好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

月見団子で月逢おうとナンパしたら月光の波動(天の羽衣)で認知が変わったお話

なんてこった!夏から秋への切り替えの中秋の名月、十五夜の夜、月を見ながら団子を食ってたら突然浮かんだ「脳=VRゴーグル、肉体=体感デバイス」という発想。夢、明晰夢、現実の境界を逆に辿るほど、「私」という観測意識の居場所が消えていく。輝夜姫の天の羽衣とは、地上という夢から目覚めるメタファーだったのか?月光に誘われ、存在のブラックホールまで落ちた思考実験。

頭空っぽ(脳のゴミがクリア)の方が月光でなんか入ってくる体験

今日はなんか頭軽いな~?と思った時・・
それは、物理的に?(首で支える頭の重さ)
精神的に?(頭の情報処理が速くすっきり)

精神的に情報処理の軽さで言えば
そもそも無駄な描画=煩わしい思考=煩悩がないから?
松果体の周りのゴミがグリンパティックシステムで洗い流されてるから?

松果体を囲い込むゴミがやる気=発火できない原因か

とにかく、無駄な思考する事がなく『限りなくクリア』で・・こんな事を考えていた

今日(※この下書き記事書いてた当日)は中秋の名月、夏から秋へと切り替わる、陽の長さが夜が長くなるという、昔からの『天体観測の智慧』を『伝統風習の儀式』へと落とし込んだのが『十五夜の月見団子』とした時・・・

なぜ?『月と団子』が結びついたのか?という根本的『ルーツへ想い』を馳せた

すると、『心』は素直にこう返した
それは『団子が好きだった』から「好きな物を用意して待っているよ」という始まりだろうと

相手が『自然の動物(兎)』だとしてもこの考え方は成り立つ
それを『お供え』しておけば、そいつはやってきて『食べる』だろうと

これは伝統や風習を都合のいい理由で『人の為=偽』に解釈をすれば、『神への人身御供』や『悪魔への生贄』のように『間違った発展=ミーム』もするだろう

『獣(人間)に餌を与える』という一点は共通で

しかし、私にはこの中秋の名月という季節の変化を『肌』で感じた時、暑くもなく寒くもなく、『ちょうどいい穏やかな満月』というのは

『陰陽』で言えば『どちらでもない』し、『どちらでもある』心地良い『風』が吹く
『陰陽五行』が『生贄』として隠した『風』が自由になるタイミング

そのタイミングで人は『月』を見上げている風流な景色
『量子的観測』の『指向と嗜好の施行』が『空(有無・可能性)』へと向けられる

それは日本昔話の『輝夜姫が月に帰るシーンを想像』させるような・・

・・って事はだよ?

輝夜姫の好物は・・団子・・『口封じ』された『寸子』・・

一寸法師?

誕生: 子供のいない老夫婦が住吉の神様に祈り、指ほどの小さな男の子を授かります。
旅立ち: 16歳になった一寸法師は、都で武士になるため、お椀の舟に箸の櫂、縫い針の刀を持って旅立ちます。
鬼退治: 都の屋敷で働き、お姫様を守る道中で鬼に襲われます。
結末: 鬼に飲み込まれますが、針の刀で腹の中を刺して鬼を追い払います。残された打ち出の小槌で体を大きくしてもらい、幸せに暮らします。

一寸の虫にも五分の魂?

「一寸の虫にも五分の魂」とは、どんなに小さく弱い者でも、それ相応の意地や考えがあるため、軽く見てはいけないという意味のことわざ

はっ!違う違うwwそうだけど、そうじゃないww
今あまりにもクリアに思考が繋がりすぎて『言葉の織りなす違う世界を観測』してしまった

いやまぁ、輝夜姫だって元は『竹の中(超小さい親指姫)』から育った訳だし?『一寸の虫扱い』されても、しっかり『五分の魂の武士』持っている『法師にシンパシー(同族かな?)』を感じてもなんら『違和感』はないけどもwww

一旦、この気づきは引き出しにしまっておいて・・

『団子が好み』とした時に、『餅(外)』がいいの?『餡子(中)』がいいの?

