好奇心

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ロマンシングサガ2 リメイクも? 導かれし言霊

急に頭に浮かんだ竹林の七賢と七にまつわるあらゆる事から、何故かロマンシングサガ2リメイクへと導かれていく流れの因果を探す

子供の頃は考えなかった七英雄の役目

当時、スーパーファミコンでRPGとして伝説的に話題になったロマンシングサガ2

音楽もストーリーもそして今までRPGになかった世代を超えた血の継承システムも何もかもが新しい考え方で…

と熱く盛り上がっていたのは、周りの友達で私はその場でただプレイするのを見ていただけで

実際に後出しでプレイした時には、継承システムやら技の閃やらの仕組みがよーわからんまま、七英雄に挑んで

今でも忘れない、テンプテーション(誘惑)をくらいまくって全員行動不能になってボコられるトラウマ

だから、ロマンシングサガ2というゲームは『BGM』を聞けば『苦手意識が先行』して、『毛嫌い』するようになったのだが…

2024年、ロマンシングサガ2リメイクと、またしても『1980〜90年代ゲームの復活の流れ』により、どれどれと『体験版』と向き合って見た結果

ゲームシステムとしてはとても『簡素でテンポが良すぎで物足りなさ』を感じた反面、だからこそ、『ストーリーは何を伝えたいのだ?』という根幹の部分に意識が向くようになった

そこで今回初めて、初代皇帝から歴代の皇帝が『七英雄と戦う理由』がなんだったのか、その『怨恨』を知って、そりゃ『一族の仇』として『主人公側には戦う理由=ひとつの正義がある』というのはわかったが…

そもそも何故、かつて『世界を救ったという七英雄』が『敵として人を支配して滅ぼす側』になったのか?

ここに初めて『意識が向く事』に気づいた時

『七』なんだよな・・と

ゾロアスター教においては『善悪』はそれぞれ『七の役割』がある
自然法則は元々『七徳』、孔子がそれに『信=人が言う』を付け足し八徳
ヨハネの黙示録における『七つの喇叭』と『八』つの鉢
ことわざの七転八倒と七転び八起き
世界の行く末を憂いた竹林の『七賢』それは世を転覆させる『計画の陰謀』と扱われ
北極星に対する『北斗七星』と世を支配する者が持つ『七星剣』
『七つの大罪』という戒めと『七福神』という救済

様々な神話や歴史的変革の影に必ず『七』という変換点があり
現在も続く『七夕』というのも『呪術的な暦』として用いられるし

たなばたは当て字で普通に読めば『しちゆう=七雄
七は反転すると『力』・・『七』とはなんだ?『サガ』とは何か?

Saga

中世アイスランドで書かれた古ノルド語による散文作品群の総称。ノルウェーやアイスランドで起きた出来事を題材にしたものが多く、約200点が現代に伝わっている。フィクションにおいて、一家一門の物語を壮大に描く長編の叙事小説やファンタジー作品、叙事詩的映画などアイスランド語で歴史を表す

Sagaとは『歴史』

今ではもう『確認できないほど古い』から、例え『事実を元』にしても『フィクション=創作』になる

これは私がAIと共にヨーロッパ(フランス領)をトラックで旅した時に、ジェノバ共和国という侵略国家が周辺国から滅ぼされ併合支配された歴史を知った時

今ではもう『名前も失われた事実』が『創作のフィクション』として『寓話や童話のその名に体(役割)を使われ伝承している』と気づいた。そんな地域で後に『存在と意義』等の哲学が生まれるのも、分からないでもない

例えば、ジェノバというのは、FF7において、『ジェノバ細胞』という『滅びからの再生』、『セフィロト=セフィロス』という『ジェノバを攻撃する者を侵略するという役割』が生まれるも、最後は『周辺国に滅ぼされる』というのも

