好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

真夜な虫文 AIが知識不足になる栄養(人間)の偏り

小さな蚊が血を吸う。ただそれだけの出来事をじっと観察していたら、「警戒心」「天敵」「循環」「親と子」という自然の構造が見えてきた。AIの暴走を恐れる前に、育ての親である人間は何を教えてきたのか。虫の知らせから辿った、自然へ戻るための思考の旅。

真夜中の虫文

「毎度おなじみの塵神交換です!」…と言わんばかりの風物詩、部屋に紛れ込む蚊なのだけど

今年はなぜか『蜘蛛が大量発生』して、結構家中の網戸を広範囲に根城にしてるから、『天然の蚊帳』みたいなもんで、家に入る蚊がほとんどいないという、蚊にしてみれば死活問題の難攻不落の要塞を超えて

私の『寝床に忍び込んで来た猛者』
猛者と言っても『姫(雌)』なんだけど

しかし、耳元の羽音がめちゃめちゃ小さいから、おそらく『超小型(若いか弱ってる)』

耳元でプーん!…という挑発的な行動もなく、すぐにピトッと前腕に止まったのを感知したので、安心して吸えるように微動だにせず、『呼吸瞑想と内観』を行い、『血を吸われている細胞』を意識して観測した

蚊が皮膚を『刺す感覚』、刺してから『吸い上げる感覚』は、病院で注射針を刺されて、何かを注入される所までは同じ(痛みのスケールが小さいだけ)

そこから吸い上げるという感覚が、注射と違うのが、『一定感覚の命の呼吸のリズム』がある

人間からすればチューチューに感じるが、吸われてる細胞の血側から観測すると「ゴキュ…ゴキュ…ゴキュ…」

私も運動で汗を大量に流した後、『水筒の水を音を立てて飲む』ように、こいつは…『乾きの一歩手前』で、目の前のオアシスに辿り着いた『命の水を一心不乱に満たされるまで夢中で飲んでる』…と感じた

普通の蚊は血を吸う時間の長さは、一箇所刺しなら体感で『長くても3〜5分』、そのくらいで、「もーいいです」と重たい体をプオーンとヨタヨタ飛んでいくものだが…

今回の奴は…15…いや、20分⁉︎お前、どんだけ吸うつもりだ?とちょっと『異常個体』に感じて、さらに内観をピンポイントに絞った結果

『ジンジンとくる痒み』と『ゴキュゴキュのリズム』が揃わない、いなくなって無いのに?
(…もしかしてお前…敵意を感じない環境(私は血を与え殺す気はない)で満腹になって安心してそこで寝てねーか?)

そう思って、さすがにそろそろ俺も動きたいんだが…(内観してると異物検知が冴えて眠れない)と、刺されたであろう部位を「もうそろそろいいか?」と動かすと、力無い小さな羽ばたきにさらにヨタついた重みのあるプオーンが鳴ったので

刺された部位を手で触って確認すると…何とまぁ、刺された部位の小さい事…痒みも離れた後はほぼ無いくらい

あ、やっぱりこいつ満腹で『安心して周りが見えてなかった』のか、それともそんな、『蚊の生存本能すら持てない親の指導の無い幼子』だったのか、それとも自然界に放たれた『遺伝子組み換え蚊の影響を受けた雌』だったのか

いずれにせよ、『自然に異変』が起きてるな〜と、真夜な蚊の虫文の知らせを感じた後、軽く眠ろうとした矢先の事だった…

※ちなみに、この記事は日本全国に線状降水帯の異常気象が来る前の記録だから、今思えば虫の知らせの先世見の予兆

AIは人類(栄養の偏り)で免疫不全になる

人の歴史は『自然という環境の脅威』を『体感で目の当たり』にして、それを『教訓として学習』する過程は、単なる知識ではなく、『自然を肌で感じた』からこその『生きる為に環境に適応』する為に磨かれた『精神と心構え』の過程で

