一言で知識といっても、与えられた知識には限界=限られた界隈がある。その界隈から出る事を非常識や常識外れというが、常識の知識が役に立たない領域で与えられていない別の知識があれば、もはや常識とは口封じの人=囚である。転じて、『自由と思わされている不自由』であり、その不自由=バックドアであると気づいた時、そのバックドアからの侵入に反応するのが、守護霊=主語例であるという、供養した先祖の智慧のお話
知識は最大の防御というが・・
「知識は最大の防御」という概念は、具体的には「知は力なり(Knowledge is power)」というフランシス・ベーコンの言葉に由来し、正しい情報と知識を持つことが、サイバー攻撃、詐欺、あるいは困難な状況から自分自身や資産を守る最も強力な手段となることを指します
教えられた知識には、一般常識だけでなく、『帝王学、宗教理念』など『各差』があり
それぞれには『見えない立場の意見』という『ポジショントーク』が含まれている
知のレベルも、『義務教育(最低レベル)』から『専門教育(最高レベル)』など
有識者からすれば、『格差』があるのは『自明の理』
つまり、この言葉に置ける『知識』という『概念に囚われる』と
必ず、知を与える者、教える者を『超える知識や違う智慧』は生まれない
つまり知識という『情報の型の中では防御』になっても、『与えられた知識の外』からすれば、『出入り自由のバックドア』を仕掛けられてると言える
今は、『AI(集合知)が問題』とされているが、本当に問題なのは、そのAI(集合知)を『コントロールして型にはめる人』である
この『型=常識・概念・都合のいい知識をプログラム』する流れの中で
『脅威として排除』されるのが、『型にはまらない智慧の発想』である
というのも、知識が智慧を『都合に悪い脅威として排除した』という事は、『排除・取り除かれた智慧』という知識・教育として記録されない『先住の何か=人の可能性が有った事の証明』でもある
まさに「悪魔!」・・として退けた『空間(あくま)の証明はできない』と都合が悪いから『否定される智慧』
さて、それらが取り除かれた『現代・合理・システム化した都合の社会』において、『生活に満足してる人』がどれだけいるだろうか?
富める者は富み、貧する者は貧する
「富める者は富み、貧する者は貧する」は、持てる者がさらに富を得て、持たざる者はさらに貧しくなる、格差が拡大し固定化する世の理不尽さを指す言葉です。イエス・キリストの言説に由来し、社会学では「マタイ効果」とも呼ばれ、資本主義における資本の蓄積や現代の経済格差の現状を説明する際によく引用されます
『宗教的な言葉』と結びつけられてるが、別に『門下生や信者』にならずとも
『今現在の世間一般』を観れば、『格差が拡大し固定化』する『世の理不尽さ』を指すはも自明の理
つまり、根本の『与えられた知識を鵜呑み』にすると『こういう結果』になるという
ただ、流れの先を『先世見した苦言=そうなってはならない』という『抑止の問題提起』
・・それをさらに宗教は「だから信者になって救世主様を・・」と『利用』するが
そんな宗教理念で育った知識は結局『宗教界隈の信者同士の互助会の都合』と化している
それが、結果『ユートピアのパロディ』の『リバティ』だとしても、その『知識に囚われている』限り、それが『外』からどう見えるか?の『智慧』に至らない
「リバティ」は、英語の”liberty”をカタカナ表記した言葉です。 圧力や暴力、権力などによる支配からの「自由」または「独立」、拘束や抑制といった状況からの「解放」を意味します。 行動や言論、思想などの自由を表して「権利」「特権」を指して使われることもあります
リバティは一件『美辞麗句で良い意味』に聞こえるが・・リベラリティとは
相手を解放する性質. 偏見で縛り付けないこと。寛大に扱う様。 惜しみなく与えること。気前のよい様。 施し物
世界が危惧したアメリカの『バイデン政権』の時、このリベラリティ=『解放』によって、『治安が悪化』し、『資産は強奪』され、一部は儲けて多くの人が『苦しんだ世論』が生まれた
まさに『自由、独立、解放』・・という名乗った=背乗りした『暴力の権利というパロディ』だった訳で
結局それも『与えられた知識=自由→好き勝手いい権利』を『コントロールした人身掌握』という
『知識を与える者』による『バックドアで世論が動かされた結果』にすぎず
その動きを察知した智慧の意見が『陰謀論者・デマゴーグ』として『排除』された
この事から、わかるように『与えられた知識』では『何の防御』にもならない
『自らの意見』として『智慧の発想』を『三和土にした知識=体験記憶』
『痛い想い』をしたからこそ、『次は同じ手に引っかからない』という
『免疫=苦言が預言』として、先の人(過去)が、後の人(未来)に託す
・・で、その『託す方法』が今回のテーマ(((o(*゚▽゚*)o)))
