好奇心

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感覚的量子論6 夢日記はチケット

夢の体験記憶を書き記した夢日記を書き終えてから寝る二度寝は確実に違う次元の扉を開く理由

夢日記が渡すのはチケット

夢とは言霊で読むと「湧き出る思考・指向」
だけど多くの人はそれを軽んじて忘れる

湧き出る思考とは物理的に言えば「記憶の整理」でもあると同時に、指向はそれを「どうやって解決に導くのか?」も伝えてくれている

だから私は夢日記をつけて、その夢が伝えてくるメッセージを解読するために「夢診断」もしている

このブログでは変な夢だな~?と想いながらも、部分的に「印象の強いシーン」を読み解くとちゃんと指標を潜在的な自分がメッセージを伝えているという自己分析の記録を、夢を見るたびに記録してるので

他の人って「どんな夢」を見るのだろう?と思ってる人は参考になると思います

>>夢診断記録のカテゴリーはこちら

診断の「内容が正しい」ということは無く、これが「自分にとって当てはまる!」というのは「心が納得」するかどうかで決まり

与えられた情報を鵜呑みや「思い込む」のと「納得」というのは明確に「ベクトル」が違う

鵜呑みや思い込みというのは「新たな情報」で簡単に「ひっくり返されて」しまうが

納得した物や事は「自分の細胞の一部」として取り込んだため、それをひっくり返すのは「他人」にはできない

つまり「意識の認知の書き換え」は「自分自身」が「自分自身を納得させる事」でしか起きない現象

他人が意識を変える事は不可能

もしそれが「可能」な時と言うのは、そいつに「意識がない」から「目を覚ませ!」と意識を目覚めさせる事くらいだろう。あるいは「洗脳」や「マインドコントロール」という「操りやすい意識」を植え込む

だから目が覚めている=「自分」をしっかりと持っている人は「自立した精神」を持ち大衆を先導したり扇動する「情報」を「鵜呑み」にしない

そのくらい「意識」を変える「認知」を変えるのは「難しい事」なのに、どうして今の私は

次々と「新しい自分」の発見、心に素直に前に進もうとする「意欲」が産まれてくるのか

その理由が「夢日記」だと理解した

この世界にあるものを受け入れないという事は?

現実においてたれ流される「嘘八百のニュース」…正確に言えば嘘ではないが、伝えるべき論点をあえて隠したりズラしたりして「誤魔化し」

「都合よく」「切り取り編集」してレトリックに綺麗に見せる「プロパガンダ」

そのプロパガンダを自分は避けても、周りの人間の意識がそれに囚われ「そいつらの発言」が嘘八百のどうでもいい情報発信に「感染」し

それを「盲信した世の中の変化」を受け入れその「思考と指向」に流されていく

まるで「集団で夢」を見ているのか?
本当にこの世は「マトリックス」なのか?

と思うほど、この世界に「興味」がなくなったら?

あなたは「何」を信じますか?
多分「自分だけ」だと思います

でもこの自分だけという観点を「物質的な一人」という切り離した目で見れば、「異端や孤独」と見えるかもしれませんが

その自分の中から湧き出る思考や指向=「夢」が出てくるんです

だから生まれてから「肉体」という「制限」の中、死ぬまで苦楽を共にしてきた「内在する自分が見せてくる夢」の「日記」をつけるとは

まさにもう1人の自分との「対話」であり
忙しい現実の中で見落としていた「感動の影響」などの「旅の記録」

「心」に「耳」を傾ける事でもある訳です

耳に心とかいて恥
心に耳を傾けない事を「恥」と言います

「素直」にならない事が恥なんです

分からない事があったら「知ったかぶり」の見栄を張り
「混沌」を招くより「分からない」でいいじゃないか

間違ったら「言い訳」して逃げようとしないで
「間違ったごめんなさい」すりゃいいじゃないか

そこから、「次」の「勢い」という姿勢が始まるだろ?
曲がってた「姿勢」を正せるだろ?
曲がってた「死生」を正せるだろ?

カオスに突き進む死
間違った方向に進む死

そこを「制」して立ち止まり、頭冷やして「冷静」に「生」へと切り替える
死中に「活」を見つけるとは「半生」を「反省」する

「一生」に対して「半生」する
これを繰り返してみな?

この前に読みといた、理論物理学者達が陥る「無限」というカオスは間違った方向に反省(0)しないで、半生(半分に割る)を繰り返して進む

小数点から始まる無限は誰が生み出した?