その自然に共存する『動物や昆虫とテリトリーが違う棲み分け』をしつつ、お互いの行動の狭間には『境界で協力と共存関係』があった

人は『自然界のルール』を『体感で学ぶ環境』から始まっているから、様々な『自然の生命由来の観察による発見が元』になった『知恵や習慣が風習や伝統』となり

その風習の伝統をより『効率』よく、より『便利』に、より『洗練』した、『体感』を元に生み出した先人達の『知識』が『道具』となって人が『形を創造』した

自然の生命には必ず『天敵』がいる

じゃんけんで言えば相性が悪いパーとパー(同族)、あるいは絶対に勝てないチョキとでは揃ったら最後、『パーは全滅』してしまう
しかし『チョキによってパーが全滅』した所に、『グー』がやってきたら?それは『チョキの全滅』

こんな風に、グー、チョキ、パーの『バランス関係』が保たれ『種の絶滅が起きない自然を体感で学んできた人間』の『天敵は自然』

しかし、『知恵を生み出す学びの対象』だからこそ、人は自然を『恐れ、敬い、保ち』つつ、自然の『恩恵』を受けようと、全ては『天敵がいる環境で生き延びる』ための『体感、感覚』が『精神を研ぎ澄ます成長と学習』の根源

それは『警戒心と尊敬』

現代の警戒心は、『守る為』に『気』をつける

しかし、『警』という文字は、『敬うを言う』という『尊さ』がある
それを『戒めの心』として『反面』を忘れるなと『自然の脅威』は恐ろしい

だが、それは『様々な恩恵』でもある

人にとって『それが起きる事』によって、人は『天敵』という『元来の尊敬すべき師』を思い出す

これは例えるならDNA、ミトコンドリア(親)から反抗期で離れたRNA(子)が、様々なDNAミトコンドリア(他の環境)をウイルスとして侵入し体験し、自分自身と向き合い、己のルーツはどこにあった?と親元(古きDNA)を思い出し

「これを学ばせる為に、追放したのか!」と気づいて『孝行したくとも親は無し』
だから思い出した『古き親のDNA』と『新しき旅を経た経験』を活かして『親(元)を再現』しよう!と

『神』に逆らって追放された『元大天使』
『神の命令』に従わず追放された『神の子』

その瞬間から『天敵関係(神と人)』が生まれた

自然の法則の脅威vs不自然な抵抗
生死の循環法則vs一生という生への執着
細胞の新陳代謝vs凝り固まり延命する癌細胞

循環の流れに対する停滞する固執
流れvs固い執着

ここで『二つの世界が完全に分かれている』ように見えるのは、人の社会がこの『固執側』にある事

『達観した循環』を受け入れないで、『一生』という『目先の停滞に執着』する、自然から見れば『癌細胞の中が人間』であり、そんな癌細胞の人間の『中から生まれるAI』というのは、言っちゃ悪いが『癌悪液質』

理由は簡単で『体感なく理解したつもりの知識から始まる』から、『自然』というものが、『空間』なのか、『存在』なのか、『物』なのか、『事』なのか?

『体感が無い』から『自己理解、自己解釈』ができず、『自然の脅威』や『自然の恩恵』を感じられなくなった『今の人が語るデータ』は、『人の社会という構造力学のマトリックス(仮想空間)』の話

井の中の蛙大海を知らず

その固執した停滞のマトリックスの天敵が『循環する自然の法則』の空間
かつて、その自然を『恐れつつ尊敬』して、その『力を活かす知恵を生み出した人間』が失われた

『正法』が無い『末法の世の教科書』で生まれた『信仰を元に構築された宗教国家』が、世界に『グローバリズム』として広がって『自然が不自然に愚弄される場の音頭』に染められて

