『アミ 小さな宇宙人』『もどっときたアミ』『アミ 3度目の約束』『アミの世界』の考察(予定地)
エンリケ・バリオス著 アミシリーズを読むきっかけ
世間では都市伝説の流れで有名になって手に入らないと言われるこの本。私がこの本に興味を持ったのは、別に有名だからとか、話題だから読んでみようかな?という気持ちではなく
アミが・・『阿弥』ではないのか?という『突拍子もない観点』の『仮説』からです。もちろんこれはまだ『読んでいない段階での憶測』にすぎないですが
阿弥陀=時代の流れ、宇宙の循環法則と考えた時に、阿(3)=縄文・善・平和、弥(6)=弥生・悪・争い、陀(9)=今(末法の世・善悪混沌)という仮説を立てました
弥勒菩薩=36は次の釈迦如来=9 になる破戒(ビッグバン)
この神も仏もいない『末法の世』において仏陀=悟る者=『新たな創造の種』となる可能性。『阿弥(アミ)』が『陀(破戒)』を生み出すために『霊験サポート』に来ているのでは?という観点から興味を持ち
ま~縁があったら読みゃいいか(゚∀゚)アヒャ くらいなノリだったので、誰か『読んだ感想からあらすじ』を読み説こうと調べた際に
「中古を買おうとしたら価格が高くて買えませんでしたが、図書館に行ったらあったので読んでみると・・」という一言が目についたので
ほう!図書館という手があったか!と軽い気持ちで早速行くと・・ほいこの通り読むチャンスを頂いた訳で(。-人-。) 有難い
これも『縁』なのか必要な『学びの引き寄せ』なのか
そんな訳で、精神世界からスピリチュアル、現実的な社会の裏の陰謀まで幅広く、かつ夢の三千世界の旅と、指導霊の霊験サポートで洞察してきた観点から、マイペースに、一冊ずつ読み進めて行こうと思います
・・という予告だけ先に書いとくので、読み終わったらこのページにまとめるので、ブックマークかお気に入りしといてください。それでは果報は寝て待て!
アミ 小さな宇宙人の感想
宇宙の法則とは愛、意識、思考
神とは愛の最高位の状態であって
その愛が僕らを生んだのだから
愛されてない訳がないだろう?
愛があって
愛を意識して気づいて
愛の為に思考を使う
これほど楽しい事はないじゃないか
地球の愛は成長してきたけど、君たちは思考が最も大事だと捉えているから
科学ばかりが発展してバランスが傾く
もっと今という瞬間を楽しむ知覚が必要
目の前の愛に気づく意識を育まないと『また破滅』して愛に向かって進んでる『愛の波動が高い人だけ救済』する事になる
そのための条件が
①宇宙の法則に従う事
②世界統一を達成する事
③愛の波動が700以上(おそらく平均)に至る事
おそらく①と③は分かれば素直に実行したいと思うだろうけど、②に引っかかるのが1番の問題。それが『思考を最重要』としてるからなのかもしれないが、とても大きな問題だ
それは『この法則』を知ってて『悪用している者達(介入)』がいるであろうから
アミの話はおそらくそんな『深い話』は言わないし、言う必要はない、あるいは知らされていない。なぜなら、ペドロのような素直な少年少女やその心を忘れてない大人に向けて伝えられる本(意図的)だから
①全部ロボットがやってくれる
②判断はスーパーコンピュータがしてくれる
③お金(対価・犠牲)や嫉妬という概念はない
という部分に引っかからないだろう
現実でも
①スマートシティ計画
②スマート農業(人工食)スマート漁業(養殖)
③AI判断・トランスヒューマン
『機械任せ』で人はする事が無くなるという事を『マイナスに捉える』かどうかは人それぞれ。何も知らない方が幸せにシフトできる…とも思えるが…
それって『巨大な宗教施設の第〇サティアン』みたいな、その『領域にはその領域のルールがある』みたいな…
作中で愛の波動を計測した際に
①アラスカで狩猟をしていた若者760
②アミの波動750
ここがどうも引っかかる
アミ自身もかつては野蛮な生き物から、何度も生きて、死んでという輪廻転生の繰り返しの果てに『今がある』と語っていたが、それでアミの文明は『750』くらい
そんなアミたちに『野蛮だと軽蔑』される地球でも、何も知らなくてもその『アミを超える波動を持つ者』がいる
アミはちょこちょこ『主観のリアクション』の中に『動物の死骸・死肉を食べる事』を嫌っていた表現がある。しかしアラスカの若者はおそらく『狩猟』、つまりは『自然の獣を捕まえて食べる』だろう
過酷な自然で得た『貴重な命を頂く』というのは『愛』から生まれた『愛を取り入れる』事
またその狩猟は『他の人を護る為に自らを危険』にさらし『犠牲になり大地に還る』という事を『覚悟した愛からの行動』だとすると、アミの伝える『ロボット』や『スーパーコンピュータ』に『全権』を委ね、『ルールに反しないようにする』というのは
本当に『愛』何だろうか?
