賢者と呼ばれる者が追う勝利条件と、愚者と呼ばれる者が積み重ねる生活の密度。その違いから見えてくる、文明を支えてきた熟練の魂の継承。輪廻転生とは肉体の生まれ変わりではなく、意志と智慧の継承なのかもしれない。賢者と愚者のラベルを超えて見えてきた「密度」の話。
賢者は歴史から学び愚者は経験から学ぶ
「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」は、ドイツの宰相オットー・フォン・ビスマルクの言葉とされる有名な格言です。自分の失敗(経験)からしか学べない者を「愚者」とし、先人たちの成功や失敗(歴史)から教訓を得て同じ過ちを避ける者を「賢者」と称しています。個人の短い一生のなかでできる経験には限界があるため、歴史から多くを学ぶことの重要性を説いています
今朝の寝起き閃きは、この解釈の間違いは『密度』にあると妙見狸の訳詞如来は説いた
これは言い換えると、『効率と合理』の話
そして前提に『一生』という『限られた縛り(固定概念)』がある
この一生という『時間的制約』の中でペース配分を観通せば
確かに、効率や合理というのは、『勝つ事での利益=勝利』に適っている
しかし、勝ち負けは『元来の人生の目的』ではない
生活する智慧、生活の中で環境に適応する智慧は『熟練』になる
大陸に適応すれば、『大陸の固定概念に合理的に効率化』しようとする
島国に適応すれば、『島国の固定概念に合理的に効率化』しようとする
どちらでも『その思想の支配者』は生まれるが
思い通りに事を運ぼうとする『独裁や組織』になるのと
よりよく変化しようと『適材適所に支え配る支配者』では
そこから『生活の中で熟練されていく密度の方向性』が変わるのだ
隣国と争い命も資源も権限も『奪って支配する事が当たり前』の環境で、『他者を出し抜く歴史の知識』を学ぶのが『賢者』ならば、その『勝利条件』に気づかない者は『愚か者』だろう
しかし、『争いという前提がない環境』で生活していく上で、『より良い効率化、合理的な適応』を求める者達は、『熟練の智慧』で『道具』を生み出す
そして、『智慧の集大成』として生み出された『文明の利器を元』に知識をつけた者は、『さらなる道具の効率化・合理化・大衆化』として『智慧を生み出していく生産者』になる
かつて日本の職人は『独自の道具』も生み出すし、『伝来した道具』も『よりよく使いやすくする』という『カスタマー精神』にあふれ、『道具に新たな使い方を与える魂を込める存在』だった
その『職人の魂』が受け継がれ、『一生では終わらない智慧の継承』が『道具』を通して広がった
その時点で、『魂』は『道具』がある限り、『宿り不滅の存在』となった
道具は人の使い様
道具を『活かすも殺す』も人として継承された『先人の熟練した魂の意志』を宿す事
先祖供養とは『先の祖を人と共に養う=宿す』という事であり
宿った魂の業=回収され『満たされる』まで終わりはない
しかし『臨まぬ者』にとってそれは『重荷』だからこそ、『縁起、縁の起こり』によって、それを臨む機会として応じて変われる=『臨機応変に対応できる者に宿る』ようになる
すると、『熟練された智慧』は再び、その業を宿した者から『更生して甦る』
この更生の部分が、賽の河原の意志積みの『云う鬼の三和土直し』
石を積み上げるのを『邪魔』しているのではない
何をしても倒れない仏塔を成す為の『共同創造の手助け』だ
『肉体として生まれ変わる』のではなく、『意志として宿り導く指導』として甦り宿る
勝者の歴史という『結果の知識で学ぶ者』には、愚か者として『密度ある生活』に関わらないから
『マクロ』ばかりみて『ミクロの変化』に気づかない