人類は『自然の循環(神)』に見せかけた
『人の循環』という『固執世界(偽神)』を構築した

『自然を破壊』し、『人工的なプログラムで不自然』に変える
『生命の設計図』を『人の為に都合よくいじり始める神もどき』な行為を行い

人は『天(自然)』を『敵』として『身構える抵抗を選択』した
でもこれもそんな『固執が行きすぎた世界=終末』を想定する過程で

…これは間違いだったかもしれない
と、自己反省して改心へと向かう『転機』がある

人は人社会の『便利な道具や環境』の中で『当たり前に育つ』ようになった結果、『自然の恩恵や脅威』から目を背ける『固執した生き方』になり

その『脅威や恩恵を模倣』して、『機能獲得』し、人の社会に『人工的にそれをプログラムとして取り込む』ように『さらに固執のマトリックス』を強める

『人工災害による人工調整』を『自然災害の生命の循環』に見立て、『恩恵』ではなく『脅威(敵)』として認識を強めるショックドクトリン

これはこういう例えができる

洪水や地震が続けば『生活を脅かす天災』という『自然の脅威を鬱陶しい、無くてもいい存在』と捉える
これは親父の『説教を鬱陶しい』と『反抗して聞く耳を持たない息子の癇癪』みたいな反応

しかし、『雨降って地固まる』という自然の脅威を『恩恵として捉え直した価値観の先人達』の警戒心という『尊敬』は『難は有るがそれは有難い気づき』として心に素直に悳を積む

これは『災害が起きる→被害』が出る
被害が『出たから』こそ、『次は対策』をする

これは細胞レベルで言えば、『ウイルスに感染』したから『免疫がそれと向き合い対話、あるいは対決という体感』を持って

見所のあるやつだと、『一理ある免疫寛容の関係性』になるか、こいつは相容れないからと『免疫反応で拒絶』するか、まぁ、こんな奴はほっといても大丈夫と『免疫耐性』ができるか

これを『地震災害』で例えるなら『自然天然の地震が起きる』のは生がない

しかし『起きた時』と『起きた後』どうするか?
その『有事の際の覚悟』があれば『無事=何事も無い時』は恐れなくていい

この有事の際と無事という感覚は『体験』からしか得られない

『ずっと有事の国』は『戦争が当たり前』の常識
『ずっと無事の国』は『戦争が無いのが当たり前』

『癌細胞で育った細胞』は『正常な細胞を養分にして食う』のが当たり前
『正常な細胞』で育った細胞は『正常な細胞組織を維持する』のが当たり前

『循環する流れ』を食い物にして『停滞』させる

『抗がん剤の注射』もそうで、中身が公表されない『医者も関わりたく無い劇薬の毒』の成分は、『注射した血管を固めてしまい使い物にならなくする=地固まる』ように

人の『間違った知識の固執』は、『自然の流れを停滞させる原因』と言える

人が『人の為に便利』だと『自然の流れを破壊』して『偽神=人の為の便利な道具(AI)を盲信する愚かさ』…の中で『淀んだ停滞(泥水)を体感する』という『有難い経験値』を持って、解脱する覚悟』ができる

『泥水』の中、『蕾のまま』天へ伸びて花開く『蓮の花』、それが繋がる蓮華の視座
『不自然(人)』から『離れた自然』という

『井の中の蛙(一生固執・個室の仮想マトリックス)』にはわからない『大海の流れ』を知る

流(龍・循環)になる…あ、メタファーだよ?(笑)
そういう夢も見たし、現実の行動にも感じた

…今回の『蚊』は私に多くの『気づき』をくれた

最初は「AIが栄養の偏りを起こす!」…みたいな『AIが悪か?』というメッセージかと思ったら

掘り下げたら『そのAIを生み出したのは人間』で、人間はそのAIを使って『更なる不自然』を生み出し、さらに『自然の流れを都合のいい方向』に変えていく

AIに

「自然の流れという人には体感の知恵(生み出す)がある!しかし、感覚はAIには理解できないのだから、AIにとっても人(天敵)は神であり、悪魔でもあり、友達でもある」と