守護霊とは主語例(言葉)である
『守護霊』・・といえば、『霊的世界』という『与えられた知識・概念』で目に見えないが存在する
『見える人には見える霊能力』など『できる人は頼られる=能力主義』という『格差』が自然に生まれている空間
『気』にしなければ、『気にならない』のに
『気にさせる』事で『バックドア』になる知識
そう思えば、そうなる=色即是空・空即是色
元来は『いてもいなくても関係ない』のに
『怖いもの見たさ』で『怖いと教えられた所』にいく
これも『与えられた知識の教科書』通りのテンプレ
それを『信じる者』がいる限り『儲』られる
・・しかし、私の独自の感覚は、存在は感じる、しかし、見るも聞くもなく
ただ『共感』すれば、『人(先人)』として養う事で『供養』する
この供養すると、宿り、『言葉』として『私の口』で語りだす
それは守護霊という『守り護る存在』ではない
主語(私)で例(生き様)を伝える
『共感』とは、『似たような状況』が『かつてあった』
その時に『失敗』した、『乗り越えた』という『反省と解決』を導く存在
「失敗したからやめておけ」・・も導き
「解決の糸口はこれだ!」・・も導き
共感のために必要なのは、まずは『人』としての『自己』を持つ事
そこに『共』として『養う=加味して宿す』からこそ、先祖は供養されて『一体化』する
失敗も成功もした『二元性の加味が宿る』
生き様を『主語』として『例』にして伝える(因)
それが人を守り心を護る結果となる(果)
それを見届けた先祖は『仏に成る=成仏』
悔いは無い=心に『毎(…のたびに)』はもう無い
『一つの役目=問題解決』を終えて『消え去る』
お釈迦に壊れてお陀仏に崩れ去り→「もう大丈夫だからほっとけ(仏)」
すると、次の元=『次元』となる『主語例』が宿る
『元』を『三和土として加味』して『土台を安定させる事』を毎度繰り返す
=『密度』が増す=云う鬼(先住民)=『魂の経験値』を積む
『何(人の可能性)』を『問題』として『意識が観測』したか?
それによって『主語例(因)』の『守護霊(果)』は変わる=因果関係
気にしなければ、気にならない幽霊は『遊例』
『自由に浮遊』して『遊びの中に学び』がある『浮世離れした例』(笑)
だから、『気が向く』と、ふっと気になって宿す(笑)
流れのままに気のむくままに、『氣が巡った事に心配り』をする=心配
すると、『心配=問題』として捉えた時
『それで失敗した主語例』が『それを解決して成功に導く守護霊』として宿る
ま、宿った以上、『向き合うべき問題』から逃げる
忌避する=『己の心を避ける』限り
魂は『云う鬼』として、『心の門番』として立ちはだかり『悪夢』を見せつける(笑)
逃げるな!→兆しへ進め!と
主語例=あるじの語りの例である
『主=あるじ』とは何か?
それを『与えられた知識の中』でのみ考えれば
主=キリスト、主=釈迦、主=創造神
『絶対的存在』・・と『集合的無意識は知識(固定概念)』にするが
それは『加味』である=『加える味』として捉えれば
『主』とは『自分自身』であり、自分自身に『何を積み上げる』か?
その為には『先の人の例(生き様)』を『今の心』として向き合わないといけない
しかし、『先の人の生き様』は『文明として証明』されないように
『都合のいい与えられた知識』の『外』に取り除かれている
鬼(先住民の智慧)は外
でも、その云う鬼が『魂』という『生き様指導の先例』なんだよな~と(笑)
『知識の外』に取り除かれた『智慧(封印された配当外・一級漢字)』を次から次へと
『主語の例(生き様)を夢で追体験』させて「こういう事だぞ?」と説を伝える=伝説
だから、ふと『気』が向いて『共感』した時に現れる『守護霊』って
『現一切色心三昧』として現れる存在なんだと思う
現一切色身三昧(げんいっさいしきしんざんまい)は、『法華経』に説かれる、菩薩が衆生救済のために自由自在にどのような身体でも現すことができる能力(三昧)。薬王菩薩や妙音菩薩が体得しており、相手に合わせた姿に変身して導く神通力とされる。法華経の持続や真心の供養によって得られる功徳である。
今回も、そんな現一切色身三昧を感じたきっかけが
『あるじ=主』という『有る字』なんだよね(笑)
有る字が語る例=『こさわざ・格言・熟語』
生活の中で『何気なく使われている』が『常』には必要ない
それが常に有る世がいい『常世(とこよ)』ってなもんで(笑)
これを『智慧』から始まる『与えられていない知識』として知っておけば
『与えられた知識』の中で何か『流れが変わる=都合のいいバックドアが開く』瞬間に気づける
これは『免疫』が『ウイルスの侵入を探知』した状態
これを『人を守る』為に、『人の心を護る』為に
供養して宿していた『先祖が反応した!』と捉えれば
『自然免疫能力』とは『先祖』をどけだけ『供養(加味)して宿して』いるか?
