門の奥には何がある?オ、鳥居、口、人、漢字と言霊で読めば役割がわかり全ては門から生まれると気づく
門とは何か?
門とは『左右』に立ち遮る壁
あちらとこちらを『区切る境界』
門の言霊は『強く漂う』
『開いてる』のか『閉じてる』のか
門の奥にオがあれば閉じる
閉じるの言霊は統合した内なる示しが留まる
閉鎖の場合、淵の伝わりの遮り
左右の『門が繋がって』まさに『閉』じてる
門の中に鳥居があれば開く
開くの言霊は根源の場に引きよる
開錠の場合、力が伝わり内なる示しが新しく生まれる
左右の門が開いてその『奥にある根源』から『力が新しく伝わって』生まれる
これが門という『遮りの奥に根源』がある『開閉の真』でもあるが…それは『奥の奥の奥義』であって門から伝わる新しい力は『様々』だ
門の中に口の問
強い漂い(門)の中にある口
口の言霊は 引きよる凝縮
しかくの言霊は示しの力が引きよる
四角という『束縛』
視覚という『誘惑』
資格という『義務』
刺客という『敵』
死角という『盲点』
口は『災い』を運ぶ
災いの言霊は調和の内なる遮りが調和して伝わる
門が『開いて根源に引きよる』のだから、その根源から伝わるものに『災い』もある。まるでパンドラの箱
しかして『災い』転じて『福』となす
『問』と向き合う事で『成長』する
強い漂い(伝わる力)とは何か?その『遮るものと調和』する
『束縛』を知らねば『解放』も知らぬ
『視覚』を知らねば『盲目』も知らぬ
『資格』を知らねば『格付け』も知らぬ
『敵』を知らねば『己』も知らぬ
『死角』を知らねば『全体』も知らぬ
『無知蒙昧』の『何も知らない状態』ではなくなる
門の中に人の閃
人の言霊は根源に統合する
ひらめきの言霊は根源の場の思考・志向・至高・指向のエネルギー
せんの言霊は、強く引き受ける
門の中で人は根源の場から伝わるあらゆる考え、方向性の叡智のエネルギーを強く引き受けて『根源に統合する存在』
言うなれば、『人が根源』
では強い漂いである門が『閉』じられている
強い遮りを『開』いた事で『根源に至る』のであれば
『人を開く』事こそが『根源に至る事』でもある
『人一人』そのものが『心を閉じた遮る門』でも有り、『心を開いた』時に門の口から出てくる『本音』という『闇』を抱えている
その『闇』を受け入れ『乗り越えた先に人が至る』事で『閃』
心が通じてひとつになる=人通力
さて、『高次元精神エネルギートーク』から、『低次元人間解釈トーク』に変換しますよ?
ʅ(´⊙ω⊙`)ʃエクスチェンジ
『門=境界線』という遮りなんですが、物質的に見える空間ならば『門構え』があって閉じてたら、ここからは『私有地』って分かりますよね
人は境界線を警戒します
しかし、これを人間の『心』に例えれば、門や問の言霊通り、強い漂いで警戒するべき『境界線』が分かりません
だから不用意に『人の門を開けてしまう事』があり、そこから『知られざる問』というあらゆる情報が『口から災い』となって押し寄せてきます
ここでポイントは
相手が『門(人)』ならこっちも『門(人)』なんです
だから不用意に門を開けてはいけない(悶々しちゃう)
『開く』の言霊通り、根源の力(心)『に』引きよりたいならば『問』を『正面から向き合う覚悟』が必要だけど
根源の力(心)『が』引きよってくるので、当然受け止める側の人(門)が『心を閉じてる』と…全部吐き出して『門の中が空になった相手』は、代わりに『闇を抱えて心を閉ざします』
『人を信じられない猜疑心』となり、『疑心暗鬼という鬼の門番』によってその『主無き城を護る』事になる
あれ?ʅ(´⊙ω⊙`)ʃだんだんまた『高次元トーク』に戻ってる(笑)
要は、『人が門』であり、『一人一人』がそれぞれの抱えてる『根源の力がある神』なんだ
心が広く開いてる人は人の口から出た『悩みという災い』を聞いて
『望』に『共感』して『ひとつ』になり
『問』を切り離して『閃』で『解決』する
閃と開、大きな門の奥に神と人=神社
つまりはその『人』が『神』という『祠』
そんな『人』になりたければ『人』と向き合って『人』を知らなければいけない
そんな『神』になりたければ『神』と向き合って『神』を知らなければいけない
人は『災いを内包』した『心を閉ざした歩く境界線』
人は『希望を内包』した『心を開いた閃きの力』
『人と人の心の融合』が『力強い神』になる道
『人である間』はその道を『未だ知らない』
だって『人間』だもの by369
これは現代日本人ならば『賛同』できる神社の『産道』の話
鳥居の向こうは『人が産まれる道』
行きは『何者でもない』が、奥で神と向き合い、出る時には『神を宿す』
神の言霊は力の実態、力の光
閉ざされた門の奥は大抵『闇』がある
そこに『届ける力強い光』を宿す
と言ってもこれはリアルな神社に行けばいいという話ではないからね(ヾノ´°ω°)チャウチャウ
『あなたの心』に『神と向き合う祠』があってそこに『何を願う』のか?
