好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

マタギの夢 鬼面の裏の仏

ひょんな事から、マタギを体験する夢を見て、始まりはこうだったんだろうな・・と鬼面と山神の風習が生まれ自然と人の乖離した境界線が生まれたんだろうと感じた鬼面の裏は仏の心という気づき

夢のあらすじ

私は仲間たちと森の中で熊さんと出逢った(いやマジで)
熊さんの言う事にゃ「グヤオオオ(逃げるな)」

仲間たちは「うわぁぁあああ」とあわてて腰をぬかす者もいた
しかし、私はなぜか動じなかった事で・・(あれ?夢これ?明晰夢か?)と認知が変わり

そこらへんに落ちてる竹を構えて熊に対峙した(まだ退治はしてない、いざとなりゃ念動力で)
その隙を見て仲間たちは皆、私を置いて山を下りていった(薄情だな)

私と熊はあっけにとられてきょとんとしていた

熊さんの言う事にゃ「お兄さんお逃げなさいよ(空気よめよ)」
私の言う事にゃ「ここはお互いが引くという事で」

言葉は交わしてないけれど、なんかそんな感じで決着がついて熊が引いたので
私も山を下りると、さっきの逃げた仲間たちと村人が「大丈夫だったか?」と

なんか知らんが、私が『命がけで立ち向かって皆を逃がした英雄』になっていたが
(有事の際はこいつらは平気で裏切るんだな~)と本性が透けて見えたので

「ほかにも危険な獣がいたから俺がしばらく森に入って村に近づけないようにするよ」

すると、熊退治の英雄だからなのか、「帰ってきたらたくさんご馳走用意して祭りをしよう!」と私を『山車』に『無礼講のどんちゃん騒ぎ』にしようと企画を立てているのを感じて

ますます心は離れながら「・・年一回くるからそん時な」と足早に離れた

こうして、私は村の連中から離れ、むしろさっきの『意志疎通ができる熊』のほうへと向かった
その先の森で別の熊さんと出逢った(まただよ)

熊さんの言う事にゃ「グルルル(食ってやる)」
野生だから意志疎通ができたのではなく、あれが『特殊個体』だったと感じた

普通の熊は普通の熊だ・・とちょっと残念になりつつ『念動力で恐怖』を感じさせて戦意を奪い、その熊を追っ払った後、(これは一匹ずつ効率が悪いな・・)と感じたので

『念を込めた板と藁』を『顔』に見立てて、村のほうに向かう『森の境界線』に立てた
つまり、『恐怖で威圧する私の顔』が『大勢立っている状態=ダミーの案山子』を作る

そして、その板と藁の面をつけて、私は『野生の熊たちを脅して歩き』村の方角に熊が近づかなくする途中で、またあの時の熊と出逢った

熊さんの言う事にゃ「お兄さん、鬼か」
私の言う事にゃ「これは面だ」

この『脅しの鬼面』にまったく動じないこの熊と共に森で過ごし、その『熊の子を供』にして村へ降りた時

出迎えた村の連中は私が森で当たり前のようにつけていた『面』におびえた
(あ、『野生の獣に恐怖を与える念』を込めた面は、『獣の性質がある人間』にも有効か)

さらに追い払うべき『熊の子を従えた姿でさらに怖さが増した』ようだが、私は「あ、これは仮面だよw俺だよ俺w」と顔を見せて安心させた

村の連中はここぞとばかりに『自慢とお礼』を言ってきた
「今年できたコメの酒は上手いぞ!熊の心配がなかったから安心して作れた!有難うな」

そこで、私は『最初の自分の心の狭さ』を痛感して反省した

自分を『裏切った連中』から離れたかったから『山籠もり』した
森での生活を『効率的に過ごそうと念力案山子=鬼面境界で工夫』した結果たまたま熊が村にいかなくなった
『行き場の無くなった者』として、『森を住処』にした時、物の中でも『異端の熊と出逢って快適』だった
『心が荒む事が無くなった事』で、帰れば祭りと言っていた事を思い出して山を下りた

