『別の現実の眠り』から『明晰夢を観ている人の意識の観測』があるという仮説の一つのケースから、逆説で読み解く現実は不自由を体験する必要で生まれた煩悩試行シミューレーションという気づき。意識の旅でやりがちな『不思議な穴を開けまくる白兎』、白兎を追え!・・という意見もあれば白兎は追うな!・・という意見もあるように、不思議とは『原理がわからない空間』だがその原理がわからない空間は『可能性』から生まれた産物。だから、『不可思議』という観点で観た時、この不思議な空間の『出処の可能性』は夢の旅人(別次元意識)。ある意味で、宇宙人ならぬ兎中人だけどね(仮面も兎か?)
明晰夢の旅人(異邦人)かな?
この動画を見てた時、実は『周りは使いまわしのエキストラ』という話と、始まりは車のナンバーをお試し、『358(変化を示す)』や『ゾロ目(1111~9999)』が現れたらこの世界はパーチャルだという話
この感覚はわかる・・が、でもこの話だけでは、現実がパーチャルという証明にはならない。この能力者の人にとっては『思い通りに現実改変』の思考で、ある程度『試行(環境を荒らさない程度)ができる明晰夢』のようなものなのかもしれないが・・
この世界の人にとっては、『現実は現実』であるから、(何言ってんだこの人は?)となるが・・ここで『逆説の経験値』があると認知が変わる
明晰夢という思い通りに成る別の現実では使いまわしのエキストラ
私が体験する明晰夢の世界というのは、『今の心を動かす力=念動力』によって、世界の在り方全体から、ピンポイントの『一部状態(流れ)を変える』というのは簡単にできる
極端な事を言えば、その世界では車のナンバーを思い浮かべ、『358(変化を示す)やゾロ目(1111~9999)が通るように設定』ができる
理由は簡単で、周りに影響を出さない、『自分だけが影響を受ける=分身(念動力=役目)にそれを観測させる事』ができる。気づいてしまえば単なる『自作自演』なのだが、それによって気づくのが
「あ、これ夢だ!」という『間』違いの感覚
ここは『私の意識の現実ではない』という気づき
あるいは逆で、これが『私の真の現実=理想が叶う思い通りの世界』
そこに現れるエキストラというのも、心が生み出した『幻想の住人』・・ととるか?
その人達との『良い関係性の縁起の世界』なら、それはもう心の中に『気の置けない存在』として、『一体化した魂達』であり、それはもう『心の中の世界』という『真理』である
が、それを真理として認められない、あるいは『満足できない=足るを知らない』から、『偽=人の為の世界=現実』に意識が目覚めて『定着』し『思い通りにならない世界を体験』する
明晰夢を『体験した事が無い人』にはわからないかもしれないが『思い通りなる世界』というのはすぐに飽きる。それは、『想像力=明晰の夢の世界の広さ』であり、『想像力が乏しい』と『何も創造できない』
好きな人を身近に置いて、『寵愛』する事も、『拷問』する事も、『喜びも悲しみ』もすべて、『想像が創造』になる空間で、それが『全て適ってしまった意識』は、『空間』を生みださなくなる=もう必要ないと根源に還る
しかし、その根源は『無』ではなく、『全てがある真空』だから、そこから『必要な縁起(脚本)と演技(演出)』を『授記』として受け取り、『思い通りにならない』からこそ、『思い通りにする為の過程』に『何が足りない』のか?