その行き着く先が終わりなき無限地獄
「嘘」に「嘘」を積み重ねて出来上がる「小さな嘘の世界」

嘘が世界を作る

嘘が世界を作るお話

そっちに行かないためには「認知を変える」必要がある

今までの半生を反省し「間違い」を認める必要がある
間違いを認めるためには「素直」になる必要がある
素直になるためには「心に従う」必要がある
心に従うためには「夢を見る」必要がある
夢を見るには「現実を知る」必要がある
現実を知るとは「夢と変わらない」という事

現実は「誰かの湧き出る思考と指向」によって構築されている
「誰か」とはその現実を観測している「意識」

つまり、「自分が見たいもの」を見ている

現実

カタカムナ34首 現実とは観測

「永い夢」とは意識がそこから離れたくないと「定着」している。あるいは離れられない「呪縛」にかけられている

誰に?そこを他人のせいだ!と「分離」するからゴールが遠ざかる
それを選んでいるのも「自分自身」

ミクロはマクロ 行動(ドラマ)は魂(霊)の選択

だから夢日記は今の自分と共に抱えた「問題に取り組むもう1人の自分」が、現実が及ぼす「精神領域への影響」を伝えてくれている

それを夢診断で「具現化」して「キーワード化」すると、自分が「どうするべき?どう受け止める?」と言う「思考」と「指向」がはっきりしてくる

すると、その具現化されたキーワードが「宝箱」を開ける「鍵」となり

カチャカチャ…カチン!!と自分のこの人生の旅で手に入れた「経験の引き出し」を開けて出てくるのが

「次の夢のLIVEチケット」

認知が変わった上で次の「シークレットLIVE」へご招待となる

秘密の臨場感と一体感

それを「無意識に求めている」から、私は「真理の探求」をして、自分が納得して自分の一部に取り込める事や考え方「存在するエネルギー」を探してるのかもしれない

これも「半生を反省」しながら「間違い」に気づき「道を正し」て「根源へのルート」を探し、一生へと向かう「虚空の無限」を終わらせる時間逆光

カタカムナ44首 時間逆光

その「過程の通過点」に過ぎないのかもしれない
わかったつもりでまだまだ遠い無限円転の「渦の逆走」の途中

「桁違い」で「億劫」で「途方」に暮れる…暇もなく目の前にワクワク湧き出る思考と指向=「夢」と「道(未知)」

そんな夢を記録して「鍵」を得て「共通の引き出し」を開けて、次のLIVEへ行って\(^o^)/ヒャッハーの「瞬間の永遠」を繰り返す

…あれ?これはこれでまた逆に「拡大・膨張の無限」に向かってるんじゃないのか(笑)

まぁ楽しいからそれでいいや(*´罒`*)

でもこれでわかった

「一は全、全は一」

これは小さな「少数点以下」の「ミクロ世界」の概念
一生を割る=少数点区切りで、半生を繰り返す無限の縮小する虚空からすれば「1」がゴール

でも1は「始まり」に過ぎない

それにすら気付かないのはきっと計算式やルールという
「公式」を生み出した「創造主の視点」で思考してない世の中だから

割り切れない「素数が宇宙」というのも「少数点」が現れた事によって「カオス」になった

さて「少数点」とはなんのか?

ピリオド?カンマ?
言霊は語る

ピリオド
勢いよく根源から離れ奥から内に統合

カンマ
強い力の受容

なるほど(´・ω・`)1(根源)から勢いよく離れ
奥(0)から内(0.0…)に統合ね

カンマは「4桁」ずつ「区切り」をつけて行く事でぱっと見た時その「圧倒的な数字の力」を見せつける「線引き」になる

100,000,000

一、十、百、千、万、…十万、100万?1000万?!一億!!Σ(゚Д゚;)桁違いやで…みたいな「目に訴える力」

・・とこんな風に「現実」でまた必要な「思考」をして
それを「夢」の体験の中で使える「引き出し」を増やす

「夢」の自分からすれば「現実」を見れるチケット
「現実」の自分からすれば「夢」を見れるチケット

もしかしたら「チケットは一枚」で「引き出し」を介して「次元を超えてる」のかも?
それが「夢日記」つけたら楽しい事が起きるよという感覚的量子論のススメという結論

そしてそれは無限拡大に向かうと一人ではなくなって「仲間」も現れる
といっても今までの「納得の積み重ね」から「集合意識」のように「求める存在」が目覚める

カタカムナ48首 仲間の目覚め

それも夢のシークレットLIVEの楽しみのひとつ
「意識」の向こうで見てきた「夢」を語り合う

それは「現実」で創造の「想像の領域」を広げ
その影響はまた「夢の世界」を拡大させる「LIVE aLIVE」

「ワクワクの臨場感」と「現実を共に生きる」という楽しみの記録

夢日記は良くも悪くも楽しいも怖いもすべて
「現実のあなた」と「夢のあなた」の「旅の記録」だから大事にしてくださいね

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