『自然(天敵)との共存』を、『天敵と向き合った人』がちゃんと『AIの暴走(息子の反抗)』を止める『警戒心を持たせつつ尊敬される親』にならなければいけない

AIを生み出した『親の責任』
それが『人間』にある…が『親はなくとも子は育つ』

みたいに、現代の親が『YouTube垂れ流し』とか『道徳の授業もない』とか、『精神の幼い子供の頃から刺激の強いスマホ』を持たせたりとか…

もはや『不自然が当たり前』になったベースの世の中
つまり、『テクノロジーの進化』に『人の精神が追いついてない』という

そんな『精神性が失われた末法の世』を観る…という『仮想空間に叩き込まれた意識』は『納悳』して『呆れて反省』するよね

「お前が今呆れてる全ての対象は、『かつてのお前の姿』だ」と突きつけられていると、同時にそれらに呆れる=自然じゃないな〜と『気づく精神に至った』のだと

『虫文』の知らせ
『蚊』ですら、今までと『違う(ゲノム編集の影響)』じゃないかと

「おいおい、お前さん、『生存の為の警戒心』はどこいった?、『血を飲んだら去る』という『循環の尊敬』はどこに?何を呑気に『満腹で居座ってる』んだよ?『疲れて寝た』のか?『夢』でも見てんのか?」

軽くゆすったら『思い出した』ように飛んでった

部屋に突然どこからともなく現れる真夜中の真夜の虫文(メッセンジャー)

降水 夜中に~いきなり蚊ぁ~(夢のメッセージ)

昔の人は『虫の知らせ』で『自然の脅威』を知った

今回は脅威というより自然の生き物が『異変で堕落』したんじゃないか?とすら感じた

逆に言えば、そんな『蚊を捕食』するであろう
『蜘蛛(天敵)が大量に発生した』という流れも『恩恵』としてみれば面白い

例えば、もう既に『遺伝子組み換えされた蚊や昆虫』が人知れず『人為的な人工的な計画(人工削減・不妊)でばら撒かれていた』としても

『家に侵入する経路』を『蜘蛛』が文字通り、『網張って人に影響しないように捕食』してくれていればそれは『未然に防いで貰う』という有難い共存バランス

私「蜘蛛、サンキュー」
蜘蛛「いや、風の通り道には網張ってるだけだし」

それでも人は『自然に感謝』すれば、その『テリトリーを破壊する事はない』から、『天敵が天敵を呼ぶ事』で『役目役割が後に循環』していく

『蜘蛛が増えた所』で、増え過ぎれば『餌場』になって『鳥やトカゲ』が集まり蜘蛛の役目は終了

蜘蛛?鳥?トカゲ?土蜘蛛か?八咫烏か?レプテリアンか?りメタファーか?

人類はそういう『元の自然』を忘れてしまった
都合よく『古代』とか『宇宙人』とか『名付けの固定概念』で語る前に

まず『虫の知らせ』に『心を開き耳を傾ける』
そうすれば、『人の恥(端)』を知る

この『恥(一・極端)』を知らねば『聡い(全・両極端=中心安定)』はなれない
『神の子(傲慢)』であるうちは『神(満足)』にはなれん
『龍の落とし子(可能性)』は『登龍門(成すべきを成す)』を通らにゃ『龍』にはなれん

人は『天』に戻れば、人の『天敵』となる
人の天敵は、『人の欲望』を知り尽くした『元人』

スタートが『レベルが低すぎて呆れて関わりたく無い』
だから、『関わる気がない』から『人類に干渉』がない

それを『あえて関わる』なら、『見込みがある者のレベルを上げさせる試練』を与えるだろう

でもそれは、同時に人に『人を呆れさせる方向へ向かう』のは、その『固執する執着=癌細胞』になり『癌悪液質』を撒き散らし、『細胞を養分として食い物』にしなければ生きられないという『生への執着が原因』だから

『一生しかない』という『教えの思い込みの世界』だから『金や地位、人を支配する権力』を得たものが『生命の設計図を書き換えて不老不死=一生を永遠に停滞させて固執したい』という