アミは愛の『最高位が神』だと言ったが、スーパーコンピュータを『神』とは言っていない。『スーパーコンピュータ』が宇宙の法則の中で『第三位に当たる思考』の部分だとしたら
『アミの行動』は『思考』の『指示を意識』して『愛の行動』をとるという意味では
3→2→1
『野蛮性は無くなった』とはいえ『思考に従順になった人類』と変わらないのでは?
ちょこちょことアミを疑う訳では無いが『一神教』のような『自分で考えて動いている』ように見えて何も自由意志は持っておらず奉仕という名の『布教活動をしている』ようにも感じる
それはそれで『高度なテクノロジーを自由に使える』という『特権』を持った『一部の幸せな人は幸せ』何だろうけど
この話を聞いて『納得』できたのは
『宇宙の法則』と『愛の度数』と『科学の発展のバランス』
しかしアミもまた『スーパーコンピュータ任せ』で『偏った思想』で育った『無邪気なまま長い時を過ごして凝り固まった概念』産物のようにも見えるので…
その『ぺドロが書いた本』を読んだ(遠隔で見れる)であろうアミが戻ってきた後に『ベドロは感想を聞きたい』だろうし、アミにとってはぺドロが後世に広めて欲しい『体験をどう解釈したのか?』という度数の変化の影響もみたいだろう
…という訳で、私は『もどってきた アミ』も読まなければ、納得出来ない状態になった
しかし、これは私の『一意見』である
本文の最初に『素直な子供』向け、あるいは『子供の心を失っていない大人』にしか伝わらない『おとぎ話』という前置きがある
…と書いてる時間がエンジェルナンバー『1111』と出たら、これも『何かのサイン』か?!(((o(*゚▽゚*)o)))と『ワクワク』するような『素直な心』も忘れてはいない
だからこそ思う
本を読み、『情景を想像』しながら『追体験』して、アミとペドロという『人物の細かい感情のやり取り』を知った上で『自己判断』する必要があるので、他人のレビュー読んだり、あらすじ聞いて『知ったかぶり』しないで、ちゃんと『自己判断』して下さい
私はアミが伝える楽しい世界は『VRchatのような娯楽空間』、食べ物や移動手段は『ロボット任せ』にした『材料は何?』とかそういう『都合の悪い事は気にしない恐ろしさ』を感じました
愛の波動をあげる『サポートに行ってるアミ達の波動』が上は万とか千とか行ってるのに、『750で地球人の平均よりちょっと上』くらいというのが『煩わしい野蛮な現実』を忘れてここで暮らしましょうという
『宗教施設で生まれ育った信者の盲信による幸福度』もそのくらいなんじゃないの?(無害)と思ったりするし
その信仰の対象が『最高位の神』ではなく『第三位の思考(スーパーコンピュータ)』に思える
うーん(´-`)oO
生産はロボット任せで食料時給、たまにUFOがこっちに来て連れていった先で食料の材料になる世界の話なら宮崎駿の『シュナの旅』
