寝起き閃シリーズ、愛は自然との繋がりというお話
ムショウの愛
無償の愛は与えられる
無性の愛は包まれる
今日の寝起きレクチャーはここから始まった
親心、子知らず
親の言霊は奥からの飽和
子は根源
親子は奥からの飽和の根源
家族とは力が内側に外れた引きより
親子愛とは
奥からの飽和の根源の命の伝わり
家族愛とは
力が内側に外れた引きよりの命の伝わり
脈々とその前を感じる言葉ですよね
愛はどこから始まったのか?
親もまたかつては子であり親がいた
その親もかつては子であり親がいた
親の影響を受け、あるいは親の愛に気づかず、自分が親になって初めてわかる愛を子に与え、その子が感じた愛を親になって与える繰り返し
だけどそれは、愛の捉え方によって歪む事がある。何気なく書いて気づいたけど、歪むって不正なんだね(二度と忘れない)
見返り求めた無償の愛という価値観の概念
親は個性を抑えて尽くす献身や犠牲
また見返りを期待した願望の先行投資
「いい大学に入って、いい仕事に着いて、楽させてくれよ!」という子(個)の人生を歪ませる行為
┐(´д`)┌ヤレヤレ 傲慢だ
性質がない無性の愛という自然体
それは男性女性という異性という事もなく、犠牲でも献身でもなく望んでやっている自由意志
それが奥からの飽和で溢れる想いで満たされる 足るを知る親の本懐(健康で笑顔で楽しく仲良く生きてくれ)
また人間性に限った事でもない
動物、植物、あらゆる生命に対して氣を巡らせてそこに存在し役割を全うする事を肯定するという事
例えば歩いた道で、無意識に花を踏み潰していたと後から気づいた時、踏む前に気付いていれば…と後悔を抱いたのだとして
あぁ見なければ良かった┐(´д`)┌ ←人間的発想
こんな所に生えやがって!(# ゚Д゚)ノ ←自己中
自分がやった事、後悔を感じた事も、周りのせいにして吐き出してなかった事にすれば前に進めると切り替える
これが氣が巡ってない=愛に気付いてない証拠
最初からその花に気付いていれば踏む事はなかった。その花は誰かの子であり、子である以上親の無性の愛の産物であり、そしてそれが花である以上
その花を育てるために関わった虫達がいて、その虫達が好んで集まる環境があって、その環境を構築する大地があって、つまりはそこに愛の楽園が出来上がっている事に気づきもしないで、一瞬で踏みにじった(破壊)という事は
愛を理解せず愛に包まれてない という事
あい
命の伝わり
存在を認められている物は、必ず誰かの愛で包まれていて決して見放されてはいない。太陽の光、暖かさは空気を通し風や水などあらゆる環境の生命に届く。人間も空気がなければ生きていけない、その空気は植物や鉱物、海から様々な所から生まれ広がり充満している
人は人以外に愛を口にしなくなった
それが異性に対して、あるいは利己的な保守的な愛を放ち、見返りを得られる人にだけ向けられる言霊として辱められた
人間の愛は無線デバイスのペアリング(同時接続数限りあり)
人間の愛はビームフォーミングでピンポイント接続(放射ではなく双方向伝送)
とても物質社会的な都合のいいロジカルな仕組み
愛は何処にも行かない
愛とは存在している事である
愛とは氣の巡りと廻りである
無性の愛とは生きていられる空気
空気を読めるのに無性の愛の自然に気づかない
それは人が発する気=人気(にんき)しか気にしてないから
人気(ひとけ)がない所で人は悪行を行う
例えばコロナ禍ではクラスターが発生した場所は人が近づかなくなり人気が無くなる。その代わり人知れずそこにはいつの間にか5Gのアンテナが設置される
気がつけば無償の愛(見返り求む)が張り巡らされ無性の愛(自然の虫や繋がり)が無くなる。そんな人気のない所で悪さする人間も、その不穏な動きで自然の愛に異変が起きてる事にも気づかない
人間は愚かである
愚(ぐ)=内に引き寄る→人間だけの輪
遺伝子組み換え飼料を動物に与える事で、動物が体内で処理出来ずに新種の病気を生み出し、そしてそれが空気中に蔓延し、様々な命を介して自然を汚染する
そしてそれらを加工してを食べる事で人間もまた体内で自然に還らない汚染物質を生み出す化学工場のように呼吸で空気を汚す。得体のしれない物質を空気中にシェディングでばら撒いていく
人間は自然という無性の愛から切り離された事で、自然を拒絶するように誘導されている(無菌・殺菌・除菌)
ここで先人のことわざを引用しよう
虫も好かない
意味:ことなくいやな感じがして気にいらない。 どうも好感がもてない。 虫が嫌う
虫も食わない、虫に嫌われるという事は不自然であるという事
虫は自然からの使者
虫が近づいて来ない環境とは、自然の循環の愛から切り離されている証拠
虫の知らせにも気づかないような人は自然の愛から遠ざかっている証拠
目に見えないが存在している量子的なミクロの世界との繋がり
小さな生態系を作り始めて見ればわかる事だが、虫(微生物)が住み着かないと土は良くならないし植物は育たないし、小動物から中型動物まで近寄りもしない
それを食物連鎖のサイクルのピラミッド構造と教えられ、その頂点に人間という霊長類が存在すると子供の頃に教えられる
だがこれは間違いだ
正しくはこう
それぞれがそれぞれの命の循環の一部を支える役割の369の正三角形において、その愛のバランスを統括する中心が人間という霊長類の役割でありいわばエデンの管理人
愛=命の伝わり は存在する事全てに広がっている
愛のつながり=ミクロを氣を巡らせて感じ取って行けば善悪二元論の平面的な設定の奥行の舞台裏の空間まで氣は巡り、立体的な構造に気づくだろう
人間が与えられた社会常識は人間性という側面でしか伝えられていないからこそ傲慢である。その傲慢な社会の愛はその歪さ故にいずれ形を保てなくなり崩壊していくのが自然の摂理
形ある物(文明)はいつか壊れる
そのカタチを生み出した者が消えたくない!という自己中な傲慢で延命しようとするのがSDGS
人が人を食い物にして持続する人間社会、もはや人ではないのは2025年の万博のキャラクターを見ればわかるだろう
そこは虫が寄り付くことは無い世界
なぜならSDGSは虫を養殖して虫を食う計画がある
ここでも先人のことわざを引用しよう
虫唾が走る
意味:口中にむしずが出て、吐き気を催す、ひどく忌み嫌うたとえ
賢い人間がそんな社会から離れるように、人間の異常性に気づいた自然の愛の繋がりは人間を異物として拒絶し始めるだろう。大地は枯れ、草木も枯れ、虫もいなくなり、小動物もいなくなり、生き延びようと人は命を機械化し輪廻の循環からも外れる道に向かう
そうなる前に自然は崩壊か追放のリセットをかけるだろう
だから虫の知らせはサインであり、そのサインに気づく人間はまだ自然に見放されていない、方向を変えて悔い改める機会が与えられていると思う
無性の愛=広がる示しが自然に新しく生まれる命の伝わり
カタカムナの言霊読みで、言葉は愛(自然からの学び)から生まれたってよくわかる。先人の知恵のことわざもまた広い観察眼と洞察力、そして分析力と表現力を持っていたグノーシス主義だとわかると、愛=命の伝わりを追うというのは、哲学であると同時に多生の縁を巡る輪廻
学びとは成長よのう( ¯−¯ )Σ(゚д゚;)
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