好奇心

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【闇風呂】目の疲れを取ろうしたら太陰太極図が見えた

風呂は真っ暗にして入る闇風呂は目の疲れが取れるという事を確かめたくてやってみたら・・宇宙!?という謎の光と闇の哲学に目覚めた壮大なロマンな話パワーバランス

お風呂は暗闇にして入ると目の疲れが取れるらしい説

闇風呂
電気を消してお風呂に入る事を通称、闇風呂というらしい
闇風呂を肯定する理由は様々な角度から存在する模様

  • 光を遮断する事で眼精疲労を回復
  • 電気代の節約

・・後半はなんとも現実的というか、打算的というか、その程度で電気代節約もクソもねーだろ!というこじつけ論ではあるが、目の疲れをとるために暗闇にするというのは一理ある
例えば眠る時、目を閉じても、部屋の電気がこうこうとついていたら、瞼の内側に光が差し込んできて眩しさを感じてしまう。そのため、電気をつけっぱなしだと目が刺激されて眠れないという人もいる
事実、脳が光によって刺激を受けると休息効果は得られにくい。しかし、電気を消して眠りにつく事で、瞼の上からの光の刺激を感じず、脳が休息を得られ、快適な睡眠をとる事ができる
それは私も過去、99%遮光の安眠マスクをつけて寝た経験からもはっきりと言える
つまり、リラックス=暗闇といっても過言ではない訳で=闇風呂に繋がる
はい、ここまでは普通にお風呂に入る時は電気を消すとリラックス効果が高まって体にいいよ!(≧▽≦)という話。闇風呂用のライト系のグッズがたくさん販売されてるけど、逆に目の疲れになるから使わない事をおすすめ。軽く洗面所から光が漏れるくらいで十分です
ここからは闇風呂によって想像力とインスピレーションを刺激されてとある哲学に到達したお話(笑)

闇風呂で気づく!光と闇の存在意義

光、明るい、まばゆい、神々しい、煌びやか・・
様々な表現においてポジティブな印象を抱く「白」
光
しかし、この光は、光単体では光として存在できない
眩しい!と感じる光には、必ず輪郭や陰影を捉える事ができる
例えば、直視した時、それが太陽として認識できるのは、輪郭があるから
あまりものまばゆい白を目にした時、手で目を覆う事で、そこに境界を作り光を認識する
その輪郭や陰影というのは、闇である
闇、暗い、黒い、おどろおどろしい、恐怖・・
闇というのは、ネガティブなイメージでとらわれている「黒」
闇
しかし、この闇もまた、闇単体では闇として存在できない
それが闇だと認識するために必要なのが光である
光だけの世界はただの白
闇だけの世界はただの黒
どちらかひとつでは何も認識できないから存在してないのと一緒なのである
壮大な哲学のように思えるけど、これに気づくきっかけがただの闇風呂である
家族「2回目の風呂だから最後お湯ぬいといて」
私「あいよー(2回目って言わなくても・・)」
言い換えれば「お湯汚れてるから・・」という表現をこれからお風呂に入る人に投げかけるのはいかがなものか?(;´・ω・)俺は今から汚い風呂に入るのかい?と・・ネガティブな思考で捉えてしまうと、途端に湯船が汚いかも・・と先入観(気持ち)
しかし、ここで 電気を消して闇風呂である
視界が捉えていた光、目に見える情報の強制遮断
目に対する光の刺激よりも、脳へかかる情報処理負担が軽減されたというのがわかる
汚れた風呂?漆黒の闇において湯船の表面の汚れなんてまったく見えない
そこには耳に静寂、目に闇と体に暖かい心地よさの感触がある
脳がそれを気持ち良い!と判断してるだけの概念の世界
闇は目から判断する情報を遮断する事で安息と休息を与えてくれた
しかし、次の瞬間、手元、足元が見えないため暗すぎて困った
そこでわずかな灯りだけを照らす事にした
うっすらと物の輪郭が浮き彫りになって見えるようになった
光が湯船に反射して、揺れる水面の輝きがきらきらしている
揺れる
闇の中に揺れる光はまるで宇宙の星のようだ
例え、それが2回目で汚れたお湯だとしてもだ
これは、秘境と言われ人が管理していない天然露天風呂が、実際は、日中に猿やら動物が入りまくって毛やらゴミや虫が浮いていたとしても、闇夜の満月のわずかな光の下では幻想的に感じるのに等しい
満月
想像してみよう
光の元に汚れた風呂と確定して見える化された状態で、不快な気分で湯船につかるのと
闇の元、汚れた風呂であっても視覚化されず、わずかな光で幻想的な癒し気分が得られる湯船
結局はどちらも状況は同じなのだ
物事に対する心の捉え方が違うだけなのだ
光と影というのは、明暗を調整するコントラスト
調整のために常に一体化して存在する
善(光)も悪(闇)も一対でパワーバランス
それに気づいた時、このデザインにはちゃんと意味があったと繋がりました