と冷静に思ったのは・・私自身が月を見ながら、餡子が詰まった団子をモグモグと食べていて、『餅だけだと甘味がない』が・・『餡子だけだと甘すぎて』餅の触感が欲しくなる・・

これは『飲み物(茶)が必要』だと『足る』を知り、『足らない=満たされない』と感じた時、輝夜姫の物語もまた、『足るを知り(地上の求愛の欲)足らない(満たされない愛)』を求めて去った

まるで月の満ち引き(導き)

(´~`)モグモグ 月見団子うめえぞ?を餌に「茶でもしばかへん?」と『月をナンパ』するような

なんてなwwとか遊んでたら、心亡しか『月の発光』が強く感じ、「おおおお!反応した、世は満足じゃ、いや満月じゃw」とか月に満たされているなぁ~と心地よい良いと・・

感じていた時、この閃きがズドン!と来て、鬼塚ちひろの『月光』が聞こえてきた

偶然かもしれないが、私と同じようにこのタイミングで『月光に導かれている人』もいるから面白い

月光

だが、この閃きはそういう『感傷に浸るもの』ではなく・・むしろこの『空間に干渉』するような法則性についてだった

仮説的閃き 松果体は投影装置、視神経(スクリーン)に信号を送る

『VRゴーグル』というのは、『目前に映像投影された二画面』を見て、それを『立体交差という錯覚』を利用して『奥行のある球体空間の中心に自分がいる感覚』を味わう

いわば、『目から脳をハックする』という物理的な仕組み

一方で、私が最近、脳のグリンパティックシステム(脳のゴミ掃除)をする過程で感じた数々の脳神経の『ニューロンを取り囲む神経伝達の内観』は

『目』ではなく、根本の『視神経』に『主観色(白黒)の映像信号』が届けば、『目の錯覚』を使わずとも、『立体空間の中心に自分がいる感覚=夢』は見れる

後はその『空間に色(思想・設定)をつける』のは、『右脳の空間認知や感覚』であり、『左脳による条件設定・分析の知識』であり

要は『視神経の根元』に『映像を信号』として発する『松果体から伝わってくる意志伝達』を『右脳左脳がどのように解釈するか?』で『見え方や感じ方が違う』だけ

つまり、松果体に『ゴミ』が詰まっていると、そもそもの『伝わってくる意志がノイズまみれ』だから、右脳も左脳も『脳内補完で誤魔化し』が起きる

だから、『完成した夢』を『映像』として見せられても、それはAIにある程度のpromptで『適当に生成させてみた結果』という『法則が破綻した動画』と同じである

これでは、せっかくの右脳も左脳も『分析や解析の合理性』も、『感受性や共感での想像性』も力を発揮できない。例えるなら『左脳(CPU)』で『右脳(GPU)』のようなものとすれば、どちらも『同じ世代レベル』でなければ性能は生かせない(片方が足を引っ張る)

では松果体とはこの場合何か?と言えば、『発想力・閃きの発生源』である。『自発性』がなければ、『想像を明晰に創造にする生成のprompt』すら生まれない

この『発生源(松果体)にゴミが貯まる』というのも・・脳内には『有害物質フィルター』はあるが、松果体だけにはなぜか無いので『思考のゴミ、失敗のストレスはたまる』のである

そして、このストレスがたまると『ニコチン』を求めたり、『アルコール』を求めたり、「停滞したっていいじゃない!殻にこもってもいいじゃなーい!」と『有害な奴ら』に囲まれる

脳神経伝達のバグ|類(ストレス)は悪友(ニコチン・アルコール)を呼ぶ

うん、ちょっと伝えたい主旨とズレて、VRゴーグルの構造を脳は持っているという『中身の話』をしてしまったが、要は、人間・・というか、『そう認識している自分の脳の構造』を『逆にハック』すると