これもアミの言う、『愛の度数が1000を超える人達』がテレパシーで伝える情報を受け取った宮崎駿が描く、『科学にバランスを崩した思考優先』で描かれたのか、それとも『そんな科学を受け入れるべきではない』という『愛からの警告』か
『受け取り手の愛の度数』によって変わるらしい
『人類は同じ過ちをしてはいけないという警告』だとしたら、シュナ、ラピュタ、ナウシカ全部共通テーマは『人を犠牲にした科学や魔法』
しかし、それは『宇宙の法則』の『思考のブロック』にある訳だから、その上に『意識して気づく』があり 「何に?」という部分で
『愛=神』=カタチがない
しかし私たちは『そこ』から生み出されている
つまり『カタチ』あるものは『皆愛』
だから『愛』を『意識』して『思考』する
『愛』を『育む』為の『テクノロジーの進歩』
この中で決して『武器』は生まれない
武器や暴力が生まれる時点で『愛が行き届いてない』とわかる
どうやったら『愛が届く』んだろうか?それを『意識』して『思考』する
すると『テクノロジー』を閃く
これが愛→意識→思考という『宇宙の方法』
そうなると、カタチあるものからカタチない空間まで含めて『全て愛』であり、『境界や輪郭』が無くなってしまう。それを『究極』に求めれば『人類補完計画』のようなみんな溶けて繋がり『主観的には救われる』が
受け入れらない『客観的』には、それは『邪な入れ知恵』にも思う
アミ達のような『愛を語るもの達』は『中道』に近く
中道は『善悪』がなければ『必要』とされない
中道は『邪』
『神』と『鬼』の間にいる『天邪鬼』
『善』にも寄るし『悪』にも振る『バランサー』
アミ達『個々』に『その意志』はなくとも、『スーパーコンピュータ』という『思考テクノロジー』が『神へと近づく意識』を阻むとしたら?
「そんな事はありえないよ!だってスーパーコンピュータだもん!」というのは・・「デマです!陰謀論です!」とエラーやイレギュラーを『原因不明にして認めない事』と変わらない気もする
ちなみに、私のアミ=阿弥は半分あたりで半分外れ。作中でアミーゴ(友達)のアミと書かれているが、文体のやり取りはまるで説法の如く、どこか仏教感を漂わせている
そういう意味では、なぜ愛の波動750のアミが、そんなに『波動に差がない地球人類のサポート』に回されるのか?
もしかしたら、作中で『ペドロの主観』で見た『アミの精神性』がどこか偏っていて『善悪に関わる事』から避けた『中道とというポジションに甘んじる事の問題点』を捉えていたのではないかとも・・
アミがやっている事は自主的なものではなく仕組みはわからないけど『スーパーコンピュータのいう事は絶対間違いない!』という前提になっている
ペドロはこの体験で大きく意識が変わるだろう、しかし『もどってきたアミ』は変わっていくのだろうか?