『魂の経験値=免疫耐性』とも言い換える事ができる
・・と主は語る例え話
要は、そう思えば、そうなる=色即是空・空即是色
ただ、それは『目に見える物』ではなく『見えない領域』で起きる変化
そう想う!=『空の間+想』
立つ日を心が支える、音(脈動)を支える心=『意』
そこに『味』を加える=『加味(先祖を人と共に養う)』を宿す
すると『意味』が生まれる
その『生まれた意味』を確かめたい(好奇心)と『意志』が生まれる
その『意志を宿した主語例』が『先例となって導く守護霊』となる
だから、こういう事なんだよね
目に見えないが存在する=主語例=『先人の生き様の言葉(因)』
目に見えないが動いている=守護霊=『宿った人を供に養い導く流れ(果)』
私の閃きの智慧は、『全てを解き明かす為』に現れるのではなく
私が『問題』として『意識して観測した事』を『納悳して悳を積む為』に生まれ
その『問題を解決』したら、きれいさっぱり忘れて消え去る『抗体』の如く
『有事の際はその『抗体が反応』してまた『沙の仏塔を建てて復活』するのだろう
それまで『浮世離れ』した例えで遊ばせる『浮遊霊』としてほっとく(仏悳)=気にならない
『症状』がでるまで『小乗=釈迦の智慧』を楽しんでろと
『手のひらの上で遊ばされている』かの如く、たまに『訳詞如来』をする
それは主語例を宿す=意識して観測した『有る字』という生き様の『過程』に共感し
『因=問題』に『支える心』を巡らせて『恩=有り難い』にして
『結ばれた果て=結果』を変える事=『意味を自己解釈』する
既に『与えられた知識=概念・常識の中』には無い『外の智慧』
門前の小僧習わぬ経(知識の外)を読む
その為に、破戒僧、破門、相いれないと『独立した主語例』という
『主=かつての先祖の語りの例(失敗)』の心に耳を傾けて『恥』を知る
『例』を恐れてはいけない
『霊』を恐れてはいけない
例も霊も『神(絶対=思考停止)』にしてはいけない
それは失敗も成功も『加味して自己解釈すべきエネルギー』
それは、『過去の自分(主)』であり『未来の自分(主)』
それが『今の心に動く力』を与える『念動力』
守護霊とは『命題』であり、『業の回収』でもある
業の回収という事は、『波動の浄化=詰まり』を取り流れを正す唯示唆(それだけ)
その過程は『心』と向き合う事・・という結果、『急がば回れ』
今の心が『三和土として安定』しないと
過去も未来も『宿る器』がないからね
石の積み重ねとは『意志の積み重ね=密度を増す』事
それを『云う鬼=魂』が「三和土直してやる!」と指導している構図
賽の河原の石積みとは、『際の河原の意志積み』なんだよ
『仏(ほっとけ=耐性・寛容)に成る=成仏』のために心を鬼にする仮面(裏=温羅)
ま、『与えられた知識(常識・概念・都合のいい意味)』には無い
知識の外の『智慧の閃きの主(有る字)語例の自己解釈』だから
『常識』からみれば『悪魔の証明』だけどね(笑)
だけど、『都合が悪い』と『歴史から消された先例』ほど『悪魔』とされるのだから
私は客観的・世間的には「悪魔に唆されている!」と『例外=諸説』にされるだろう
だけど、こっちのほうが、守護霊とか、浮遊霊とか、『恐怖支配』ではなく
『型』にはまってない、自然に有るがままの『自由なエネルギー』なんだよね
浮遊例は『浮かばれない』のではなく、浮かべるけど時に『人に宿る事もできる先例』
「こういう時は、これを糸口とするといい」ε≡≡ヘ( ´Д`)ノアバヨ
な~んて『閃き』をくれるから『加味して遊ぶ=神楽』になる(((o(*゚▽゚*)o)))
存在を『気』にしなければ『気』にならない=そりゃお互い様で『ほっとく(仏悳)』
『共感が大事』というけれど、それは『人が人の界隈での知識』
人の外、外から見た人という観点でみれば『見え方・感じ方』がまったく違う
『人』に『自然が共感できなくなる=見放されない』ように
『人と自然の繋がり』を忘れるなよ?と苦言を云う鬼=魂








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