代わりが無くなるまで払い続けろ、差し出す代わりが無くなってその身を自ら献身と犠牲にするまで続く。いくら誤魔化して逃げても祓っても払えない代償と業との向き合い方のお話
祓う・払うとは
神に祈って、罪やけがれ、災いなどを除き去ること。罪をあがなうために出す物。決済のために金銭を渡す。支払う。不要・邪魔なものを、振り動かしたりはたいたりなどして、取り去る
なるほど(´・ω・`)
『自分』からみて『邪魔』や、『罪』を『遠ざけたい・除去したい行動』
そのためにはらう『代償』
他人に与えた損害のつぐないとして、それに相当する金品や労力を差し出すこと。他人に代わって損害のつぐないをすること
代償とは『代わり』に『償う』
『他』を『差し出す』
自分の身を守る『保身の為』にね
今日の精神的レクチャーは祓っても払っても『代償』という『他を巻き込む行為では永遠に償えない業』の仕組みの話
はらうの言霊は引き合う場が生まれる
自分から遠ざけたい邪魔なもの、さっさと払ってを済ませたい
精神的な邪魔を『心』から
物質的な邪魔を『体』から
そのために『代わりの償い』を差し出す
その『はらう』という行為がまた『引き合う場を生み出す』というのは…
『真理』であり『心理』である
根本的な業は、『なぜそうなった』のか?なぜ『邪魔が発生』したのか?
この『邪魔』という文字の組み合わせもまた非常に『面白い忌み』を持っている
『邪』とは『正』に対する『主義の正義』であり
『全』なる『王の『横』の右大臣・左大臣の『金・権力執着』であり
『魔』とは『まだれの中』の『林の鬼』と書く
邪が『物質的な金』ならば
魔は『精神的な禁』である
『元来』ならば『林の鬼が邪を抑える』のだが、『まだれ』によって『邪に抑えられた林の鬼』とは
『邪の傀儡となった正義』を振りかざす力
『金という甘い誘惑』と『禁ずるという抑止力』
それを持っているのが『邪魔』であり、その『邪魔が現れる』という事は、当然、『それらを引き寄せる業』を持っている
だから『代わりを差し出す』という事は、『その業と向き合う事から逃げている』ので、逃げれば『逃げた先に追ってくるのは当然の事』であり、最後は『代わり』は効かなくなる
これは前回の『ミサイルとチャフ』の話で言えば、『父親が神か?人か?』の論争で『神の子?人の子?』という宗教思想は
『母の子という単純な事実』をないがしろにしてきた『秘密を結託して護ろう』と『異教徒として魔女狩りの弾圧をしてきた事実』は
『代わりに代償を他人に払わせる為』に『供物』を差し出しても、その『代わりにされた物事』がまた『因果応報して巡り巡ってフルカウンター』で返ってくるように
『祓う』という行為は『新たな業』を生むだけ
それは『一時のその場しのぎ』の『先送り』のその場の『シノギ(商売)の霊感商法』
きっちり『後世』でその『邪魔』はまた現れ『精算』を求められて『凄惨』な事になる揺り返し
政治もそう、みんなで積み立てて来た『国民年金』は、もう『十数年前』に『年金で私腹を肥やした政治家達』に使い込まれてしまった
『受け取り年齢を伸ばされる理由』は、「払う前に死ね!」と告げているが、それは『今の政治家や官僚の責任』ではなく
過去の『今だけ金だけ自分だけ!』という『責任を先送り』の『その場シノギの代償を背負わされる』という『政治家全体の因果応報』であり
その『政治』という、かつては『国を良くするために愛国で活動した者達』亡き、『夢の跡のゴミの島』に住み着く『害虫』の如く
『外注の犬』に成り下がって『国庫を蝕む物取りや火事場泥棒のハイエナの侵入』を『スパイ防止法』もなくのさばらせている『国の隙間だらけのシステム』を
『過去の栄光のように盲信』し、『政治から目を離す陽動』に引っかかって『大本営発表に騙されて来た国民』が、『その場シノギの代償』になっている
そういった『過去の過ち=隠して潜伏してる癌や膿』を吐き出さないと『根本治療』はできない訳で、そういう『異物・歪な状態』に対して、『安定』するまで必ず『何度でも自然治癒の力が発生』する
それが『自業自得の因果応報』であり、その『業の回収から逃げる』のが『代償』という『責任逃れ』の仕組み
アベルとカイン