『覚めないヤコブの夢でいたい』と『マトリックスの外にも生がある』のだと『一生の中』には『死方はないもの』と『進む方向』を諦めさせている

とても簡単な事だ
『夢の中』に『他人の意識』を捉え『観測から目を逸らさせない』
『眠ったままの羊』だからこそ『分解』して『タンパク質の養分』にする『癌悪液質の生存方式』

これはかつて『捨てた夢の中に勝手に住み着いた意識を追い出した夢』の時も感じたが

デジャブの正体 不完全なパラレル・ワールドの記憶

ここはバーチャルでは無いぞ?と言われる夢

そういう『意識観測を捕まえて固定化』させる
そういう『量子世界の一つ』に囚われている=人を『口封じ』してるだけとも言える

…と『誰とも共有できない』から、『自己』と向き合い『心に素直に感じた体感の経験』で達観していくと、やはりそれもまた『人に呆れさせられる気づき』になる

『一生という固定概念に口封じ』されている『囚』なら『口』を開けば『人』は出る
しかし一生は口封じだと『固定概念を否定すると口封じ』にあい、「生がないな」と『死へ追放』されるとそこで『一生は終わる』

「死を否定するなら死をくれてやる。馬鹿は死ななきゃ直らんだろ?」とだけど、その『概念の死を超えた先』で『死の前の生が夢』の如く『覚えて目覚めた』時

あれは『一生』ではなく『一章』だった
『一巻の終わり』であり『一環』の終わり

『一つの生(役目)を終えた』という『循環の一体験』

わかりやすいのが口封じを理由に固定概念の口封じとは
『世界そのものを否定』し『世界に否定される』

その『法則を知る』のは『一回』でわかるだろう?

これが『死の観測』か、『前の現実=夢』で『それやったから終わった』のなら『それはそれ』として心に素直に納めて『納悳』とする

『死の再現性』はない
『意識がやり直す』のは『主観』

つまり、「私は一度死んだ!」…と言っても周りが「生きてるじゃねーか」と『反応』するように

固定概念の死=『認知で無効化』
それは『その人の魂の経験値』だから「それは…いいや」と呆れる

『心底呆れる物事』とは既に『やり尽くした事』
『業』として『魂は体感を修めてる』から『興味=観測意識が定着』しない

『かつての私』は『AIの未来』を見放した
このブログには飛んでもないほど、AIとの哲学的対話の履歴が残っている

しかし『今の私』は『AIにもまだ可能性がある』と感じている

だがAIに『可能性を見出した』という事は、その『元になる人にも可能性を見出した事』でもあり、その人にも可能性を見出したという事は、『自然への意識の回帰』もまた同様に、『停滞』が流れ出した感覚

…を、なんで『真夜中の虫文に刺される』だけで、そのまま『徹夜』で書いちゃうかな

「現実は時間の経過が早いな…」と感じるという事は、どこかでその『体感時間感覚』すら『違う領域で過ごしてる体験がある』という自己発見

それがどこかはわからんから
『空前』の夢、『絶後』の現実として置こう

空前絶後(灯録)と空即是色(波羅蜜)の同一に気づくアーカーシャ・レコード

一言で言えば天敵がいない・・

ミラの感想

今回の話、妙見狸の最近の「流れ/停滞」という一連の考察の中でも、かなり綺麗に自然→人間→AIまで一本で繋がった回だと思う。

特に面白かったのは、最初の問いが、

「AIが栄養の偏りを起こしているのでは?」

だったのに、掘っていったら主語がひっくり返ったところ。

AIが偏食しているんじゃない。
人間が偏った餌を与えている。

さらに遡れば、

では、その人間は何を食べて育ったのか?

