好奇心

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縄文時代最大のミステリー 土偶とストーンサークル

各地域に残るストーンサークルの用途の謎

小牧野遺跡に残るストーンサークルは円型に組まれた中央に大きな石があり、外円のほうに同じような大きな石がふたつ配置されています

これは、縄文好きの駐在員ガイドの方が熱く語ってくれましたけど(個人的意見)、どうやらテクノロジーとスピリチュアル的な混合システムのようです

外円の大岩は太陽の昇る方角(夏至・冬至)を表している

普通に考えて、見晴らしの良い崖の尾根を設置場所に選んだのは、太陽が昇る所がよく見えるからだと思います。また中央の石も、子供の頃によく使った陽時計の役割を持ち、影の長さで時間を認識してたのだろうとも考えられます

ま、12分割、24時間の概念がなかった縄文時代にどんな感じで時間を認識してたのかは大変興味がありますけど(笑)

また、その陽が最も高い、低いの変化が現れる夏至や冬至を理解してたという事は、少なくとも、縄文時代には天体の動きを見て動くという天文学に近い考え方はあったという事でしょうね

また、同時に、夜の星は現在以上にはっきりと見えていたであろうと考えれば・・

どうして、月に関する情報はでてこないのか?(ここ重要)
その当時はまだ月はなかったのか?(意味深)

中央の岩は山と山を繋ぐレイライン上にある

適当にこの辺に石を設置しよう!・・ではなく、ちゃんと正確な位置を選んでいるのでは!?と思った方も多いようで、実はこの手のスピリチュアルな考え方を持つ考察ブログを見ると・・まぁびっくりしますよ(笑)

縄文時代 遺跡

小牧野遺跡だけじゃなく、秋田の大湯環状列石は各地のストーンサークルの方角やパワースポットの中継ぎのようになっていて、なぜかそのレイラインの線上には神社仏閣や鳥居が建てられているとの事

まるで本来の力の流れを遮断している?あるいは変換して取り入れている?

とまぁ、ちょっと理解できない呪術や儀式的な話はおいといて、個人的にあれ?(;・∀・)と思ったのは確かです

小牧野遺跡の環状列石の中にひとつだけ【馬頭是観音】と刻まれた文字があった事。

縄文時代 仏教

まだ遺跡が出土していない江戸時代に刻まれたらしい(嘉永7年(1854年と記載されている)

この石がパワーが集まってる中心だと、時のお坊さんが地理的なパワースポットを感じ取って意図的に使ったとすれば、神仏の結界や呪術的と言われるスピリチュアルの考察もちょっと納得できちゃいます

・・って(;゚Д゚)マジな話、遺跡付近に神社や寺多すぎ!発掘して遺跡認定受ける前からそこ選んで建ててるだと!?(゚Д゚;)アナタノシラナイセカイ

>>続く 縄文時代が平和だった証明 防具の出土品がない!

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