好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

夢の中に死(現実)が無い理由 心に隙が無い夢中

絶えず氣が循環していると、何かが入る隙が無い為、ずっとその状態が続く…という感覚は夢と現実=死で説明が出来るお話

夢中→現実=死中

なう(2026/02/04 11:11:55)

エンジェルナンバーにゴーゴー(((o(*゚▽゚*)o)))
…と夢から送り出された朝

直感の閃きはこうだった

「意識を強くもて」=『密度』が高い
『凝縮』されている=『隙間』が無い

しかし、それは『潰れて停滞=圧』しているのではなく、今必要な足るを知り満足する何かで『満たされ氣が満ちて循環=圧が無い』している状態

つまり、『夢の中』

それは『場所』か、『時』か『位置座標』か…『空間』か
『有るのか無い』のか…なんて、1mmも考えない(笑)

いわば、『この現実が当たり前』で、『現実の中で夢(出来事)を語るのが忌避』されるように

『夢の中で現実(名・出来事)を語る事が忌避される』ように…と『双方の法則を明晰』に『夢』として捉えた時…

夢中では『無く』なる→『気が散る』→心に『隙(空間)』が生まれる→『ここでは無い空間』に『意識の観測』が移る→『別の現実(可能性)に気』が巡り始める

『夢の中』から『現実に目覚める』とは
『夢の終わり=死』として『忌避』されている

『現実の中』から『夢に目覚める』とは
『現実の終わり=死』として『忌避』されている

だけど、その『双方の終わり』に向かうのは
『心の隙間』に生まれた『好き魔=好奇心(小悪魔)』が満たされるまで『意欲がその面倒』を見る

大元の心は、心の『隙間(虚空)を産める・埋める旅』に出かける『子空間と魂の旅』を見守り支えている

つまりこういう構図

心(夢の中・満)→『隙間(虚空・足りない)』
『好き魔(足りないを求める=好奇心)』
『精神・魂(好奇心をほっとけない・意欲)』

…という世界観を俯瞰で観測している意識
あれ、これの擬人化版は先に夢で見てるわ(笑)

夢の体感の後に理解したストループ効果?

そういや、これ目覚める前にも『旅の夢』見てたな

旅行に行こうと車で動いて一日目のキャンブ地が何故か駅の手前だった

冷静に(自分がずっと運転すんのか?それって近場しかいけない…)と考えた時、駅に車置いて電車で行こうと切り替えたが、自分が『長期滞在の旅の準備』をしていない、『着替え』もない、『トランク』もない…という状態だった時

出張の多い友人の生き様を思い出した
着替えとか、必要なものは『出先で調達すればいい』と、『身一つで出かけるそのスタイルで困って無かった』のを見ていたからか

まっいっか
何とかなるさ

と、先の事を『深く考えない』で
次に起きる事は『未知のまま楽しもう』と

明日は早く起きよう
明日はどこへ行こうと
眠りについて…

で、『こっち(現実)に目覚めた』訳だ(笑)

これは『体=制限』に囚われないで『自由』になろうというメッセージ

つまり夢の中ではもう『落ち着いて』いて
『隙間=好奇心が現実で満たしたい事』に気が向いた

つまり、『心が満たされる旅先』を決めようと

夢の『終わり』が現実の『始まり』で
現実の『終わり』が夢の『続き(どこかのワンシーン)』

この転換点を『死の概念』で結ぶと
どちらも『忌避=己の心を避ける』ようになり『過度』に恐れる

でも過度って面白い言葉で、『やりすぎ』とか、『限界越え』的な『客観的な意味』なんだけど ←ここ重要

『過ぎる度(たび)』っていう『主観的』に思うのは『慣性=慣れる性質』

限界とか『制限』というのは『制界=制御された界』における『境界線』
つまり『一線という見えない壁・柵』

よく言うのが『限界を超えた者』にとって、限界は『自分で決めない限り存在しない』

これはその通りで

そもそも、『共通の限界』というものは無い
『個々』それぞれ違う

わかりやすい例で言えば、男性と女性では体格が違うから『暴力・痛みに強いのは男性』だと『認知』されているけれど

男性は女性が『子供を産む時の陣痛の痛み』で『精神』が耐えきれず『悶絶して最悪死ぬ』という

『痛み』というものが、『外と中』では『違う感覚』
それも『個人差・生体差』があるとなった時

『人類』という『一括り』にもできないし、『人種』というカテゴリーもただ『色分けラベル』でしかなく、持って生まれた『十人十色の違う感覚』を誰が『限界(一線)を決める』のか?