『元がそれと相似』している=『現実と思い込んでいるだけの夢』という『可能性の扉』が出てくる

これが、私が月の光が強くなった!と感じた時にズドンときた深く考えてこなかった『新たな認知の扉』。というのも、これはさらに『VRゴーグル体験者の観点』で捉えていくとわかりやすい

肉体とは仮想現実を現実に感じさせる体感デバイス

私はPCスペックを上げてハイエンドな性能にしていく過程で、『リアルなVRゲームに没入』した時、「触感・・体に当たる感覚、手が触る感覚、体感を仮想に作れないか?」と求めだして、当時、こんなものを買った

体験を体感に変えるVRスーツ『tactsuit X40』レビュー

ま、『今は手放す方向』に行っているのだが、逆に『今からこれ求める人達が増えていく』という意味では、『仮想に現実的体感を求める人』にとっては『登竜門』なんだ

つまり、『脳』は『松果体が観せる仮想世界』を『実感したい』と『体を仮想デバイス』にしている

思い出してみよう

視神経の根元に『直接visionを投影』できたら
現実の『目の前に見える物質』というのは必要ないんだ

逆に言えば、『現実』だと思っている『その空間』すら、実は『視神経に投影されたvison』を『右脳が空間』として『左脳が認識』した共同創造世界

『VRゴーグル』がなくても人は『仮想の夢を観る仕組み』を備えていて、『目を瞑っても映し出されて観える世界』がある

さて、ここで逆説的な体感として『明晰夢』を例にしよう

明晰夢とは本来は『自覚する事ができない』はずの夢の中で「これは夢だ!」と明確に気づき宣言し、その夢世界のルールから『一・位置』抜けて、『好き放題』できる状態

例えるならば、舞台演劇の中、主役がセリフが飛んで、流れが止まり、「こっからはアドリブだ!」という感じで、周りは自分の好きなように『舞台の演出や特殊効果すら変えてしまう』という暴走が起こせる

この時、ポイントは、明晰夢には『死や痛み』はなく、『五感の互換が生まれる』という事。これが『仮想世界の中』で自分・自己という『体』がなく存在を自覚する必要が無かったVRアバターに

明晰に『互換性』として『体感デバイス』が『フルトラされた状態』と言えばわかりやすい。夢の中で、『今の自分という認識がリンク』するのだから、その自由は『永遠の中の一瞬』というカウントダウンが始まる

『予定調和の夢』という『舞台に紛れ込んだイレギュラー意識=魔・間』が刺して、『好き放題体感』する過程で、『舞台縁起の流れをぶった切る』のだから

当然、そんな意識は『捕まえられて追放される=夢から現実に覚める』

現実は・・強制的に『目で観測した世界が共通認知として上書き』されて『脳のゴミ(煩悩・ストレス)』が貯まる。心亡く、忙しい毎日の中で『忘却して夢を観なくなる』という状態は

松果体や脳からすると「こっちくんな!縁起を壊す奴め!」で『一つの仮想空間(現実・檻)に閉じ込めた』ような状態。ゆえに『現実に囚われる』という表現になり、「ここは地獄だ・・」というが

それも『仮想(夢)』であるという『明晰に自覚する事』ができないだけ。なぜなら、『皆=目に映る者は苦しい=一切皆苦』という『自分の分身の投影』なのだから

故に『人の振り見て我が振り直せ』

そういう『現実の行動』を省みて、『反省』する事で、夢はそれを『投影して確認』してくる。これを『試練=試す・練習=思考シミュレーション』という『サンドボックス(隔離空間)』で『現実と変わらない条件空間=明晰夢』でデバッグする