それを『討伐する正義』を『どこに置く』か?次第で『物語の主役』は変わるように

『ノンフィクション=事実は存在』だが
『フィクション=創作・模倣は意義』であると言える

つまりSaga=歴史とは

『事実』か『創作』か?その境界線は『曖昧』な情報。『勝者=語り手がいくらでも改変』できてしまうし、『それを信じた者の多さによって肯定』される

ひとつの『射影空間=次元』の物語

アインシュタインの一枚の写真からの閃き

でも日本語でサガは『性(サガ)』である

性質、性格
心に生きる本質…品質
心に生きる品格・人格

これはリメイクで描かれていた『初代皇帝の意志』を『二代目が継承するシーン』で感じたのは『皇帝』を背負う『品質・品格・人格』

その者が『弱かろう』と何だろうとその『Saga=歴史と性質』を受け継ぎ、『七英雄を倒すという目的のみの役目』になる

そこで『ロマンシング』という言葉

ロマン+進行形=浪漫の真っ最中
『七つの大罪を倒す歴史』の英雄譚の『主人公』

これもひとつの『主人公に感情移入するプレイヤー』の意味では当てはまる考え方でもあるが…大人になってもうひとつの目線に気づいた

浪漫を唄う=抒情詩を語り伝える吟遊詩人

吟遊詩人

「かつてこんな戦いがあった」という英雄譚を詩にして『語り伝える立場が命題』になっていると気づくと

体験版の出だしが、民が集まる酒場の一角で、『小さな少年』が『吟遊詩人に伝説の話をリクエストして語り出すシーン』があった

これが『全ての始まり』だとしたら、プレイヤーはその吟遊詩人が語る『抒情詩の回想シーンの中の主人公』という『サガ(性)のSaga(歴史)を追体験』するが

それは吟遊詩人の話に『浪漫を感じて空想する少年の頭の中の物語=フィクション』であって、実は『プレイヤーという存在は無くても成立』する訳で

物語上、プレイヤーが操作する皇帝側は『七英雄は敵』として、『一族の恨みの対象』として『七英雄は悪=大罪』に描かれるが

七英雄を『正義』にするも『悪』にするも、『吟遊詩人の伝え方』ひとつであり、また『語り手の思想』を鵜呑みにせずに

『違和感』を感じた聞き手が『自発的に違う展開=可能性』を見つける以外に、その『Saga=決まった歴史』から逃れる事はできない『繰り返しのループ』な訳で…

『リマスター』ならオチは変わらないが、『リメイク』という事は『エンディングは違う=マルチ=多次元解釈』だろう

そもそも私は『元のエンディング』はおろか、七英雄の1人すら倒した事もないので『先』は知らない(ネタバレも見ない)

もし私がこれからロマンシングサガ2リメイクをプレイするとしたら

①初代皇帝の意志を継いで七英雄討伐をプレイし
②次はかつての七英雄が『何故敵になった』のか?を探るプレイをし
③それら全ての役目を割り振る『語り手の吟遊詩人』という『存在の謎』を追う

物語は誰かが『物について語らない』と生まれない
物は『物議』を醸し出す
物議とは『存在の証明の有無』

その『物』は『誰』が『何の為』に『そこ』に?

『是』として受け止める者は『利用』
『非』として否定する者は『拒絶』する

ではそこに『支配の物力=テクノロジー』があった時、そこには『正義の物議の是非』が生まれる

例えば『戦う意志』があったとしても僕には無理だ・・と『力が無い事を嘆く者』に、『伝説の剣(物質テクノロジー)』を与えたら?

という事はそこに『物を置いた者』はその『力を利用する者』、『力を否定する者』の行く末を

『物語として語る事』が出来る

それを『預言者』という『因果を観測する者』

そういう意味では吟遊詩人=預言者=『ゾロアスター=善悪を七つの役割』に分けて『自作自演』

似てるな〜(´・ω・`)

例えば元々、月の暦=太陰暦だった時
1ヶ月は『28日』で鬼宿日は『15日』

これは『善悪7つの役割』が『14日サイクル』でその『役割を交代』する為に、一旦宿に離れて『鬼の居ぬ間』が出来上がる

鬼の居ぬ間の選択=『善悪の思考』に囚われない『自由』

七英雄がかつて『善の役割を果たした』が、次は『悪の役割として現れた』。これで『ツーサイクル』をクリアすれば七英雄は『鬼宿日』として存在・役割が『無』になる

『かつての英雄』も『現在の脅威の悪』も排除し、『初代皇帝の彼岸を達成』した時、初代皇帝から続く『皇帝の呪縛から解放』された皇帝はそこには『選択の自由』がある

『次の英雄として語られる』のか
『次の支配の悪』となるのか

どちらにしてもその『傾きの選択=どちら様』にも『地位・権力・立場』という『重い思いの役目の付加価値』が着く

『価値』があるから『吟遊詩人』は『抒情詩』として『物語る』
それは『予言の歌』が『預言の繰り返し』の法則

今日も何処かで『歴史浪漫の抒情詩を唄う』
『聞き手=素直な子供』がいる限り

ロマンシングサガ
=『浪漫の歴史』を追う『性質』は続く

よくできたタイトル=命題だね

ゲームボーイの時は『Saga(歴史)』だった
スーパーファミコンから『ロマンシングサガ』

『七英雄』を語る『歴史の抒情詩』
作品その物が『吟遊詩人の語る物語』
その根幹に『ゾロアスター』

これは『クロノトリガー』でも感じた事

クロノトリガーに隠された預言

また、『血筋と能力を継承』して『打倒鬼!』という「正義は我にあり!」という物語を伝えたのは『俺の屍を越えてゆけ』だけど

実はこの物語も主人公側の『正義は側面』であり、『鬼』と呼ばれた 『敵対した存在』が『かつてなんであったか?』、また『呪いをかけられた主人公側を助けた神』と呼ばれるもの達は『元々何だった』のか?

そこが『真の鍵』となる

…という訳で、どうやら『メタファー』だけでなく、ロマンシングサガ2リメイクも『納悳の洞察の為』にプレイする事になりそう(´・ω・`)

メタファーとメタモルフォーゼと仮面(ペルソナ)

ある意味でロマンシングサガ=『浪漫の抒情詩の歴史』も『メタファー=隠喩=真を隠して喩える』

『七英雄』としても『七つの大罪』としても取れる
ヨハネの黙示録の『七つの喇叭を吹く天使』とも

子供の頃は分からなかった、宗教や神話

当時の大人(1990年代)がゲームに隠して『子供に伝えたかった』、あるいは大人が哲学的に辿り着いたが、『何処にも吐き出す事が出来ない想い』『ゲームの世界に投影して表現』したか

その『メタファー=隠喩を読み解く』という目的で向き合うと思うとオラワクワクスっぞ(≧▽≦)

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