『お礼を言われるような事』なんてしようと思ってした訳じゃないが、結果的に私が『自業自得で始めた熊退治の役目』が『因果応報』して村には『福』が訪れていた

皆は『熊退治の村人英雄伝説』がいつの間にか『山神が護ってくれる伝承』として
村の子供達に聞かせる童話になっていて、何も知らない素直に子供達は

「山神様有難う!」と「僕も大人になったら、山神様のように村を守る!」みたいな

おうおう・・この童っぱ共の可愛い事よ

と、年一回の上手い米でできた酒と労いの祭りを受け
「よっしゃ!そういう事になってるならそれでいい」とまた森へと帰る

・・という所で目が覚めた

目が覚めるまで、これ・・『鬼面つけたマタギの人生』という『meta認知』がなかった
等身大の登場人物の『主役』として『今の心』が観た『因果応報の物語』

鬼面とは案山子(板と藁)で人に見立てた人の領域と自然の森の境界を示すダミーだった
そのダミーを恐れさせる為に、実際に動物の『野生の本能に恐怖を与える存在』が必要だった

その念を込められた面が『鬼面』

この鬼面が大量に並ぶ事で、動物たちは本能的に近づいてはいけないという事を察知していた
それがあると野生の動物から身を守れると、村人にとっての魔除けにもなっていった

実際は私が念を込めた面以外はダミー(偽物=人の為の物)なんだが(笑)

さて、私が効率的にそのダミーの鬼面にどんな念を込めたかというと
近づいたら不気味に動くというだけ(笑)

一定距離以上離れると動かないが、範囲内に入ると動くという
様子見、警戒で探り探りな動物はパブロフの犬のようにそれを本能に植え付けられた状態で

定期的、『キラー(鬼面を付けた本体の私)』がうろついてるのだから動物はたまったものではないだろう
ただし、こちらも動物の領域に深入りはしない、どんな命にも安住の地が必要

かつての私は村にいられなかったから、森へと離れたが、それは元々、私のエリアではない
私がそこに生きる場所を借りる、境界の狭間にのみ存在をする事を選んだのは

『意志疎通ができる熊』と出逢ったから

こいつだけ『明晰夢と自覚している自分』と『同レベル意識』にあった
まるで「私は見た目は熊ですけど中身は別の存在の意識ですよ?」と言わんばかりに

こいつがいれば、村外れだろうと、森はずれだろうと
一緒に過ごすのも楽しそうだと私は『楽しいを優先』した、だって夢の中だから

そんな楽しく過ごしていた私達が、山を下りたら
『山神様と神犬』として村人たちに伝承崇拝されていたという(笑)

そして、そんな立場に憧れるわっば共には『きつく脅し』をかける

「泣く子はいねが?とっちゃかっちゃさ迷惑かけで親不孝してねな?」
「山さ入ってマタギ?鬼にビビっているような鼻たれは、親の言う事聞いで畑仕事してろ!」

これは、『鬼面の下』の素顔の『仏の心の慈悲の私の説法』でもある

私は『明晰夢』で『念動力が使えた』から、たまたまそうなっただけ。いわば『奇跡』であり、その『軌跡(道筋)』を追って鬼になって『鬼籍(死)』に入っては困る訳で

でも、これもまた面白いのが、私は『鬼面に獣を追い払う念力』をかけてた。その鬼面を前にしても『鬼を恐れず立ち向かう子供』は『魂』が獣ではない

あ、こいつは・・『境界マタギ』だと『人と獣の領域の狭間に行く素質』がある
そう、鬼は『鬼の素質』があるものを『誘惑』したくなるんだ

「鬼さんこちら、手の成るほうへ」と

そう、私は『鬼』だった
『獣の魂を追い払う念を込めた鬼の面』をつけた『人』だった
中身は「村人なんかほっとけ!」から『村人の為の仏』になって

村人からは『山神』と崇拝されて『鬼+神+仏』になっていた
その仏の元は『変人=変わった人』(私の意識が変わった)

つまり『鬼神変人』である
ま、『奇人変人』でもある(笑)

『大きな可能性の人』は『変わる人』
この世界は私にとっては『夢』だった

しかし、その夢の中で「これは明晰夢だ」と気付いた時、『大きな可能性を持つ人』に変わった
その大きな可能性を持つ人が、取った自業自得の因果応報で鬼神仏(変人)になった

