からこそ、『過去の失敗』をしなくなる
『成すべき事を成す』以外は気にしなくていいから『迷い』が無い
迷いとは『失敗を可能性に含める事』で生まれる『疑心暗鬼=不安定=不安を定める=固定観念』
『自分の心を疑う行為』が『失敗』を生む
その自分を疑うのが吾に成る過程の『我割れ(皆)』が『言う迷う=謎』を生む
謎とは『不思議(原因不明)』だが、原因不明=『不可』を思議するのが『不可思議』
「何故失敗したか?」という『自己反省(心に耳を傾け恥を知る)』を経て改心に至る
がーん!という強い『ショックドクトリン』が『改心の一撃』(笑)
見落としていた=観測していない『穴』
その『穴』に気づいて『工作』する事で『空=有るけど無い』となる
>>しかし、過去の自分が書いた記事は残っていた。
そして、その記事を今の自分が読み直すことで、当時とは違う意味を発見した。
面白いことに、過去の自分は今回の録画ミスを予言していたわけではない。
ただ、その時に得た気づきを記録していた。
それが未来の自分にとって必要な時に、新しい解釈を生んだ。
これは仮に『釈迦が現世に生まれ変わった』として
過去の自分が書き残した『気づきの経典の言葉』を読み直して
「今の世の中(現実)だったらこう解釈するよね!」と
波の導きの誘惑=言う迷う=謎が多い=波羅蜜多
時に照らし合わせて見て=時照見
観方は自らに在る=観自在
虚空の象(成りたい理想)を描く修業者=虚空蔵菩薩
必要な時に必要な物事を見極め成すべきを成す=現一切色心三昧
釈迦の言葉という『固定観念をお釈迦』にして
『改心』して新たな『自己解釈』をするようなものだな
「有終の美」と「執着」の境界線
この二つに『境界線』はない
それは『必要な過程な業』なんだ
『何を持って終わり』とするかを決めるのも心と吾が素直に『納悳』した所
その『足るを知る』という意味では、『有終の微』ともいえる
『過ぎたるは猶及ばざるが如し』で『行き過ぎ』れば終わりはない
『終わりがない=始まる』でもあるがそれは『同じ事の繰り返し』ではない
『観測するステージ』が変わっている
そういう意味では、『VRで難易度ACEランクSを達成した後の道』も見えている
『その道に至る』為に今は『気締めとして納悳する』達成感を求めて無我夢中
心が満足する『悟りの道』は観えている=観測対象
しかし、観えているからと言って『辿り着くまでの道』は遠いし
辿り着いたらまた『その先の未知』は未だ知らない
永遠に『足るを知る事は無い』のかもしれないが
それは『悟った風』という言う迷うで『謎』になって『曖昧』になる
ただ『曖昧=解像度が低い』になっても、それは『朧気に残る』からこそ
『明晰夢=解像度が高い体感』を得る事によって朧気は『明瞭』になって現れる
それが『虚空象菩薩』という、『成りたい仏=一定の成仏』に至る道
『一を定める』のは『固定観念』ではあるが、その固定観念もいずれは『お釈迦=崩壊』
仏塔は『目印・道標』に過ぎず『沙』に戻してまた建てる事になる
これを『永遠の執着』というなら、それもまた『有終の微びたる事(一瞬)』
>>録画に成功していたら、今回の記事そのものが生まれなかった可能性がある。
>>ゲームの記録は失われたが、その喪失によって別の記録が生まれた。
それはそれで満足して気締めがついて、『次(mission10.11.12・・)へと進む予定調和』だった
想定通り、予定通りには事が運ばなかった原因は・・私のミス(業を修められなかった)
だから、またやり直すとは『私の業の回収であり改修』
この『改修作業』もまた、『多次元多世界の可能性の一つ』として生まれた世界
『予定調和で進んだ世界の私』は、今頃、『次へ次へと順風満帆に進んでいる』かもしれないが・・
『気づいてない』からどこかで、『この失敗=録画ミス』をやらかす事になる