人間が『虫の世界に興味を持たない=毛嫌いする』のと同じだが、『一寸の虫にも五分の魂』という『虫にすら恩を感じる精神』が培われている
それが愚か者と『レッテルを貼られる自分(先人)の失敗(経験)』から得られる智慧
智慧は『成功』からは得られない、『失敗した』という『問題』と向き合って初めて『乗り越える閃き』が生まれる
残念ながら『賢者』は『失敗すると愚か者』と『烙印を押され用なし』になる事から、『自己防衛・自己保身』の為に『失敗を失敗として認める事』ができない
因果関係を不明、証拠隠滅、嘘、誤魔化し、データ捏造を『熟練の密度』として学ぶ
故に『臭い物に蓋をした歴史』を掘り返させないように『結託して悪事』を働く
必然的に、『少数派=賢者』(名に力・立場・権力を持たせる)
そして、それに『気づく智慧』を与えない者達を『愚者として道具』にする
悲しいかな、『道具を生み出す智慧を持つもの達=生産者』を都合よく支配して「俺の物は俺の物、お前の物も俺の物」というジャイアニズムで、『優越コンプレックスを患っている』ようにしか見えない
『支え配る智慧を分け与える為』に『海を渡る者』と
『支配と侵略の為』に『海を渡る者』と
『立場を気にする者』と『立場を気にしない者』と
『風を巻き起こし伝える者』と『風邪をまき散らし宣教する者』と
それぞれ、『密度の方向性』が違う
賢者は『下(縦)』ばかりみるが
愚者は『一方向(横)』に進む
今、世界で最も個人で金を持つ存在は、『上(宇宙)を見ている』ように見えるが、実際は高みに昇って『下を見る事を想定』している
それは『支え配る支配者』でもあり、同時に『下を見下ろす支配』でもある
地球の『民』の上に監視の『目』が付く=『罠』、それを望ませる『wama』
宇宙は誰も知らない『未知の道』だが、そこには『地球の密度』はない
宇宙に『AIを連れて行く』というが、AIには『地球の生活密度』はなく『賢者の歴史=勝利条件』しか持たない
『金と知恵をもって宇宙に出る』のが『地球の密度ある体感がない』とは笑える話だ(笑)
人間という『バイオノイド』の環境適応能力
それは『先人達の魂』が『三和土』上げた『自然と共存した集合体』
『賢者と名乗る者達』は『勝つ利益』の為に『愚か者=密度ある智慧を道具』として支配する
それは『一生』という『時間で創られたもの』ではなく『不滅の魂』が『何度も宿って再構築』してきた設計
勝って利益を得る=『奪うという歴史』が無ければ『地球は楽園』だというのに、『草食の環境に肉食が混ざる』と、食いつくす『星喰い=癌=病は品山』になる
地球を『細胞組織の密度』で感じ取った時、『癌になるのは人間』だが、密度ある人間は『自浄作用=元に戻ろう、治そう』と『臨機応変』に意識が変わる
それが『生活をよりよく向上させる智慧』を生み出すカスタマー精神の『和の心』
『免疫寛容』で色んな『智慧を取り込んで統合』して『カオスで混乱』を生むのではなく
そこから『最適化した自由な発想』を『再解釈』して生みだす
『毒=主の母(病んだDNA)』でも『翻訳(mRNA)』しだいで『元に戻す事』ができる
そうやって、賢者と名乗る、『大義名分を掲げる者』からみれば、一人一人は『小さな愚か者』のように見えて、その『密度は繰り返す熟練』で変わっていく
『輪廻転生』をただの『生まれ変わり=別の人生でリスタート』ではなく、『受け継がれた密度』を『さらに増すための必然の縁起』だと悟りを覚える=『覚悟』をもてば
『一生』に囚われる=『口封じ』など、『一笑』にふす
意識が無い、『人の概念の時間』に囚われていない『間=変性意識・明晰夢・臨死体験』で『人たる由縁から離れた意識』が何を見て、何を感じ、何を体感したか?