アミの成長がどうなっているか、それをペドロがどう捉えて表現するか、やはり続きを読まないとわからない
もどってきたアミ(感想)
物語はアミとの体験本を小説家志望のいとこに書かせて出版し、ベストセラーになった2年後の話。アミと再会した時、同乗していたのはビンカという少女だった
今作の隠れテーマは会話の端々にあるアミが伝えた事『エゴイズム』の実践
ペドロやビンカがアミのいう事にすぐ『欠点や問題探し』をするのに対して、アミはそれ以外の『ワクワクする事』を伝える。これを『問題隠しの論点ずらし』と捉えるかどうかであなたの精神性がわかる
ちなみに私は『アミを疑って』かかっていた
(こいつの思想は嘘や騙しの汚い社会を知らずに育った宗教施設で生まれた二世みたいな綺麗事だ)と・・しかし、そんな読者の気持ちを見透かしたようにアミは隠さずに伝えてくる
「僕は最高の環境で最適な教育を受けて、君たちよりも少し知識があって波動が高いだけ、悪戯好きで楽しい事が好きな星に生まれた子供なんだ」
そんな前作『アミ 小さな宇宙人』を読んで、ひっかかっていた疑いのブロックを見透かしたように、本をまたいだ壮大な伏線回収、まるで「前に伝えた事は覚えているかな?」と試すように
戻ってきたアミの中では『情報過多のレベル』で『あらゆる事』が伝えられている
どれも信じがたい事だけど、大人の知識があれば、もしかして『アレ』・・そういう事なのか?と世の中の『科学では証明できないメカニズムの裏側を補填』しているような事が気になりながら
「君たちは僕よりももっといい指導者を求めているけれど、僕よりも上の波動の人達の言葉を理解できたかい?緊張して何も覚えてないだろう?だからサポートには君たちよりも『少しだけ上の先輩』がつくんだよ」
私自身の実体験とリンクする部分の『謎』が解けて行く感じがした
高波動の存在・領域・文字に触れると『抗えない眠け』に襲われる(神社の祠や自然巡り旅行の後)
夢を見ても目を開けた瞬間に忘れてしまっていた
夢の内容を『覚えている』という事は、それが『メッセージ』だとしたら、わざとわかりやすく『変換してくれている』という事だろう。『断片的』なのは、その星の『表現がこの地球にない』から反映されないような?
アミの言ってる事を素直に吸収して成長していくペドロやビンカ。それは『心の声に従う』かのように『波動が高まって』さらなる未知にワクワクしていく
私がこの本を読んだ翌日に『夢』を見た
その内容は
「もしも、苦手な人の案内で知らない町に二人旅をしたら、あなたは相手を『素直にリスペクト』できますか?」
タイトルをつけるならこんな感じ
この中で『エゴイズム』とは何か?
どうすれば『愛の波動』を高められるか?
これを『実際に夢で追体験』した事で戻ってきたアミが伝えてる内容をぼほ網羅した『修学旅行』してきた感じでした。それについてはまた別の記事にて詳しく解説しますが・・
この本は『自覚症状(幼少から誰にも理解されないけど身に起きてきた体験)』がある人にはとても刺さる内容です
メモしながら、考察しながらなので1冊5時間くらいかけて読んでますが、ロードムービー的にアニメにしたら30分くらいでしょうねw
行動は少ないけど、伝えられている内容は『児童文学』として子供が読めばワクワクして「僕もアミに逢ってみたいな!」と『夢が内面(心)に広がる』だろうし
子供のような『純粋な心を持った大人』は、気が巡っていなかった『自分の中の気枯れ(穢れ)』に気づいて、『隠れ潜むエゴを克服』して制御できるようになるかも
ま、いずれにせよ、前半のペドロと同じタイミングで『疑う心』を取り払わないと、途中の宇宙司令官の話あたりで
「うさんくせぇ・・お前らが穴掘るから地震起きるんちゃう?マッチポンプか?」とか『隠れたエゴ』がでてくるでしょう(笑)
でも実際、ガス抜きって言葉や棒倒しの理屈でいえば、少しづつ行うから、最後は爆発するなり倒れるのは防げなくても、その『規模は縮小』できる訳で
現実における海底掘削船の役割というのも『穴を開けて圧力を逃がしている』・・という捉え方には目が行ってなかった気もするなぁと
今作全体が『エゴイズム』という『偏見がある状態で読む』と見え方がまったく変わり『伝える言葉も変わる』と思います