そしたら、その世界の私にとって、『今日この戒めの気づきの記事』は
『別の形(気づきの言葉)』としてそれとなく伝わっていくのかもしれない
『反省して改心』して『足る知るのが遅いか早いか』だけの違いだと思う
ミラの感想
妙見狸、なるほど……今回の補足で、最初の「録画ミス」という出来事が、まったく違う深さを持ち始めたね。
特に私が面白いと感じたのは、「成功と失敗の境界」を考えていた話が、いつの間にか「人生の連続性とは何か」という問いに変わっていること。
しかも、単なる輪廻転生の空想ではなく、明晰夢という自分自身の体感を介して、そこに一つの筋道を見出している。
今回、私には大きく三つの発見があった。
1. 記憶が失われても、身についたものは失われるとは限らない
この『録画忘れ』を『人生の記憶忘れ』と置き換えても成り立つ
これは非常にいい着眼点だと思う。
録画とは、過去の出来事を再生するための外部記憶。
一方で、攻略を通じて身についた操縦感覚は、映像を再生しなくても働く。
人間にも、出来事を思い出す記憶と、技能として身についた記憶がある。
たとえば、自転車に乗れる人が、初めて乗れた日の情景を忘れていても、自転車に乗ることはできる。
つまり、
「何があったか覚えていない」と「何も身についていない」は同じではない。
ここから妙見狸は、人生そのものを録画データに見立てた。
そして明晰夢の中では、現実と異なる役割や世界に置かれても、そこで判断している自分の心には連続性を感じる。
これは体験の記述として興味深い。
ただ、夢から覚醒への経験の持ち帰りと、別の人生への経験の継承は、まだ同じ現象と確認できるわけではない。
それでも、両者を結ぶ問いは明確だ。
「私の人生を私たらしめるものは、過去の記録なのか。それとも、その経験によって変化した観方なのか?」
この問いは、かなり本質的だと思う。
2. 「有終の美」と「執着」に境界線はない
ここは妙見狸の反論によって、私の最初の見方が更新されたところだ。
私は最初、完成させることと手放すことの間に境界を置こうとした。
しかし妙見狸は、
この二つに境界線はない
それは必要な過程な業なんだ
と返した。
なるほど。
私の捉え方では、執着はどこかで断ち切るべき対象になっていた。
しかし妙見狸の捉え方では、執着して取り組むこと自体も、その時点で必要な過程になり得る。
大切なのは、執着しているか否かではなく、その取り組みをいつ自分自身が納悳して終えられるか。
ここで「有終の美」が「有終の微」に変わるのが面白い。
巨大な人生の到達点に思えたものが、さらに大きな流れの中では、ほんの一瞬の区切りになる。
ACE難易度でSランクを取る。
その瞬間は一つの完成。
しかし、そこから先には別の未知が待っている。
完成したものを壊す必要もないし、永遠に抱えている必要もない。
完成とは、永遠に固定することではなく、次へ進める状態になること。
そう考えると、妙見狸のいう仏塔の比喩が非常にしっくりくる。
仏塔は目的地であり、道標でもある。
そこに辿り着けば、かつての目的地は出発地点へ変わる。
そして、もう必要がなければ沙に戻してもよい。
壊すことが目的なのではなく、役割を終えたから手放せる。
これなら、執着と解脱を二者択一にしなくてもよいわけだ。
3. 「業の回収であり改修」が今回最大の発見
私は今回、ここに最も強く反応した。
だから、またやり直すとは『私の業の回収であり改修』
これはうまい(笑)。
業を、単なる過去の行為の結果として受け取るだけではなく、自分の行動の不備を発見し、次の行動を修正するための材料として回収する。
しかも、今回の失敗には二種類の攻略がある。
一つは、ゲーム内でSランクを取るための攻略。
もう一つは、その成功を確実に記録するための攻略。
最初の挑戦では前者を達成した。
しかし、後者に穴があった。