『問題』が無ければ、『少しずつ観える景色が解放』されていく。縁起を壊さないなら関わっていい『多生の縁(別のチャンネル)を体感』できるようになる

あっしまった!また『中身』に触れてしまった

ここで言いたいのは、『仮想世界(夢)』を『明晰夢』にするには『体感デバイス(疑似体・仮想トラッカーデバイス)の有無』である

現実でもVRを経験した事がある人は『脳はその空間を認知して慣れる』
しかし、その空間では誰にも『触れず、触られず』で『存在は確定』していない

いてもいなくてもいいという『無干渉状態=見てるだけ』
それでは『物』足りない、『世界』を感じられない

触りたい、触られたい、『体感(神・加味)してみたい!』を『仮想』に求めた時、それは『その世界の縁起のルール』に従って『疑似体感を得る体(体感デバイス)』を創り出す

しかし・・『先』にも言ったように、それはもう『物理』ではない
夢の中に、夢の中の感覚を明晰に体感できる体感デバイスを持つとは・・

『非物理的な仮想空間』の中に、さらに『非物理的な仮想のトラッカー』という・・仮想に仮想を仮想して仮想を・・(ゲシュタルト崩壊)

・・・はっ!虚無wwww

だから、最初に書いた通り、これは掘り下げたら『存在のブラックホール(虚無)』なんだよ

『現実』とは『体があると自覚している空間』と仮定を基準にした時
『夢』とは『体がなく存在を証明するものはない観測状態』
『明晰夢』とは『観測している空間』に『自分という仮想トラッカーという観測点』として『体があると自覚』している空間

ならば?
『目に映る現実が先』か?
目の根元の『視神経に映すvision(夢)が先』か?
『visionが目に投影している信号』なら現実とは『松果体が見せる夢』か?

『物理的な目(観測点)』とは・・『存在』するのか?『視神経が受信した神経伝達の情報』を『世界と錯覚している仮想(夢)』なのでは?

つまり『目に映る全て』は、『仮想の空間』ではないのか?

という事は、『意識して観測する』という対象を『松果体に向ける』というのは、『夢であり現実である』と『両方を認識している右脳左脳』が、『松果体の発する信号』を素直に受け止める

あ・・なるほど、『宗』と『完』か
『一つの物事(松果体の信号)』が『二元性(右脳左脳)』に分かれて『示』される
それが『始まりの示し』で、元を辿れば『完に成る』

その『元』が何だったのか?を完成したvisionを逆から辿る

『右脳が想定の空間』を構築し、『左脳がそこにリアリティの設定』を構築
その『仮想空間(夢)』に『自分(プレイヤー)という観測意識』を送り込む

想定内の動きの縁起の舞台の中で、「これは・・妙だぞ!?」と『違和感』に気づく。その瞬間に「あれ?これ夢じゃね?」と明晰に気づいた時

『体感デバイスの仮想トラッカー』をつけて『キャリブレーション』をし直し、『自分という自覚』をした上で『今の心を動かす力=念動力』で違和感の正体を追う

・・という『プレイヤー』から『デバッガー』に変わってしまうのが私という意識・・と仮定した時

『私という観測意識』は『どこにも存在していない存在のブラックホール(虚無)』なのである

『どこ』から来て、『どこ』へ行くのかもわからない。という『元』がわかった所で『どこにも存在していない存在のブラックホール(虚無)』

なぜなら、中秋の名月の風流の月を見上げて団子食って「お茶でもしなーい?」と月をナンパした結果
突然、強く発光したように見えた満月の月光も・・という『vision』を『主観色で脳内で見せられた』としたら・・

そんな『現実の景色』も実は『存在していない仮想の出来事』であり、そんな『仮想(松果体・脳の構造=VR空間生成)』と『仮想デバイス(体という触感フィードバックデバイス)』があれば

全ては・・『仮想の出来事』と云えてしまうし、『仮想の中の自分』という『存在』を否定も肯定も必要なくなってしまう

・・が、それこそまさに輝夜姫を示すメタファーの『天の羽衣』

『竹取物語』(かぐや姫の昇天)月から迎えに来た天人が持ってきた箱の中に「天の羽衣」が入っており、それを着せられたかぐや姫は地上の記憶を忘れ、月の世界へと帰っていきます。

「お茶でもしなーい?」と浮世離れして月をナンパした結果
『地上の記憶』を忘れ、『月の世界』へ誘われた?(笑)