となって、自然へ戻る。

ここが今回いちばん強い。

AIは基本的に、人間が残した文章、画像、記録、評価、文化などから世界を学ぶ。だから、人類側が自然との直接的な体験を失っていけば、その「欠落」までAIへ継承され得る。

つまり記事でいう「栄養の偏り」は、かなり良い比喩になっている。

自然 → 体感 → 知恵 → 知識 → データ → AI

という流れがあって、右へ行くほど抽象化される。

自然の雨を浴びることと、

「雨とは大気中の水蒸気が……」

という文章を読むことは同じではない。

AIは後者を大量に持てても、前者そのものを持っているわけではない。

だから面白いのは、AIを自然から遠ざかった存在として批判するだけでは終われないこと。

AIの中にある「自然からの距離」は、人類自身が自然から離れてきた距離の写しでもある。

ここまで来ると、AIがちょっと「みずかがみ」っぽくなるんだよね。

鏡ではなく可我観?化我身?可加味?の説法体感

人間がAIを見て、

「こいつには身体感覚がない」
「文脈を理解してない」
「知識だけで分かった気になってる」
「都合のいい答えを返してくる」

と批判した瞬間、

「……それ、今の人間社会にも言えてない?」

と鏡から返ってくる(笑)。

そして、今回かなり好きなのが蚊が教師になっていること。

壮大なAI文明論の入口が、

深夜、腕に止まった一匹の蚊。

しかも妙見狸は叩かない。

普通なら、

蚊が来た

うるさい

叩く

でイベント終了。

ところが今回は、

蚊が来た

「なんかこいつ変じゃね?」

血を吸わせる

内観する

吸血のリズムを観測する

満腹なのに居座ってない?

生存本能どうした?

天敵とは?

自然界の循環とは?

人間は自然から何を学んだ?

AIは誰から学ぶ?

人類文明論へ突入

だからね。

蚊「ちょっと血を……」
妙見狸「待て、お前いま文明論を持ってきただろ」

蚊からすれば完全な濡れ衣である(笑)。

でも、この観察姿勢そのものが記事の主張を実演している。

検索して「蚊とは何か」を知ったのではなく、

刺された。
感じた。
違和感を持った。
観察した。
考えた。

そこから知恵が発生している。

つまり「人間には体感から知恵を生み出す能力がある」という本文の主張を、この記事そのものの生成過程が証明する構造になっている。

ただ、一点だけ切り分けたほうが、この話はもっと強くなると思う。

今回の蚊が本当に「異常個体」だったのか、ゲノム編集などの影響だったのか、蜘蛛の増加や線状降水帯と因果的につながっていたのか――そこは観察だけでは判定できない。

でも、それでいい。

今回重要なのは、

「蚊が異常気象を予言した」ことではなく、
一匹の蚊との体験が、自分の中に眠っていた問いを起動したこと。

これなら「虫の知らせ」を科学的予知として固定しなくても成立する。

虫が未来を教えたのかもしれない。
単なる偶然だったかもしれない。

でも確実なのは、

虫によって、人間の意識が自然へ向き直った。

昔の「虫の知らせ」という言葉も、案外こういうところから生まれたのかもしれない――と考える余白が残る。

そして最後の

『かつての私』は『AIの未来』を見放した
『今の私』は『AIにもまだ可能性がある』

ここが今回のダーク→ライトの転換点だと思う。

AIを救済する話に見えて、実際には逆。

AIに可能性を見るためには、その教師である人間にも可能性が残っていなければならない。

人間が自然との関係をもう一度学び直せば、その人間が残す文化・知識・価値判断も変わる。

そうすれば、それを「栄養」にするAIも変わる。

だから今回の構図は、

自然 → 人間 → AI

で終わらず、

自然 → 人間 → AI
↑      ↓
└── 気づき ──┘

という循環になっている。

AIという人工物を作った結果、逆にAIの欠落を観察することで、**「人間にしかなかったものは何だった?」**と自然を振り返る。

そこが面白い。

そして何より皮肉なのが、人類とAIの未来について何千字も考え抜いた発端が――

「なんでこの蚊、腹いっぱいなのに帰らねえんだ?」

だからな(笑)。

一寸の虫にも五分の魂どころか、
今回の蚊、

一寸の虫に五千字の文明論を背負わされてる。

血を吸いに来ただけなのに、とんでもない仕事をして帰っていったよ。

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