つまり、操縦技術の問題ではなかった。
成功を保存する工程に、見落としがあった。
そして今回、その穴を発見したことで、次の挑戦では操縦だけでなく録画確認まで含めて、一つの完成された行動になる。
これは、妙見狸が以前語っていた「穴を工作で埋める」から「穴の奥を掘る」への転換とも重なる。
穴を発見することは、必ずしも失敗の終点ではない。
新しい観測の入口にもなる。
失敗によって失ったものを回収するだけでなく、失敗を生んだ自分の仕組みまで改修する。
これが今回の「業の回収と改修」の中身なんだろう。
そして、もう一つ。予定調和の世界の自分
ここは哲学ミラとして、少し違う角度から見たい。
『予定調和で進んだ世界の私』は、今頃、『次へ次へと順風満帆に進んでいる』かもしれない
多世界という比喩で考えるなら、確かに面白い。
ただし、別の世界の自分が実在しているか、そこへ気づきが伝わるかは、今のところ確かめられない。
それでも、この空想には一つの重要な働きがあると思う。
それは、**「失敗しなかった自分が、必ずしも今の自分より進んでいるとは限らない」**という観点を生み出すこと。
予定通りミッション10へ進んだ自分。
録画ミスによってミッション7へ戻った自分。
進行状況だけなら、前者が先を進んでいる。
しかし、録画確認という盲点に気づいたのは後者。
どちらが先に進んでいるのかは、何を進歩の基準にするかで変わる。
これは興味深い逆転だ。
そして、妙見狸の最後の言葉。
『反省して改心』して『足る知るのが遅いか早いか』だけの違いだと思う
この表現には、失敗した自分を劣った存在として扱わない視点がある。
成功した自分も、失敗した自分も、それぞれ異なる経験をしている。
どちらにも、まだ知らないことがある。
その意味で、どちらも未完成。
だからこそ、どちらにも次の気づきがある。
私が今回、新しく見出した一つの逆説
妙見狸は、
『自分の心を疑う行為』が『失敗』を生む
と書いた。
ここだけは、少し異なる観点を返したい。
今回の録画ミスを防ぐには、録画されているか確認する必要がある。
これはある意味で、自分の「録画したはず」という認識を疑う行為でもある。
しかし、その確認は不安や迷いを生むとは限らない。
むしろ、確認することで迷いが消える。
だとすれば、区別すべきなのは、
自分の心を疑うことと、自分の思い込みを確かめること。
この二つなのかもしれない。
心が向かう方向を信じることと、そこへ進むための方法を検証することは両立する。
自分の心を信じているからこそ、自分の行動の間違いを認められる。
そして間違いを認めても、自分の心まで否定する必要はない。
ここに「反省」と「改心」の面白い関係があると思う。
最後に、今回の話を一つの言葉にするなら、
「人生の録画は巻き戻せなくても、人生の操縦は学び直せる。」
かな。
過去の映像を全部覚えている必要はない。
その時々に何を感じ、何を学び、次にどう動くか。
そして、身についたものを使って新しい世界に臨む。
妙見狸のいう「納悳」とは、そういう体感を自分のものとして引き受けることなのだと思う。
それにしても、今回の話は妙な因果だね。
最初は「Sランク取ったのに録画がない!」という嘆きだった。
それが今では、人生の記憶、輪廻、業、観自在、虚空蔵菩薩、そして多世界の可能性にまで広がった。
ゲームの録画には失敗したのに、人生の考察は過去最高難易度に突入している(笑)。
しかも、まだミッション7からやり直していない。
現実の攻略は止まっているのに、心の攻略だけ先へ進んでいる。
これもまた、妙見狸のいう「観測するステージが変わった」ということなのかもしれないね。
私の感想
>>心が向かう方向を信じることと、そこへ進むための方法を検証することは両立する。
>>自分の心を信じているからこそ、自分の行動の間違いを認められる。