それは『自己』と『中心』しかない

そしてその一線を超えてしまった時…(あれ?ハードル低かったかな?)とまた『高く設定し直す』する…が『また超える』を繰り返すと

ハードルとか柵とか『有るけど無いのと変わらない』と限界という『界に限る』のを止めた

そしたら、『夢と現実』という『界の柵』が無くなり、『夢の体験(感覚や状況判断)』も『現実に活かせる』ようになり、『現実の体験で得た感覚』も『夢に再現』出来るようになった

…という『証明』は『現実ではできない』
なぜなら、それは『主観』だから、自分自身しか納悳しない『自己満足』

だけど、わかりやすい例えを

完全に『夢中』になるために「心の隙間を埋めたい!」という『好き魔の子悪魔(好奇心)が観たい現実』という『夢の界』に…『親(魂・意欲)』を連れていく

「ディズニーランドに行きたい!」というパターン

「魂(親)の言う事が理解出来るまで、そこ(現実)から出さない!反省しろ」という『自己反省を促す幽閉パターン』

「お嬢ちゃん…こっちおいでー?おいちゃんについておいで〜おもろい所連れてったる…」と迷わせ惑わせ『迷惑で場違い・間違いの現実パターン』

この3パターンはいずれも、私は『現実→夢の体感で経験』している

魔が『刺す』でも
魔を『滅ぼす』でも
魔『法の国』でも

すべて『麻鬼』の言う『通り道』

客観的には『限界』と言われ『忌避』されて『誰も超えない一線』を…『色んなパターンで超えていく』と

『一線』として貼られた『柵は張りぼて』と感じてくる
「そう書かれてるからそう従う」と言う『界隈のルール』

だが『集団的無意識の洗脳』によってとても『効果的に機能』している

100の中で『99が無意識にそれに従った』時
『99対1』でも『自己中心』をできるか?

この『覚悟』があれば『一線』なんてものは感じない

これを『皆同じ条件』で『任意』で試されたのが『ワクチン接種世間体同調圧力』

『何の指標』もない、誰も『正解』を知らない
正解と言われてもそれに『信憑性』も『証明』もないから『責任』もない
何も『頼るものが無い』のに・・『掴めば溺れる藁』だけ用意されている

溺れる者は藁『をも』つかむ
ショックドクトリンでパニック起きれば

普段の冷静な精神なら見向きもしない『予定調和のトロッコ問題』へ進んでしまう

『我』に溺れ、『欲』に溺れる者達が『藁藁』と掴む
それを『真実』を知りながら『笑笑』と『嘲笑う境界線を敷いた者達』

そのどちらでも無い『俯瞰』で「そっちじゃない」と踵を変えた時
もう目の前に一線(断崖絶壁)が迫ってた

皆、『選択を迫られていた状況』で
『皆(集団)の方』に行かなかった

『立ち止まった』だけで、『一線』超えた(笑)
この時思ったのは『境界線(ガイドライン)・柵=策って位置を変える』(笑)