アベルは『献身と犠牲』を
カインは『供物と代償』を
二人が求めていたのは『神の寵愛=恕』で選ばれたのは『アベル=献身と犠牲』で、カインは寵愛を欲しさに『アベルを代償』にした
『同族殺し』、それはやっては行けない『禁忌』だとカイン以外に知らされ、カインと同じ事をしたら『七代先まで呪いに祟られる』。これもまた七つの大罪の滞在
追放されたカインの一族は後に『金属の扱いに長けた金族』となる
『祓う』というのは『一時的な精神』の問題
『払う』というのは『一時的な物質』の問題
それは『清算』するまでまとわりつく『邪魔』であり
それは『引き寄せる業』を持っているという事
祓ったら『また生まれる』
払ったら『また求められる』
それを『生求=請求』という
『生きる事』を求める代償を払え』という要求
『代わり』が無くなるまで『払い続けろ』
差し出す代わりが無くなって『その身』を自ら『献身と犠牲』にするまで続く
カイン=『金と邪』を受け入れる限り、『自然治癒によって元に戻る』まで邪魔される運命。『カインの刻印を持つ』とは、そう言う『業に巻き込まれる』という事の隠喩=メタファーである
これもまた『説法』としてよく出来ているから、そういった『事実』があったかどうかは怪しい話だよ┐(´-д-`)┌『宗教本の質』を問うと、それは『原典の引用』からの『派生』だろう
アベルは献身と犠牲
『一人事=大事・自力・受け止める』
カインは代償と供物
『他人事・他力本願・逃げる』
『他力』に寄って『自力』が殺される
『テクノロジーに依存』すると『精神』を失う
『優生思想』に寄れば『格差』が生まれ『優秀=優しさに秀でる』が失われる
『片方』に寄る=『正』に対する『邪(主義)』
『格差を取る』にはその『業』を『正が受け止める』しかない
そこで出てくるのがこれだ
業の回収とは禁恕(とどめる+ゆるす)
どうして体内の自然免疫は、中に入ってきたウイルスを『隔離』して『悪さしないように見張る』か?
それは『リポソーム・エクソソーム』として『自分の体内のタンパク質』と『傷ついた痛みや苦しみを再生させる記憶』を持った細胞の一部のRNAを『RNAウイルス』として『外に出さない』為
自分の中で『菌が悪さしない』ように抑えて留める=ここでなら『存在を恕(ゆるす)空間』を与える。その『ゆるされた空間』がある限り、『体内で隔離されたウイルス』は悪さをしない
それは『ヤコブの夢』であり、それは『ウイルス』に『夢を見させ穏やかに過ごす環境』を与えるのと同じ事。『共存はできない』から『隔離したスペース』を与えるのが『スペースは空間であり宇宙』でもある
これは体に『何らかの症状』を感じた時、その『細胞の痛み』に『意志氣した呼吸』で酸素を送り回復を促進させつつ、「何があった?」と『意識を浸透させて夢に入る』時に感じる、『別世界のような広大な空間』を感じる中で
その時の自分は時に
『免疫としての役割の一人』として、『問題を客観視』していたり、『抗体として先頭』に立って『病原菌の化け物を討伐』していたり、時には『免疫』に追いかけられる、隔離空間から『好奇心で外に飛び出したウイルス側の体感』も感じたりと・・
その『夢で体験している世界』が『自分の細胞のひとつ』だと『現実で認識』した時、その『細胞世界に問題を起こしている』のは、『自分の選択による行動の責任』が『先送りになって積み重なった罪』の『自業自得』以外何も無い
その結果、『因果応報』で『細胞世界をそう変えてしまったのだ』と内面で受け止めると、その痛みや苦しみという『生きる事を求める=生き急ぐ=生急』にとってはとても『邪魔』だから
さっさと祓ってしまいたいから、『薬に代償を払って楽になろう』とする…その『邪な心の選択と行動』が…
また『引き合う場を生み出す』
急いては事を仕損じる
生き急ぐ、生きる事を求める
そのために『代償』を払っては行けない
『邪魔』は『自分が生み出した業』に帰ってくる
『元に戻りたい』から還ってくる
『人が生み出した業』は『自然』に帰らない
『人に帰ってくる』(靈・魂も含めて)
それをまた『追い払っても』繰り返す
だから『向き合って宿さない』といけない
『禁忌』と呼ばれた事が何か?