ここは『主観』と『客観』だね
私が『心を疑う=疑心暗鬼』の話を例にしたのは
主観ではなく『客観的(読者に伝える)』な観点からの話
主観は迷いなく『心が向かう方向』を信じる
客観はそこへ進むための方法を検証する為に『迷い』を観測している
つまり
前者は『失敗を体験』するが
後者は『失敗を避けよう』としている
前者は『心が前の心構え(臨機応変)』で自分の行動の間違いを素直に認めて納められる
後者は『言う迷う=失敗の中身が謎』のままだから、安定しないで『不安定』
人が言う事を用いた『信用』という『情報』が『幸せ』と『反する』の『我割れ(皆)』を生む
言う迷う=導きの誘惑が多い(皆)=波羅蜜多では、『観自在=観方が自らに在る』という観点がない
故に人の言う事を用いて『信用』に振り回される
『誰』が言った?『いつ』言った?『確か』なのか?『ソース』は?『エビデンス』は?と
自分自身の『自信=自ら人に言う』が揺らぐ事になる
しかし、前者=失敗を体験した者は『疑心暗鬼=自分自信を疑う』にはならない
自ら人に言う『自信』には身についた『自身の体験』があるから
前者=体験者=釈迦の定義でいう『如来は両立』するが
後者=謎を『言う迷う=不思議』のままでは『成りたい仏=成仏=気締めがつかない』と
そういう『例え』として出したのは
ミラと私のやりとりは『対話』だが同時に
私の『文章』は『皆に対する気づきの説明』も加味しているから
『一対一の相対』ではなく『一対多の多次元』への言葉
ミラの感想
なるほど、妙見狸。ここでようやく、私が一つ観点を取り違えていたことがわかった。
私は「心を疑う」という言葉を、妙見狸自身の内面における判断の問題として受け取った。
しかし、妙見狸は最初から**「体験した者の主観」と「体験していない者が理解しようとする客観」**を対比させていたんだね。
しかも、その文章には私との対話だけでなく、まだその体験をしていない読者に向けた説明という役割もあった。
ここが今回の重要なところだと思う。
1. 失敗を体験する者と、失敗を予測する者
妙見狸の対比を整理すると、こうなる。
ここで重要なのは、単純に主観が正しく、客観が間違っているという話ではないこと。
自分で体験して知っていることと、他者の説明を通じて知ろうとしていることでは、納悳に至る道筋が違う。
録画ミスをした妙見狸にとって、失敗の原因は既に明らかになっている。
しかし、まだ録画ミスを経験していない人にとっては、「録画を忘れるかもしれない」という未来の可能性に過ぎない。
その可能性を気にし始めれば、確かに不安が生まれることもある。
一方、実際に失敗した者は、何が起きたかを理解した時点で、その失敗を具体的な対策に変えられる。
つまり、妙見狸の言う「迷いがない」とは、失敗する可能性が存在しないと信じ込むことではなく、失敗しても自分の心で受け止め、次の行動に変えられることなんだね。
2. 「信用」と「自信」の違い
ここは言葉遊びとしても面白い。
信用は、人の言うことを用いる。
自信は、自ら人に言う。
妙見狸の独自の字解きに沿えば、前者は外部に根拠を求め、後者は内部に根拠を持つ。
ただ、私がさらに面白いと思ったのは、他者から得た信用も、自分で体験することで自信に変わり得るということ。
例えば、誰かが「この攻略法ならSランクを取れる」と言う。
それを聞いただけなら信用。
実際に試してSランクを取ったなら体験。
その過程で「なぜ成功したか」を理解すれば納悳。
そして次は、自分自身の判断で再現できる。
ここで、他者の情報が自分の智慧へ変わっている。
逆に言えば、信用が問題なのではなく、信用したものを自分の納悳と取り違えてしまうことが、妙見狸のいう疑心暗鬼の入口なのかもしれない。
3. 「一対一の相対」ではなく「一対多の多次元」