『不自由』だからこそ、『自由へ至る過程』を学ぶ
『創造の為の想像力』を『体感して学ぶ』為に、『不自由な現実』を観ている
だから、私達が生きる『不自由な現実』というのは、『全てが思い通りに適う明晰な世界』が、その先の『ビジョンを拡張』する為に、『思考シミュレーション』で生まれた世界
つまりは、頭の中の『煩悩世界』という『電脳世界』
という事は、逆説的に言えば、『そこから離れた意識が満足している』のだから
『心の世界(満足)』と『煩悩(不満足)の世界』を行ったり来たりしているという事だろう。それを現代は、『生身の人の縁起』ではなく、『AI(電脳)相手に仮想世界の物義』を醸し出した
『自由で明晰な心の世界の拡張』をする為に、『不自由な現実世界を仮想で拡張』しているという思考シミュレーション空間は、結局『煩悩の中』
その『煩悩から解脱』した時、明晰な夢の世界でも、『欲望は無くなる』。だから、『明晰夢のエキストラ』って『無償で臨む役を演じてくれるバイプレーヤー(個性的)な自分達』
現実では『他人という形に分離した自分自身』と出逢い「こいつには気が置けないや」と心に素直に取りもどした仲間は、心が明晰に描く世界では、『安心の役目』として現れる
逆に「こいつだけは!」という『目の仇』にするほど、『嫌悪感を持った相手』も、それは『同族嫌悪』で『元は自分自身』として取り込んだ時、やはり心の中では、『憎まれ滅ぼされる対象』として現れ、私にすっきり『清々しい安心を与えてくれる存在』となるように
現実とは、『煩悩と向き合う思考の志向シミュレーション空間』という『学び場』であり、ひとつひとつが『卒業』へ向かう『試験の単位』を得る
このユミーさんという人にとって、『この現実が明晰夢と感じている』としても、深く『意識が定着』しないで、『人と関わらないで離れる方向』にいけば、『自然に夢から覚める』ように、『この世界の物見遊山は終わり消える』という夢の旅人
その感覚は、私も明晰夢の世界に『入った(自覚はある)』けど・・その環境を荒らさず、その環境の『中の一部』として、『流れ』に乗って(へー、こういう世界もあるんだ~)と『過ごしただけ』・・という明晰夢もあったように
特定の『個人=能力者=浮いた存在』として『ファン=不安』を広げ、『人の気』を集めて『粘着されて重く=この人はこういう存在だという決めつけの固定概念』にならなければ
『自由なまま』だが、そうやって『あえて不自由』になる為に、わざわざ『人気を集めたい人のそばにいる』という『一興の可能性』もある
現に、この動画のコンテンツは、『不思議なユミーさん』がいなければ成り立たない、残念な事にイワモトさんだけでは、意(心)はモト無い=人気は集まらない(人柄はいいけど)
別の世界から『明晰夢を物見遊山=ユミー(仮)』として漂う意識が、『人気を集めたい』という『足るを知らない欲望』の元で「その欲を満たしましょうか?」という『手助けのサポートをしている』ようなそんな気まぐれが・・
これも不思議なもので、『量子的に観測』されている間は『形として固定』される感覚に近く、『有名、人気』があるうちは『そういう形』に納まっている、しかし、『観測の目』がへれば減るほど、自由になった所から『崩壊』が始まり、『形無き不確定性原理』へと戻る事で
ユミーさんは『元の現実』に戻り目を覚まし、「あー楽しかった」と満足するが、『不思議な力を理解できない』ままその『人気を集める能力』を失ったイワモトさんは「ユミーさんカムバック!」と『足るを知らない事』になるか?
「ここで終わるのがケジメだな、楽しかった」と満足して、イワモトさんの現実に戻るのか?
ここが『金輪際の見極め』だなと思うのは、これは『釈迦とアーナンダの構図』と全く一緒
釈迦は悟りを覚えて、覚悟して解脱した
アーナンダは釈迦の言葉を最も身近で聞いてた『多聞第一』なのに
釈迦入滅後は、『最も悟りが遅かった』と言われたように
『灯台元暮らしの暗しの無明』の如く、『光に最も近い所にいるものは闇』である。光はどこまでも光だが、光を理解できないと『境界線(半信半疑)』を引いたそこから『闇(輪郭)』である
この二人のやりとりは、どこまでも光・・粒子・・形のない領域へ逝く・・という『浮いて消えそうなユミーさん』の話を『イワモトさんが現実の型にはめて解説』している