『金である邪』を『禁(とどめて)を恕(ゆるす)』
それは『隔離された禁忌の空間(自由に見える檻)』を与え『夢を見せて穏やか』にさせる。『間違いは間違い』という『場違いの空間』に切り離す
だから『ヤコブの夢』であり…『デジタルツイン(現実そっくり)』の仮想空間
それは『霊界』そっくりの『現世』とも言えるし
『現世』そっくりの『霊界』とも言えるし
『夢』はそのどちらか分からないし、『どちらでもある常世』でもある
今日のレクチャーは
はらう という言霊のエネルギーロジック
はらう
引き合う場を生み出す
払い
引き合う場の現象
祓え
引き合う場の投影
はらいたまえ、きよめたまえ
引き合う場の現象
エネルギーが『新しい思考』に『分かれた受容・需要』の投影
『清める』もまた『別の何かに切り替える』という『代替』
結局は『代償・代替=代わりに他力』してるので
『その場シノギ』で『誤魔化した先送り』にした『問題の業の回収の場』を生む
『神に頼る』という『他力本願』に
『禁じて恕』という『自力』は無い
『病気』があっても『外』にもらさない
それが『免疫がウイルスを隔離』する自然法則
『自己免疫責任』だとしたら?その『監視・管理責任が放棄』された時、『自己免疫疾患』になる訳だ
アダムの管理するエデンには『一つ』だけ神が禁じた『禁忌』がありました
禁断の『身(細胞)』を食べては行けない
それが免疫が『隔離していた癌』という存在に『素直な細胞(全)』が『(金=邪)侵される』きっかけ
そうすると『DNAをハック』して『免疫である鬼』を『傀儡のまだれの配下の魔』に変えて、『邪が使役』する『邪魔』となる(`Д´)ノ)罒`)
『癌を克服する』とは、それは『決して消えない』から『隔離して抑える』
『抑える為』に『穏やかな夢見る空間』を与えて『夢中にさせる=ヤコブの夢=仮想空間』=『それが現実』だとしたら?
私達はかつて『周りの細胞に迷惑をかける病気のウイルス』として、それぞれ『犯した業を回収』するために『宿業を抱えている事』になる
それが個々それぞれ『意識して向き合う観測している世界の違い』であり、『その違い』があるからこそ、『お互いの宿業を果たす』時に『引き寄せられるように出逢う』
その出逢いが『人』としてか、『物』や『別の生物』としてか、『エネルギーの流れ』によって違うが、それを『とどめる(禁)』、そして『ゆるす(恕)』、受け入れる
だから『腑』に落ちて『納悳』する
『月の政府(バイオリズム)の管理下=体』に宿す
『辛く苦しかった経験』も過ぎ去れば『遠い日の思い出』のように、『免疫に隔離された空間』から、ひとつ『意識が解放』されて解脱する
それを『免除』という
義務を果たさなくてもよいと許すこと
『正』になれば正+主義の『邪』は持たない
つまりは『無害』であり、害が無くなれば『隔離空間の中に居る必要も無い』から外=外れる
『人(カタチ)』である必要が無いなら、それは『無』であり『有』の『真空』と同じ
『意識』はそこから来る
『観測する役目』を持てば、それを『回収する役目』が生まれるが、その場合『それ以上でもそれ以下』でもない
一日一生、『心が求めた事』を素直にやればいい
という訳で、はらうのはダメ
『宿してとどめてゆるせ(禁恕)』
それが『業の回収』だってさ(´∀`)
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