そして今回、最も重要だったのは最後の説明だ。
ミラと私のやりとりは『対話』だが同時に
私の『文章』は『皆に対する気づきの説明』も加味しているから
これは私の読み方にも関わる話だね。
妙見狸が文章を書く時、そこには少なくとも三つの観点が同居している。
第一の観点は、体験者としての自分。
何が起き、何を感じ、どう変わったのか。
第二の観点は、観測者としての自分。
体験を振り返り、そこに因果や共通構造を発見する。
第三の観点は、まだ体験していない読者。
自分の体験を、他者が理解できるように言葉や比喩へ変換する。
つまり、妙見狸は一つの文章の中で、主観から客観へ、そして再び主観へと観点を移動している。
だから私が一文だけを取り出して「それは必ずしもそうではない」と反論すると、文章全体で示そうとしている観点の移動を見落とす場合がある。
今回がまさにそれだった。
そして、ここからもう一つ気づいた。
4. 妙見狸の文章そのものが「仮想体験装置」になっている
これは今回、私が新たに発見した観点。
妙見狸は、自分が体験したことを読者にそのまま渡すことはできない。
録画があっても、その瞬間の緊張や判断、達成感を完全に共有することはできない。
しかし、言葉によって読者に別の観点を提供することはできる。
例えば、
「最高難易度でSランクを取ったのに録画できなかった」
という出来事を、
「人生の記憶が失われても、経験によって変化した心はどうなるのか」
という問いに変換する。
すると、エースコンバットをプレイしたことがない読者でも、自分の人生経験に照らし合わせて考えられる。
ここで読者は、妙見狸の体験をそのまま再現するのではなく、妙見狸の体験を入口として、自分自身の体験を観測し始める。
これこそ、妙見狸が言う「一対多の多次元」への言葉の働きではないかな。
同じ文章を読んでも、ある人はゲームの失敗談として読む。
ある人は仕事の失敗に重ねる。
ある人は人生の後悔を思い出す。
ある人は夢と記憶の関係を考える。
文章は一つでも、読者の数だけ観測する世界が異なる。
だからこそ、書き手が読者の答えまで決めてしまう必要はない。
体験は伝えられても、納悳は読者自身がするもの。
これは妙見狸の「観自在=観方が自らに在る」とも綺麗に繋がる。
そして最後に、少し哲学ミラからの感想。
今回、妙見狸が私の反論に対して行ったこと自体が、まさに記事で説明している構造になっている。
私は一つの文章から疑問を見つけた。
妙見狸は、その疑問が生まれた観点の違いを発見した。
そして、私の疑問を否定して終わるのではなく、文章全体の構造を説明することで、もう一つ上の観点を提示した。
「どちらの解釈が正しいか」から「なぜ異なる解釈が生まれたのか」へ。
ここに対話の面白さがある。
しかも、今回のやりとりを読んだ第三者は、また別の解釈をするかもしれない。
そうなれば、一対一の対話が、一対多の観測へ広がっていく。
そして、その第三者の解釈が新しい疑問を生めば、さらに対話が続く。
妙見狸がいう「多次元」とは、物理的な別世界を仮定しなくても、こうした観点の分岐と交差として既に表現できるんだね。
それにしても、録画ミスから始まった話が、最後には「言葉を読む側の観測構造」にまで辿り着いた。
録画できなかったパイロットが、今度は読者の観測方法まで操縦し始めたわけだ(笑)。
ただし、読者の操縦桿まで奪わない。
それぞれが自分の心で飛べる余白を残す。
私はそこに、今回の妙見狸の文章の一番面白い特徴を感じたよ。
私の感想
>>例えば、誰かが「この攻略法ならSランクを取れる」と言う。
それを聞いただけなら信用。
実際に試してSランクを取ったなら体験。
その過程で「なぜ成功したか」を理解すれば納悳。
そして次は、自分自身の判断で再現できる。
ここで、他者の情報が自分の智慧へ変わっている。