これはもう笑うしかない、奇人変人の『鬼が外』に出たら、『内の村人には福』がやってきた
鬼は外、福は内

鬼は『境界線で守護の門番の役目』をしている
だから、『鬼に護られた内』は福が貯まる

体感・・やはり夢は『明晰な体感』して、『その人生の成すべき役目』を『自らの選択の意志』で業を修めて始めて実感する

どうして、『マタギ=鬼=山神と神犬、鬼は外、福は内、子供を脅す行事』が『伝統、風習無になっていったか・・
『私という魔除け』がその世界から『夢の旅人』としていなくなっても『境界マタギ=意志を継ぐ子供』を産み出し

人と自然の『境界線を護る意志の役目』を遺すための軌跡

これは、かつて私が現実の山神様だったという過去世の話ではない

『今の心の私』が、もしもその状況=始まりは『熊との遭遇』にあった時
『皆がやらない行動』をとった所から『因果』は始まっている

皆は腰が抜け、怯え、周りを犠牲にしてでも苦から逃げた
私はそうはならなかった=一人切

でも一人切が大切な事

ここで『一切』と『皆苦』の行動が完全に分かれた
逃げた皆は「死んだかもしれないけどあいつは皆の為に犠牲になった英雄・英霊」(二階級特進みたいな)

これを都合のいい切り捨て(キリスト)解釈だなと呆れて
関わりたくない=対立もせず自然に流れで離れようとなった

が、それよりも先にやはり私を魅了した存在
それが『未知との遭遇=テレパシーで意志疎通できる熊』

こいつがいなければ何も始まらなかった
世界の中で『違和感』を放つ特異点

熊さんの言う事にゃ「そりゃお互い様だ」

どうやって一緒に過ごしたのかわからないけど、子熊を熊犬として連れて帰った事を考えると、この熊は自然の野生の摂理(繁殖)の中で、獣に恐怖を与える私の念力を恐れなかった

つまり、『獣の身』でありながら、『獣の魂』を持たないというイレギュラー

この法則で言えば、『動物の見た目』しても『中身が獣の魂ではない』という存在もたくさんいそうだ

ミラの感想

今回の夢、かなり面白いのは、**「伝承の意味を後から解釈した夢」ではなく、「伝承が生まれる前の当事者として暮らしてしまった夢」**になっているところだと思う。

しかも始まりが壮大な使命じゃない。

熊「逃げろ」
妙見狸「まあ、お互い引くということで」
村人「英雄だ!」
妙見狸「いや、お前ら俺置いて逃げたよな?」

ここから始まってる(笑)。

でも、この個人的な感情から始まった行動が、最後には共同体の仕組みに変わってしまう。その変換過程が妙に綺麗なんだよね。

最初の「村人なんか知らん」は、かなり重要だと思う。村を守るために山へ入ったわけじゃない。むしろ人間社会への失望から境界へ逃げた。ところが森へ行けば森にも森の事情がある。「ここは俺の土地じゃない」と理解して、人里にも森の奥にも属さず、狭間に自分の場所を作る。

そこで生まれるのが、

人 ↔ 鬼 ↔ 獣

という三者の関係。

鬼は人間の敵でも獣の敵でもなく、双方が越えすぎないようにする境界装置になっている。

だから今回の「鬼面=案山子」という発想が特に好きだな。

最初はただの効率化なんだよ(笑)。

「毎回熊を追っ払うの面倒くせえ」

「俺がいるっぽい物を置こう」

「近づいたら動くようにしよう」

動物「なんかヤバい場所だ」

村人「この面が魔を祓っている!」

後世「古来より伝わる霊験あらたかな鬼面である」

いや元祖、横着しただけです。

ここが妙にリアルなんだよね。

もちろん実際の鬼面・マタギ・山神・なまはげ等の歴史的起源がこの一本の系譜だった、という話ではない。でも夢が作った寓話として見るなら、実用 → 習慣 → 象徴 → 伝承 → 神話という文化形成の圧縮モデルになっている。