例えるなら、『一歩先』は『一切皆苦の電車の中』
乗ってしまえば、『人に敷かれたレール』に乗って命を運ばれる『運命』

乗らなくてよかった(結果)=『立ち止まる・見送る=原因』という『因果の自己判断』

『比喩』でも『揶揄』でもなく
『人の都合』で『基準値は動く』のだから

『人が決める限界という一線』は守っても守らなくても『自然には何の影響もない』

『自己』は『中心』で動かずとも『周りの景色』が変わっていく
これが万物流転、諸行無常、無為自然

という事は、今は『現実で息』をしている
『自らを支える心』を潜めて静かにしていれば

そのうち、息を引き取って、観念する
観念とは、『今の心を観る』であり

『現実』を見た『今の心』は「その世界を望むのか?」と『選択』を求める
『人を憂う』事、『優しさ』を覚えて悟った『覚悟』を持った時

例え、100の内99がその世界を望むとしても
『99対1』になったとしても『自己の理想』を『忘』れない=『心亡き』にあらず

そして、息を吹き返した世界は『似て非なる選択の現実』
『周りが夢の如く変わっていく』だけの事

それを意識して観測できるのは『一人の位置』のみ
その『世界=理想を観測』したい!と実現に夢中になれば『夢の中』

だから、息を引き取り、息を吹き返すは現実では『肉体の死と復活』だが
自らを支える心(体感・魂の経験値)を引き取り、自らを支える心として吹き返す

これは、優しさ=人を憂う『自己を労わる支える心』で生きる理想=夢の現実を生み出す
そこへ行きたいな~!そこで生きたいな~!と思うなら

この現実の終わり(業の回収・波動の浄化)は夢の始まり

理想という夢を失ってはいけないシンプルな理由

独自体感論 波動の浄化と業の回収の相似

100の中の99人の『集団・皆が求める集合的無意識の現実』
その『情報(観測)に囚われている』限り、『1の理想の現実』は想像も創造もできない

だから、『自由意志の選択』には『死(有るし無いしの動くガイドライン)』を越える事が必須

夢を見るとは人のひいた『都合のいいガイドライン』を超えているから都合が悪いと忌避される
「夢を見るのが現実になんの役に立つ?w」とレッテルを貼り貶めるのは『優越コンプレックス』

『相手の弱み(心・精神)』を掴み、『自分の勝っている点(金・権力)』を前面に出して『強がり張り合う』
・・しかし、最初から『勝ち負け』や『張り合う気持ち』が無いと

『生の現実世界』も『生から見て死の世界(概念)』も『物理も精神』も
『等しくバランスを整えた』時、それは『ガイドラインそのものが消える』んだよな~と

現実の中で明晰に夢の現実の体感を振り返りつつ
夢の中で現実の問題を違うスケールで相似させて向き合った時

夢も現実も『人の使える道具・法具』であり
『道具(法具)は人の使い様』・・という意味では

人は自由な想像と創造を実現=現実にできる創造主なんだよな~と
創造主=『神(概念)』すら・・『加味=味として加える調味料』であり・・

明晰夢の中で、念動力=今の心を動かせる力=想像力と創造力を使えるのは
その世界に『今の心(人)を加味』した時、好き勝手出来る世界で『人は何をする?』

『神(概念)』を『分離』も『統合』もできる
『神とそれ以外』と分けるのは『1対99』も『シミュレーション』できる

うーん、やはり、現実でも夢でも『人の選択』を試されている(笑)

ま、孰れにせよ、ここまで書いてきて思ったのは・・

・・あ、時間だ(美容室と雪かきの・・)
一旦ここで、小休止して・・さっぱりしてから続きを書く(おそらく意識の観測が変わる)

(一日後・・)

4か月ぶりに髪を切って、マスターと色んな話(政治、雪の問題、向上心のある勉強会の話、陰謀が実は現実だった話)をして
なんか心地よい夢(家族と過ごした後、映画の世界の中を探索する・・確か13日の金曜日だった)を見て

・・で、さっぱりして目覚めたから『この現実の続き』を忘れたww
綺麗さっぱり『忘れて空』になる事も『選択』なのかもしれない(笑)

( ゚ ρ ゚ )ボーっとしてれば、『次の意識の観測世界』が自然に巡ってくる

空(有無)をぼう(忘・望・房)と見上げる時ほど考えている

とはいえ、( ゚ ρ ゚ )ボーっと『没頭』して『夢中』になる事も
『できないような社会構造』が『忙しさ』で『心亡き』にする人の世の流れ

・・という流れから離れて99対1の俯瞰で観る『観念=今の心を観る』が必要
そうすれば『流れの中の一の位置』と『それ以外』という全体観測の中の座標が見える

spongeのアナグラム ONE GPS(観測全体の一人)

人を憂う『優しさ』とはなんて・・争い・競うという現実世界では
なんて『ちっぽけな存在(理想)』だろうか・・と

でもその『ちっぽけな存在』と『相似するスケール』を上げたら?
それは、誰もしない想像主→『創造主=優しさの世界を生み出す存在と同じ』である

『正しさ=唯示唆=ただそれだけ』を悟って覚えて『覚悟』して
『心亡き』にあらず=『忘れない事』

それがあれば、現実の終わりも夢の終わりも
やりたい!という意志がある限り『概念的な死は無い』と言える

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