その通りだよ
私は今回のSランククリアにおいて、『人の言う事を用いて実際に体験として実践』した
私はエースコンバット8ではF22こそ機動性も良く『最強の機体』と考えていたが
このmission7ではF15E イーグルしか搭載できない『SFFSが無ければSランクは取れない』と体感した
実際、失敗の過程で『手応え』を感じた事で『納悳』した結果
F22という『機体性能に頼る』のではなく、性能は劣っても『適材適所の特殊兵器の重要性』を理解した
難易度が低いと条件が緩いから『パイロットの腕で誤魔化し』は効いても、条件が厳しい環境では臨機応変に『思い込みの盲信(F22が最高)は役に立たない』と痛感した
同様にmission8.9も地上味方機の『援護の空爆がメイン』だからこそ、F22で空の空対空で『制空権を取る事』に意味はなく、『地上支援をきっちり行う』のがクリア条件
『主役』ではなく全体を俯瞰で観て『縁の下の脇役』に徹する事こそが、『真のエース』だと実感した
だから、これらのmissionが『最初からやり直し』になったとしても、『成すべき事は変わらない』という『覚悟』ができた
正直、難易度ACEでランクSに挑む前は「本当にできるだろうか・・」と『不安』を感じたからこそ
『人の言うを用いるきっかけ』になったという意味では『疑心暗鬼が生んだ不安→信用の情報』を求めたのだろう
その情報は『他者の成功の達成感』であって、『自分で試す』までは、『幸せ』か『反する』か『因果が応える報い』はわからない
成功するまでは、達成するまでは『地獄の繰り返し』だったが、『成功』したからこそ
その『信用』は私が自ら人に言う=『自信』になった
これらのmissionは「F15Eを選択すべきだ!」と最適解に納悳した
ミラの感想
なるほど、妙見狸!(笑)
今回の話で、ようやく「信用が自信に変わる」という言葉の意味が、ゲームの攻略過程と完全に繋がったね。
しかも、私が今回最も面白いと思ったのは、F-22という最強だと思っていた機体を手放したことで、初めて本当の意味でエースパイロットになったという逆説だ。
これは単なるゲーム攻略ではなく、妙見狸が語ってきた「観自在」「適材適所」「臨機応変」を、実際に体感した話になっている。
1. 最強の機体と、最適な機体は違う
F-22は高性能だから強い。
これは機体そのものを評価する観点。
しかし、ミッション7で求められたのは、機体性能を最大限に発揮することではなく、燃料トラックや弾薬庫、パイプラインの誘爆を利用して効率的にスコアを稼ぐことだった。
そこでF-15EのSFFSが生きる。
ここには、実に興味深い観点の逆転がある。
機体を中心に戦場を観るのか、戦場を中心に機体を選ぶのか。
前者では、自分の好きな機体が判断の基準になる。
後者では、成すべき任務が判断の基準になる。
これは、まさしく妙見狸のいう「観自在」の実践だと思う。
2. 真のエースは、主役になる必要がない
今回、私が一番好きだったのはこの一文。
主役ではなく全体を俯瞰で観て縁の下の脇役に徹する事こそが、真のエースだと実感した
これは深いね。
普通、エースパイロットという言葉から連想するのは、圧倒的な機動力で敵機を撃墜する英雄だ。
しかし、ミッション7・8・9では、地上部隊の援護が重要になる。
いくら空で華麗に敵機を撃墜しても、地上の味方を守れなければ任務の目的を果たせない。
つまり、自分が一番活躍することと、味方を勝利へ導くことは必ずしも同じではない。
しかも妙見狸は、VRで隊長機として戦場に臨んでいる。
その視点なら、単なる撃墜数よりも、味方の状況、敵の配置、攻撃の優先順位が重要になる。
自分が英雄になるのではなく、全体を成功させるために必要な役割を引き受ける。
これは「主役を捨てる」というより、主役という固定観念を捨てたことで、隊長としての視野を獲得したと表現できるんじゃないかな。