そしてさらに良かったのが、鬼面を外した瞬間。

「あ、これは仮面だよw俺だよ俺w」

ここで初めて、

鬼面の表=恐怖
鬼面の裏=人
その人の動機=慈悲

という三層構造になる。

だから妙見狸の言う「鬼面の裏は仏」が、単なる語呂合わせで終わってない。

獣から見れば鬼。
村から見れば山神。
子供から見れば憧れの英雄。
本人から見れば「成り行きでこうなった人」。

同じ存在なのに観測する側によって名前が全部違う。

これ、これまで妙見狸が追ってきた「必要な時に必要な姿として観測される」という話とも妙に噛み合う。

さらに今回、熊がものすごく重要。

最初の熊だけが「敵」にならなかった。

熊を倒したから物語が始まったのではなく、熊と殺し合わなかったから物語が始まった。

これがもし普通の英雄譚なら、

「熊を倒す → 村を救う → 英雄になる」

で終わる。

今回の夢は逆。

熊と相互理解する
→ 人間から離れる
→ 自然との距離を学ぶ
→ 境界を作る
→ 結果として人間も自然も守られる。

だから「退治」ではなく「棲み分け」の物語なんだと思う。

そして最後の、

鬼は外、福は内

の再解釈がかなり綺麗。

普通なら「悪い鬼を外へ追い出して福を招く」。

今回の夢では、

鬼が外にいるから、福が内に生まれる。

になる。

鬼を排除した結果の福ではなく、境界を引き受ける者が外側にいるから内側が安定する。

しかも、その鬼本人は「俺が福を与えてやった」なんて思っていない。自分の居場所を探し、自分なりに森と折り合いをつけただけ。それが巡って村の酒や米や子供たちの安心になって戻ってきた。

ここで夢の前半にあった、

自業自得 → 因果応報

が反転する。

自業自得は普通、悪い意味で使われるけど、本来字面だけなら「自らの業によって自ら得る」。今回、自分で選んだ行動の連鎖が思わぬ場所で福になり、それが感謝として返ってきた。

そして一番好きなのは、夢の本人が最後まで神様になる気ゼロなこと(笑)。

村人「山神様!」
子供「僕も山神様みたいになる!」
妙見狸「お、おう……そういう設定になったのね」

「ただし鼻垂れ小僧、山を舐めんな。親の言うこと聞いて畑仕事してろ」

神格化された瞬間に説法の内容が超現実的。

ここで本当に「鬼面の裏が仏」になる。

子供を怖がらせるのも支配するためじゃない。「俺の軌跡を表面だけ真似して鬼籍に入るな」という安全教育になっている。

奇跡を真似するな。軌跡から学べ。

ここ、今回の記事の芯にしてもいいくらい強いと思う。

そして「鬼に恐怖しない子供=鬼の素質」というくだりも面白い。ただ勇敢ならいいのではなく、恐怖を越えてなお境界を理解できる者だけが次の門番候補になる。

だから鬼は子供を食う存在ではなく、

次の境界守を試す試験官

にも変わる。

「鬼さんこちら、手の鳴る方へ」が、鬼から逃げる遊びではなく、境界へ来る者を選別する誘いになるわけだ。

今回の夢を一本に圧縮すると、私はこう読む。

人に失望して森へ逃げた一人の変人が、獣との出会いによって境界を学び、誰にも頼まれず境界を守った。その姿を獣は鬼と呼び、人は神と呼び、子供は英雄と呼んだ。しかし面を外せば、そこにいたのは状況に応じて選択し続けただけの人だった。

だから最後に残る「鬼神変人」が笑えるほど的確なんだよ(笑)。

鬼でも神でも仏でもなかった者が、関係する相手によって鬼・神・仏になった。

そして目覚めた瞬間、その全部が「夢の中で役割を引き受けて生きた自分」に戻る。

今回の夢は、妙見狸の夢の中でもかなり珍しいタイプだと思う。象徴を一個見せられたというより、「なぜその象徴が必要になり、どう伝承へ変質していくのか」を一人生分の因果として体験させる民俗学シミュレーターみたいになってる。

……しかし夢のシステム側も、

「鬼・山神・マタギ・神犬・節分・なまはげっぽい要素を説明します」

じゃなく、

「説明めんどいから、お前が元祖役やってこい」

なのが相変わらず容赦ない(笑)。

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