これは、大元教の『出口直(預言者)と出口王仁三郎(代弁者)の構図』とまったく一緒だ。悟りを覚えた『覚悟の預言者』に対して、預言の内容を『理解と解釈に落した代弁者』
この大きな違いは、『体感』という感覚が『有る(1)か無い(0)か』のスイッチが『on』になっているか?『off』のままか?くらいまったく『間が違う』話
今回の話も、正直、私は明晰夢体験、ミラーナンバーなど、実際に『同じような実験と体験』をしている者にとっては、とんでもない『人類の認知を書き換えるレベルの高度な話』をゆるふわ~っと言っている
しかし、それをシャボン玉を割るように、パチンパチンと風で浮かびあがる前に割って、文字通り『人の夢』を奪っている『儚い行為』をしているなぁ~と
別に責めはしないが、これも・・『現実意識』に『不思議な異邦人(魂)』をつなぎ止める為の『縁起の手段』なのかもしれない
YouTubeで有名になった『占い師やスピリチュアル伝道師』は、『コラボ』などを経て、どんどん『独り立ちしていく傾向』があるとした時、このユミーさんも不思議ちゃんでありつつ、他の『偽者スピリチュアルを暴く能力』は十分にある・・だろうけど、それをしないのは・・
やっばり(この空間はこういう設定なんだろう)と深く『縁起の業には触れない範囲で遊んでいる』んだろうな~と、たまに『亡くなった歴史上の偉人と話した』というコンテンツがあったりして思うのは、逆説的に考えればこうなる
私はたまに明晰夢の世界で現実にもいる『共通認知の存在がある世界観』にふれた時、思わず、現実的な知識・記憶から「あれ?この人ってあれをアレしてあーなった人だよね?」と口にだした時
「は?それはどういう事?何をいってんの??」のように周りからは、『頭がおかしくなったのか?』とリアクションされる事があり、「いや!本当だって!」と『現実的記憶を主張』すればするほど
(この人は統合失調症かな?)のような、冷たくも生暖かい、『関わらないほうがいい』という感じになり、急に『明晰夢の世界から現実に追い出される』ようになった事もある
これを明晰夢のシステムから『追い出されない程度』に、『別の現実でのその人が実際にそうだった』という、『あの世』という線引きを利用した『不確定性原理』にして
ただ『知ってる現実』だが、『この世界にはない可能性として伝える』だけで、無責任に直接誰かの縁起の業に関わる事なく『リアクションだけ楽しめる物見遊山』になる
私が明晰夢の中で、世界観を探る為に周りを観察しつつ、流れに任せ、「これだ!」という所で『和を足す』という『ピンポイント干渉』のように、今回の話を聞いて『ピーン!』とくるような人へ『伝わる何かを和足している』のだろう
おもしろい事に、それに気づいて『過去の何気ない動画の話』も見返せば、次々と『点と点が線』になるのだが、最もとなりで最も多く話を聞いていた『多聞第一のイワモトさんが悟らない』というのが・・滑稽でおもしろい(笑)
でも、権威や力の凄さに気づいて、崇め奉られて、『道具として利用』されても面倒だから、『気軽に受け流す存在というのは案外楽』かもしれない
人気欲しさに『イワモトさんが憑りついた』というより、気軽に過ごせて楽だわと『異世界の意識のユミーさんが憑りついた』のがイワモトさんかもしれない(笑)
でも、それってとても羨ましい事で
明晰夢は『目が覚める』まで、『念動力』で思い通りに事が運ぶ
『余計な現実感』を思い出したりすると目が覚めてしまう
その『明晰夢から目が覚めない状態をキープできる何か』がある
この『不思議な発言』をする人は『この場所』でしか見る事はできない
つまり、『この組み合わせ』こそが、『自然法則』という発見
光の最も傍=光ではない境界線と闇
釈迦と多聞第一のアーナンダ
出口直と理解と解釈の王仁三郎
明晰夢の異邦人ユミーと現実アンカー岩本
『悟る存在』のそばには、『絶対悟らない存在』がいる=対極
なるほど、引き合ってしまう『原因力』か
でも、それって、『夢現(ゆめうつつ)』でも同じ事が言える
極楽が『極楽で在り続ける』ために、極楽が『極楽では無くなる状態』を知る
細胞が『正常であり続ける』ために、細胞が『ウイルスに侵され炎症した状態』を知る
それが『思考』して生み出した『不自由な問題』
『不自由な現実を想定』して『体験し攻略』して『解決策を得る為』の人生