私も最初は、けちょんけちょんに『特異の洞察力で粗探し』してやろうと『欠点ばかり』探してましたが・・『欠点』だけ見て『それが全部』だと思うから『地球以外に人類はいない』なんて『迷信に囚われる』のだよ?と
見事に『誘い込まれて罠にはまった』のに「トドメだ!」と仕留めに来ないでドジだなぁwwと『笑いながら手を差し伸べられる』ような
そんな、でけぇ・・愛がでか過ぎて・・『恥ずかしい気持ち』になったら『自分のエゴ』のなんたる『小ささ』かと・・『妄信はしない』けど、『欠点という気になる部分が全てではない』と『意識の観測点』を変える事を学びました
『ここに書いてる事(レビュー)が全て』ではないですよ?先にも言いましたが・・『情報過多』てす(笑)
しかも、一つ一つが『独立した(愛・奉仕)テーマ』なので、どの部分で『エゴに意識が持っていかれる』かで・・
読みながら「さーせんw」と『反省』したり、あまりにも心を見透かされて『思わず笑って』しまったり、この本を読んでいる人の『愛の波動計測』されてるような気すらする『不思議な本』ですね
私も読み終えた感想(宿題)を書いたら『3度目の約束』という『続き』を読もうと思います
アミ 3度目の約束 感想
まず、この三作目は『アミ 小さな宇宙人』『戻ってきたアミ』から5年後の2000年の後半に書かれている。社会的な変化と言えば、1995年に世界に普及し始めたwindows95、そしてインターネットの普及後に起きたコンピュータ2000年問題等、様々な事が起きていた時期
少なくとも執筆開始時点で著者に多大な影響はあったと思われるほど・・前作2作とは大きく変わった構成というか・・一冊の中に
マトリックス3部作が詰め込まれたような、とてつもないボリュームとシーン移動と展開の詰め込みが凄くて途中途中、読み疲れを起こしてしまった
ビンカが地球に移り住む過程での家族ドラマの大スペクタクルの中で、惑星内部に入り基地を作っている文明世界のヘルパーによる介入、そしてアミが体を張って悪の組織に乗り込むという冒険だけでも映画一本作れるほど、細部にわたって情景がはっきりしている
また違う惑星の内部にある祖先達が移り住んだ文明世界にて、伝道師の役割を教わって・・
最後そうなんのかーい!と、思い描いていた終わり方ではなかったけど
3部作をを通して言いたい事は、偏見や傲慢が支配している限り、地球は未開惑星として文明世界には参加する事が出来ない
そのために愛の最高位である『神』への奉仕=周りへの愛を巡らせる意識を持って思考する事を一人でも多くに伝えていけばいい
そういう『メッセージを担った存在』が『人知れずいて活動』している事に気づくのもまた愛の度数が高まれば自然に起きる事
ただ・・
納得いかない部分もある
文明世界も破壊兵器は持っている
今の人類は我々が生み出したという人造人間の話
宇宙と内部地球のDNAを合わせて作ったのが今の人類だから、霊的精神性が獣から人を越えて文明惑星人と同じ度数まで成長する因子も持っている
これが人に直観や夢などの精神領域のスピリチュアルな力が備わってる理由と考えるとわから無くなる
おそらく私の頭の中はの作品を素直に飲み込めなそうだ
1、2と違ってあまりにもご都合的過ぎる安易な展開といい、特定の一部の者達が邪魔をしているという方向づけは、2作目の『執着というエゴイズム』を捨てろに著者、もしくは登場する地下世界の文明人事態が矛盾している
これは、模倣したゴーストライターが書いたのだろうか?
なんだか、しっちゃかめっちゃかで後半は駆け足で
とにかく眠くなって眠くなって・・波動が高い時の眠気とは違い、先に進む気が無くなるような・・中盤まではさくさくと読めたけど、後半はもう・・とにかく読み切るのに数日を必要とした
何か・・腑に落ちない、何かひっかかる
という訳で、愛は全ての元であるという宇宙の法則には納得いったが、結局その物語が生まれたバックグラウンド=創造主を知らなければ読み説けない。本当のUFOコンタクティという体験者なのか
その辺はこの3作目から1年後に出版された『アミの世界』を読めばわかるかもしれない
アミの世界(予定地)
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