太陰太極図のデザインにはメッセージが込められていた

太極図
森羅万象、全てのものが陰と陽の要素によって成り立っているという考え方から来ているそうで、光と陰、ポジティブとネガティブ、熱い冷たいと言った対になった2つの要素で世の中はできているという考え方
で、この図の中のカタチがまたデザインセンスとかそういうレベルじゃなく、意味が込められた解説図であり、後世へ伝える戒めのメッセージでもあると受け取れます
時計周りに針を追うように追って見ていくと、白と黒はそれぞれ細い→太いに変わっていきますね。これは「陽極まれば陰となる」「陰極まれば陽となる」というメッセージ性
太くなった中心にある丸い点は、陽の中にも陰があり、陰の中にも陽があり
100%どちらかになる事はまずありえないという事を示しています
悪か?善か?正しいか?間違いか?をカテゴライズして分類する事に意味はない
どちらも正しく、どちらも間違っている
白と黒、光と影は清濁併せ持って一対の存在
人も世界もバランスで成り立っているんだよ
という突き詰めればシンプルな悟りをメッセージとしてデザイン化している
ただね、そうなると、気になるというか、分析脳が働いちゃう私としては・・黒の輪郭で白を囲んでいるという時点で黒多めじゃね?とか、その周りは白だからバランス的にセーフ?とか思ったりする訳ですがねw
きっかけは闇風呂での光と闇の個人的な哲学論だったけど、後からこの太陰大極図の意味を知って、壮大な歴史ロマンを感じたので、意味のあるデザインとして好きになりました(゚∀゚)これそのうち買う

・・となると(;´・ω・)日本古来からある 勾玉って・・片方だよね?(意味深)
勾玉
軽くぐぐったら、勾玉の歴史は不明・・古代からとか、曲がった玉が由来とか、太陰太極図に比べて根本の出どころが不明で曖昧
円?
解釈は多数あるようで、思い人同士がもってくっつけて円=縁結びという後付けで思い付きそうなお土産商法解釈まである模様。つまり、サイズが均等でなくても、ぴったり合えばOK!的な考え方の時点で
バランスの大切さという重要なメッセージ性もなければ、穴(点)の意味は?という部分がすっぽり抜けて、アクセサリーとして紐を通すための穴じゃね?というぐだぐだ解釈
同じように後世にアクセサリーとして伝わってきても、絶対に太陰太極図の商品では白黒の点の部分を穴にして紐を通している商品はない(手を加えてはいけない重要点という部分がしっかり伝わっている)
どう考えても太陰太極図が森羅万象を伝える真理をデザイン化したものであり
勾玉はそれが日本に伝わる時にねじ曲がったのかもしれないね(曲玉だけに)
禍々しい・・まがい物・・
「まが」って付くものだいたいヤバい説 (゚∀゚)アヒャ
そういう大河ロマンと歴史の話は、素人にはわからないので妄想レベルにしとくとしても
卑弥呼でぐぐれば煌びやかなねーちゃんのイメージがいっぱいでてくるし
勾玉がファッションリーダー卑弥呼を筆頭に
アクセサリーとして流行したのは納得できそうな気がする(゚∀゚)アヒャ
やっぱり日本の歴史って伝来が左右してるんだな~(意味深)

COMMENTS & TRACKBACKS

  • Comments ( 2 )
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  1. たぬきちさん こんばんわ
    人の心も陰と陽・・
    最近陰に引きずられ気味のさゆこですw
    この太陰太極図、白いのと黒いのがお互いを追いかけているようなイメージでしたけど・・
    違った (〃ω〃)
    勾玉は魂みたいなイメージ持ってました。
    だから片方だけだと未完成というか不十分というか。
    2つの勾玉がしっくり合って完成形だから持ち歩いて相手を探すために穴が空いてるとか。
    ただの想像ですけどw
    ※やっぱ絡まずにいられんかって。
    すみませ〜ん(汗)

    • さゆこさん 毎度( ̄∀ ̄)
      追っかけっ子
      なるほど、その解釈も面白いですね
      黒も白も最も割合が大きくなった時、その中心に対極の点がある
      ここが最も大きな意味を持ってると思うんですよ
      成熟した社会の必要悪
      腐敗した社会に救世主
      見方を変えれば同一である
      これを宗教のトップと置き換えて…
      おっと誰か来たようだ…
      勾玉はそこを穴にしている
      なるほど!穴か!それはこの世の果てとか、ブラックホールとかそういう意味が!…え?
      紐を…通すため…?え、マジで?
      (´◉◞౪◟◉)………普通
      太極図とは全く別物の気がする

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