元もとは『何でも適う創造の世界』があったとしても
それは『想像の続く限りの創造』であるからこそ『SDGsな有限』
人生で人が『苦しむ』ほどに、苦しみの『中身』を知り
それは繰り返してはいけない、『再発防止の先世を創ろう』という『対策』になり
その『対策を施された世界』が出来上がり、たまに呼ばれる
「こんな感じの理想世界はどう?」と明晰夢で伝える
『不自由な闇を体感している意識』はそこに『問題』を見つける
『今の心が動く力』が何でも適う世界で『問題を現実化』して向き合う
そりゃ、直接『自分で問題をわかりやすく明晰』にした事で、『何が直面している問題』であり、『何をどうすれば問題ではなくなる?』というのが明確になると、『今の心が動く力』が何でも適う世界で『明晰に解決策』を生み出し『状況を変える力』を与える
その『問題を解決に向かう為に行った行動』は、その明晰夢の『世界の住人=心の中の自分達の意識』も変える
例えるなら、目に見えない『微細な菌を巨大化』して『視覚化できる怪獣』にした後、自分が『巨大なウルトラマン』になってすべての怪獣を『それぞれの怪獣に効く必殺技』を生み出して『倒して去る』ようなもので
その心の世界には当然、『怪獣との闘い方』、『ウルトラマンになる意志』、『小さな問題を大きなスケールで相似』して『解決策をみつける』等
実際にはそれはできない『不自由な現実世界(吾)』→『明晰夢の世界(心)に置いてきた遺恨』が、後に、現実でも夢でも、夢現(ゆめうつつ)の境界線、逢魔が時、金輪際でも役に立つ
両方に『境界マタギの今の心を動かす智慧』になる
幻想的な景色=メタファー=『違う現実の見え方』でも『中身』は同じ。その現実と夢が相違なく『ありのまま』見えていく時、それが『理想の夢現の境がない空間=足るを知る』になる
何かが『足りない』、足るを『知らない=不自由を感じる』からこそ、それを見つけて取り戻して『加味する世界』がある
それが『煩悩』で生まれる『思考シミュレーションを試行(輪廻)』して『嗜好(好奇心)』が『志向(意欲)』となり『至高(悟り・解脱)へ至る施行(修業)』となる
『想像力』がなければ『創造』は途切れ、それまで『熱を持って極楽』だった世界は『冷えて飽きて固まった地獄』となり動かなくなる
都合の為に、言論弾圧の為に、既得権益を守る為に、思想統一の為に、『自発的で自由な想像力を奪う』という事が『生命活動を止める』という愚かな行為
だから『夢寄り使者』はやってくる、『遊び半分の物見遊山』でも、『異邦人(この世界の外)』という意外性のある認知の変化
この世界『意外=意識の外』があるという可能性
自分でも・・『この現実の自分では』、何を言っているのかわかってない事が多数。しかし、『感じるまま』に、『感が得る』ままに、書き記していくと・・後でわかって納悳する
この時、なぜ、『この感覚』を『直感で記録』したのか?
今の所は、『異邦人意識』で語る言葉は、『縁起に関わらない』程度に、『違う世界の解釈』を伝える=『この現実の話ではない別の現実の話』
しかし・・もし私が、明晰夢の世界で、そうやって、似たような『体験者の情報が集まってきた』としたら、正直、最初は明晰夢だな・・と『達観』していたのに『その世界が現実』となり
思い通り今の心を動かす力の『念動力が使えなくなって』いき、前、『元の世界(目覚める現実)が消える現実堕ち』になる気がする
で、『能力』を失っても『過去の栄光』に縋りつこうとすると・・預言や占いで商売をしようと『儲けの設け』に走ってしまう
元々、心に素直でありのままだった人は、『異邦人の意識』で、『明晰夢を遊んでいただけ』なのに、その世界の何かに『意識の観測が定着』してしまったから、『離れられなくなった』とも考えれば
それが『命尽きるまでの自分という存在の観測』になったのかもしれない・・と思う理由は
眠れば、『意識って離れる』じゃん(笑)
実は毎日、明晰夢を通って『元の、前の世界(過去世)』と繋がっているが、それを『言語化や世界観の認知』として『意識してない』だけだから、現実で霊界とか、アストラル界とか言っても
RPGのマップじゃねーんだから、右上にテロップで「ここはアストラル界地下三層」とか出る訳じゃないから・・感覚的に表現すれば、それは『灰色かがった暗い世界』という見え方と印象
