仏教用語、パーリ語、サンスクリッド語で構成された東京事変の「仏だけ徒歩」を本業の仏教の住職の読み解きで深く共感して好きになったお話
「仏だけ徒歩」の仏教解説
タイトルが前から読んでも後から読んでも同じになる回文になってる?という所から始まり、不思議なコード進行でスタイリッシュな東京事変の曲調をかっこいい!が先行するのだけど
そこに書かれている詩を本業の住職の解説がおもしろい
こちらの住職の解説のおかげでなるほど!Σ(゚Д゚)と納得
個人的に共感できるのが、あぁ煙ったい世論に飽きた事や今夜あたり涅槃へと という部分
正直、眠った時の夢の世界の体験や探究が楽しみという意味では、今夜あたり涅槃へも当てはまるし、結果、煩悩だと揶揄されても構わぬとは、眠りの夢に安らぎを求めるのも煩悩(執着)だと言われていも構わぬ(笑)
また、輪廻転生はまぁ遠慮するものの、滅したい現世の毒気を須く葬るというのも、人生を何度も繰り返すのではなく、現世の毒(侵された自我・概念)への執着や興味を置いていくという考え方と同じ
どんな評判を得たって関係ないの 南無.幻よ苦楽も自作自演というのも、自らがその感情エネルギーのドラマを選択して体感する考え方と同じ
開いて自在に変わってゆけ、いつのどこの何者でもない誰もが独りぼっちネットなど見ている隙ありだ断然チャンス完全に
これは実際、そう思う
欲するもの、影響を与えるモノは自分の外側にあるのだけど、それを見ている自分は何もしていない思考停止。自我がある状態は、常に自分という役割りのカタチに囚われている
それが何もない、繋がりがない独りぼっちだからこそ、欲に対する影響がないのだから断然チャンス
今の社会状況の分断という状況をネガティブに捉えないで、自分自身を取り戻すための時間として逆に利用する意味で、社会の束縛や支配にとっての隙あり!
悟って至って普通に解脱に関しては、歌詞の冒頭でもあったように、煙ったい世論に飽きた事、デタラメがまかり通る、狂った社会状況にうんざりする事で
今の社会的なルール、常識、概念は自分が求めるものではないし、誰かが変えるのを期待して何かに帰依(力あるものに期待)するのも意味がない
自分で自分の状況を変えなければ、自分自身の求める事はできないと悟るのには、ある意味今の世の中自体が精神的修行の場だからできる事
悟りにもいろいろあるけれど、周りに期待しないのもひとつの悟りだと思うし、解脱とはそれらに依存しない事。覚悟を決める・・というより、くだらないから関わりたくないという一歩距離を取った感覚になる(俯瞰)
ローパ/ドーサ/モーハ従えようか
落ち着いて考えているほら目を閉じてまさか現在の静けさがもうニルヴァーナか!
この部分については住職の解説で初めて知った
ローパ:貪り
ドーサ:怒り
モーハ:無知
貪瞋痴:仏教用語。人間のもつ根元的な3つの悪徳のこと。自分の好むものをむさぼり求める貪欲,自分の嫌いなものを憎み嫌悪する瞋恚,ものごとに的確な判断が下せずに,迷い惑う愚痴の3つで,人を毒するから三毒
それらの好きな事を求める、嫌いな事を嫌悪する、無知で迷い・与えられた知識でしか考えられない蒙昧な事を従えようか・・というあたりが、今自分はどんな状態?というのを内観してちゃんとコントロールできているという事であり
私にとってはそれは明鏡止水の状態
これがニルヴァーナか!Σ(゚Д゚)っていう気持ちもわかる(笑)その状態になると、最終的に思考する自我がなくなるから(その状態の時だけ)
総合すると先日記事にした「意識のシフト」と非常に似ている!
結果、煩悩だと揶揄されても構わぬ
だって、煙ったい世論に飽きた だから
タイトルが回文だけど、内容も逆でも悟りに至るという凄い言霊の詞
自分で心から好きだと共感できる曲がまた一個増えた!ありがとう住職(≧▽≦)ノ Σ(゚Д゚)ソッチ
そんな訳で、この曲もドラムを練習してみようかなと動画を探したら・・なんとご本人が一番最初に手本を出す(しかもドラムトラックのみ)という欲のなさ(笑)
いや、本当に有り難い(。-人-。)南無
東京事変の曲は以前もとても共感して考察したらとても深い達観した内容。それこそ、煙ったい世論に飽きたって感じ(笑)
認知度の大きい大物アーティストが社会状況を風刺し、誰も責めずに、かつ「そういう精神で進む道もある」という、本業の仏教の住職からみても問題ない!という有り難い説法を歌にして届けるように
今の時代、今のタイミングでないと生まれてこない精神性を説いた曲は多数
そういう時代の節目に、心が揺れ動いて感動する歌に巡り合える事に感謝
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