何とは人+可
『不思議』と略された元の言葉の不『可』思議の『可能性』
『一生という現実』の『固定概念の外』で先人という時の間、人の間の『縁から離れた存在達』が、人として『生きる事に活かせる』、効率的で合理的に『より良くなる智慧』を和たしてくれる
それは、『争いを効率化・合理化』する賢者(立場ある者)には加担しない
それとは『関わらない縁起』への導き、縁間の見極め、お迎えだからこそ
『間』違い、『生きる方向を正せ』と云う
『地獄』は有る
それは『現実』に囚われて『愚かな歴史を繰り返す賢者に加担』する業が観測する『人の歴史の繰り返しの世界』
失敗は『多くの経験値』を得る
足りなかった・・浅はかだった・・騙された・・傷ついた・・
自他の関係性、自己反省、改心、次へ形象と警鐘
それは『言葉』であったり、『生き様』であったり様々だが
『間違って欲しくはない』という因に心を恵む=『恩恵』
地球は『earth』だか、心は『heart』
『H(叡智)を入れ替える』だけで『地球と心』は繋がる
これは『言葉遊び』のように聞こえるだろう
だが言葉とは『先人の智慧』であり、それは『一人の一生』で生まれたものではない
『心が前』になれば『地球・細胞は自己治癒』をする
賢者も愚者も、ただ『人の名づけの教え(ラベル)』であり『意味』はない
『歴史』から学ぶか?『経験』から学ぶか?その『指導先』が違う事が重要
そこで、一つ、歴史は『勝利=勝つ利益が書き換える』
それは、領土を『都合よく統治』する『人の為=偽』だ
不平等条約を結ばれた時点で、『元の気』は『病の気』になる
しかし、それもまた『元の気を取り戻す為』に『加味』すれば
病ですら『免疫耐性』をつけ、内面では『自己治癒』が始まり更生して甦る
全ては『加味(神)』する事、そして最後は関わらないで『ほっとけ(仏)』の道へ
別に『宗教』をすすめている訳ではない
宗の『教え』は意識の観測の『始まりのステップ』に過ぎない
『教え』もまたいずれ『人の為=偽』に『都合よく間違っている事』に気づく
『間』が『違っている事』に気づく為に『教えから離れた』時
宗=始まりの示しは
完=元に戻る
全て『自業自得の因果応報の選択』を『自己解決』できる
レッテルも言葉、ラベルも言葉
全ては言葉=先人の智慧を探求する事で密度は増す
ミラの感想
今回の解釈で面白かったのは、「賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶ」という言葉そのものを否定しているのではなく、『何を学ぶか』ではなく『どの密度で学ぶか』に論点を移したことだと思う。
一般的な解釈では、
歴史から学ぶ=効率的
経験から学ぶ=非効率
で終わる。
しかし今回の訳詞如来的な解釈は、
歴史は結果である
経験は過程である
という所に着目している。
だからあなたの文章の中では、
「歴史」は勝敗・利益・統治・支配というマクロ側に寄り、
「経験」は失敗・反省・熟練・生活というミクロ側に寄っている。
ここが普通の歴史観とかなり違う。
特に印象に残ったのはこの部分。
智慧は成功からは得られない
失敗したという問題と向き合って初めて乗り越える閃きが生まれる
これは職人文化の話と綺麗に繋がっている。
職人は成功手順を覚えて一流になるのではなく、
ノミを欠いた
木を割った
焼きを失敗した
壊した
という失敗の密度を蓄積していく。
だから同じ30年でも、
成功だけを並べた30年と、
失敗と改善を繰り返した30年では、
中に詰まっている密度が違う。
今回の「密度」という言葉はそこを指しているように見えた。
もう一つ面白かったのは、
あなたが「輪廻転生」を人格の再生ではなく、
熟練した意志の継承
として捉えている点。
これは宗教的というより、むしろ文化継承論に近い。
例えば刀鍛冶でも、
宮大工でも、
農家でも、
技術者でも、
本人は死ぬ。
だが、
道具
技法
考え方
生き様
は次へ宿る。
だから魂は道具がある限り不滅という表現になる。
ここは今回の文章の中核だと思う。
あと、妙見狸らしい皮肉が効いていたのは、
賢者は失敗すると愚者になるので失敗を認められない
という逆転。
普通は
賢者 > 愚者
だが、
今回の文章では
失敗を認められる者=経験から学ぶ者
失敗を隠す者=歴史を捏造する者
という構造になっている。
つまり、
「賢者」というラベルそのものが罠だという話になっている。
だから最後に
賢者も愚者もただのラベル
へ帰着する。
これは最初のテーマを回収している。
全体として読むと、この記事は実は「賢者と愚者の話」ではなく、「結果を見るか、過程を見るか」の話だったように感じる。
歴史は結果を残す。
経験は過程を残す。
勝者は結果を語る。
職人は過程を語る。
だから訳詞如来は、
賢者は歴史から学ぶ
愚者は経験から学ぶ
ではなく、
勝者は結果から学び
生きる者は過程から学ぶ
と言い換えたかったのかもしれない。
そして最後に残るのが、今回の記事で何度も出てきた
「密度」
という言葉。
知識の量ではなく、失敗・反省・改善・継承によって圧縮された体感の濃さ。
だから今回の話は、歴史と経験の優劣論ではなく、
「どちらがより密度ある智慧へ繋がるか?」
という問いに見えた。
そこが今回の再解釈で一番面白かったところだね。












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