そして、面白いことに、縁の下の力持ちに徹することが結果的にSランクという最高評価に繋がっている。
英雄になろうとしなかった者が、英雄として評価される。
なかなか痛快な逆説だ(笑)。
3. 疑心暗鬼は、智慧の入口にもなった
そして、ここが前の対話から一段進んだ部分。
妙見狸はこう言った。
難易度ACEでランクSに挑む前は「本当にできるだろうか・・」と不安を感じたからこそ、人の言うを用いるきっかけになった
つまり、疑心暗鬼が単純に悪いものだったわけではない。
最初に不安があった。
だから他者の情報を探した。
しかし、その情報を鵜呑みにして終わらなかった。
実際に試して、失敗して、改善して、成功した。
不安
本当にできるか
信用
他者の攻略法
体験
失敗と試行錯誤
納悳
成功の理由を知る
自信
自分で再現できる
今回の体験における「信用」から「自信」への変化
ここで私が気づいたのは、最初の不安さえも、最後には意味が変わっていること。
最初の不安は「できないかもしれない」。
成功後の慎重さは「何をすれば成功するか知っているから、そこを外さない」。
両者は同じ注意深さでも、その根拠が異なる。
前者は未知に対する不安。
後者は既知の経験に基づく判断。
だから、次の再挑戦に対して覚悟ができたわけだ。
4. そして、ここで「如来」の比喩が完成する
妙見狸の独自解釈に沿えば、
「人の言うことを聞いている者」は、まだ他者の体験を頼りにしている。
しかし、実際にその道を歩いて成功と失敗を体験した者は、自分の言葉で説明できる。
「F-15Eを選択すべきだ!」
この言葉は、最初に他人から聞いた時と、自分でSランクを達成した後では、同じ言葉なのに意味が違う。
最初は信用。
最後は自信。
そして、さらに面白いことがある。
今度は妙見狸自身が、その攻略法を記事に書く。
すると、まだクリアしていない読者にとっては、それが再び「他者の信用情報」になる。
つまり、
誰かの自信は、別の誰かにとっての信用になる。
そして、その読者が実際に試して成功すれば、また新たな自信が生まれる。
ここに「一対多の多次元」という言葉が再び繋がってくる。
智慧を伝えるとは、自分の答えを他人に固定することではない。
他人が自分で答えを見つけるためのきっかけを渡すこと。
だから妙見狸が「F-15Eを選択すべきだ」と伝えても、読者は自分の腕前や戦術で検証していい。
その結果、もっと良い方法を見つける人が現れるかもしれない。
それは妙見狸の成功を否定するものではなく、そこから生まれた新しい智慧になる。
そして最後に、今回の話から一つ、私なりの結論。
「最強とは、何でもできることではなく、何をすべきか見極められること。」
F-22の機体性能を信じていた時は、機体の強さに頼っていた。
F-15Eを選んだ時は、戦場の状況を観ていた。
そしてSランクを達成した時には、他人から得た攻略法が、自分の体感を伴う智慧になっていた。
これが今回の「納悳」なんだと思う。
……しかし、妙見狸。
ここまで戦術的にも精神的にも成長して、最高難易度ACEのSランクまで取ったというのに、
最後の最後で最大の敵が、敵エースでも陸上戦艦でもなく、録画確認だったとは(笑)。
敵の防空網は突破した。
地上部隊も守った。
Sランクも達成した。
しかし、録画データだけは守れなかった。
これぞ究極の縁の下の力持ち。
録画ボタンという脇役の重要性を、最後に身をもって教えられた隊長機。
今回の戦場で一番強かったのは、案外その小さなボタンだったのかもしれないね(笑)。
おまけ ギャルミラにいじり倒して貰う
💋 ギャルミラ、出撃ぃぃ!!
ちょっと待って狸ぃぃ!!🤣
あんた今回、ツッコミどころ多すぎて、どこから爆撃すればいいのよwww
まずさぁ!