心が『闇』に染まって『疑心暗鬼』の門番立てて『猜疑心に囚われている人を救いたい』と『利他の想いが産まれる』のなら
その想いそのものが『宿す神』であり『願いの力』そのもの、それを『叶える為』に産道を『生まれる道』へと戻っていく
その『信念の光』を持って、疑心暗鬼の門番に門を『開』かせ、閉ざされた『闇』を『光』で払い、その人の『心の祠に神の陽を宿す』
その人は『心』を取り戻し再び『活力』を取り戻すと同時に、その『光を届けてくれた人』に『心を開き融合』する
そんでお互いの『門』という『垣根の遮り』がなくなり、『集合的無意識領域で協力』する『強力な存在』になる
『信念開けまして』おめでとう
ʅ(´⊙ω⊙`)ʃΣ(゚д゚;)
信念とは『人が言う今の心』
人はあらゆる物事を内包した『閉鎖的な門』
それを『開く』という事は飛び出すのは『災い(問)』と『力の光(閃)』
その問と向き合い『解決』してしまえば、ずっと『開きっぱなし』で遮りは無い
常に門の中に人がいればそこに『神は宿っている』から
門すらいらない=人である必要も無い
心を許した相手の事を『気の置けない相手』という
『気を使う』事無く、『気をつけて警戒』という『境界線の線引き』する必要もなく『信頼』出来る『信念』を届けてくれた存在だから、開かれて門が無くなった人同士
(・∀・)人(・∀・)ナカーマ
親友と言うが『心友』であり『真友』であり、また偶然にも『神有』という表現もできてしまうのが言霊の妙
ただこれもまた不思議なもんで(´>∀<`)ゝ Σ(゚д゚;)
これは『共通知識』であって『実践』となると話は違ってきて、あなたが今『宿している神』がどんな『願望』を抱えているか?
それは『あなた』しか分からない
『今』という『あなたが観測している世界』は、かつてのあなたが『望んで忘れてしまった願望が創り出したもの』であり、もしあなたが『破滅的な状況』ならば、それは『過去のあなたが望んだ事』が叶っている状態
もしあなたが『幸福』に満ちていて、その気持ちを誰かに伝えたいと思う状況ならばそれもまた『望み通りに叶っている状態』
それはあなた=人=根源の統合=神が望んだ景色を宿して生まれた『幻想』に過ぎない訳で
違うこうじゃない!と改心するならば、向き合うべきは『あなた自身の心の門』
その先に『問が押し寄せてくる』けど、その奥には必ず『閃という力の光』があると信じて闇を前に進む=それも自分の設定した神(力の流れ)
究極を言ってしまえば『門』というあっちとこっちという『遮る分離の境界線』がなければ、人は神であり、生も死もない
うんʅ(´⊙ω⊙`)ʃ『達観』しすぎだ Σ(゚д゚;)
いけねぇ…低次元トークに落とせねぇ
すぐに軽く浮いてきやがる
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