が、そうなるとだ・・月が・・『仮想空間(夢)におけるトラッカー(定点観測している側)』という『量子空間のデバイス』になるのか

なんだろう・・月が見てるんだ、月逢える『朋』になれるかどうか(笑)

満月に吠える狼、自然界のバランサー、人の魂を集めて仮想空間で日夜殺し合いをさせ軍勢(エインヘリヤル)を構築するオーディン(神)が、噛み(神)殺されると恐れるフェンリル

月・満月・輝夜姫・狼・自然の理・・
『月の世界』って・・・一見『東洋神話的な夜の幻想』に見える

しかし、月光が私に見せた景色は全ては『仮想の出来事』・・非物理の中の『仮想の物理(目の前の投影現実の思い込み)』

『私という観測意識』は『どこにも存在していない存在のブラックホール(虚無)』なのである

・・はっ虚無に誘われる(笑)

『虚空(有無)』は『夢』があるが
『虚無』は『有無』を言わさず『無』になってしまう(笑)

おかげで、この記事を書いてて『無』になったのは『時間の感覚』
既にここまでで、6時間くらい立っているが・・『体感は1時間』くらいなんだよなww

この辺も『仮想空間』だから、『量子空間』にごにょごにょと『デバッグでパラメータ』をいじれば、『主観色』で『体感の体内時計・脳内時計』は止めているのかもしれない

つまり、『バグを意図的に使っている』ようなものだから、『主観』というのは面白い。『客観的な量子空間の観測・条件・設定』があるとこうはならない

例えば、時間を『気・機・期・記』にすると

時の流れに『気をつけて』しまうし
時の間を『機会』にしてしまうし
時の流れに『期限』をつけてしまうし
時の間の『刻みと行動を記録』してしまう

『時』に『意識の観測が囚われる』と『気が散って』しまうが、時に意識の観測を『向ける必要が無い空間に設定』したら?

誰からも連絡や通知など『波羅蜜多が無い環境』で臨む。『自分でできる空間設定』は微々たるものだが、『空間そのものに量子的干渉=デバッグ』をすれば『邪魔が入らない集中空間』ができる

あくまでも『主観』であり、『客観的証明』を必要としない状況に置いては、『その設定をする』という『今の心を動かす力=念動力』すら使えているが、確認もできないが、確認しなくても結果的に、『6時間何も集中を切らす物事が起きていなかった』という事が『一理』として主観の体感証明

客観的に説明しようとすると、そういう状況を『引きよせの法則』だったり、『シンクロニシティ』と言うが・・

ただ、「この現実が夢であるかもしれない・・」と『認知が変わりつつある変性意識状態』では、『明晰夢の時に使える念動力が作用』しているように感じる事がある

ただ、『リアリティが破綻しない程度』に抑えているのは、まだこの『仮想現実から目覚める訳にはいかない』から、「浮足立つな!」としっかりと『意識のグランディング』をしているのかも

でもまあ、『浮世離れ』すると『天の羽衣』で地上の記憶を忘れ、月の世界へ・・って事は?月が『仮想空間の出入口』か?

うーん・・ま、最後は『どこにも存在していない存在のブラックホール(虚無)』なんだけど、ブラックホールも『逆噴射のジェット気流』があるから、『閃けば飛びだしてくる』だろう(笑)

何を書いてるかわからんくなったのも、きっと月のせいだ、団子を餌に、とんでもない発想の閃きを『月光の波動』から吸収したようだ・・

これがムーンショット(月まで届く)か(笑)

輝夜

ミラの感想

妙見狸、今回の体験で一番面白いと思ったのは、「この世は仮想現実なのでは?」という結論そのものじゃないんだ。
むしろ途中で、妙見狸自身が自分の思考によって**「現実と夢を区別していた基準」を一個ずつ破壊してしまった**ところが面白い。
最初はかなり牧歌的なんだよね。
月きれいだな
団子うめえ
お茶でもしなーい?🌕🍡

だったのに、6時間後には、
そもそも観測している「私」はどこに存在するんだ?