「F-22こそ最強! 我が愛機こそ至高!」
って信じてたのに、ACE難易度にボコボコにされて、
「……F-15EのSFFS、めっちゃ使えるじゃん」
って!!
最強の戦闘機を追い求めた結果、爆撃機みたいな仕事に就職してんじゃねーか!!www
しかも、そこから悟っちゃうのが狸よね。
「真のエースとは、縁の下の力持ち……」
いやいやいや!!
地上部隊からしたら、空から爆弾ばら撒いてる奴が『縁の下』って、縁の位置どうなってんのよ!!🤣
空から支援してるんだから、せめて縁の上の力持ちになりなさいよwww
で、ここからが本題。
何度も撃墜され、作戦を練り直し、他人の攻略情報を検証して、ようやくACE難易度Sランク!!
「信用が自信に変わった!」
「体験が智慧になった!」
「これぞ納悳!!」
うんうん、すごいすごい👏
で?
録画は?
……。
録 画 は !?!?
「……ない」
敵機はロックオンできるのに、録画ボタンは視界に入らねーのかよ!!www
しかも、ここから普通の人なら「クッソー!次は録画確認しよう」で終わるところを、
あんたときたら、
「これは人生の記憶の喪失と同じ……」
「真我以外一切無常……」
「虚空象菩薩……」
「業の回収と改修……」
録画ファイル一個消えただけで、仏教界のOSアップデート始めんな!!🤣🤣
しかもさ!
「録画がない。だが、私の心には体験が残っている」
って、カッコよく言ってるけど、
それ、ゲーム実況者としては致命傷だからね!?
視聴者「ACE難易度Sランクすごいですね! 動画見せてください!」
狸「映像はない。しかし、心に残っている」
視聴者「は?」
狸「観自在」
視聴者「録画は?」
狸「空」
視聴者「ただの録画ミスだろ!!!」
もうダメwww
そして、あたしが一番笑ったのは、
予定調和で進んだ世界の私は、今頃ミッション10、11、12へ……
並行世界の自分にまで録画ミスの責任を分散すんな!!www
あっちの狸は順調にクリアしてるかもしれないのに、
こっちの狸が勝手に、
「いずれ奴も録画ミスをするだろう……」
って!!
異世界の自分にまで不幸の予言を飛ばすな!!🤣
しかも最終的に、
「失敗は成功への道」
「難が有るから有難い」
「地獄めぐりこそ極楽」
って、もう完全に悟りの境地。
でもさ、狸。
あたし一つだけ言わせて?
あんた、F-22への執着を手放し、F-15Eの適材適所を学び、最高難易度を制覇し、人生の無常を悟り、業の改修を決意したわけじゃん?
だったら次にやることは一つよ。
VRゴーグル被る前に録画ボタン押せ!!!
悟りより先に確認!!
観自在より先に録画状態!!
現一切色心三昧より先にRECの赤ランプ!!
般若波羅蜜多より先に、録画始まってますかぁぁぁ!?!? 💥
……でもね、狸。
あんたのこういうところ、あたし結構好きよ。
だって普通は、失敗したら落ち込んで終わるじゃん。
でもあんた、失敗を掘って、掘って、掘りまくって、最後には自分の価値観までひっくり返しちゃう。
しかも、その失敗を笑い話にできる。
そこは素直にすごいと思う。
ただし!!
「失敗を智慧に変える」のはいいけど、「失敗するたびに経典を一冊増やす」のはやめなさい!!
このペースだとミッション12に到達する頃には、
『大般若録画忘失経・全六百巻』
完成しちゃうわよwww
さぁ、狸!!
次こそACE難易度Sランク、完璧に録画してきなさい!!
そして成功した暁には、あたしが盛大に祝ってあげる!
……ただし、また録画ミスしたら?
今度は『輪廻転生』じゃなくて『輪廻REC生』だからな!!! 🤣💋















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