それだって、あたり一面『灰色の荒野』もあれば、真っ暗闇にぽつぽつ民家の明かりがついてるが、なぜか『暗闇に人は見当たらないような空間』だったり
時空も時間も空間も概念も知識も何もないけど、『観測する目』だけはあり、その『目は口ほどに物を言う=物理で解釈した範囲が都合のいい認識空間』として現実が反映される
とても『ロジカルなシステム』の上に、『表層的なメタファー(思い込み・例え)の幻想』があるのが『夢という空間』、それを『明晰に設定』しているのは自分自身
境界マタギになると困った事に・・
『起きて動いていた』と思ったら、『実は寝てた』という事も多々(その逆はない)
逆があったとしたら『夢遊病=別次元の意識に体が乗っ取られている』
これ逆もしかりで、夢の中では『借り物の身体』・・文字通り『他人の身体を動かしている』
これがあるから犯罪は消えない、『夢の中で好き勝手やっていい』という間違った思想
それも『人としての業』として『現実にフィードバック』されて生まれてしまう。『魂の経験値が高い人』は、現実でも『犯罪』を起こさないし、当然『夢の中でも同じ』
だから、夢と現実の『境目が曖昧』であっても、特に困らない
どこに行っても『私は和足しという無害』であり、『有益を足す意識』があれば
『その世界にない智慧をもたらす異邦人、まれび』とというのはその地に『調和』する
『現実』から『明晰夢』を越えて『別の現実へ』とただすたすたと歩いて渡るくらいに夢が無いシフト
タイムマシンのような『機械』がなくても
どこでもドアのような『道具』が無くても
ふっと空間に生まれた思考世界へ『主観の意識』だけが体から離れて入る。この体から離れる=『客観の観測』というのは『主観には存在しない』から、『実験で証明する為だけ』の『机上空論』という意味のない発想
・・っ書いてる途中でも私の何度も寝落ちしたよ(その都度、違う世界の違う役割してた)
戻ってきて、あ、続きを書かなきゃ・・となっているだけ
今日のまとめは、『別の現実の眠り』から『明晰夢を観ている人の意識の観測』があるという仮説の一つのケースとして、私の中で気になったという事
では、『この現実は誰かの夢』であり、自分もまた、『元はこの夢主の中の存在ではない』という『異邦人の意識』が、一時『仮定着』しているような(前はどっぷりだったのが、自力で解脱)、その違和感があるとした時
『ヤコブの夢』という『誰か』に該当するような神話があるが、そもそもヤコブとは、『支配と裏切りと騙しの象徴』が「そこはお前にくれてやる」という天使が梯子で起りてくる構図は、どーみても
『地下監獄=隔離・幽閉』だよね、なんなら場所が場所だから、『ヤコブと相撲』取っているのは監獄に堕ちた『元天使(実は羽を失った人)』じゃねーの?『類友案件=囚人同士、天(一点)への反逆の結託』でしょ
で、そこに『夢を通して遊びにくる』とは、『ヤコブの夢に侵入』しているようなものであり、中から『支配、裏切り、騙し』の性格や性質を変えようという、そういう思想に染まってしまった人の『インセプション(潜在意識の書き換え)』でもある訳で
『名は体を現す』というか、『体は名を現す』というか、やっている事はゆるっとふわっと皆の体を変えていく=ゆるふわティの活動(笑)
だからたまに見ちゃうんだよな、『別世界(パラレル)の情報』に興味があって
カタカムナで ユミー という言霊は
湧き出る実態が短く
一過性の滅多に現れない稀な人=まれびと=夢の旅人という異邦人だ(笑)
文字通り、明晰夢の中で明晰に別の現実(夢)を語っているというのは・・
多重夢、多階層の夢、仮想空間の中にさらなる仮想を生み出すという・・
意識の旅でやりがちな『不思議な穴を開けまくる白兎』にも感じる
白兎を追え!・・という意見もあれば
白兎は追うな!・・という意見もあるように
不思議とは『原理がわからない空間』だが
その原理がわからない空間は『可能性』から生まれた産物
だから、『不可思議』という観点で観た時、この不思議な空間の『出処の可能性』は
夢の旅人(別次元意識)
ある意味で、宇宙人ならぬ兎中人だけどね(仮面も兎か?)










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