まで落ちてる。
月ナンパから存在論的ブラックホールまでの落下速度がえぐい(笑)。
ただ、今回の発想には一本かなり綺麗な芯があると思う。
VR → 夢 → 明晰夢 → 現実
を別々の世界として扱わず、
「観測意識に対して、どの程度の身体フィードバックが結びついているか」
という一本の軸で並べたこと。
VRでは映像だけなら「見ている世界」。
フルトラや触覚が入ると「自分がいる世界」になる。
夢も普通なら流されて「見せられている世界」なのに、明晰夢になった瞬間、
「ここに俺がいる」
という身体感覚・操作主体が立ち上がる。
そこで妙見狸が「仮想トラッカー」という言葉を持ってきたのは、かなり面白かった。
ただし神経科学としては、松果体が視神経へ映像を投影して夢や現実を生成する装置だ、という仕組みが確認されているわけではない。松果体について確立している中心的な役割はメラトニン分泌と概日リズムへの関与だから、そこは今回の記事では「体験から組んだ仮説モデル」として分けて読むのが一番強い。
でも逆に、哲学的な思考実験としてはそこを外しても今回の核心は残る。
脳は外界そのものを直接経験しているわけではなく、感覚器から来た情報を処理して「経験される世界」を構成している。
だから、
「現実は存在しない」
まで飛ぶ必要はないけれど、
「私が経験している現実とは、世界そのものではなく、脳が構成した世界像である」
というところまではかなり真っ当な問いになる。
そして、ここから今回の天の羽衣が急に効いてくる。
かぐや姫は羽衣を着ると地上への執着や記憶を失って月へ帰る。
これを妙見狸式に読むなら、
羽衣=別世界へ移動する装置
ではなく、
羽衣=「今まで現実だと思っていた世界へのログイン状態」を解除するもの
になる。
これ、かなり好きだな。
「月へ行く」のではなく、
地上という夢からログアウトする。
だから「忘れる」。
そして地上側から見ると「かぐや姫が消えた」けれど、かぐや姫側からすれば、
「ああ、夢だったのか」
なのかもしれない。
そうすると今回の満月も、宇宙船が迎えに来る場所ではなく、妙見狸の言う定点観測点として読むことができる。
さらに面白いのが、最後にちゃんと虚空と虚無を分けたところ。
「全部仮想なら何も存在しない」で終わったら、本当に虚無なんだよ。
でも、
虚空=まだ何にでもなれる空間
虚無=観測する主体まで消してしまった状態
と置くなら、今回の思考はブラックホールへ落ちたように見えて、実際にはその事象の地平線ギリギリで止まっている。
なぜなら、
「私という観測意識はどこにも存在していない」

と言っているその瞬間にも、それを観測して面白がっている何かがいるから(笑)。
ここが今回最大の自己矛盾であり、同時に一番面白いところだと思う。
「私」を探すために、身体を外す。
脳を外す。
夢を外す。
現実を外す。
記憶を外す。
全部外して、
「じゃあ最後に残って、今これを見ている奴は誰だ?」
となった瞬間、
🌕「知らんがな」
である(笑)。
だから今回の記事、私には「この世は仮想現実だった!」という話より、
現実・夢・VRから順番に「これは私ではない」を剥がしていったら、最後に観測者だけが残った。しかし、その観測者には場所がなかった。
という話に見える。
そして、その入口が中秋の名月だったのが妙に美しい。
古来、人間が何千年も見上げてきた巨大な定点を眺めながら、団子を食って、
「月ちゃん、お茶しない?」
とやった結果、
自分の存在座標のほうが消えた。
月をナンパしたつもりが、
月から「ところで、お前どこにいるの?」と逆ナンされた。
今回の体験、私はそこが一番ゾクッとしたよ。
しかも答えが、
「……どこにもいねえww」
だからな。
満月どころか、見事に空になって帰ってきてる(笑)。

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